
題字 めぐみ館3年 T.Tさん

平和ガイドをしてくださる金井先生
「自らが開く扉」 寮長 野間 光顕
「すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」(ルカによる福音書19:39~40)
3年生が自宅学習期間に入って、いつもより静かで寂しくなった2月初旬、私は3名の3年生と共に沖縄に行って来ました。沖縄…と言っても観光や遊びに行った訳ではありません。参加した生徒たちは、自分から「学びたい」という志を表明してくれた3名でしたし、内容も沖縄の歴史や文化、その歩みを学ぶ「スタディツアー」として6泊7日を過ごしました。
数名の生徒から発せられた学びを求める小さな声は、まるで波紋のように広がり(一時は敬和学園大学との連携の話も上がるほど)、日頃から様々な形で敬和生を支援して下さる新潟教会に経費面の課題を相談すると「高校生が中心となってミニバザーをやりましょう!」とどんどん話が膨らんでいきました。コロナもあったし、久しぶりのバザーは大丈夫だろうか…?と懸念を抱いていましたが、蓋を開けてみれば準備した食品は飛ぶように売れ、募金箱には献金が次々と集まる…。新潟教会の「敬和生の学びを応援したい!」という想いが分かり易い形で表れたのを見た生徒たちは目を丸くしていました。その想いは海を渡り、実際に沖縄の地に立った私たちを更に支える力となりました。「敬和」と聞くだけで、喜んで迎えて下さった沖縄地区の諸教会・牧師先生方は宿泊面と経費面で絶大な支援をして下さいました。ガイドを務めて下さった佐敷教会の金井創先生は、分かり易く奥の深い平和ガイドによって、参加者の目と耳を啓き、一人ひとりの心に更なる関心の種を蒔いて下さいました。
長引く経済不況や世界規模の感染症、また混迷を極める政治や止む事のない戦争によって、私たちの内側にあるはずの「繋がる力」「信じる力」が急激に減退している…、そんな絶望に近い社会状況の中で行われた今回のスタディツアーは、沖縄という島が古から持つ人々を繋げていく「万国津梁」の文化を体感するだけでなく、自分から関心を持ち、周りを信じて実際に一歩踏み出す時に必要な協力や支援は必ず与えられる、この「真理」とも言える人間の根源的なエネルギーを改めて実感し直す事ができたように思います。
この「真理」の輝きは、生徒たち一人ひとりの成長と深くリンクしているように思います。いよいよ卒業が迫った3年生は、自らが選び取った全く新しい世界に踏み出していく、その時こそ敬和で、のぞみ寮で培った自分の内側から外側への矢印、つまり周りへ関心を持ち、失敗を恐れず、積極的に歩み出していく姿勢を大切にして欲しいと思います。また3年生だけでなく、進級という大きな節目を迎えている1・2年生にも深く関連しています。次年度、敬和を大きく牽引していく2年生、また先輩になって新入生を迎える1年生も、自分の内側から、心の奥底から響いてくる「真理」の声を敏感に受け止め、その歩みに生かして欲しいと思います。
上記の聖句は、権力が人々の口を閉ざし、語るべき言葉を握りつぶそうとする社会の中で、「真理」は石をも叫ばせる力を持つ…・・・というイエスの語った喩えです。たとえ人の目にマイナスと映る事であっても、それらをダイナミックに好転させ、大きな恵みへと変えていく見えない不思議な力、人の思いを遥かに超えて働かれる主の導きの存在を強く実感しながら、大きな収穫の時であるこの2月を共に歩んでまいりたいと思います。
~沖縄に触れてみて~ めぐみ館 3年 E.S(新潟県)
私にとって沖縄は年間を通じて暖かく、自然豊かで、日本人だけでなく、外国人も含め人気の観光地だと思っていた。しかし、実際は違っていた。沖縄には、文化、生活、歴史など本土とは大きな違いがあった。そして、一番の大きな違いは、米軍基地の存在だ。多くの日本人は、沖縄の米軍基地問題を深く知らない。基地があることによって生活の支障となるほど大きな問題になっていることも多くの日本人は知らない。
実際に行ってみて分かったこと。それは、沖縄の人たちは、どんな気持ちで生活をしてきたのか。沖縄はどのような歴史を歩んできたのか。特に私が印象に残ったのは、「ひめゆり平和祈念資料館」だ。私とはあまり変わらない年齢の人たちが、逃げているときに殺されたり、強制集団死したりして命を落としていった。この人たちは皆戦争がなければ、自分の人生を送れたはずだ。
