寮長 信田 智
先日、のぞみ通信200号で私が頸椎を痛め、難儀していたことを記したところ、何人かの保護者の方からお見舞いの言葉をいただいた。幸い手術をすることもなく、薬と、首の筋力をつける体操、息子が送ってくれた高反発の枕で、今は全く回復し日常生活に支障はない。頸椎を痛める前は、木刀で素振り200回、スクワット50回、腕立て70回位して体を動かしていたが、2か月ほど運動が出来なかったので、少ずつ運動を始めようと思い、木刀の素振、スクワット、腕立て伏せ等を始めたところ、素振り、スクワットはそれなりにできたのですが、なんと、腕立て伏せは一回もできず、大変なショックを受けた。しかし、この経験は思わぬ副産物を生みだした。私も年を取ってきたので、敬和を退職した後どこに住むかを考えていた。妻は私の転勤に伴い、生まれ育った岡山を長い間離れていたので、退職後は故郷の岡山に戻りたいとの願いを持っていた。ほぼその線で妻の姉との間でも話が固まっていた。ところが、今まで元気であった私が動けなくなってしまったので、息子たちが心配し、岡山に行ったら何かあって老々介護になっても、訪ねていくこともままならないから、自分たちの近くに住むようにと言ってきた。
若い高校生と一緒にいると、ついつい自分が年を取っていることを忘れがちになる。今まで自分が元気であることを前提にいろいろなことを考え、息子たちも私が元気であることを前提にしてきたが、やがて老々介護になることを前提に考えなくてはならなくなったようだ。やっと岡山に戻る目安が立ったと思っていた妻は、また、岡山に住むか東京に住むかで悩まなくてはならなくなった。あちらが立てばこちらが立たず、こちらが立てばあちらが立たず。人生ままならないものだ。
私は、今まで自分の都合で妻を振り回してきたので、(ある時期は3年間に4回も引越しをしたこともある)老後は妻の言い分を受け止めていこうと思っている。しかし今は、先のことを考えることなく、寮教育のこと、敬和の耐震・改修工事のこと、与えられた務めに誠実に向き合うことが肝要と心得ている。自分の果たすべき義務と責任を主の御前に誠実に果たしていけば、主は最善の道を備えてくださることを信じて今まで歩んできて、主のなさることに間違いはありませんでした。
いよいよ新学期が始まりました。めぐみ館の耐震・改修工事において、工事関係者は、土曜・日曜休みもなく、世間で言うお盆休みもなく、朝早くから夜遅くまで、夏休み中も連日工事を続けてこられた。厳しい天候の中でも、寮生のことを思い内部の生活空間だけは何とか仕上げようと、最善を尽くしてくださった。残るはベランダ側の側面と、めぐみホールへの渡り廊下部分ですが、戻って来た生徒たちは、リニューアルされためぐみ館に歓声を上げて喜んでいた。
つらいことも、自分の思うようにならないことも多々ありますが、その先には開かれた素晴らしい世界があることを信じて、後期の歩みを共に励んでいきましょう。
寮生リレー通信 (第 115 回)
< みぎわ館 >
「ブラジル留学」
W.H(2年:新潟県三条市)
2年生のW.Hです。私は、昨年の夏から今年の7月までブラジルへ留学し、無事帰って来ることが出来ました。苦しい事や、泣いたこともたくさんありましたが、その分、楽しかったこと、嬉しかったこともたくさん経験が出来ました。
私はブラジルで表現する事の大切さを実感しました。また、たくさんの愛情に触れ、愛についても学びの多い1年となりました。これらの経験を活かし、これからの寮生活をより有意義なモノにしたいです。
是非、寮のみんなでブラジル独自のダンスを広めて、躍りたいと思います。
< 大望館 >
「海外教室に行って」
S.K(2年:新潟県長岡市)
僕はこの夏、アメリカ海外教室に行ってきました。カリフォルニア州のオレンジヴェールというところに滞在してきました。海外教室は僕の予想を上回るものでした。まず初めて乗った飛行機はとても楽しく、機内食も美味しかったです。そしてアメリカに着いたときは衝撃でした。当たり前のことですが、人々が話す言葉はすべて英語。簡単な単語しか分からない僕はここでやっていけるかとても不安でした。お世話になるホストファミリーの方と会った時、何を話せばととまどっていると、ファミリーの方から優しく声をかけてくれました。とても嬉しくて、安心しました。僕が困っている時は、携帯の翻訳機を使って会話もしました。
アメリカではいろんなところに行くことができました。ディスカバリーキングダム、サンスプラッシュマウンテン、野球観戦などたくさんのプログラムがあり、とても充実した日々を過ごすことができました。
