光風館 今月の誕生者
「特別なことは何もしていません」
~大阪桐蔭高校野球部(部長有友先生)から学んだこと~
寮長 東 晴也
夏休み明けすぐの授業で、野球部の2年生T君から、「大阪桐蔭高校は強いだけじゃないんですよ。人間的にも素晴らしいんですよ」と聞きました。
彼の言う「人間的に素晴らしい高校球児」に惹かれ、大阪桐蔭高校野球部を調べてみました。ネットでは「野球部は全員寮生。携帯・スマホも禁止。練習は週7日。楽しみは1カ月に1度のコンビニ。1年は5百円、2年は千円等と予算が決められている」また、毎日新聞には「学業でもオール5……グランド整備では1年生より先にトンボをかけ、遠征帰りのバスでは静かに本を読む」副主将の根尾昂君のことが紹介されていました。
確かに、根尾君は素晴らしい!でも、野球部員全体を「素晴らしい」と言われる原因が分からなかったので、野球部部長の有友茂史先生に直接電話で聞いてみることにしました。
私は野球そのものに関しては興味はありません。でも、高校日本一になる野球部員が「人間的に素晴らしい」と言われることに興味があり、そこを聞きたかったのです。私は、一通りの挨拶をし、私なりの甲子園での生徒さんの姿の感想を語り、T君が大阪桐蔭野球部の生徒さんに感銘を受けていますと述べた上で、こう聞きました。
「私は寮の教員です。貴校の野球部員は全員寮生だそうですが、『どういう教育理念で、どんな生活をすれば、あのような生徒に育つんですか?』ぜひ教えて下さい」と。私の直球の問い対して、先生はすぐにこう応えられました。「特別なことは何もしていません。子ども達が頑張っているだけです。」有友先生は、山の上にある寮生活のこと、野球漬けの生活のこと、無駄遣いをさせないことなど、たくさん語って下さいました。
私はまもなく電話を置きました。結局よく分からなかった。当然と言えば当然です。学校や寮でどうすれば素晴らしい人間に育つかなんて、簡単に説明できるはずがないですし、そんなことを初めて電話して来た人間になんかに教えないものでしょう。
私は根尾君の新聞記事と有友先生の言葉を思い巡らしました。ここからは私の推測です。有友先生の「特別なことは何もしていません」という言葉は、逆に言うと「あたりまえのことはしている」ということです。あたりまえのこととは何か?授業や練習を無断で休まない。学校や寮のルールを守る。校舎や寮に土足で上がらない。道具を大切にする。或いは礼儀とか挨拶とか、かもしれません。それらを含めて、「子ども達が頑張っている」。根尾君に関して言えば、3年生自らトンボをかける。甲子園では、試合後、金足農業の吉田投手に歩みより「疲れていたと思うけど、素晴らしい投球をしてくれてありがとう」と語ったそうです。対戦してくれたことへの感謝を、自ら伝える。これも「特別なことではない」かもしれませんが、なかなか出来ないことではないでしょうか。
皆さんは、自らの目標や夢のために「特別なこと」はしていなくても、今やるべき「あたりまえのこと」をしていますか?