もし、沖縄に行かなかったら、私は何も知らない日本人として生きていただろう。そして、沖縄に行ってもその闇をまったく知らない人として、沖縄を観光しているだけの人間になっていた。そう考えると自分がどれほど無知な人間か、思い知らされる。不利な状況の中で日本がもっと早く降伏していれば、沖縄戦も起きず、広島や長崎に原爆が投下されることもなかった。過ぎ去った歴史を考えて悔いたところで、何も変わらない。変えることはできない。だが、未来を変えることはできる。世界の平和、沖縄の平和について考えてまわりの人に伝えていくことだ。私は、昨年広島平和記念式典に参加した。広島に落とされた原爆がどのようなものだったか、その被害はどんなものだったか、知りたかったからだ。実際に行ってみると、私が思っている以上ひどいもので結局何も知らなかった自分を恨みたいほどだった。
今、世界では戦争が各地で起こっている。止めようとしている動きもあるが、その動きは果たして平和と呼べるものなのか、私は疑問でいっぱいだ。戦争は、平和で幸せの日常を壊すものであり、一度起こせば簡単には止められない。そして、何よりつらいのは、戦争によって自分たちにとって大切なものを壊されたり、奪われたり、失うことだ。これまでの歴史の中で、学んできているはずなのに、なぜ戦争を起こすのか。なぜ戦争の悲惨さを学ばないのか。私は戦争とは何なのか、世界が求める平和とは何なのか、考えてまわりの人に伝えることができるような人になりたい。平和について考えて伝えることができる人が増えていけば、戦争という愚かな手段をする人は少しずつ減っていくはずだ。そうすれば、世界が求める平和がやってくるはずだ。それは決して簡単なことではないが、「戦争」という二文字が世界から消える日は必ずくる。私はこの学びを通して、沖縄の平和、世界の平和について考えていきたい。
最後に、今回の沖縄スタディツアー中に祖母が亡くなり、雪のため飛行機が飛ばず、葬儀に参列することができなかった。最後に祖母に一目見ることができず悔しかった。せめて、一目会いたかった。すぐにでも沖縄から新潟に帰りたかった、という思いで、いっぱいだった。ただ、帰りたいと思うけれども、帰れない時がある。自分では思い通りにならないこともある。そのことは学ぶことができた。

~55回生 礼拝のラストメッセージより~
「 『信』= 私の3年間 」 3年 Y.S(新潟県)
入寮したばかりの頃は礼拝のお話を放送でしていたのが、今ではみんなの前に立って堂々と話せていて自分自身成長したなと思います。
入寮したばかりの頃、めぐみ館の55回生のみんなで事務室の机を囲み、自己紹介をしました。その中で、一人ひとりの今の気持ちを漢字一文字で表すということをしました。みんなは、出逢うの「逢」や女子に囲まれて生活するという意味の「花」など、ポジティブな漢字で今の気持ちを表していましたが、私一人だけ、恐怖の「怖」というネガティブな漢字で今の気持ちを表しました。この時の私には、この漢字しか思いつきませんでした。
なぜなら、私は幼少期から中学生の頃まで「場面緘黙症」という症状に悩まされてきたからです。これは簡単に言うと、家族以外の人と話すことが難しいというものです。話したくないのではなく、緊張や恐怖、自信のなさなどから喉に声が詰まってしまい、どうしても声が出ないのです。場面緘黙症になってからは人が怖くなり、外の世界が怖くなりました。そのため私は長い間、独りぼっちで家族以外の人と話してきませんでした。なので、みんなと仲良くやっていけるかとても不安で怖かったです。
しかし、この症状は年を重ねるごとに緩和していき、中3の時に小さな声だけどコンビニで肉まんを買うことができました。それがきっかけで「今ならできるかも!」と思い自分を変えるべく、私は敬和への入学とのぞみ寮への入寮を決めました。
学校生活が始まり、入学祝福礼拝を受けました。新しい教室で先生の話を聞いていた時のことです。私は勇気を振り絞って前の席の子に「カーテン閉めていいかな」と話しかけました。私は今まで学校で話したことがなかったので、自分の声で話しかけることができた時、これからの学校生活、寮生活の道は開けたと確信しました。実際この3年間を振り返ってみると、順調にはいかなかったものの、今までで一番楽しい3年間を過ごすことができました。
1年時は、学校生活と寮生活に慣れることに精一杯でした。そして毎日緊張していました。トイレをしている時、部屋で一人の時、歯を磨いている時、爪を切っている時、どんな時も常に緊張していました。私の奇行がいつ寮の人に見られるのかといつもドキドキしながら過ごしていました。しかし、学校と寮で声を出すことができて、少し楽しかったです。声を出したことで、話すことがどれだけ重要なことなのかを実感することができました。
