題字 めぐみ館3年 S.Kさん
第56回生の皆さん、御卒業・寮修了おめでとうございます!
「 第56回生 寮修了生代表挨拶 」 S.A(めぐみ館3年・長野県)
礼拝は敬和生にとって、とても身近なものだと思います。寮生にとっては生活の一部になっているのではないでしょうか?朝は学校で礼拝を捧げ、夜は寮で礼拝をしてきました。礼拝で始まり、礼拝で終わる毎日です。これまで私は礼拝でのお話を大切にしてきました。聴いている人に関心を持ってもらえるように、少しでも心に残るお話ができたらと考える時間が好きでした。今日、この修了礼拝で最後のお話をさせていただけることに感謝しながら、お話ししたいと思います。
お土産で食べ物を買う時、皆さんはまず何を見ますか?値段でしょうか?それとも内容量でしょうか?修養会でお土産を買った時、私が最初に見たのは「賞味期限」でした。
56回生最後の修養会、行き先は沖縄でした。初めて訪れる沖縄は仲間と過ごす時間のすべてが輝いていて、本当に夢のような3日間でした。自由行動では国際通りを歩きました。色とりどりのお菓子や特産品が並び「これ、喜んでくれるかな?」と手に取っては、そっと裏返します。そして、無意識のうちに、賞味期限を探している自分がいました。「次に家族に会えるのは、いつだろう…。」その想いが、ふと胸をよぎるのです。賞味期限はただの日付でありながら“会える未来”を測る目安でもあると思います。そのため日付を確認し、一ヶ月ももたないものは、棚へ戻しました。本当はどれも持って帰りたかったのに「渡せる日」を思うと、諦めるしかありませんでした。楽しかったはずの時間の中で、私はずっと家族のことを考えていました。
修養会最終日。新幹線で新潟駅に到着し、その場で解散となりました。駅の出口へ向かうと、そこには誰かの家族の姿がありました。笑顔で迎えに来た家族。再会を喜ぶ声や大きな荷物を代わりに持ってもらいながら、楽しそうに話す通学生たち。その光景を見た瞬間、寂しさが一気に込み上げてきました。3年間で一番、自分が寮生であることが嫌になった瞬間でした。お土産も、お土産話もたくさんあるのに、それを受け取ってくれる人がいないことがとても切なかったです。賞味期限を気にしていたのは離れていても、すぐに会えなくても「ちゃんと渡したい」という、家族への小さな愛情だったのだと思います。
3年間の寮生活で、私がいちばん考えさせられたのは「家族の存在」でした。家にいた頃は「ご飯できたよー」というお母さんの声で食卓に向かい、「おはよう」のひと言で一日が始まっていました。それが寮では「15分までに食べに来てください」という放送に変わり、「7時になりました。みなさん、起きてください。」というアナウンスで朝を迎える毎日になりました。何気ないようでいて、そこには大きな違いがありました。誰かの“みんな”に向けられた言葉と、たった一人の“私”に向けられた言葉。その違いに気付いた時、当たり前だと思っていた家族の存在がどれほど特別なものだったのかを知り、家族の有り難さを心から実感することができました。
話は変わりますが、「インサイド・ヘッド」という映画を知っていますか?これは少女ライリーの心の中を描いたディズニー映画です。心の中には、ヨロコビ・カナシミ・イカリ・ビビリ・ムカムカの5人がいて、ライリーの気持ちを動かしています。中でもヨロコビは嫌なことが起きても前向きに考え、ライリーが楽しく毎日を過ごせるように頑張るキャラクターです。私の周りにも、このヨロコビのような存在がいました。
先ほどお話しした修養会の帰り、寮に戻る寮生はバスに乗って帰りました。乗る前は憂鬱な気持ちで、友達と「本当は家に帰りたいよね」と話していました。しかし、話しているうちにどんどん話題がそれ、いつの間にか全く違う話題で大笑いしていました。バスに乗る前は落ち込んでいたのに、気が付けばバスの中ではとても楽しい時間を過ごしていたのを憶えています。
