2012年2月27日月曜日

のぞみ通信 No.177(2月14日)

神の選び
                        寮長 信田 智
 
1月に2012年度第45回生の、一次前期入学試験が行われた。多くの受験生が与えられ、一人ひとり長い時間をかけて、慎重に審議し、特待・推薦・専願合わせて179人が選ばれ合格を許された。敬和学園の入試は、他の学校と大分違うように思う。中学校3年間ほとんど学校に行けていない生徒。中には小学校の時からいわゆる不登校で、小学校・中学校とほとんど学校に行っていない生徒が、選ばれて入学してくるのです。そうかと思えば、評定がオール5、あるいはそれに近い生徒も入学してきます。そして皆同じように大切にされていきます。
 
 不思議な学校だと思いませんか。なぜ、それだけ幅の広い生徒を受け入れて成り立つのでしょう。実は、皆さんの中にも、中学時代不登校で学校にいけなかった人達も何人かいると思います。それでも敬和でちゃんと生活しています。中には中学3年間不登校であっても、敬和の3年間は皆勤なんていう人もいました。それは、敬和学園自体が不思議な形で選ばれた学園だからです。
そもそもキリスト教を与えられたイスラエル民族は、神様から選ばれる資格のようなものは、何もなかったのです。旧約聖書申命記7:6一8には、「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。・・主があなた達を選ばれたのは、あなた達が他のどの民より数か多かったからではない。あなた達はどの民よりも貧弱であった。・・ただ主の愛のゆえに・・エジプトの奴隷の家から救い出されたのである」と、神の民イスラエル民族が選ばれた理由が記されている。
 
 敬和学園も、お金が沢山あったから出来た学校ではない。有力な財界人がいたからとか、立派な先生が沢山いたから出来た学校でもない。お金も無い、人もいない、この世的な有力者がいたからでも無い。ただ神様の愛によって、何も無いところから、必要なものが一つ一つ与えられて出来た学園なのです。しかも、あえて不便な不自由な場所を選んで建てられた学園です。
神様の選びの基準は、私達の選びの基準とは全く違うのです。私たちは、よりよいものを探して選び、自分にとってより価値のあるものを選びます。しかし、神様の選びは、無学な者、無力な者、この世の中で無きに等しい者、取るに足りない者、見捨てられた者をあえて選び、ご自分の聖なる宝の民とされるのです。(コリント一1:27-28)
 
 私自身も、その神様の選びを受けて今ここにあるのです。だから私は何も誇る事が出来ない、あるのはただ感謝のみです。そして、わたしの様な者を、あえてお選びくださった主の前に謙虚になって、主に選ばれた者として、どのようにお応えして生きたら良いのかと考えていくのです。
 
 敬和では、誰一人自分を誇る事が出来る者はいないし、誰一人自分を卑下する事も無い。すべての人が、主の前に謙虚になって、それぞれの果たすべき義務と責任を誠実に果たすだけなのです。
 
 
 
 
寮生リレー通信  (第 94 回)
 
