題字 めぐみ館3年 S.Kさん

鮮やかな青空、平和な景色を守っていきたいと願います
「 戦後80年を憶えて 」 寮務教師 片岡 自由
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣(つるぎ)を打ち直して鋤(すき)とし 槍(やり)を打ち直して鎌(かま)とする。国は国に向かって剣(つるぎ)を上げず もはや戦うことを学ばない。」(イザヤ書2章4節)
みなさんは「焼き場に立つ少年」と呼ばれる写真を知っているでしょうか?英語の教科書に載っていますが、その瞬間を撮影したアメリカ軍のカメラマンだったジョー・オダネルについてお伝えします。
毎年8月初旬、私の実家である若松栄町教会では彼の写真展を開催し、新聞社やテレビ局が取材に来ています。ジョー・オダネルと私たち家族・教会は30年前から交流があり、子どもだった私たち兄弟は何度も遊んでもらいました。当時5〜6歳の私から見ると、身長2mくらいあるような大きなおじいちゃんでしたが、“陽気なアメリカ人”という一般的なイメージとは違い、物静かで落ち着いた人だったことを憶えています。左手の小指が無く「どうしたの?」と聞いた時、彼は「病気で無くなったからキミの小指をちょうだい」とジョークを飛ばしていました。しかし、大人になっていろんな情報を得た今、いろんな辻褄が合ってきました。物静かだったのは戦争や原爆被害の惨状を目の当たりにして何十年も苦しんできたPTSDだったこと。小指が無かったのは原爆による放射能被害の影響も大きく、手術を25回以上受けて多くの病気と闘ってきたことを知りました。あの時に遊んでくれたジョー・オダネルが教科書に載って、今もこうしてニュースに取り上げられたことを知って、私は「凄い人と出会ったのだ」と改めて実感しています。
1945年8月6日広島市へ、8月9日長崎市へ原子力爆弾が投下されて、一瞬にして20万人以上が亡くなりました。アメリカ軍のカメラマンだった彼は、その直後から現地へ入って撮影していきました。彼は原爆投下から約7ヶ月間、長崎市と広島市を中心に、そこに生きる人々を密かに撮影し始めました。彼は日本軍による真珠湾攻撃がきっかけで、日本への復讐心を持ってアメリカ軍入隊を志願しましたが、被ばく地の惨状を目の当たりにして、日本で多くの人々と出会い、特に子どもたちとの出会いによって復讐心は消えていきました。帰国後、長崎・広島で撮影したフィルムを鞄の中に封印しました。悲惨な現実と向き合うことが出来なかったからです。その3年後からホワイトハウス専属カメラマンとして4名の大統領に仕えることになりました。
原爆投下から45年後の1990年、アメリカの修道院で核反対の願いが込められた被ばく者の作品に出会い、彼の心が変わりました。彼は封印していた鞄を開き、撮影した写真を取り出します。彼は核兵器の恐怖を伝えること、世界が平和になることを願い、世界各地で写真展を開くことを決めます。その写真展を開くにあたり、宣教師からの紹介を受けて会津若松の印刷所へ英文の手紙を送り、私の母の元に「英語がわからないから訳してほしい」と手紙が回ってきました。そのことがきっかけで私たち家族・教会との交流が始まりました。復讐心から行動した彼でしたが、戦争体験を通して心が変わり、平和を願うひとりとして2007年に亡くなりました。
2017年カトリックのローマ教皇フランシスコが「焼き場に立つ少年」を印刷したカードの裏に「戦争がもたらすもの」と言葉を添えて、全世界の教会へ配布するよう指示を出したことで再度注目されました。彼の人生を知れば知るほど話し足りないのですが、私はいつかここ敬和学園でジョー・オダネルの写真展を開催したいと夢見ています。
今日の聖書です。イザヤ書2章4節「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」
ここには4つの道具が出てきますが、正反対の目的を持つ2種類の道具として書かれています。剣と槍は戦争をするための道具、人を殺すための道具です。その一方で鋤と鎌は作物を作るための道具、人を生かすための道具です。それらは人の命を生かすため、平和を作り出すための道具として書かれています。同じ刃物でも刃先を相手へ向けるのか、それとも自分へ向けるのか、正反対の道具だと表現されています。鎌・鍬・鋤は労作の授業などで使うので敬和生にとって身近です。ぜひ、労作の授業を平和教育のひとつとして取り組んでほしいと願います。
2023年度からのぞみ寮では「平和を紡ぐ人となるために」とスローガンを掲げています。平和を紡ぐ人、みなさんはどのようなことをイメージしますか?正解はひとつではありません。ひとり一人が思いつくことを実践していくことが正解になると思うのです。「平和を紡ぐ人となるために」今週も共に歩んでいきましょう。(のぞみ寮全体礼拝お話より)
寮生リレー
「 私の夏休み 」 S.Y(めぐみ館1年・新潟県)
みなさんこんにちは。みんなからは「Sちゃん」と呼ばれています。これを読んでいる人たちもよかったら「Sちゃん」と呼んでください。
みなさんは夏休みをどう過ごしましたか?私は部活に参加した以外は、ずっと家でゴロゴロしていました。でも、夏休みの思い出が二つあります。
一つ目は、家族で花火をしたことです。家で飼っているネコも一緒に楽しみました。ネコ2匹も一緒に居たので、いつもの二倍楽しかったです。また来年もやりたいなと思います。
二つ目は、髪をバッサリ切ったことです。頭も気持ちもとってもすっきりしました。思い切ってショートヘアにチャレンジして、大きな気分転換になりました。
夏休み中、敬和学園に入学してからの4ヶ月も振り返りました。敬和学園に入学し、親元を離れての寮生活は、やっぱりホームシックになってしまう時もありました。たくさんたくさん悩みました。そのたびに、先輩・友達・先生方に相談に乗ってもらいながら過ごせたことは、自分にとって大きな自信となりました。夏休み明けは、すっきりとした気持ちで寮に戻ってくることができました。自分でも不思議です。
後期が始まりました。また、たくさん悩むこともあると思います。悩みながら、一つ一つ経験をし、みんなともっともっと仲良くなりたいと思います。いろんなことにチャレンジしながら、できることを増やしてきたいと思っています。
礼拝中、真剣に耳を傾けるSさん
「 待ち遠しかった夏休み 」 I.K(大望館1年・愛知県)
夏休みの寮開放期間は食事代と宿泊費がプラス料金になるので、それまで休日に食べていなかった朝食を取りました。朝食を取らないのが勿体無いと思ったのと、休日も朝食の放送で起きてしまうので朝食を取って正解だったなと思いました。朝食を取って、朝ゆっくりできたのもそれで良かったなと思いました。今では朝食を取る習慣が身につきました。
寮閉鎖したら「かがわ総文祭」に向けて、声楽部の校内合宿が始まりました。合宿中は顧問の先生とOB・OGの人が忙しい中、差し入れや手料理を振る舞ってくれました。とても美味しかったです。食べたことがない、苦手なオクラも頑張って食べてみると思ったより美味しくてびっくりしました。まだ食べたことがないものを食べてみようと思いました。
校内合宿は寮のように2~3人部屋ではなくて1~3年の6人部屋で、プライベートも自分の布団とその周りでした。目隠しや仕切りもなかったのですがお互いにプライベートを守っていたので、そんなに窮屈ではなかったです。むしろ非日常すぎて楽しかったです。しかし男臭が凄かったです。なんであんなに臭うのか不思議です。寮はそんなに臭わないのに。臭っていても慣れてしまったのでしょうか。
僕は人に質問するのが苦手なので、絶対に必要なものと確かなものだけを持って行きました。いつも気をつけていても、よく忘れ物をしてしまうので迷惑をかけないか心配でした。案の定、ベルトを大望館に忘れてしまい、気付いたのが香川に向けた出発当日早朝。香川でも夜遅かったので買えず借りた人のサイズが合わずベルト無しで本番で歌いました。
GW以来「3ヶ月ぶりに家族に会える、家に帰れる」と思い待ち遠しかった、そんな夏休みでした。