寮でも学校でも、たくさんのことを我慢してきました。その度に、隣には同じように我慢をしている寮生がいました。3連休でみんなが家に帰ってしまう時は寮に残った人たちでおいしいものを作り、みんなで食べました。テスト期間には夜遅くまで友達とおしゃべりをしながら勉強に励みました。我慢しているのは私だけではなかったこと。そして、友達が私を笑わせてくれたことが、3年間を乗り越える力になりました。寮の仲間は嫌なことがあっても笑える環境をつくってくれた、まさにヨロコビのような存在でした。
最後に、みなさんはこの敬和学園に来たことを、自分にとって誇れる選択にできましたか?「高校を選ぶ時、敬和学園にしてよかった。敬和学園で高校生活を送れてよかった。」そう思える人は、きっと“良い選択をした人”なのではなく、“その選択を良いものにしてきた人”なのだと思います。
私は「敬和学園で過ごせてよかった」というよりも「のぞみ寮で過ごすことができてよかった」と思っています。それほど私にとって、寮の存在は大きなものでした。生活は大変だったけれど、不幸ではなかったです。3年間を乗り越えたことは、私の大きな自信です。これから社会の中で生きていく時、きっと多くの価値観に出会い、うんざりすることもあると思います。しかし、敬和学園でたくさんの価値観に触れてきた経験は、これからの私たちを支えてくれるはずです。自分の心で感じ、考え、そして選び取る生き方を大切にしながら、これからも歩んでいきたいと思います。
まだ空が明るくなる前から準備をして、安全で美味しい料理を作ってくださった調理員の皆さん。一人ひとりの生活を守るという大きな責任のもとで、私たちと関わってくださった先生方。たくさんの思い出を作ってくれた寮生の皆さん。家に帰るのにはお金がかかるのに「帰って来たい時は、いつでも帰ってくればいいから」と励ましてくれたお父さん・お母さん。3年間、ありがとうございました。

「 第56回生 寮保護者代表挨拶 」 W.C 様(大望館3年保護者)
56回生の皆様。そして、保護者の皆様。ご卒業おめでとうございます。大望館・W.Jの母、Cと申します。私自身も21回生として、野間先生や齋藤先生、小菅先生の妹さんと共に、ここ敬和学園で過ごさせていただきました。私は新潟県三条市からの通学生でした。当時は上下関係も厳しい時代でしたので、寮に入るのが少し怖かったのです。ですが、卒業して同窓会で友人に会う度「敬和学園に来たなら寮に入らなきゃもったいない!」と言われ続け、「敬和学園の本体は、やはり寮だったのか」という想いがずっと心に残っていました。
さて、息子の入寮日。小菅先生が「涙で前が見えなくなって帰らないでね」と仰った言葉が、昨日のことのように思い出されます。ですが、私は帰り道、涙で滲むどころか「あの子、大丈夫だろうか……。なんかやらかしてないかな。先生、問題児ですみません」と、心配ばかりが募っていました。

Jは、多くの課題を抱えて私の元に来た子でした。彼が生きていくために教えなければならないことは、まだまだ山ほどありました。本当ならもう少し教えてからこの機会を頂きたかったのですが、16歳という期限は待ってくれません。でも、私や家族の手だけでは、大人になるまで間に合わない。だから、志願時から家族に「敬和学園に行くなら寮に入れたい」と願い出ました。私は「私以外の教え、私以外の常識をこの子に注いで貰えるのは、敬和学園の寮にしかないから」と家族を説得し、「そこまで言うなら…」と許可してもらいました。かつては避けていた寮なのに、なぜかその信頼だけは揺るぎませんでした。その想いは、入寮してわずか一晩で「確信」に変わりました。
翌日の入学式。片岡先生からこう声をかけられたのです。「昨日、色々ありました。Jくんに言ったんです。君はまるで時刻表のないバスだ、ブレーキのない電車みたいだ。でも、ここを一緒に直していくんだぞ、と話し合いました」と…。たった一晩です。その言葉を聞いた時、私は心の中でガッツポーズをしました。先生が真剣に問題点を話されているのに、顔はニヤついていたかもしれません。「見つけて、気付いて、直すところまで付き合う」と宣言してくれる人が、やはり居た。あとでではなく今度ではなく、その場その日にもう動いてくれた。その凄さに私は痺れました。そして、その確信は3年間裏切られませんでした。
