題字 めぐみ館3年 T.Tさん
12月、20名で行われた閉寮礼拝
「ひれ伏し拝むその先に」 寮長 野間 光顕
「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」 (マタイ2章9節~10節)
2024年の歩みを経て、新しい年2025年がスタートしました。のぞみ寮の友愛館も、冬休みにエネルギーを充たした元気な生徒たちが帰寮し、また賑やかな笑顔に包まれています。私は、その様子を見ながら、つい数週間前の危機的状況を思い浮かべていました…。
毎年の事ですが、12月末は閉寮礼拝でその年の幕を閉じます。共に生活を重ねてきた仲間同士で互いの成長を認め合い、喜びと達成感に満ちた時となるはずでしたが、昨年末はその様相が全く違いました。急激に感染が広がったインフルエンザが猛威を振るい、1年生は学年閉鎖に追い込まれるほどでした。2・3年生にも感染が拡大し始めた事から、のぞみ寮では任意による帰省を認める事を決断しました。このような状況の中で、先述の閉寮礼拝に集えたのは約20名。調べてみると、敬和の開学当初、下級生がいない1回生の入寮式でも出席者が44名いるので、全体で行われる寮の礼拝の中で最少人数を記録した事になります。
このような危機的状況が発生すると、学校や寮では難しい判断が求められます。例えば、今回ならば「感染症が急速拡大する中で行事を行うのか?否か?」をどう判断すれば良いのでしょうか? 私自身、敬和の卒業生なので「冬の風物詩」とも言われる讃美歌発表会の持つ教育的意義を少なからず実感しています。生徒はこの日のために多くの時間を費やして練習し、教師も様々な指導を展開してきた事でしょう。それらを水泡に帰すのではなく、しっかりと皆の前で発表し、クラスの団結や達成感など確かな成長に繋げたい…。これは生徒だけでなく教師・保護者みんなの願いでもあるはずです。しかし、だからと言って「感染症が急増する年末に全クラスで合唱を行う」事の持つ危険性や、チャペルに1000人近い人々が集まる事のリスクを無視しても良いという事にはならないと思います。どれだけ教育効果が高く、多くの人々に感動を与える行事だとしても、生徒や集う人々の命を危険に晒すようなものであるならば明確にNOを唱え、場合によっては「中止」を選択しなければならないのではないか…?それを自覚しながら必要な判断を下さないのは教育現場における「本末転倒」であると私は思うのです。
今回、のぞみ寮や学校全体の判断の大きな土台となったもの、それは他の何ものにも代える事のできない「一人ひとりの命」です(私が3月まで住んでいた沖縄でも「命こそ宝(命どぅ宝)」という言葉が伝わっています)。先述の聖句は、誰もが一度は聞いた事のある有名なマタイ福音書のクリスマス物語、東方の博士らがイエスに贈り物を捧げる場面です。彼らは2000年前の世界で最先端の自然科学を学んでいた研究者です。そんな彼らが、星の輝きによって時代の大きな節目を見出し、遠方から長い時間をかけて旅を続け、ベツレヘムの小さな馬小屋で飼い葉おけに眠る幼子見た時、その頭を垂れ、地に伏して拝んだ…。これは、まさに「命」への敬意であり、神がその大切な嬰児をこの世に送って下さった事への感謝と謙遜を今日に伝えるメッセージなのではないでしょうか?
