寮長 信田 智
使徒パウロは、イエス・キリストを信じる信仰によって、神との間に平和を得ており、キリストによって今の恵みを与えられ、神の栄光に与かる希望を誇りとしている。と告白している。しかし、彼の誇りはそこに留まらなかった。「苦難をも誇りにしている」と言うのである。なぜなら「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5:3-5)からであるという。とは言え、私たちは自分に降りかかる苦難を誇りに思うことが出来るだろうか。なんで私だけがこんな苦しみに遭わなければならないのか、なんで私の家族がこんな苦しい経験をしなければならないのか。愚痴のひとつも言いたくなるし、絶望的な状況の中では、恐れと不安が私たちを支配するのではないだろうか。
しかし、よく考えてみれば、愚痴を言い、自暴自棄になったところで何も生まれてこない。むしろ、ますます惨めになるだけである。時には、何もする気になれないほど打ちひしがれる事もある。その時はじっとそこにうずくまり、その苦しみに耐えることしか出来ない。でも、それでいいのだ。耐える事ができるというのは、強靭な精神力があるからだ。やがて、生きる目的となるものを見つける時、そこに希望の光が見えてくるであろう。
その消息をパウロは、苦難を、忍耐・練達・希望へと繋げている。人生において忍耐の学課ほど困難な学課はないと言われる。私たちは一体どこで忍耐を学ぶのかと言えば、苦難の中でしか学べない。人間はできれば楽をして良い思いをしたいと思うものである。しかし、私たちの先人は、「若い時の苦しみは、買うてでもせよ」と教え諭した。苦難を負うと言うことは決してマイナスな事だけではない。その苦難を通してしか学ぶ事の出来ない、深く広い世界がある。そして、忍耐の先に驚くべき恵みが備えられていることを、経験的に身につけてきたのである。
小西校長は、教職員の採用面接で、「あなたは、今までの歩みの中で何か苦しい経験をしたり、挫折した事がありますか。」とよく訊ねられる。それは、何事も無く順調に来た人には、子供達の負っている苦しみや挫折を共感する事が出来ないからだ。今の子供たちは本当に大変な状況の中で、様々な苦難をかかえて必死に生きている。我々寮務教師は、その子共達の苦しみを一緒に担っていかねばならない。その子供や家庭の痛み、苦しみを共感できる感性を養っていかなければならない。
そのためにも、自らが苦難を経験し、忍耐してその苦難と向き合う中で、精神が鍛えられ、練達した働き人になっていく、そういう経験が大切なのだ。子供達の心に寄り添い、共感しながら大いに悩み、そこから見えてくる大いなる希望の光に導かれて、与えられた勤めを全うさせて頂きたい。「闘いなくして勝利なく、十字架なくして復活はない。」そして、そこにこそ希望がある。
寮生リレー通信 (第 110 回)
「入寮して一年」~全体礼拝でのお話より~
S.A(2年:新潟市西区)
みなさんこんばんは大望館のS.Aです。三年生が寮から旅だってから数日が経ちました。気持ちの整理はついたでしょうか。僕はまだまだです。何か心の中がポカンと開いている感じがします。
さてなぜ今回僕が全体礼拝で話すかというと、ある日の夕飯の後、澤野先生に「A、あと少しで入寮して一年になるから寮に来て思ったことを話してくれ」と言われたので、今日は寮に入る前の事と寮に入ってからの事を話したいと思います。
みなさんご存知の方もいると思いますが以前僕は通学生として学校に通っていました。通生の頃は毎日一時間以上かけて学校に通ってまた一時間以上かけて家に帰っていました。
毎日家に帰るのは、八時近くて大変でした。
寮に入る前は寮生との関わりはあまりなく、クラスの寮生としか関わっていませんでした。なので寮のことはよく分かりませんでした。ですが寮生は先輩、後輩関係なく仲が良い事や団結力が強いと言う事は分かっていました。
寮とは無関係だった自分ですが一年生の後期ぐらいにクラスの寮の友達に、突然「寮に入らないか?」と誘われるようになりました。その時は、深く考えないで「じゃあ入ろっかな」と軽い返事をしていました。誘ってくれたことを友達が覚えているか分かりませんが、この出来事がきっかけで寮とはどういう所なのか、また寮にはどんな人がいるのか話を聞くようになりました。話を聞いていくうちにどんどん寮の魅力にはまり自分自身寮に入りたいと思うようになりました。通生の友達に「もしかしたら寮に入るかもしれない」と話したら、「えー寮携帯使えないんだよ」とか「なんで生活の不自由な寮に入るの?」など批判的な答えしか返って来ませんでした。実際親にも「寮に入りたい」と言ったら「大賛成だけどあなたって変わっているわね」と言われました。この時はなぜ変わっているのかよく分かりませんでしたが、今思うと家から通えるにも関わらず生活の不便な寮に途中から入る事が変わっていると思います。ですが寮に入ったら成長できると思ったので入寮する事を決心しました。またこの決心が高まった出来事がありました。それは43回生を送る会で最後に43回生が花道を通る時に周りにいた寮生のみんなが先輩と写真を撮っていたり泣きながらハグしている姿を見てうらやましく思いました。一年という短い時間の中でこれほどの絆で結ばれている寮生に加わりたいと思ったからです。