もちろん、Jは「寮を辞めたい!」と言ったこともあります。でも私が「3年間いてごらん。かっこよくなるよ」と言うと、「……うんっ!」と、単純でした。Jは寮の先生方に、膝を突き合わせ、本当に多くのことを教えていただきました。
皆様のお子さんたちにも、それぞれのドラマがあったことでしょう。同じ敬和学園にいても、与えられた課題は一人ひとり違います。でも、それを親子でクリアしてきたからこそ、今こうして笑顔でこの場にいられるのだと感じています。
Jはこの3年間でたくさんの奇跡を見せてくれました。みんなから見れば「お前の奇跡はその程度なのか」と思われそうですが、私にとって、Jはこの場に立てていることが奇跡なのです。みんなにいろいろなことを言われるという事は、みんなと同じ土俵に立ったからこそ目につくのだと思ったのです。それは昔、希望しても叶わない現実でした。でも、人より上には行けなくとも、指1本でもそのステージに引っかかっているのなら、私は「よくここまで来たなぁ」とJを讃えたいと思います。私たちは先頭切って優秀で、憧れられるような人生を歩んで来られたわけではありませんが、これからもみんなが歩いた最後にぬかるみになった道でも、私たちは腕を組んで笑顔でスキップして行くのだと思います。
それを叶えさせてくれたのは、敬和学園高校・のぞみ寮の先生、学年のみんな、後輩のみなさんのおかげです。一風、変わった人間に出会ってしまったかもしれません。本当にご迷惑をたくさんおかけしました。それでもどこかで見かけたら声をかけてあげてください。とっても喜ぶと思います。
のぞみ寮は、家族のように子どもたちを育て、支えてくれました。今後も寮が敬和学園の本体であり続け、多くの子どもたちを導いてくださることを心から願っております。敬和学園で結ばれたこの絆が、いつまでも皆さんの支えとなりますように。
先生方に尽きぬ感謝の気持ちとみなさまへのお祝いの言葉とさせていただきます。本日は、誠におめでとうございます。

寮生リレー 礼拝のお話
「 味方でいてくれる存在と一緒に進む存在 」 T.R(大望館3年・新潟県)
3年間の寮生活を振り返ると、最初から前向きな気持ちでここに来たわけではありませんでした。むしろ、親とはよく喧嘩をしていて、家にいるのがしんどくて「できるなら離れたい」という気持ちのほうが強かったと思います。この寮に入ることも「成長したい」というより「とにかく今の環境から離れたい」というのが正直な理由でした。家にいる時は、親の言うことがうるさく感じたり、干渉されているように思えたりして、素直になれないことがたくさんありました。分かってほしいのに分かってもらえない、そんな気持ちばかりが積もって、衝突することも多かったです。だから、家を出る時も「寂しい」より「やっと離れられる」という気持ちのほうが大きかったと思います。
でも、寮生活が始まってから、少しずつ考えが変わっていきました。自分のことは全部自分でやらなければならない生活。体調を崩しても、気持ちが落ち込んでも、基本的には自分で立て直さなければならない日々。その中で、家にいた頃には気付かなかったことに、何度も気付かされました。ご飯が用意されていること、洗濯された服があること、何も言わなくても帰れる場所があること。それらは決して当たり前ではなく「誰かが時間と気持ちを使ってくれていた結果だったんだ」と、離れてみて初めて分かりました。
学校でうまくいかず、気持ちが折れそうになった時、何気なく届いた親からのメッセージや短い電話の一言に救われたこともありました。直接そばにいなくても、変わらず心配してくれている存在がいるという事実が、思っていた以上に自分の支えになっていました。たくさん喧嘩をしてきたけれど、それでも親は「何があっても自分の味方でいてくれる存在だったんだ」と今は思います。
