2014年5月19日月曜日

のぞみ通信 No.200(2014年5月19日)

道 芝
寮長 信田 智
今年1月、冬休み明けの開寮礼拝に何人かの寮生が帰寮できなかった。親も子も、もうひと踏ん張りしてくれたなら、皆そろって新年のスタートを切ることできたのにと思うと残念でなりませんでした。そこで、3月の閉寮礼拝で、新年度のスタートをみんなで気持ちを切り替えて始めることが、一人一人のこれからの寮生活にとって、寮全体にとって大きな意味を持つことを再度訴えました。
 保護者の方々にも、子供達の新年度のスタートをみんなで気持ちを一つにして始めることが、子供の自主 自立 自制のためにとても大切であることをご理解いただいて、新年度4月の開寮礼拝には、万難を排して送り出していただきたいと訴えました。その結果2014年度の始まりは、だれ一人欠けることなく元気に戻ってきてくれました。私の記憶の中では、全員開寮礼拝に揃って集まったのは、これが2回目だったと思います。
 私自身はこの春休み、頸椎を痛めて首から肩、腕にかけて激しい痛みが襲い、手もしびれ、寝たり起きたりの日々でした。開寮礼拝、入寮礼拝も、かなりの痛みはありましたが、呼びかけに応えてくれた寮生、保護者の皆様の思いを受け、とても勇気づけられ、励まされました。本当にうれしかったです。
 新学期が始まって1か月半ほど経ちました。5月第2日曜日は母の日でしたが、お子様たちは何か連絡をして来たでしょうか。GW明けで、家で甘えてきたばかりで特に連絡をしなかった子が多かったのではないかと思いますが、母親の有難味は身に染みて感じていることには間違いありません。私も高校生の時は、なかなか親への感謝の気持ちを表すことはできませんでしたが、親の有難味は年と共に深く感じられるようになっていきました。
 私の母は、早くに夫に先立たれ、残された6人の子供たちを女手一つで育ててくれました。恐らく自分のことなど全く顧みる暇もなく、ひたすら家族の生活と、子供の教育のために働き続けてくれたのだと思います。私の父は当時不治の病と言われた結核にかかり、その晩年は結核病棟に隔離され、面会もままならず、母との交流は短歌で心を通わせようとしていたようです。父が他界し10年が経ち、その記念に父との交流を綴った短歌、その後短歌の先生の指導を受け詠んだ歌を自分で印刷し出版しました。
 その歌集は『道芝』と題されました。誰の作かは定かでないのですが「踏まれても 根強く生きよ 道芝の やがて花咲く ときは来らん」という歌が、まさに我が家の歩みそのものであったところから名づけらとのだと思う。また、母が還暦になって詠んだ歌「身を飾る 珠は持たねど 花咲ける 五つの宝 ありて豊けし」(いずれも歌集には載っていない)は本来なら六つの宝と詠みたかったところであるが、私のすぐ上の17歳の息子を失いながらその嘆き苦しみを乗り越えて、5人の成人した子供たちを、珠玉のような宝と詠んでくれた母に、あらためて感謝の思いを募らせる母の日でした。



寮生リレー通信  (第 113 回)
< みぎわ館 >  
「畑のおはなし」
T.M(3年:宮城県仙台市)
 今、みぎわ館の裏には、小さな畑があります。色とりどりの花が咲き、ハーブやトマトの苗が青々と葉を揺らすここは、少し前まで何もない砂地でした。そんなちょっとしたガーデニングの始まりは偶然で、ある夜、私が榎本先生と話していた時のことです。
 どうすれば残飯の量が減るだろうと、私は相談がてら先生とおしゃべりしていました。私が食事委員だということもありましたが、多くを学び、得ることのできる寮生活の中で、毎食後に大量の残飯を目にするのを、前から残念に思っていたのです。しかし、きつく呼びかけをし、無理に食べてもらいたくはありませんでした。自然に食べ物の大切さを感じてほしかったのです。そこで、畑をつくるのはどうだろうという話になりました。
 普段当たり前に食べられる、キュウリなどの野菜を自らの手で育てられるうえ、私たちの残飯、つまり生ごみを肥料として使うことができるのです。すると驚くべきことに、すでにコンポストが用意してあるとのこと。先生はそういうことを誰かが言い出すのをずっと待っていたそうです。
 そうして始まった畑づくり。まだ広くはありませんが、少しずつ砂地を耕し、腐葉土を運び、生ごみ肥料の投入を続け、ついにはそこに苗を植えることができました。有志を募っての作業でしたが、積極的に参加してくれる友人たちに感動しました。特に、光風館のガーデナー(笑)、T君には感謝しきれません。
 これからも、強要するのでなく、みんなが少しずつこの畑に興味を持ってくれることを願います。そこから自らの食事と向き合い、“食べる”ということをそれぞれ考えてくれたら嬉しいです。深刻な食糧不足とは反対に、飽食の時代を向かえるここ日本で、私たちはいかに食べ物の大切さ、命の重みを忘れずにいられるでしょうか。この畑は小さいけれど、今、私たちの確かな希望となっています。
 そして、畑仕事は案外楽しい!たまにでもいいので、ぜひどなたでもいらしてください。