いつもほのぼのとした良い雰囲気で食事しています
「 初海外の飛行機でのお話 」 M.M(めぐみ館2年・神奈川県)
初めて私が海を越えた時に出会った、日本人にはない精神の土台についてお話ししたいと思います。
エコノミークラスの真ん中に私、窓側に1人の女性がいました。窓側の女性は寝ていました。やがてスタッフの方がやってきて、手には入国書類を持っています。私が日本語の書類をお願いすると、なぜか2枚も書類が渡されました。2枚目の書類は、眠っている女性の書類でした。私は困惑しました。なぜなら、眠っている女性は見るからに外国の方だったからです。そこで私は「英語の書類が欲しかったらスタッフの方に聞いてください」の旨を書いたメモを置いておきました。
翌朝、女性は「この書類の書き方を教えてほしい」と尋ねてきました。スタッフが忙しそうだったからです。想像もしていなかった事態に、私はおっかなびっくり、辞書を駆使しつつ女性に書き方を教えました。私が慌てている間も、女性はやさしい笑顔を向けてくれました。「カナダから来た」という彼女のいかにも外国人らしいユーモラスな雰囲気に、私はなんだか心がドキドキして「ああ、もうここは外国なんだなぁ」と思いました。「日本の人だったら」というか私だったら、隣の見知らぬ外国人に「入国書類の書き方を教えて」と言うには、勇気がいるのではないかと思います。しかし、あの女性はそれを自然とやってのけました。私と意思疎通が取れるかもわからないのに…。
もし状況が許せば、あなたも海を越えてみて下さい。心を開けば、きっと不思議な驚きが見えてくるはずです。

