2013年3月18日月曜日

のぞみ通信 No.188(2013年3月20日)

強く、雄々しくあれ
寮長 信田 智

 入学当時に比べ、随分成長し逞しくなった。その分寮務教師達は手間ひまかけて関わってくれたと思う。中には何回も、もうダメかと思われるような場面に直面しながら、教師、親御さん、仲間に忍耐強く付き合ってもらい、今日の日を迎えることが出来た人もいる。また、修了生それぞれにドラマがあった。
 まだまだ親に甘えていたい年頃に、中学を出てすぐ、上下関係のある集団生活の中に飛び込んできた。戸惑いや不安があったと思うが、よく乗り越えてきてくれた。その経験は、どこに行っても大きな財産になる。これからの歩みに、自信をもって生活していけるものを身につけてきたと思う。しかし、ある意味ではここで守られ、親への感謝の思いが湧き、親元にいた時よりずっとよい関係を築けたのではないかと思う。
 今、私たちが置かれている社会は、とてつもなく恐ろしい社会である。原発問題、領土問題、国防軍の問題、教育の問題・・・どれ一つとっても日本の将来を大きく左右する問題が山積している。しかも、その全てが必ずしも良い方向に動いているとはいえない。まさに吠え猛る獅子が、あなたがたを食い尽くそうと襲いかかって来る有様である。しかし、私たちはそのような大きな力と闘う知恵も力もない。多くの人たちは、時代の流れに身を任せていくしかないでしょう。一部の人たちは、時代の流れに立ち向かって闘う事が出来るかも知れない。私たちはどうしたら良いのか。一人一人神さまの御心を求めて、自分に示された道を見出していかなければならない。それが敬和で、こののぞみ寮で学んできた生き方である。
 敬和学園の初代校長太田俊雄先生は、新潟にキリスト教学校を作るように神様からの召命を受けた時、敬和学園は影も形もなく、人材もお金もなく、何もない無からの出発であったが、ジョン・モス宣教師はじめ、新潟の諸教会、また、国内外の多く協力者とともに、土地を探し、資金を集め、人材を集める所から始め、1年かけてやっと開校に至った。あったのはヴィジョンと信仰だけであったと言われている。おそらく太田先生も、ヨシュア記1章9節「私は、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」との御言に励まされてきたのではないだろうか。
 君たちが、のぞみ寮を巣立って新しいステージに上る時、様々な困難が襲ってくるだろう。そのとき神様の約束を思い出だして欲しい。「強く、雄々しくあれ。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共におられる。」これに勝る助けがどこにあろうか。敬和で、のぞみ寮で、君たちに伝えたい事は、この一事ある。君たちは、毎朝夕、礼拝を通して神さまとの交わりの時を与えられてきた。その恵みは、今は分からなくても、いつか分かる時が来ると信じている。
2013・2・28修了礼拝より