< 寮生リレー >
平和に願いを寄せて ~ヒロシマ碑巡りの旅より~
「平和とは何なのか」 N.S(大望館3年 福岡県)
私は今回の碑巡りでヒロシマについて、平和とは何なのか、見て、聞いて、感じる事ができた。
私が特に印象的だったのは、平和祈念式典とピースフォーラムだ。3日目、8月6日の朝、平和祈念式典へ向かうと、そこには本当に多くの人たちがいた。献花をする人、じっと式典開始を待つ人、平和公園を観光する人、被爆して亡くなった人を再現する人、デモをする人。最初、私はそこへ行った時、変な違和感のようなものを感じた。それは多分、ヒロシマに対する考えが自分と周りの人とで少し違ったからだと思う。しかし、数は多くても一人一人が何か強い気持ちを持ってここにやってきているように見えた。そして何よりヒロシマを客観的に考える事ができた。ピースフォーラムでは同世代の人たちが全国から、また世界から集まり「どうしたら各国が核禁止条約に署名するか」について国別に分かれて話し合った。私は中国のルームにオブザーバーとして会議を見学させてもらい、少しだけだが会議に参加した。そこで各学校の様々な意見や提案を聞いたのだが、納得できるものから反対したくなるものまであった。内容はともかく自分と同世代がこのような機会に話し合い、それぞれの意見を発表している事にいい刺激を受けた。また、自分ももっと勉強して、意見を発信していかないといけないと思った。このプログラムは今年の碑巡りにたまたま入ったプログラムだったが、敬和もこのような機会があったら会議に是非参加すべきだと思う。
その他にも様々なプログラムがあり、自分の中で消化しきれないほどだった。フィールドワークや広島女学院の生徒との碑巡りで、多くの被爆証言を聞いた。その一つ一つは戦争の悲惨を物語っていた。
そしてなにより、私たちは今回感じた事を、別の人たちに伝えていかなければいけないと思った。戦争が起きない事だけを平和とせず、この地球上に存在する核などのあらゆる暴力を無くしていくためにも、これから自主的に行動していこうと思わされた碑巡りだった。
「本当の平和」 F.S(みぎわ館3年 新発田市)
私は今回、8月4日から8月7日の4日間、ヒロシマ碑巡りの旅に参加させていただきました。その中で思ったこと、考えたこと、考えさせられたことがあります。それは、本当の平和とは何なのだろうかということです。
今回、被爆証言を聞かせていただく機会がありました。被爆証言を話してくださった方々が共通しておっしゃっていたことは、「羨ましい」という言葉です。
「今の人たちは、食べる物にも苦労しない、毎日安心して暮らしていけるのは本当に羨ましい。明日生きているかもわからない状況で生きていたのは本当に怖く辛かった。だから、あなたたちは本当に恵まれていると思うよ。」とおっしゃっていました。
私は、戦争を経験していないので、どういう立場で聞いたらいいのだろうかと考えました。同じ視点や立場にならないと気付けないこともあると思い、被爆証言者と同じ立場になって聞かせていただこうと、それを意識しながら聞かせていただきました。そして、「羨ましい」という言葉を聞いて、当たり前のことが当たり前じゃない、そして、そもそも当たり前のことは無いんだろうなと思いました。生きていられることが本当に有難く、平和とはこういうことだと思いました。さらに、ただ被爆証言を聞くだけでなく、次の世代に語り継いでいかなければ、過去の出来事として終わってしまうとも感じました。
もう一つ、考えさせられたことがあります。今回、碑巡りの旅に参加する前に戦争について調べてから行きました。日本には非核三原則がありますが、核兵器禁止条約に入っていません。アメリカも核戦力を強めていこうとしています。原則があるのにも関わらず、条約に加わらなかったことに、本当に核兵器を禁止しているか、疑問に思います。また広島の出来事と同じことが起きてもおかしくない状況だと思います。しかし、理由があるから禁止せず、強めていこうとしているのだとも思います。核兵器を禁止する、しないということに捉われず、理由を考え、知る必要があると思います。無関心だけでは、それすら考え、知ることもできません。私は今回「お互いがお互いを知る」ということが平和への実現を可能にするのだと思いました。