不安だらけで始まった海外教室ですが、ファミリーの方、引率の先生、友人の協力で有意義な体験ができました。言葉や文化が違っても助け合う気持ち、人を思いやる気持ちは世界共通であると思いました。この経験を今後敬和生活にも生かせていけたらと思います。
< めぐみ館 >
「敬和キャンプ」
T.K(2年:新潟県新潟市)
私は今年の夏休みに敬和キャンプに参加してきました。敬和キャンプとは学校の行事の一つで、毎年夏休みに佐渡教会で5泊6日のスケジュールで行われます。
敬和キャンプの良いところは3つあります。
一つ目は「働く」です。敬和キャンプでは労作をします。主に外で教会周りの草取りをします。夏の野外はもちろん暑く、草は多いし虫もたくさんいます。色んな意味ですごく大変なのですが、頑張った分、休憩時にもらえる飲み物やアイスがとても美味しいです!キャンプ中の「働く」は労作だけではないのです。なんと自分たちでご飯づくりや掃除をします。ご飯づくりなど、やりたい人だけがやるのではなく、学年バラバラのグループをいくつか作り、5日間そのグループで行います。労作した後の、自分たちで作ったご飯、美味しさは倍!!最高です。
二つ目は「学ぶ」です。学習時間というものがあります。その名の通りです。さすが敬和ですね。学ぶときは学ぶ、の敬和は、勉強もきちんと怠りません。自習はもちろんですが、他にも先生方が今現在に起こっている問題を教えてくださったり、それについてどう思うか考えたりと、とても深い内容でした。
三つ目は「遊ぶ」です。みんなと交流を深めるために「スポーツ」という時間が組まれていて、グループ対抗でいろいろな遊びをします。私の場合、去年は海でビーチバレー、今年は雨だったので体育館を借りてバレーボールをしました。佐渡の海は本当にきれいです。とても浅いので結構遠くまで行けます。最高の交流の場だと思います。人によっては一番楽しい時間かもしれません。
この3つはキャンプでとても大切なものです。そしてこれらと同じくらい大事な事があります。それは、キャンプ中は携帯やスマホ、その他の電子機器が禁止されていると言う事です。持っている人も、佐渡についたら必ず教師に預けます。ひとりでも多くの人とコミュニケーションを取ってほしいからだと私は思います。今はラインやフェイスブックが当たり前の時代です。これらがOKなキャンプだったら、きっと今と違うんじゃないかなと思います。それらがないからこそ、いろいろな人と話し、いろいろな事をして、仲良くなるんだと学びました。
「働く」「学ぶ」「遊ぶ」を通して、みんなが打ち解けていき、友達・知り合いの輪が大きく広がっていくんだと思います。私はこの敬和キャンプは、一つの小さな家族だと思います。だってそう思いませんか?朝昼晩、毎日みんなで食事をし、片付けや掃除もして、遊んで、労作をして汗を流す。キャンプで過ごす一日一日の小さな瞬間に、そう感じることが出来、心からここに来てよかったなぁと幸せな気持ちにさせてくれました。一人では無理なことでも、みんなとなら乗り越えられる、行く度に違うメンバーだからそこが良い。また行きたいと思わせるキャンプにぜひ皆さんも参加してみて下さい。
< 光風館 >
「広島碑巡りの旅に参加して」
O.K(1年:長野県長野市)
僕は8月3日から8日までの広島碑巡りに参加しました。最初はとても迷いましたが、両親からも行くようにすすめられたので、この碑巡りに行くことを決めました。1年生は僕一人だったので、緊張していましたが…実際に行ってみて、「いい旅だったな」と思っています。この広島碑巡りの旅で印象的だったのは、被爆者の方から直接お話を聴くことが出来たことや、式典の行われる平和記念公園内にある平和祈念資料館の展示内容や世界遺産になっている原爆ドームを自分の目で見ることが出来たことなどです。
原爆被爆者の一人である河内さんからは、『人生というのは、いつどこでどんなことが起こるか、わからない。だからその一瞬一瞬を大切にして生きてほしい。』ということを学びました。河内さんは原爆が投下された日、実家を離れていたため助かりましたが、お母さんやお父さん、お姉さんは被害に遭われて亡くなられたそうです。「何をどうしたらよいかわからず、すごく苦しかった」と河内さんは話してくださいました。悲しみがどれだけ大きかったということがとても伝わってきました。僕ははじめて自分自身がそういった立場におかれた時、どう思うだろうかということを考えました。そして平和とは、どういうものなのかということも考えることが出来ました。