新しく迎えた2025年、昨年末の反省をしっかりと胸に留めながら、改めて集う一人ひとりの命を大切にできるのぞみ寮の歩みを、皆様の祈りと協力の中で進めて参りたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
のぞみ寮クリスマス「フロイデ~救いと祝福を受けて~」を終えて
そして、新年を迎えて
寮生集合!♪Merry Chistmas!&Happy New Year♪
「一味違ったクリスマス」 3年 T.H (福岡県)
みなさんにとってのクリスマスはどのような日ですか?私の父は牧師をしており教会にはよく通っていたので、私にとってクリスマスは身近なものでした。クリスマス礼拝に参加した後、教会学校のクリスマス会に参加する。そして家族と食事をした後、いつもよりも早く寝て、プレゼントを朝早く開ける。小学生ごろのわたしにとってクリスマスで一番楽しみだったのはプレゼントでした。年によっては夜更かししてサンタさんを見ようとしたり、朝4時ぐらいにおきて兄弟を起こし一緒にプレゼントを開けたりしていました。イエス様の誕生を祝う日とは分かってはいたものの、三男の私にとって兄のお下がり以外の服をもらえたり、おもちゃを貰えたりするのは嬉しくて、自分のプレゼントばかりに目がいってしまいました。
そんな時僕はとんでもないことに気づきました。なぜか年を取るごとにクリスマスが楽しくなくなっていくのです。成長する過程で楽しいと思えることが増えたからなのか、逆に苦しいと感じることが増えたからなのか、楽しいと思える気持ちが減っていくのです。そうなると残るのは、前ほど楽しいと感じないクリスマス。言葉にすると悲惨ですが、そんなクリスマスを知ることでクリスマス本来の意味が分かってきます。
中学生になると教会のクリスマス礼拝でYouTube配信のお手伝いをしたり、聖歌隊として礼拝に参加したりして、プレゼント以外でのクリスマスに触れる機会が増えました。その中でクリスマスはプレゼントがメインなのではなく、イエス様の誕生をお祝いする日なのだと感じるようになりました。もちろんサンタさんがくるのは楽しみですし、プレゼントを開けるのも楽しいです。しかしその根底にはイエスの誕生があり、神様からの愛があるということを覚えておいてほしいのです。でもなぜ祝うのでしょうか。友達や家族の誕生日なら祝うけどイエスって誰?と感じる人もいるかもしれません。簡潔にいうとイエス様は人が負うべきだった自分たちの罪を代わりに背負い十字架にかかってくださった救い主です。言葉で言うと簡単ですが誰かのために自分が犠牲になる、死ぬということは到底できないことだと感じます。そんなことを自分のためにしてくれたイエス様の誕生を賛美し祝う、そして仲間と幸せを分かち合うのがクリスマスなんじゃないかなと僕は感じます。さてクリスマスまであと10日、今年こそ存分に楽しめるようにすべてを噛み締め、色んなことをしていきたいです。ご清聴ありがとうございました。
寮クリスマスでスピーチをしてくれたT君
お楽しみ会でダンスを披露したみぎわ&めぐみ55回生
「寮のみんなと迎えたクリスマス」 3年 F.M(神奈川県)
私は、クリスマスのこの時期が大好きです。どこに行ってもキラキラした飾りつけがされていて、わくわくする音楽がどこからか聞こえてきて楽しい気持ちになるからです。今までもクリスマスは大好きでした。でも、敬和に入ってクリスマスというものが長く濃くなったように思います。いろんなクリスマスの行事があったり、たくさん讃美歌を歌ったり、今までになかったクリスマスを敬和で過ごしているからだと思います。今ここにはたくさんの人がいてみんなでお祈りして、みんなで美味しい食事をいただくことができてすごく嬉しいです。
突然ですが、私は寮に入って良かったなと思っています。ありのままの自分で過ごせる寮は、私の敬和生活の“変わらずそこにいてくれるもの”で、敬和で安心して生活するための基盤でした。1年生のオリエンテーションキャンプで心が完全に折れて帰ってきた私を、寮や寮のみんなは温かく迎えてくれました。1年生の絶え間なく変化する周囲の人間関係に悩んでいる時も寮に帰れば変わらなくいつも私を受け入れてくれる人がいました。合併を経験し、人はたくさん増えても寮はいつも通り私をありのままで受け入れてくれました。学校から帰ったらみんながいて、みんなの顔を見ながら食事をして今日あったことをお互い話して、腹を抱えて笑う。そんな時間は私の生活の支えで、また明日次の一歩を踏み出すための励ましにもなりました。失敗して落ち込んでることを相談すると小さなことは笑い飛ばしてくれて、なんでも自分の中にため込んでしまう私にとってたくさん耳を傾けてくれるみんなにすごくすごく助けられました。また、いつもMさんと呼んでくれる56回生と57回生のみんなにもすごく助けられています。ありがとう。
中学2年生のときコロナ禍のオープンキャンパスに訪れて敬和に入ることを決めてからもう4年も経ち、昔の自分には想像できないほどたくさん笑って、たくさん悩んで、たくさん考えられるようになりました。
私は寮での生活を振り返ると、何気ない日常がたくさん思い浮かんできます。今日も変わらずみんなでお祈りして、みんなでおいしい食事をいただくことができてうれしいです。また、1、2年生が力を尽くして作り上げてくれた寮クリスマスを楽しく過ごせることにも感謝します。
今年も友愛館の飾りつけを任されたのは1年生!!