そして実際に入寮して学んだことがあります。それは、一つの事をみんなで作り上げていくことの大切さと、自分のできる事をすればいいという二つの事です。一つの事をみんなで作り上げていくことの大切さを学ぶことができたのは寮での行事やミーティングがあったからです。
行事には寮祭やクリスマス礼拝、大望祭などたくさんあります。僕にとってどの行事も初めての体験だったのでとても楽しかったです。これらの行事を無事に楽しく終えることができたのは各館ミーティングを重ね意見を活発に交わしていたからだと思います。実際大望館も何度もミーティングをしていましたが、大望二年生のミーティングは他の館に比べるとミーティングぽさに欠けるところがあります。ですがやる時はやる大望館の言葉の通り真剣に取り組む姿がありました。このことを強く思ったのがこの間行われた大望祭の準備の時でした。二年生は歌を歌うことになったのですが、練習期間が三日間しかなくて間に合うか分かりませんでした。しかし短い期間の中で綺麗な歌声を響かせることが出来ました。これは、みんなが真剣に一つのことを作り上げていこうと思っていたからだと思います。これからの寮生活の中でも意見がぶつかり合う場面があると思いますが、その時はみんなで話し合う事で乗り越えることができると思います。
二つ目の自分のできる事をすればいいと言う事を学べたのは日々の寮生活です。いきなりですが皆さんは大望館ってどういう寮と聞かれたら何と答えるでしょうか?ほとんどの皆さんが、個性の強い人がたくさんいるとか、無茶ぶりも平気とか賑やかな寮と答えると思います。ですが僕みたいに個性が強くない無茶ぶりもできない人もいます。入寮当時周りのみんなが無茶ぶりとかしている姿を見て驚いたし怖くて仕方ありませんでした。自分も何かをしなければいけないと変にプレッシャーかけてもがいていました。ですが日々の寮生活を送っていると自分と向き合う時間がたくさんあり、自分は何ができるのだろうと考えるようになりました。考えた結果、自分にできる事をすればいいと気付くことができました。気付いてからは考え方が変わり、何とかなると思うようになりました。そして寮生活を心から楽しめるようになりました。だから皆さんもぜひ自分と向き合う時間を大切に過ごしてみたらいかがでしょうか。
最後になりますが寮に入る前と入ってからで一番変わったところは何事にも感謝できるようになったことです。寮で掃除や洗濯を自分でしていると親のすごさに気付きました。感謝しきれません。また寮の先生や寮の友達にたくさん助けられました。感謝しきれません。僕にとって寮とは第二の家であり男子寮、女子寮関係なく全員が家族なんだと思います。寮に入寮して皆さんと出会う事ができてうれしく思います。
これからも宜しくお願いします。
< みぎわ館 >
「風になる」
Y.H(1年:北海道札幌市)
私たちみぎわ館46回生は、みぎわ館での3送会でメッセージと映画「猫の恩返し」の「風になる」をみぎわ館バージョンに替え歌し、感謝の気持ちを贈ることにしました。替え歌は、「感動系でいく?」「笑いをとってみる?」「笑いだけじゃつまらないよね」「何か、みぎわらしさがほしいよね!」「みぎわ館らしさって何だろう?」「笑顔!」「食べ物!」「先生たち!」などと、たくさんの意見を飛び交わせ、ようやく完成させることが出来ました。
本番、私たちの出し物の途中、3年生の方々がぽろぽろと涙を流されていました。私たちはみんな3年生が大好きで、その想いをこめてメッセージと歌を送りました。3年生の表情や涙から、私たちの想いが少しでも伝わった事を感じ、とても嬉しかったです。また3年生が1年生の時、当時の3送会で「風になる」を送る側として唄ったのだそうです。まさか、自分たちも同じ歌で送られる側になるとは思ってもいなかったと聞きました。偶然ですが、これも一つの奇跡だな…なんて思ってしまいました。
そんな奇跡の私達からの歌「風になる」はこんな風に出来上がりました。
『Ⅰ:忘れていた目を閉じて 思い出す入寮当初。青空に光るチャペル 手をかざしてもう一度。忘れないで すぐ側にみんないるみぎわ館。星空を眺めている 一人きりの夜明けも たった一つの心 悲しみにくれないで。君のため息なんて 春風に変えてやる!
朝ごはん ランチ食べ 夜はご飯に礼拝。君と作った思い出 友愛館。
ララララ口ずさむ 無意識に讃美歌を。君と唄えた幸せ 忘れないよ。
Ⅱ:シミフまでの道のりはみんなで鼻歌うたい 青空見上げながら待ってろよムーンライト。忘れないで すぐそばにエミタイがあることを。たまに値引きしてくれるあのおじさん 名前何!?(それを言うならカワシマさんだろ~!!)