平和祈念資料館には、原爆を落とされた後の広島の焼け野原の写真や被爆をして変形しながら互いにくっついてしまっている食器類、皮膚が焼けただれていかにも痛々しい様子の人形などが置かれていましたが、そういうもの全てが、何も変わりのなかった日常を原子爆弾によって一瞬のうちにして壊されてしまったことを物語っていました。
僕は、家族や友達と過ごす日々がとてもかけがえのないものであると感じました。普段、当たり前と思っている日常こそ、平和なんだと思います。今回の広島碑巡りでは、平和について真剣に考え、広島の人たちの想いを受け止めることが出来たので、本当に充実した旅になったと思います。
めぐみ館の耐震工事を終えて
I.M(1年:新潟県南魚沼市)
夏休みが明けて帰ってきたらすごく寮がきれいでびっくりしました。お部屋や廊下の床の色が変わっていました。他にもお風呂やトイレなどとってもきれいになっていました。その中でもラウンジがすごかったです。ラウンジにあるライトはとてもおしゃれでかわいいです。そしてブラックライトがついていました。夜、電気を消して見てみると、星が出てきて天の川が出てきて、とてもきれいでした。今では寮の中で一番お気に入りの場所はラウンジです。とーっても寮がきれいになって良かったです。
S.H(2年:山口県下関市)
夏休み中に寮を見る事の出来る機会があり、めぐみ館のあまりの変貌に本当に驚きました。どう変わったかを少し紹介したいと思います。
まず玄関。前までは薄暗く、虫の死骸もたくさんいそうな雰囲気でしたが、今では明るく、なんと通るだけで電気が点くというハイテクな玄関になりました。
入るとまず色に驚きます。ピンクです。明るいです。でも、階段はもっとピンクです。階段のキャサリン(怪談話)が噂されていためぐみの玄関ですが、キャサリンもびっくりな程ピンクです。女子力が上がりそうな気がします。各階は、廊下の色が階ごとに違っていて明るくなり、トイレは裸足で入れるくらいキレイになって、ウォッシュレットや温便座も付き、快適な空間になりました。
一番驚いたのはラウンジです。照明も壁紙も、ここは寮ですかという程おしゃれだし、天井は雲です。しかも夜には星空になります。こんな寮は他にあるでしょうか。残りの一年半をこんな素敵な場所で過ごせることを幸せに思います。
工事前の引っ越しは大変でしたが、それを忘れるくらい素敵になりました。携わってくださった全ての方に本当に感謝です。こんなに明るくなっためぐみ館で、これからさらに明るく楽しく毎日を過ごそうと思います。
K.M(3年:新潟県胎内市)
夏休み明け、久しぶりにめぐみ館に帰って来ると、そこは全く新しい空間に変化していました。館内全体が明るい色に塗装され、以前は昼間でも少し暗かった場所も光が射したように明るくなり、非常に気持ちよく毎日を過ごすことが出来る生活の場となっていました。トイレも各部屋もきれいになっていましたが、私が一番驚いたのはラウンジです。寮という感じがなく、とてもおしゃれで多くの工夫があり、入った瞬間、わくわくしました。みんなが集まる場である場所がこんなにすてきな空間になり、とても嬉しく思います。
今回の耐震工事は、きれいになったから過ごしやすくなった、というだけでなく、今ある美しさをずっと保つために、今与えられている場所・物を大切にすることの大事さを再確認する良いきっかけにもなりました。毎日の掃除や大掃除にも力が入ると思います。
私はあと半年しかこのきれいになっためぐみ館で生活することができませんが、これからここで生活していく後輩のためにも、与えられた空間を大事にし、責任を持って過ごしていきたいです。
また、この耐震工事はたくさんの人の支えがあったからこそ行うことが出来たと思っています。寮務教師と生徒間の連絡の不足や工事の騒音、荷物の異動など苦労は絶えませんでしたが、こんなにもすてきな場所を造ってくださった工事の方々、私たちの意見を真摯に聞いて下さった先生方にたくさん感謝しています。
見た目が美しくなっためぐみ館。これからは、めぐみ館生の内側もより美しくなるよう努力していきます。
< 寮務教師から一言 >
夏休みが明けてもまだまだ暑い日が続いていますが、日が落ちるのも少しずつ早くなり、秋の到来を予感させる季節となってきました。
秋は勉強にスポーツに行楽に、いろんなことをするのに適しています。何か1つのことに熱中してみたり、新しい事に挑戦してみたり、仲間とスポーツや料理を作ってみたりと、寮でしかできない経験をしてほしいと思います。
また、後期が始まり進路や修養会、世代交代も近づいてきました。悩みながらも、一歩一歩着実に歩みを進めていくのぞみ寮生を見守っていきたいと思います。一人一人にとって実り多き季節となってほしいと思います。
堀越 俊継(大望館担任)