大望生は「不思議の国のアリス」の世界を、
めぐみ館生は「トイストーリー」の世界を表現しました
のぞみ寮クリスマス礼拝「光のもとへ希望を引き連れて」
ゲストに篠笛演奏者の39th渡辺百枝さん、はらいくまさん、佐藤和音さんをお迎えして
「次の行事に向けて・・・」 2年 S.A(新潟県)
12月、世代交代をしてから初めての大きな行事である寮クリスマスを迎えました。最初は、今までの先輩方のように、みんなが楽しい時間を過ごせる寮クリスマスにできるかどうか、少し不安でした。けれど、段取りや司会進行など、会の流れを何度も細かく考えていくうちに、楽しみになっていきました。
私は司会をすることが少し苦手なので、夜遅くまでたくさん考えました。このことをきっかけに私は、「誰かのために行動する」ということができるようになった気がします。また、私の大きな課題も見つかりました。それは、コミュニケーションが不足していたことです。私は結構人見知りです。そのことにずっと悩んでいました。飾り付けを担当する1年生への指示を上手くできずに困らせてしまったり、運営委員会の2年生のみんなとの情報共有が曖昧になったりと迷惑をかけてしまったなと感じました。
しかし、みんなで臨機応変に協力し合えたので、すてきな寮クリスマスになったと思います。のぞみ寮では大きな行事がこれからもあります。寮クリスマスで見つけた自分の課題を踏まえて、みんなと向き合い、そして自分自身と向き合って、また成長していきたいです。
「後悔していること、楽しかったこと」 1年 H.K(兵庫県)
敬和生活1年目の後期、僕の中で後悔していること、楽しかったことを紹介したいと思います。
まず、後悔していることは12月の寮クリスマスに参加できなかったことです。僕は、小さい頃からイベントや行事前になると、なぜかわからないけど風邪やインフルエンザなどの病気に罹ったり、体調が悪くなったりします。そのせいで、幼稚園の遠足や小学校の校外学習などのイベントや行事に参加できなくなることが多々ありました。それは今でも一緒で、修養会前も熱を出したし、今回の寮クリスマスの前にインフルエンザに罹ってしまい、参加できなくなってしまいました。とても悔しかったので、これからは体調を崩さないように頑張ります。
次に、楽しかったことです。僕は敬和学園に入学してからずっと楽しみにしていたことがあります。それは雪遊びです。僕は兵庫県神戸市出身で、雪が積もっているのは見たことがありません。神戸で雪が降ってもちょっとすぎるので、新潟の雪は僕にとって初めての経験であり、自分を元気付けてくれました。また、雪無し県出身の友達と遊んで、忘れられない瞬間になりました。これからの3年間、どんな雪遊びが出来るのか、どんな雪景色を見ることが出来るのか、とても楽しみです。これからの敬和生活を無駄にしないように元気に頑張ります。
最後に、もうすぐ僕たちは先輩になり、1年生が入ってきます。これから後輩とたくさんの関係を作っていけるのが、とても楽しみです。
毎年恒例、のぞみ寮餅つき!