みぎわ館の笑顔を時々思い出して。お肉食べた時には モリモリ思い出して。ABCカメラマン おぐろん・おぐろん・おぐろん(おぐろん!)榎本先生は意外と乙女なんさ!
ラララララ 先生もみんな応援してます。みぎわ館の小さな事務室から。
雨の日も 風の日も みぎわに電話ください。1コールで叫び 3コール以内に出ます(電話でま~す!)。ラララララ 10人の幸せを願います。
ここで出会えた幸せ祈るように。君と出会えた幸せ 祈るように。』
みぎわ館を旅立つ3年生への思いを込めたこの歌に名前を付けるとしたら、「すぐそばにいる」としたいです。いつでも3年生の事、お祈りしています!ありがとうございました!
< 光風館 >
「充実していたスキー教室」
S.G(1年:新潟県上越市)
2月5日から7日までの2泊3日、私たち1年生は、妙高市の赤倉スキー場でスキー教室を行いました。
私はスキーの本場、新潟県上越市出身にも関わらず、あまり上手にスキーを滑れないので、選んだクラスは「初級」でした。先輩からは楽しい行事だということを聞いてはいましたが、最初は「面倒臭いな」というのが正直な気持ちでした。そして、あまり気が進まないまま迎えた1日目。行きのバスに乗っているときはとても天気が悪く、皆から不安の声が上がる中、私は悪天候を理由にスキーが中止になればと考えていました。今思うと、非常に恥ずかしく、腹立たしい限りです。
予定より少し遅れて現地に着き、すぐ開会礼拝、開校式がありました。その後、1時間程の昼食休憩があり、いよいよ講習開始の時間に。5年振りのスキーで、「ちゃんと滑ることができるのか」など不安はありましたが、感覚は忘れていなかったようで、すぐにハの字で滑ることができました。
2日目と3日目は初級の中でグループ分けされ、今まであまり関わりのなかった磐梯クラスや苗場クラスの人たちと一緒のグループになりました。初めはなかなか声を掛け合えず心配になりましたが、お互い派手にすっ転んで、笑い合っているうちに、いつしか友人と呼べる仲になっていました。
この3日間を振り返ると、最初はあまり乗り気でなかったスキー教室でしたが、新しい友人ができ、スキーの技術も向上し、とても充実した3日間となりました。
< めぐみ館 >
「めぐみ館での三年生を送る会を終えて」
Y.I(2年:新潟県阿賀野市)
今回のめぐみ館での三送会はミュージカル風の劇を1・2年生で作りました。私は、音響を頼まれ、ピアノを弾いていましたが、後ろから聞こえる皆の声に合わせるのがとても難しかったです。「愛は勝つ」を中心に総計5曲をミュージカル風に組み合わせ3年生へ贈りました。当日は、今までにないくらいのみんなの笑顔と涙がありました。みんな最後の曲を歌う頃には、送る側・送られる側の関係なく涙を流していました。三年生の方は、私たちにダンスと歌をプレゼントしてくれました。絶対泣かないと決めていた私も、いざとなると、涙が一粒一粒頬に流れていました。先輩と泣きながら抱き合っている人、写真を一緒に撮っている人、この時、そこにいた一人一人が、もう三年生との時間も終わりに近づいているんだと感じた瞬間でした。
練習の最初の方は、みんな疲れたりしてなかなか上手く行かなかったですが、ブロック長をはじめとし、毎日みんなで意見を出し合い、当日にはとてもいいものにすることができました。
~寮務教師より一言~
今年は全国的に記録的な大雪に見舞われました。皆さまの御無事をお祈りします。
一方、敬和のある新潟市内では、寒さは厳しいですがほとんどと言っていいほど雪が積もることがありませんでした。雪国としては物足りなさもありますが、それでも暖かい春の訪れを心待ちにしています。
のぞみ寮の生徒たちも、新しい春に向けての変化に対応すべく、様々な準備や行事一つ一つに向き合ってくれています。三年生に心からの想いを伝え、最高の笑顔で送り出したいと三送会の準備に励む姿。また新一年生の47回生を気持ちよく迎えられるようにと、自分たちの代の関係や館の雰囲気を見直そうと話し合う姿。彼ら、彼女らなくして、のぞみ寮は成り立ちえないのだなと、改めて実感させられます。
のぞみ寮生が敬和での三年間を振り返った時、ここで三年間過ごした自分自身に大きく○(マル)を付けることが出来たなら、仲間とのかかわりの中で入学時よりもっともっと自分を好きになってくれたなら、それほど嬉しい事は無いなと思います。そのために私たちも、更なる連携をもって、精一杯寮生の生活と成長の為のサポートをしていきます。どうぞ、よろしくお願い致します。
(めぐみ館担任 会田 咲)