2年時は、少しだけ学校生活と寮生活に慣れてきました。しかし、初めての後輩ができることと、寮が合併することにとても緊張し、戸惑っていました。しかし、生活していくうちに慣れていき、やりたいことに挑戦するようになり、できることが増えました。実行委員や礼拝委員に挑戦したり、夕礼拝でお話をみんなの前で話すことができたり、礼拝委員として司会をすることができたり、ご飯の時間に遅れることができたり、事務室に行くことが増えたり、仲間を頼ることができたり、たくさんのことができるようになりました。2年生になって特に印象に残っていることは、クリスマス礼拝で献金報告をしたことです。初めて寮生以外の人が大勢いる中で声を出しました。この時はとても緊張しましたが、挑戦し、できることが増え、寮のみんなが私の存在を認めてくれたおかげで、少し自信が付き、少し声が大きくなりました。
3年時は、だいぶ学校生活と寮生活に慣れました。そして、自信が付いたことで笑顔が増えました。3年間の中で一番笑顔だったと思います。寮や部活でたくさんの仲間と関わり、笑顔が絶えませんでした。また、寮や部活の仲間、クラスの人に自分から話しかけることができるようになりました。3年生になって一番楽しかったことは、器楽部の太夫浜コンサートでMCをしたことです。自分で考えた台本をMと一緒に言うことができてとても楽しかったし、何よりも嬉しかったです。
私はこの3年間でだいぶ成長することができました。もし、私が今の気持ちを漢字一文字で表すとするなら、自信の「信」という漢字を選びます。なぜなら、中学生の時に自分を信じて敬和に、のぞみ寮に入寮して、寮のみんなが私の存在を認めてくれたことで成長することができ、自信が付いたからです。また、誰のことも見捨てず、心優しいみんなに出会えたことで、人のことを信用、信頼できるようになったからです。また、55回生のみんなには感謝しかありません。誰のことも見捨てず、他者に優しくてとても頼りになる人たちばかりだなと思います。私が独りぼっちの時は、私のもとに来てくれて、私が泣いている時は優しく寄り添ってくれて、私がどうしたらいいのか困っている時は察して助けてくれました。私は毎日自分のことで精一杯だったけれど、みんなはいつも周りをよく見ていて、こんな私にも優しく話しかけてくれました。寮生活を経験しなければ、私は自信がなく昔のままだったと思います。55回生のみんなが私の存在を認めてくれたおかげで、私はたくさん自信が付き、たくさん挑戦することができました。3年間ありがとう。

めぐみ館55回生
「みんなありがとう!」 3年 K.K(中国・上海)
まず、寮生活を支えてくださった先生方、本当にありがとうございました。いつも見守ってくださり、困った時には助けの手を差し伸べていただいたおかげで、寮生活を安心して過ごすことができました。先生方の優しさや励ましの言葉は、私にとって大きな力になりました。朝早くから夜遅くまで私たちのために尽くしてくださったこと、感謝の気持ちでいっぱいです。先生方の言葉や姿勢から学んだことは、これからの人生でも大切にしていきます。
最初にこの寮に来た時、日本語があんまり分かんなかった私に、優しく声をかけてくれたみんなありがとう。ここで出会えたみんなは、私にとってかけがえのない存在です。一緒に笑い合い、時にはぶつかり合いながらも、お互いを支え合い、乗り越えてきた日々は、一生忘れることができません。
もちろん、楽しいことだけではありませんでした。 時には寮生活の中で壁にぶつかり、落ち込むこともありました。でも、そんな時に支えてくれたのは、友達のみんなの存在でした。一緒に悩み、励まし合いながら成長できた、この時間は私にとって何よりの宝物です。これから私は新しい場所へ向かうことになりますが、ここで過ごした日々、先生方や友達との出会いは、私の心の中にずっと生き続けると思います。それぞれがこれから違う道を進むことになりますが、みんなの幸せを心から願っています。どんな困難が待ち受けていても、ここでの経験がきっと私たちの支えになると信じています。
1年生へ。この寮で過ごした日々の中で、みんなと関わることができたことを本当に嬉しく思っています。1年生のみんなはいつも明るくて元気で、そんな姿を見るたびに私も笑顔になれました。一緒に過ごした時間は、私にとって大切な思い出です。ありがとう。
2年生へ。寮での時間は長いようであっという間に過ぎていきます。だからこそ、今のうちに仲間とたくさんの思い出を作ってください。ちょっとした日常の出来事は後から振り返ると、とても大切なものに感じるはずです。
3年生へ。みんなとこの寮で素晴らしい時間を過ごしましたね。それぞれが持っている目標や夢に向かって一歩ずつ進んでいってください。この寮での生活を通して出会えた全ての方に心から感謝を伝えます。本当にありがとうございました。これからも皆さんの笑顔が続くことを願っています。またいつかどこかで会える日を楽しみにしています。それでは、お元気で!