「寮クリからのレベルアップ」 1年 T.T(新潟県)
私は寮クリスマスが始まる前、ほとんど寮に帰っていませんでした。学校も思うように行けず、苦しい日々を送っていました。そんな時、寮生の友達から「寮クリの準備が始まったよ。Tがいないとつまらないよ。」と言われました。きっとその友達にとっては「ただの愚痴」、「雑談」だったのかも知れないけれど、私にとっては大きな一言でした。
その一言を聞き、寮に戻りたいと思いました。そんなこんなで戻った寮。戻ってすぐに寮クリの準備に取りかかりました。何をするのか、飾りのデザインはどうするか、決めなければいけないことが山積みでした。そんな中、進めていく中で1年生同士の意見がぶつかることもありました。それでもお互い辛い思いをしながらも、なんとか最後までやり遂げることができました。寮クリスマス前日、1年生みんなで飾り付けを完成させた後、「私でも57回生の一員に戻って成し遂げることができた!」と、すごく嬉しかったことを今でも覚えています。私たちが作った飾りを、通学生の友達に「私たちが作ったんだ!頑張ったんだよ。」と言えたことで、何だかとても心がすうっとしました。自分の中でやりきった達成感があったのだと思います。
寮を辞めようかと悩んでいた自分と、寮クリスマスを経た自分。何だか違うような気がします。友人に背中を押してもらい、みんなで挑戦してやり切ることができました寮クリスマスを経験して、より、自分らしくレベルアップしたと思います。
ディナーは学校の先生や教会の牧師先生と一緒に
クラス担任の澤野先生とW君の漫才にみんな大笑い!
「もっと頑張りたい」 2年 W.J(新潟県)
寮クリスマスで、僕は行事委員として仕事に取り組んだり、澤野先生と漫才を披露したりしました。
行事委員会に入った時はどんなことをするのか、すごく気になりました。自分は不器用なので、作業が上手く出来なかったことがたくさんありました。しかし、少しずつ経験を積み重ねて、少しずつ色々な仕事ができるようになってきたと思います。でも、まだ僕には欠点やできないことがあると思っています。様々な場面で話を聞けるようになることや、それができた上で、もっとイレギュラーな動きにも対応できるようになりたいです。
そんな行事委員の僕は、寮クリスマスではクラス担任の澤野先生と2回目の漫才を披露しました。1回目は夏に学校の生徒会DAYで披露しました。その時、披露した漫才をたくさんの人が褒めてくれました。そして、挑んだ寮クリスマスでの漫才。自分には伸び代はないと思っていましたが、親のアドバイスを意識して上手くできたと思います。また周りの人がたくさん褒めてくれて、僕はもっと頑張りたいという気持ちになりました。
僕は、漫才の出し物も行事委員の仕事も上手くいったと感じ、すごく達成感をもつことができました。そして充実していると思うようになりました。行事委員で仕事ができるのは1年間だけなので、その間に色々な課題をクリアして、更なる進歩を目指したいと思います。2年生も、もうすぐ終わりに迫っているので、今年は最上級生としての準備も備えたいです。
「寮務教師の一言」
「関わり合う」 女子寮 小菅 真子
関わり合いながら、一つひとつの出来事、経験が糧となり、生徒たちの成長の幅が広がっていくことをのぞみ寮生一人ひとりから感じます。一方通行ではない、「互いに」育み合っていくことの中に、豊かな心の育みがあるのだと思わされます。3年生と共に過ごせる日もあとわずかです。各館の礼拝では、3年生のラストメッセージが始まりました。3年間の1日1日の歩みを振り返り胸が熱くなります。
喜怒哀楽を共にする寮生活。しんどいこと、思い通りにならないことが多いからこそ、互いを想い合える力が育まれ、“チャレンジしてみよう!”と意欲的な姿に繋がっていく場面に昨年も多く出会いましたが、新しい年を迎え、心新たに、歩みを強めてそれぞれの希望の光に向かって歩んでほしいと願っています。2025年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年早々、めぐみ館では学年対抗ドッジボール大会をしました!