お互いがお互いを知る、そして関心を持つことによって信頼関係に繋がり、本当の平和が生まれるのだと思いました。私が考える平和は、生きていることに感謝をもつ心だと思います。常に感謝の心をもつことによって、平和へと導かれるのではないかと思いました。
敬和キャンプに参加して
「気にしないこと」 H.W(めぐみ館2年 魚沼市)
私は今回の敬和キャンプで自分に足りないものを見つけました。それは「気にしすぎない」ということです。私は、5泊6日のキャンプを過ごすうえで「たくさんの人と話す」という目標を立てました。ですが、普段から人見知りで人と話すことが苦手な私は、つい友達ばかりと話していました。一日が終わり寝袋に入るたびに「明日こそは」と思うのですが、全くと言っていいほど話せないまま4日目に突入していました。
4日目の労作は、佐渡教会の敷地内の竹を延々と切るというものでした。蒸し暑い中、竹藪に割って入り、班の人たちと一緒に労作しました。休憩をはさみながらでしたが、炎天下の作業はとても辛いものでした。体力と共に思考力もどんどん奪われて、ただただ無言で竹を切り続けました。私の体の疲れが限界にきた時、すぐ近くで作業していた人が一言「つかれたぁー」と言葉を発しました。普段なら絶対に言葉を返さずに「これは、この子の独り言だろうか?」「私が反応してもよいのだろうか?」考えてしまう私ですが、その時は考えることもなく「そうですね」と瞬間に言葉を返していました。そこから思いがけず会話が生まれ、その人と少しだけですが会話が続きました。
私は「いろいろと気にしすぎだった」キャンプの厳しい労作の状況でなければこのことに気付けなかったと思います。事前に立てた目標としては少しずれてしまったかもしれませんが、これからの自分にとって大切になることを、キャンプの経験や関わりを通して気づくことができて良かったと思います。「気にしすぎない」ということを心掛けて、後期からの時間を仲間と共に過ごしていきたいです。
「人という生き物」 N.S(大望館1年 新潟市)
僕は、夏休みの一週間を使って、佐渡での敬和キャンプに参加してきました。このキャンプは、僕にとってとても貴重な経験となりました。
一週間の密接な対人関係によって感じてしまう、緊張した日々。同じ場所で何十人もの人々が寝食を共にするわけですから、ある意味本当の自分を掘り出した人も多かったのではないでしょうか。
勿論、悪い側面が全面的だった訳ではありません。毎日が新鮮で、敬和学園の寮内とはまた違った空気の中で、清々しい経験に富んだものになりました。普段接してこなかった通学生の人達との交わりの中で、その人の性格など、普段とは違う表情を見ることが出来ました。
それは、誠に驚嘆させられる事象であり、僕の想像を超えるような、とてつもない衝撃として襲ってきました。
僕が一週間で再確認したのは、人間というものは驚くほど不器用であり、協調して集団生活を営んでいかなければ、一人きりでは生きられない弱々しい生物なのだと、人類本来の事実を垣間見た所です。僕はこのことを一生忘れません。
2年生合宿より
「2年生合宿で見えた成長」 K.H(めぐみ館2年 加茂市)
寮にいるのが楽しい。そう思えた2年生合宿だった。こんな気持ちになれたことに私はとても驚いている。
入寮してからは、試練の連続だった。もともと集団が得意ではなかった私は、寮という人間の集まりにいること自体がしんどい時期もあったし、私たちの学年はぶつかり合いが激しかったから、けんかもかなりあった。
でも今、私はみんなの輪の中で笑っている。掃除をして、各地から持ち寄ったご当地のお土産を食べながらミーティングをして、人狼ゲームをして、一緒に寝て……。入寮当初、あまり話せなかった人とも、いつの間に軽口を叩ける中になっていた。あんなに苦しくて、意見を言うのが怖かったミーティングで、発言出来るようになった。汚れたベランダを掃除することですら楽しかった。もう一瞬一瞬が奇跡だとさえ思った。