 大望館 >  
「入寮から寮祭」
S.R(1年:新潟県上越市)
 入寮から1ヶ月が経ち、だんだんと生活リズムがつかめてきた感じがします。しかし、親元を離れての寮生活の最初は本当に大変なものでした。携帯が使えず今までのように地元の人とも連絡が取れず、23時には電気は使えなくなり、寮内でのルールがあり、そして今まで親にやってもらっていたことを自分でやらなければいけないなど、今までとはまるで違う生活になりました。
 それに追い打ちをかけるように寮祭の準備が始まりました。私がいる大望館は一発芸と全員でダンスをしたのですが、そのような事をしたことが無く、最初は恥ずかしくて、もじもじとしていました。寮の先輩には全力でやれば何とかなるといわれ、それから吹っ切れて全力で楽しんでやることを心がけて準備をしていきました。
 そして寮祭の日。始まりは寮生やその家族と外で食事をしました。ワイワイやっている感じでも、このあとに控える出し物のことを考えて、1年生のみんなは緊張で顔がこわばっていました。楽しもうと思っていた私もその一人でした。
 食事後、友愛館に移動して各館の出し物が始まりました。大望館は1番最後でした。大望館の番がとうとう来てしまい、緊張がすごかったのですが、全力で一発芸をしました。ちなみに私は猿のものまねをしました。正直全く笑ってもらえないと思っていたのですが、たくさんの人の笑い声が聞こえてきて、すごく達成感を覚えました。その後のダンスも楽しく緊張もせずにやる事が出来ました。
 寮祭はやる前はすごく不安でやりたくなかったけど、終わってみればすごく楽しくて、今後の寮生活に向けて前向きになれた行事でした。


 < めぐみ館 > 
「イースターに受洗しました」
U.A(1年:新潟県秋葉区)
 私が信仰告白をしようと思ったきっかけは中学校生活の中にありました。私の中学校生活の思い出は、思い出したくない程にいい思い出がありません。毎晩のように泣き、どうしたらいいのか分からずにいました。クリスチャンホームで育ってきた私は、「辛い時は祈ればいい。神さまが救ってくださるから。」ということを幼い頃から聞いていました。その時はまだ半信半疑でしたが、「友だちと上手くいかない」「クラスメイトとも上手くいかない」「どうしたらいいのかわかんない」と祈っていました。
 すると少しずつ祈りに応えられているということを実感し始めました。「祈りは応えられている。私のことを見捨てないでいてくれる。」という喜びと希望が胸に溢れ、信仰告白をする決心をしました。
 まだ、分からないことがたくさんあり、クリスチャンとして未熟な点はたくさんありますが、神さまと一緒に歩んでいきたいと思います。