そして、この3年間で親と同じくらい大切な存在ができました。それが、この寮で出会った仲間たちです。正直、寮生活は楽なことばかりではありませんでした。一人になりたい時でもなれなかったり、価値観の違いでぶつかったり、心の逃げ場のないところと感じることも多かったです。それでも同じ場所で同じ時間を過ごし、同じように悩みながら進んできた仲間がいたから、ここまでやってこられました。つらい時にたくさん話を聴いてくれたこと。くだらないことで笑い合って、気付いたら元気になっていたこと。一人だったら乗り越えられなかったことも、仲間がいたから前を向けた場面が何度もありました。親が「帰る場所」だとしたら、仲間は「一緒に進む存在」だったと思います。どちらか一方だけでは、この3年間を乗り越えることはできなかったと思います。この寮生活を通して、当たり前だと思っていたものが、実はとても大切なものだったということに気付きました。喧嘩ばかりしていた親の存在も、ぶつかりながら過ごした仲間との時間も、今の自分をつくってくれた大切な一部です。
先生方へ。迷った時もうまくいかなかった時も支えてくださった先生方、本当にありがとうございました。
後輩たちへ。一緒に過ごしたこの1〜2年間は、これから先もずっと、自分の中で支えになり続けると思います。この場所で過ごせて、本当によかったです。
同期たちへ。この3年間を一緒に走り抜けられそうでよかったです。女々しい自分を受け入れてくれてありがとう。色々な道がありますがお互い頑張って行きましょう。
今まで支えてくれた親へ。たくさん迷惑をかけたと思いますが、離れてみて、その存在の大きさに気付きました。本当にありがとうございます。

「 ポジティブレベル100! 」 S.K(めぐみ館3年・新潟県
いよいよ終業まで残り2週間を切りました。実は恥ずかしいことに、つい最近まで3年生にもなってホームシック気味だったんです。夏休みが明けて、寮に帰ってきた時からなぜか異様に家族と家が恋しくて…。特別嫌なことがあったわけでもないし、卒業もどんどん近づいてきているというのに帰ってくるのがすごく辛かったです。9〜11月の日曜は寮へ帰る車の中で泣いていました。
でも、そんな泣き虫な私でも、敬和学園での3年間で成長したことは確かです。「変わったね」と言ってもらうことも多くて、その成長を何より、自分自身が一番実感しています。この私の成長を表すとしたら「ネガティブレベル100からポジティブレベル100」という言葉が一番合っているんじゃないかなと思います。マイナス100からプラス100ということは、足して200レベルも変わっていることになります。さすがに大袈裟すぎるだろと思うかもしれませんが、でも本当にそのくらいの変化を実感しています。私の3年間の成長を語るのに、避けて通れないのが敬和学園に来る前、中学生の時の私なのですが、それはもうネガティブレベル100でした。とにかく自分のことが大嫌いで、自信なんて1ミリもなくて、なんでも起こったことを逃げるように自分のせいにしていました。
中学2年生の夏、私は何かをきっかけに話すことが怖くなって教室にもあまり行かなくなりました。そこから1年間は友達や先生、そして家族ともほとんど話すことはなかったです。家族旅行があっても家に一人で待っていたし、学校でも保健室の奥の部屋で何をすることもなく、ただぼーっとする毎日を過ごしていたのを憶えています。声を出して話すということがどうしてもできなかったので、友達や先生方とは紙に伝えたいことを書いて渡すという方法で会話をしていました。
中学3年生の冬にあった修学旅行に「みんなと行きたい」と強く思い、少しずつだけれど声に出して自分の気持ちを伝えられるようになりましたが、思うように行かない毎日で人生のドン底、お先真っ暗という感じでした。私はそれまで行きたい高校のために、学校の授業に出ない分を塾に通って勉強していました。しかし、出席日数が危ないこと、公立高校に進学して生活していく自信がなかったこともあり、進む高校を悩んでいました。
その時、担任の先生におすすめされたのが敬和学園でした。3月、始まる前は本当に不安で、バスと電車は人が多くて乗りたくないからという理由で、入寮も何故か決めてしまったので余計不安でした。まともに人と話すこともできないのに、人と関わることの塊である寮でやっていけると何故当時の私は思ったのか、今でも最大の謎です。そんなこんなで敬和学園での生活が始まりました。最初は、56回生のみんなも憶えているように私は全く喋らない子で、なかなか新しい生活に慣れず、部屋で事務室で泣く日々を過ごしていました。でも、それも1〜2ヶ月のことだったと思います。泣くことはその先も何度もあったけれど、気付いたらいつの間にか寮のみんなとも学校の友達とも自然に会話ができるようになっていました。そこからはフェスティバルのダンスに挑戦して、いろんな実行委員にも委員会にも入って、どんどんと私は成長していきました。様々なことに挑戦して、失敗して、時に笑って泣いて、無我夢中で突っ走っていたら今です。