野を超え、山越え、谷をわたり。私たちの学年は、いろんなことを乗り越えながら、ここまで来た。過ぎていく日々はあまりに早くて、振り返る暇もなかったけれど、気が付くと、私たちは入寮したあの日から、こんなにも成長していた。そのことをとても感じることが出来た2年生合宿だった。寮にいるのが楽しい。こう思えるようになったのは、めぐみ館のみんなのおかげだと改めて思った。本当にありがとう。
これから世代交代もあり、私たちは今まで以上にたくさんの困難に出会うだろう。しかし、私は楽しみでもある。私たちどのように変わっていくのか、何を乗り越え、どう成長していくのか。
一日一日、大切に、支え合って生きていきたい。
「楽じゃないけど楽しい場所」 E.Y(光風館2年 燕市)
「のぞみ通信に載せる」と言われてかなり驚いていて、「本当にこれで良いのかだろうか」と悩みつつも、本文を書かせていただいています。
今年の夏は「2年生合宿」がありました。合宿と言っても、県外まで遠征するわけでもなく、ただ寮の中で作業するだけです。
私は、同学年のI君と共に、網戸の網を張り直す作業をしました。非常に地味な作業でしたが、2人で息を合わせないとうまく張れない、繊細で面倒な作業でした。最初は2人とも不器用なため、なかなかうまくいかず、とてもだるかったです。ですが、数をこなしていく内に技術が上がり、息が合うようになり、そこから全ての破れた網戸を貼り替えるのはあっという間でした。この2年生合宿は、ただ作業をするだけでなく、同学年での協調性を磨くためにもあるものだと私は考えています。
私たち2年生は、9月頃から寮内の委員会の引き継ぎが始まっています。私たちは引き継ぎをするため、ミーティングを行いました。しかし、ただ普通にミーティングをするのではなく、ちょっと変わったミーティングも行いました。それは、片岡先生がいろんな役を用意して、私たちはそれを演じるといったものでした。そんなミーティングは初めてやったので、1回目はあまり会議が進みませんでしたが、みんなコツを掴んだのか、2回目以降はスムーズに話を進めることが出来たのです。片岡先生はこの「演じるミーティング」で性格の違う仲間のことが少しでも理解出来れば……という想いから行ったそうです。
この2つのような体験が出来るのは、寮ならではだと思います。私はこの場所が自分自身をさらに成長出来る場所だと思っています。
光風館最高!!のぞみ寮最高!!
教師から一言 澤野 恩(寮務教師)
「今行っている敬和の教育が正しいのかは、今はまだわからない。敬和を卒業した卒業生が、敬和に子供を託したその時、敬和の教育が正しかったと言えるだろう」
一字一句、正しくはないと思いますが、初代校長の太田俊雄先生はこんなことを語ったそうです。
9月に入り、今年も敬和の会が開催される時期になりました。新潟県内外25箇所で行われます。小西前校長は、この会を大事にしていました。「敬和は独自の媒体で生徒募集を行っている」まさに独自の媒体の一つです。しかし、各地をまわって、そこに参加してくれた中学生が、本校に来るとは限りません。無駄とまではいいませんが、決して効率がいいとは言えないのは事実です。でもそこに意味があると信じて続けてきました。
少子高齢化がすすむ今の時代、私立学校の置かれている状況は非常に厳しいです。今は定員を確保できている本校も例外ではありません。来年度はどうなるか分かりません。
そんな時代にある中、一人ひとりの存在を大事にする敬和は、一方通行の宣伝ではなく、目の前にいる、保護者、生徒の声に耳を傾け、心で感じ、その思いに触れ合うことで、敬和の教育の理解を深めてきました。
その結果、各地の敬和の会に卒業生が参加してくれます。多くの卒業生が保護者として帰って来てくれます。敬和の教育に賛同してくれる「敬和ファン」なる言葉も使われます。敬和ファンが、「こんな学校あるよ」と新たな敬和ファンを呼んでくれます。
そんな敬和学園を太田先生はどんなふうに見守ってくれているでしょうか。「神様、あなたが必要でないと感じたなら、どうぞこの学校を潰してください」時折、太田先生はそうも祈りました。それでも51年目の歩みを始めています。人と人とのつながりの中で、生徒は集まり、学校として成り立っています。
これからも、キリスト教の学校として、その使命を果たすべく、日々の生活の中で、お預かりした大事なお子さんに多くのことを伝えていきたいと思います。敬和の会にもこぞってご参加ください。