< 寮修了礼拝 44回生代表挨拶 >
みぎわ館 M.N
今日この場でお話しすることを嬉しく思います。ついに私たち3年生の卒業・寮修了の日がやってきました。この貴重な3年間を改めて振り返って、お話をさせていただきたいと思います。
 敬和に入学する前の私は、友人とのトラブルが原因で学校に行かなくなり、家にこもり、孤独を感じ、誰のことも信じられなくなっていました。そんな状況に陥ってしまっている事を私自身も苦しみ、抜け出したいと願い、敬和への入学を決意することになりました。しかし、人と関わることに恐怖を感じていた私は、寮生活では、なんとなくやり過ごしていればいい、などと簡単に考えてもいました。
 実際に入寮してみると、私の考えが甘かった事に気付かされました。人と適当に関わっての寮生活など、存在しなかったのです。正面からいつも向き合おうとしてくる仲間たち。そんな人たちとの毎日に、そんな生活を中学生時に怖いと思い、避け続けていた私は、勝手に傷つくことが多く、何度も「敬和を辞めたい」と思いました。
 そんな私を特に苦しめたものはミーティングでした。2年生の寮祭のミーティングを自分勝手に放棄してしまったことがありました。みんなに背を向け続ける自分にショックを受け、どうして自分の意見を素直に言えないのか、伝える努力が出来ないのか、と泣くことしかできませんでした。そんなとき、離れて暮らす母からの手紙で前を向くきっかけを手に入れることが出来ました。
 そこには、「お母さんはいつでもNの味方です。大好きなN、自分自身を大切に。」と書かれていました。今まで何事にもネガティブで、自分は何をしてもダメだと思っていた私は、支え続けてくれ、私の心に寄り添い続けてくれていた母の優しさと愛情に改めて出会い、「なりたい自分になってみよう」と背中を押してもらうことができました。そして次のミーティングで、自分の思っていることを整理して言おうと強く心に誓える私になっていました。しかし、仲間に受け入れてもらえる自信があったわけではありません。伝えようと誓ったものの、否定されたら…と大きな不安を抱えたまま、ミーティングの日を迎えました。
 みんなに、心にあったことを全て話しました。初めてだったので震えるほど不安で仕方ありませんでしたが、そんな不安を感じる必要なんてありませんでした。ミーティングが終わると、仲間たちが「話してくれてありがとう」と私に言ってくれました。私はこのとき、受け入れ合うには時間がかかるのかもしれないけれど、まず、自分の心の内を打ち明けてみることが大切で、いつまでも自分の殻に閉じこもっていては前進しないのだ、ということに気づきました。そしてこの時を境に、寮生活の意味と喜びを知り、寮生活・敬和生活、自分の人生そのものに向き合い、前向きに歩み始めることが出来るようになりました。
 私が寮生活で学んだこと・得た事は、「信頼し合うこと」「お互いを受け入れ合うこと」「自分を認めること」「周りの愛情に気が付ける心」「一歩を踏み出す勇気」です。
 今まで上辺だけの付き合いばかりしてきた私に、のぞみ寮で、心から通じ合える大切な友達ができました。一生繋がっていたい仲間たちです。
 長いようで短かった敬和生活はとても充実していました。ここで過ごした日々は私の心の中にしっかりと刻み込まれています。これから先の人生、のぞみ寮で学んだ事を忘れず、ここでの3年間と出会った仲間たちとの絆、周りの人たちの愛情を私の力にして、逞しく生きて行こうと思います。3年間、本当にありがとうございました。




< 退任のご挨拶 >
寮務教師 帆刈 仰也
突然の報告で誠に恐縮ですが、一身上の都合によりのぞみ寮を退職することになりました。離任の挨拶とさせてください。
 敬和学園の生徒指導は、一人の生徒を担任教師のみならず、全教職員で関わる事を大事にしています。のぞみ寮には男女の寮があり、男女の教師がそれぞれ担当します。男子寮においては、男ばかりの社会になり過ぎると大雑把になりがちです。女子寮においては、女子ばかりではキチキチし過ぎて不安に陥ることもあります。これらに関しては、私たち教師が心掛けながら、お互いに関われることを話し合いながら取り組んでいます。
 私は女子寮へ、蛍光灯の交換やパソコンの修理などに行きます。その時に女子の生徒に、声をかけたりする機会があり、少しの修理のはずが、色々と話したり、男子寮の事について質問を受けたりもします。安全面を点検するために教師全員で見まわりますが、各館が閉塞的にならない作用もあると思っています。
 退職するこの時に、多くの事を生徒から気付かされました。教師の何気ない一言や行動を、生徒は常に気にかけて見ているのです。私が言った一言や行動が、勇気付けることや励ましていることに繋がっていたり、逆に考えるきっかけを作っていたりもしていました。これとは反対に、自分が悩んだり、苦しんでいる時には、頑張っている生徒の姿や笑顔で過ごしている生徒、苦しみ悩んでいる生徒の側にいる事で、自分自身が励まされたり、教えられたりもしていました。
 これからは新しい職種、職場で、のぞみ寮での経験を活かして頑張りたいと思います。保護者の皆様には、時に不安を与えたり、心配をかけたりするようなこともあったと思います。しかし、のぞみ寮での歩みを信じて、待ち続けて下さり感謝申し上げます。これからも、信田寮長をはじめとしたのぞみ寮の歩みを支えくださるようお願い申し上げます。今までお世話になりました。有難うございました。