大望館55回生
~寮生リレー~
「3年生が教えてくれたこと」 1年 N.K (新潟県)
3年生がいない寮は静かです。僕は3年生がめっちゃ好きだったので悲しくて「これからどうなっていくのだろう?」と考えると、悲しさよりも怖さが勝ちます。ほかの寮生もきっと「これからどう変化していくのだろう」と考えているかもしれませんが、誰にもわかりません。だから怖いんです。なので、僕はこの文章を考えながら3年生から得たことについて書こうと思います。僕が得たことは二つあります。
一つ目はコミュニケーションの大切さです。僕は人に何かを伝えることが苦手でした。しかし、寮に来て最初に感じたことは、みんなが自由に感じたことを相手にぶつけていることでした。礼拝の時間でアドバイスをしていたり、僕がブロック委員に立候補した時には、僕の予想よりも質問が多くて問い詰められたことを憶えています。寮の良いところは真正面から物事を言えることだと思います。
二つ目は愛です。「大望館には愛がある」と感じたことがたくさんあります。入寮したばかりで静かだった僕を3年生が部屋に呼んでくれて、そこに2年生もいました。1年生は僕だけでしたが、2、3年生たちがいろんな話をしてくれて、とても救われました。話しかけるのが苦手で静かな僕に、いつも笑顔で話しかけてくださり、本当にありがとうございました。
初めての寮生活はとても不安でした。しかし、先輩方がいたから、今の僕があると思います。新入生を迎えた時には、僕も愛ある大望館を作っていきたいです。

大望館3年生との楽しい時間
「私の成長」 2年 O.K (群馬県)
私は最近まで、誰かの何気ない一言や態度一つひとつに傷ついてしまい夜な夜な考えてしまう、そんな人間でした。「あれはどういう意味だったのだろう」、「何も考えずに言ったのかな、私を傷つけるために言ったのかな」などと、夜遅くまでぐるぐると頭の中で考えてしまい、気づいた時には外は明るくなっていて、その日の登校を諦めてしまうこともありました。
私は、考え始めると止まらなくなるそんな弱い自分が大嫌いでした。しかし、そんな私も最近やっと自分を変えられるきっかけがありました。それは、信頼できる人に話を聞いてもらったことです。文章にすると簡単なことのように見えますが、「自分の意見や考えを誰かに伝える」ことは私にとって、とても勇気のいる挑戦でした。話をきいてもらい「あなたは間違ってないよ」といってもらった時、気持ちがとても楽になりました。また、夜な夜な考え始めてしまうと、どんどんブルーな気持ちに飲み込まれてしまいそうになる時は、その時に考えるのではなく、夜はまずぐっすり寝て、朝、冷静になってどうしたらいいかを考えるようにしました。すると、みんなに助けられながらではありますが、上手くいくことが多くなりました。毎日、怠くて早く眠りたいなとばかり思っていた学校での毎日も、最近は前向きな気持ちで生活できています。
自分なりの生き方、辛くなったときの解決策を見つけられたことが敬和に来て1番の成長です。

最高学年に向けて、2年生だけの特別な時間を満喫
「寮務教師の一言」
「第55回生のみなさん、寮修了・卒業おめでとう!」 男子寮 片岡 自由
現代社会においては、しばしば「人材」という言葉が使われます(例えば「優秀な人材が求められる」など)。「人材」とは、仕事を適切にこなす能力をもつ人を指し、どれだけ高い利益を出すか、高い数字を出せば高く評価されます。その人の評価が非常に分かり易いのですが、世界に1人しかいない「その人」の存在を、まるで物のように捉えている所に違和感を覚えます。
一方、敬和学園のぞみ寮では、「人材」ではなく「人格」そのものに目を向け、大切にするよう心がけています。人格とはその人がもつ独自の感性や価値観などを指します。その人が日頃から考えていることに関心をもち、自分との違いに寛容で思いやりをもつこと。私たちは人格の出会いを大切にしてきました。
第55回生は寮合併を経験した最後の学年です。一人ひとりの人格と各館の文化の違いを受け入れて、共に生きることを実践してきました。数字で表すことが出来ない、貴重な経験してきた学年です。寮修了・卒業を迎えられた自分に誇りをもって欲しいと願ってます。これからも幸せな人生を歩めることを心から祈っています。