今の私は、まさにポジティブレベル100!周りの誰よりも物事をポジティブに捉えることができる自信があるし、話すことが大好きな自分にも気付きました。家族の中では私がダントツでおしゃべりでそんな未来を誰も考えていなかったと思います。

私が寮でよく聴いていた曲に乃木坂46の「僕だけの光」という曲があります。その歌詞を最後に紹介したいと思います。
「太陽眺めるたび、羨ましくなるんだ。どんな時も眩しく輝き続けること。僕には背丈ほどの影しか作れなくて、この世界にはなにも貢献できていない。人は何故に存在するのか。生きることで答えを見つけられるか。僕だけの光、手に入れたい。そう、他の誰も持っていない。心が放つもの、未来照らすのは自分自身。」
この歌詞に私は何度も救われました。ずっと「何もできない自分なんて存在する意味がない」と思っていましたが、この3年間で私は、私だけの光を見つけ、手に入れることができました。正直、3年間本当に楽しかったでは全く終われないほど、大変なことも辛いことも数えきれないくらいありました。ですが、それ以上に今は一緒に過ごしてきた友達、関わってくれた先輩・後輩、支えてくれた先生方、家族。そして、私をここまで変えてくれた敬和学園に感謝の気持ちでいっぱいです。
最後にメッセージを伝えます。 58回生へ。58回生のみんなは意見をちゃんと持って話してくれるから話し合い時には1年生とは思えないくらい頼りになりました。私は寮クリスマスにインフルエンザになって出られなかったけど、帰る前に友愛館で見たみんなが作ってくれた飾り、とっても可愛かったです。来年からも面白い企画を考えて「楽しい行事ができそうだなぁ」と思います。明るいみんなと話して元気をもらっていました。1年間ありがとう。
57回生へ。2年と長い時間一緒に過ごせた57回生とはたくさんの思い出があります。目を合わせて笑ってくれて、話しかけてくれるみんなにたくさん救われました。最近の様子を見ていても、本当にしっかりしていて「来年からの寮もみんながいれば安心だなぁ」と心から思います。卒業までもっともっと話したいです。2年間ありがとう。
56回生へ。「敬和学園に来なければよかった」って思うことが3年間でたくさんあったけど、その度に「敬和学園に来なかったらみんなに出会えなかった」って思うと「やっぱりここでよかったんだ」って気持ちにさせられました。伝わっていると思うけど、みんなが思っている以上に、私は56回生のみんなのことがとっても大好きです。敬和学園に来て一番よかったことはみんなに出会えたこと、これ一択です。行事の準備がうまくいかず、みんなで泣いたことも、時には最悪の空気になったことも、本当にくだらない遊びをして笑ったことも、全部全部大切な思い出です。放課後遊びに行って、彼氏と電車通学する青春も憧れるけど、みんなとここで過ごした日々も「かけがえのない青春だったなぁ」って思います。また来年から会えなくなる実感が湧かなくてどれだけ寂しいか考えるとすごく怖いけど、今は残りの時間を精いっぱい楽しんで最後まで思い出を一緒に作りたいです。3年間、本当にありがとう。

「 退職のご挨拶 」 瀧澤 さやか(のぞみ寮事務)
のぞみ寮事務室で生徒の皆さんと接する機会をいただけたこと、本当に幸せでした。
人生のほんの一部の3年間ですが、寮生活には大変なことが多いと思います。それをこなしている寮生は本当にえらいと思っています。どうぞのぞみ寮で過ごしたことを誇りに思ってください。
これからは身近なところで関わることができませんが、少し離れたところで寮生の皆さんや先生方のことを応援しています。本当にありがとうございました。