ホストファミリーとのピクニックも楽しみました!
「 かけがえのない宝物 」 W.J(大望館2年・中国 青島)
この夏、私はオーストラリアで2週間の短期留学を体験しました。最初は飛行機の遅延や寄宿家庭の問題で少し大変でしたが、学校の寮に移ってから生活は楽しくなり、たくさんの友達と出会いました。特に台湾から来たルームメイトのジェイソンとレイモンドとは毎日語り合い、本当に仲良くなりました。毎朝7時に起きますが、時々ナック先生がもっと早く起こしてくれて、私たちはよくパームコーブの海辺のカフェで朝食を摂りました。小雨と朝日を眺めながら、焼き立てのクロワッサンを食べて、カプチーノを飲む時間は本当に幸せでした。
ある日、友達のために朝食を寮へ運んでいる時、私はコーヒーをこぼさないように下を向いて歩いていました。すると、虹色のドレスと同じく虹色の傘をさした先住民の女性と出会い「空を見て」と声をかけられました。顔を上げると、目の前には大きな虹が架かっていて、とても感動しました。その瞬間、人生では下ばかり見て歩くのではなく、時には顔を上げて周りを見渡すことが大切だと気付きました。
昼間はグリーン島やキュランダ公園を訪れ、週末には先生と一緒に16kmのハイキングに挑戦しました。海辺の景色や美味しいフィッシュ&チップスやアイスは今でも鮮明に思い出せます。夜はウェールズ出身のサム先生の授業が面白くラグビー観戦や食事の話題などで盛り上がりました。帰国前には友人たちが送別パーティを開いてくれて、翌朝は早起きしてバス停まで見送りに来てくれました。花束を手にした彼らの笑顔に、私は胸がいっぱいになりました。
この経験から不運な出来事も前向きに受け止めれば素敵な想い出に変わること、顔を上げて周囲を見渡せば新しい発見があることを学びました。オーストラリアの2週間は私にとってかけがえのない宝物です。

オーストラリアの学校の友達・先生たちとの想い出!
「 仲間全員の力があって得られたもの 」 E.M(大望館3年・東京都)
私はこの夏休み、神奈川県で行われたステューデントジャズフェスティバルに出場しました。きっかけは器楽部部員の一人が「新しい挑戦をしたい!」と言ったことです。当初、私は順位をつけられることに抵抗があって反対していましたが、話し合いを重ねて「自分の実力を試す機会だ!」と思い直して、出場を決めました。両親に伝えると、練習場所として教会の礼拝堂を貸してくれることになり、大会前日は部員を招いて一日練習を行いました。夕食は教会員の方がカレーを作ってくださって、みんなで食べて交流を深めました。
大会当日、他団体の演奏を聴きながら緊張し、自分のソロの番ではうまくできず不安を抱えました。結果発表では九割が不安、一割が期待という心境で耳を傾けていましたが、最後に私たちの学校名が呼ばれ、優秀賞を受賞しました。さらに静岡での演奏にも推薦され、仲間と喜びを分かち合いました。
今回の結果は仲間全員の力があって得られたものです。引退の日まで、最後まで努力を尽くしたいと思います。

日本基督教団玉川教会で練習させていただきました
「 ヒロシマ碑巡りの旅 」 K.N(めぐみ館3年・新潟県)
私は平和学習のために広島を訪れました。教科書では学べない「被爆地に立つ」経験を通して原爆の記憶が街に息づいていることを実感しました。近代的な広島の中に残る爪痕から「忘れずに生きる人々」の姿勢が自然と伝わってきました。印象深かったのは、講演で聴いた「みんなが平和を望んでいるのに、何故戦争が起こるのか?」という問いです。恐怖や利害、思い込みが背景にあるとしても、問い続けることが戦争を“自分ごと”にする第一歩だと感じました。
また、日本が核廃絶を訴えつつアメリカの核の傘に頼る現実にも矛盾を感じ、複雑な問題をどう捉えるか考えるきっかけとなりました。
広島女学院の生徒のみなさんとの交流や、被爆樹木の生命力からも、多くの学びを得ました。
「平和は与えられるものではなく、私たちひとり一人が考え続けることで守られるものだ」と思います。広島での学びを大切に、これからも対話と想像力を持ち続けていきたいです。

広島平和記念公園 原爆ドーム
☆ 寮務教師からの一言 ☆ 神﨑 友祈(女子寮めぐみ館担任)
生徒たちがそれぞれに実りある夏休みを過ごす中、私はバックパックを背負ってエジプトへ旅行してきました。前期には2年生の2クラスで「出エジプト記」を中心に授業を行っており、古代エジプトの世界に思いを馳せるうちに、「実際に現地を訪れ、その空気や遺跡、人々の文化に触れてみたい」と強く思うようになったのです。
後期最初の授業では、旅の報告を生徒たちに聞いてもらい、さらにエジプトクイズを出して一緒に楽しみました。感想カードには「エジプトに行ってみたい!」「とても魅力的な場所だと思った」といった言葉が多く書かれており、私自身がエジプトと生徒たちを少しでもつなぐことができたのだと思うと嬉しくなりました。
現地で自分の目で確かめるということは、偏見にとらわれない視点を持つためにもとても重要なことだと感じています。そうした「生の出会い」の積み重ねがやがて平和へと繋がっていくのだとエジプトの旅を通して、改めてその大切さを実感しました。