寮務教師 冨井 愛
この度、2年間のお休みをいただいて、青年海外協力隊に参加させていただくことになりました。モンゴルの北東にある、ドルノド県のチョイバルサンというところにある学校で音楽の教師として活動してきます。
 のぞみ寮生と過ごした4年間で、“一緒に暮らすことの大切さ”を教えられました。一緒に暮らしているからこそ、互いの良いところも良くないところも認め合い、自分たちに本当に必要なことを考え、言葉と行動に変えていくことができるということを、身を持って感じました。モンゴルに行っても、のぞみ寮で学んだように、その土地の一員に加えてもらい、同じ暮らしをして同じものを食べ、喜怒哀楽を共有しながら、本当に必要な支援を見つけていきたいです。
 寮生の言葉に胸打たれ、その在り方に心揺さぶられました。皆に成長や変化を求めるのならば、私自身も変化することを恐れず、成長し続けなければならないと考えさせられました。皆の存在そのものが、私を動かす力になっています。身近な人たちをもっと大切にする力をつけるために、少しの間出かけて自分を鍛えてきたいと思います。
 たくさん笑ってときどき泣いて、怒って悩んで喜んで「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返し、寮生の皆に赦された日々でした。本当にありがとうございました。



寮務教師 和田 献太郎
限られた時間ではありましたが、1年近くを寮生と共に過ごして、のぞみ寮とはどんな場所であるかについて、感じたことを書かせていただきます。
 「意外と余裕のない生活をしている」というのが、第一印象でした。それは、今も変わっていません。一日一日を過ごすのに精いっぱい、という寮生が少なくないのです。それだけが理由ではないでしょうが、生徒本人にとっても周囲にとっても、のぞみ寮は短期間のうちに成長を実感できるような場所ではありません。1年単位あるいは3年単位で過ごして初めて、変化に気付ける場所だと思います。
 余裕のない中で、心のバランスを保つために重要なのが、家族との繋がりです。手紙であったり、電話であったり、メールであったり。寮本部に自宅からの荷物が届いていることを知らされた時、生徒の表情が一瞬で明るくなる様子は、そのことを実感させます。文字通り同じ釜の飯を食う仲であっても、本当の意味で腹を割って話のできる友人など、そうそうできるものではありません。指導的立場にある生徒ならなおさらのこと、時に弱音や愚痴をこぼせる家族の存在は、何物にも代えがたいものであるはずです。週末になると、近隣の寮生は自宅に帰ります。遠隔地の寮生でも、長期の休暇には自宅へ戻ります。不自由な集団生活を送っている寮生にとって、この帰省というものは大変良い休養になります。その分、自宅ではつい羽根を伸ばし過ぎ、ダラダラしてしまう時もあるでしょうが、普段の生活内容に免じてご容赦いただきたいと思います。また、一定期間離れて暮らしていることにより、親にとっても子にとっても、お互いの良さに気付ける環境がつくりだされているのではないでしょうか。
 のぞみ寮は、評価を競う場所ではありません。共に生活し、共に育つ場所であり、真の意味でその成果が見えてくるのは、卒寮してからです。ともすれば目に見える変化のみに囚われ、長いスパンで成長を見守ることができなくなってしまう自分にとって、敬和教育の本質に触れる機会を与えられたこの1年は貴重でした。多くの気付きを引き出してくれた寮生たち、また彼らを支えてくださった保護者の皆様に感謝申し上げます。1年間ありがとうございました。



寮務教師 有田 唯
一年という短い間でしたが、のぞみ寮生と共に過ごした時間は充実していました。毎日笑い、時には怒り、ある時はかなしみ、そして日々喜びにあふれていました。のぞみ寮生のたくさんの成長に出会うことが出来ました。また、私自身、寮生のみなさんと関わる中で色んなことを気付かされ、学ばせて頂きました。少しの間でしたが、寮教育に携わる事が出来たことを感謝いたします。のぞみ寮生のみなさん、保護者の方々に心よりお礼申し上げます。
 新年度から学校へ移動になります。引き続きよろしくお願いいたします。




