2020年4月16日木曜日

寮長日記 推薦図書「宮澤賢治『なめとこ山の熊』」

  「宮澤賢治『なめとこ山の熊』」

                   2020年4月15日(水)  寮長  東 晴也


 めぐみ館の南側にある石碑の広場に、春に白い花をつける天にまっすぐ立つ木がある。それがコブシだ。春のはやい時期に花をつけるので、桜ほどは目立たないがそれでも裸の木々の中でよく目立つ美しい花だ。
 このコブシが宮澤賢治の童話『なめとこ山の熊』に登場するシーンがある。私はこの場面がとても好きだ。『なめとこ山の熊』という作品は、猟師の淵沢小十郎がなめとこ山に生息する熊を鉄砲で殺してその毛皮と胆を売り、なんとか生計を立てつつもそのことに苦悩する小十郎の姿が描かれていく。その中でたしか第二段落あたりでこのコブシが出てくる。それは、母子熊による「向こうに見える白いものは何か?」の問答から始まる。そして母熊が「お母さまはわかったよ。あれねぇ、ひきざくらの花」「僕知ってるよ」「いいえ、お前はまだ見たことありません」「知ってるよ」「あれひきざくらではありません」……と、やや厳しい対話が続く。この問答がはたしてこの作品に必要か?と読者は思ってしまうようなシーン。しかし、その遠くに見える白いものがひきざくらの花なのか、ただの雪なのかは、まだ食糧の少ない早春の幼い小熊にとっては死活問題だと理解すると、母熊が「あれは食べられる花なのよ」と小熊に教えている場面だということが分かる。この場面を遠く離れてじっと見つめているのが猟師の小十郎だ。小十郎はこんなに懸命に生きようとしている熊を殺し続けなければ生きていけない。
 この「ひきざくら」とはコブシのことらしい。だから、私は春にコブシを見るといつもこのお話を思い出してしまう。他者の犠牲の上に自分の生命がある。人間は生き物の命をいただかなくては生きていけない。この現実の前に、「私たちはどう生きるか?」を子どもにも分かる童話にしているところが、宮澤賢治の凄いところだと思う。賢治、天才!
 文庫で20ページくらいです。ぜひご一読を!感想は、寮本部の寮長まで。