< 光風館 >
「畑と僕」
T.H(3年:新潟県新潟市)
 前の光風館の寮務教師であった三浦啓さん、青柳希望さんと「何か新しいことをしてみたい。次に繋がっていくような、新しいものを光風館に残してみたい」とよく話していました。
 光風館の目の前にある何も使われていない空き地に、レンガの窯を作ってみようと計画していました。今回の畑も元はと言えば三浦啓さんとしようと計画していたことのひとつでした。今まで寮で生活していて考えていたことの中に、「せっかく広い土地を活かせていないなぁ」という想いがありました。きっともっとみんなが気軽に立ち寄れるそんな場所になれるはずだと…。これが畑を始める上での一番の理由です。
 この時期に畑を始めようとしたきっかけはとても簡単なことでした。土曜日の朝食後、部活動が休みだった寮の数人と話をしていた時のことです。「暇だなぁ〜」という一言を聞いた時、自分がパッと思い付き言った言葉が「畑をしてみよう!」ということでした。最初は「冗談でしょ?」みたいな雰囲気だったのですが、寮生のノリですぐさま実行に至りました。
 同室の後輩を引き連れて青空の下、労作教室から借りてきた鍬やスコップを使って、光風館裏の固い土をひたすら起こしたのが、畑作りの最初でした。そこからだったでしょうか。一度、火がつくとやめられない自分がいました。
 畑を一から始めるとなると、身体に負担がかかったり、精神的にも疲れてきてしまったりするイメージが強いでしょう。確かにその通りです。ですが、自分は土を耕していて大切なことに気付くことが出来ました。ひとりでやっている訳ではない。みんなと一緒に、一丸となってやれていたということです。作業をしながら、普段の何気ない会話もたくさんしたり、これからどんな畑を作っていこうか、何をみんなで育てていこうかなどと話したりしていると、場の雰囲気が明るくなり、とても楽しい気分になっていました。「この先、どんな畑になるんだろう」という楽しみもありますが、こういったコミュニケーションが自然と取れるのが畑をしていく中で一番良いなぁと感じたところです。まだまだ始めたばかりなので、いくらでも楽しみは勝手に増えていきます。私は3年生なので寮に住んでいられるのも残り少なく、きっとあっという間で、出来ることは限られていってしまうのでしょう。それでも、したいことはたくさんあります。
 実は前に光風館の裏には畑があったという話を聞きました。ですが今では、畑であったという姿はなく、無くなってしまっているというのが現状です。これを知った時、「とてももったいないなぁ…。今作ろうとしている畑がずっと残って、この先続いていってほしい。」と願いを持ち、畑作業をしています。これから先もみんなで手をかけて、ゆっくりと積み重ねて、時間をかけながら、より良いものにしていきたいと思っています。
 今は先生のアドバイスを参考に3年生が作っているという様な雰囲気があると聞きましたが、全くそんなことはありません。たまたま3年生の人数が多いだけです。出来れば是非、1年生も2年生も一緒に手伝ってください。自分の中での勝手な理想ですが、「何年もかけてより良い畑を作ってもらいたい。こういう風習をこれから先も繋げていってほしい」という気持ちです。
 光風館の一部の生徒で始めたことが、今では先生たちや別の寮のみんなと一緒に進められています。自然と人間関係の繋がりが生まれていることに、今とても感謝しています。これは一緒に住んでいる寮生の特権であり、寮を楽しむということにも繋がると思うし、とても大切なことだと思っています。畑を作ることによって、これから先も同じように後輩たちにも同じ気持ちを感じて、また新しいことを考えてもらえるように期待して、自分自身が楽しんで取り組んでいきたいと思います。



編集後記
 もう早5月も半ばとなりました。1年生は寮生活にも慣れてきた頃。2年生は先輩となり、上からも下からも学ぶ事が多い日々が日常となってきました。3年生は残された自分たちの敬和での時間がわずかであることに気付き始め、様々なことにより一層力を入れて取り組み始めた感じがします。毎日確実に成長の階段を上っているのぞみ寮生たち。笑ったと思えば泣き、喜んだと思えば悩み…それぞれ山あり谷ありですが、それでも仲間との毎日を大切に、自分と向き合いながら、仲間と向き合いながら、親元を離れて精一杯ここで生活する彼らは本当に頼もしく、たくましいなぁと思います。
 ゴールデンウイークも終わり、第一定期テストを迎え、その後はしばらくフェスティヴァルの準備にいそしみます。またまたいろんなことを体験し、感じ、たくさんの笑顔と涙の日々となるのでしょう。忙しく、大変な時期を乗り越え、みんなが何を感じ、何を考え、どんな成長を遂げていくのか楽しみでなりません。のぞみ寮生一人一人の成長をそばで見せてもらい、感動させてもらえる私たち寮務教師って本当に幸せです。だけど感動させてもらうだけではなく、私たち寮務教師も寮生と共に歩み、共に成長する「仲間」の一人でもありたいものです。
森口みち子