< あなたもそこにいたのか >
寮務教師 三浦 啓
今日は月曜日なので本来なら各館で礼拝を行う日ですが、今日は東日本大震災からちょうど2年を迎える日です。のぞみ寮では東日本大震災が起きてから、寮祭やクリスマス礼拝、日頃の生活の中で被災地と寄り添う歩みをしよう、被災地と繋がる歩みをしようとしてきました。3月11日をみんなで何の日かしっかり確認することを抜きに、被災地に繋がっていくことはできない、そういう想いから今日は各館での礼拝ではなく、みんなで「東日本大震災をおぼえる礼拝」をすることにしたのです。
 2011年3月11日午後2時46分に、三陸沖を震源とする大きな地震が起きました。その大きな地震は津波を引き起こし、さらにその津波は原発事故までも引き起こしました。太平洋側のあまりに広範囲の町々が津波に飲み込まれ、その日の2時45分まで当たり前にあった町や風景、そしてあまりに多くの命が一瞬にしてなくなりました。
 テレビでは大きな地震の後、津波が押し寄せ、町の中を波が駆け抜け、家や車がまるでおもちゃのように押し流される光景が映し出されていました。町が消え、いつもの生活が消え、命が消えた瞬間です。
 あの日、被災した人は、あまりに突然大切な人を、大切な場所を、大切な時間を失いました。被災したことで、あまりに大きな悲しみ、苦しみ、怒り、不安を抱えて生きていかなければなりません。それはあまりに重たいものを背負うようなことです。被災された方々を支援をするということは、被災された方々が背負っている重たい物を「わたしも一緒に持ちます」と言って寄り添うことではないかと思います。みんなでその重たい物を持てば、その重さは軽くなっていくはずです。逆に、重たい物を背負っている人を「大変だなぁ」と言いながら遠くから見ているだけなら、その人は背負っているものの重みで倒れてしまうでしょう。
 今日歌った讃美歌306番は「あなたもそこにいたのか」という黒人霊歌です。イエスが十字架にかけられ、殺された時、イエスのことを大切に思っていた人たちはイエスのことを救うことができませんでした。イエスが、十字架にかけられ、くぎで打たれ、槍でさされるのを、ただただ見ているだけでした。イエスが十字架にかけられたのは、人間の弱さがあったからです。イエスを救うどころか、イエスが十字架の上で殺された時、あなたもそこにいたのか、あなたは目の前でイエスの命が消えていくのをただ見ていただけなのかと、今日歌った讃美歌は訴えているのです。
 震災から2年が経ち、みなさんは被災地についてどのように感じているでしょうか?2年が経過したからもう過去の出来事になっていないでしょうか?私は、今、ストップしている被災支援労作を2013年度に再開したいという思いを持っています。その実現に向けて少しずつ動いていこうと思っています。是非、みんなには、被災地に行き、支援すると共に被災地で何かを感じてほしいと思っています。そして、被災地で重荷を負っている、被災された方々がある日突然持たされた重たいものを「私たちも一緒に持ちますよ」そう言える私たちでありたいと思います。それは何も大きなことをしようと言っているのではありません。自分たちにできる範囲の事を一生懸命にやることだと思います。私たちは問われています。讃美歌302番の歌詞のように、「あなたもそこにいたのか」「大地震、津波、原発事故と大変な思いを強いられている人がまだまだ大勢いる日本にいながら、あなたは何もしないのか?今なにをすべきなのか?」と。まずは、私たちにできることから始めませんか?今、私たちが生かされていることに、当たり前のようにある毎日に、どんな時にも周りにいてくれる仲間や家族に、日々の生活の中で私たちに与えられているたくさんの物に、感謝しましょう。そして、一生懸命に生きていきましょう。
2013・3・11 東日本大震災をおぼえる礼拝より




 43回生を送り出した後、44、45回生の表情に変化を感じました。今度は自分たちが寮を作っていく番だ、との思いがあるからでしょうか。1年間、また2年間  寮で過ごしたからこそ出会える、落ち着いた顔だとも思います。1,2年後、43回生のように、心からの笑顔で、寮を旅立っていかれる日を想像しながら、保護者の皆様と共に寮生の今を応援したいと思います。
 今年度を持って、4人の先生方が寮を去られます。生徒たちの心に愛と勇気をたっぷり下さった先生方です。寂しさもありますが、先生方との出会いを通して学んだ事を、今度は私達が誰かに届けていければと思います。のぞみ寮での出会いが、先生方のこれからを歩む力となりますようお祈りいたします。
  春休み、寮生活のこぼれ話をたっぷりとお聞きください。
(大望館寮務教師:澤野)