< みぎわ館 >
 

「みぎわ館3年生を送るにあたって」   
T.M.(1年生:神奈川県川崎市)
2011年4月5日、私は44回生として敬和学園のぞみ寮に入寮しました。入寮してからは慣れないルールや言葉遣いに戸惑い、毎日が自分の事で精一杯で、3年生を見送る日が来るなんて考えもつきませんでした。こんなにも早く42回生との別れが来るのなら、もっとたくさん関わっていたら…と後悔しています。
3年生との思い出はたくさんあります。例えば、サプライズで作ってくださった、初めてのムーンライトケーキ。これは世界に二つとない、部屋ごとに個性あふれた素敵なケーキです。私が初めて体験したムーンライトは、生クリームとシナモンで出来たとてもシンプルな物でした。そのケーキを取り分けて食べるのではなく、つつきあって食べると言うのには驚きました。ちょっとした日常でさえ、42回生との日々は思い出で溢れています。書ききれないほど溢れています。
42回生との思い出がありすぎて、みぎわ館での3年生を送る会では、1年生からの出し物がなかなか決まらず頭を悩ましました。年明けすぐに始めたミーティングでしたが、出し物はどんなものにするのか、どんな歌を歌うのか、歌詞はどうするのか…などたくさん話し合いました。お世話になった事へのお礼と出会えたこと、42回生のおかげで出来るようになった様々な事への感謝を短い時間の中でも出来るだけたくさん伝えたくて、ミーティングを重ねる毎日でした。
3年生を送る会当日、私はF.E.さんと一緒に1年生を代表して開会のあいさつをさせてもらいました。挨拶の文もなかなか私の心にピッタリくるような表現が出来ず、何回も書き直しました。大変でしたがその甲斐あって、42回生への想いを私達ならではの言葉で伝えられたのではないかと思います。1年生の出し物も元気いっぱいに歌を贈り、メッセージを伝え、ありがとうを心から口にすることが出来ました。
入寮当時はとっても恐かった先輩。でも、いつも私たちの事を気にかけてくださり、心配して下さり、励ましてくださり…語りつくせない大好きな先輩です。42回生のおかげで、今こうして44回生は前に進めているのではないかと思います。42回生から教えてもらったものを、今度は私たちが後輩へ伝えていきたい、そんな風に考えられるようにもなりました。
42回生の皆さん、素晴らしい時間をありがとうございました。これから、私たちは一緒に過ごせた時間を励みに頑張っていきたいと思います!
 
 
 

< 大望館 > 
「鍋三昧」         
S.Y.(2年生:新潟県燕市)
2月2日、友愛館はいつもより早めに賑わっていた。この日は2年生しかいないタイミングで毎年恒例の、鍋パーティがあった日だった。
いつものように調理師さんが作って出す、という形ではなく、コンロをテーブルに置いて館の仲間と一緒に作るというものだった。自分たち大望館のテーブルでは、やはりというか、流石というか、澤野先生が鍋奉行となり、どこかのイラストに使われていそうな綺麗に具材が整列した鍋を作っていた。全ての野菜を食べ尽くし、ご飯を入れて雑煮にし、全員の腹が膨れた後。大望館生だけには第2ラウンドが待っていた。
大望館の2年生だけで何かを食べたりする行事をやりたいという話が前々からあったのだが、すき焼きをすることが決まった日は鍋パーティと被るという。しかし「カブるけどどうする?」「まぁ食えるでしょ」というノリで、そのまますき焼き実施が決定。友愛館から帰ってきてすぐに大掃除を終わらせ、さてすき焼きを作ろうとなった時…、冷蔵庫を開けると、そこに鎮座していたのは……塩ちゃんこ鍋のダシ×3、鶏の胸肉・もも肉×2パックずつ、豚バラ×3パック、もやしお徳用などなど……。肝心の牛肉は何故か1パックだけ。しかし卵はちゃんと一人2個換算の20個。何を作る気なのか分からないこの食材群を見て、ブロック長のTは一言。「緊急ミーティングだ、買ってきた奴呼べ!」
ラウンジに集められた2年生全員。その中で中央に座らせられた男が二人。「まず聞きたいんだけど、肉買って来たのどっち?」手を挙げるI君。「ちゃんこダシ買ってきたのは?」頭を下げるK君。話を聞くと、I君はすき焼きだと思っていたらしいが、K君の「え、鍋でしょ?」発言で混乱したとのこと。「何で卵だけちゃんとあるの?」という問いには「いや、Kが『卵、鍋に普通に入れるじゃん』って言った」とI。「K、弁解は?」「いや、俺の頭がどうかしてたんだよ。すいませんでしたぁぁあ!」ミーティングと言いつつ、只のツッコミ合戦を10分ほどした後、全員で塩ちゃんこをおいしく食べた。
 
 
 
 
< めぐみ館 > 
「6兆分の1」
S.S.(2年生:東京都東村山市)
 3年生が自宅学習期間に入り、1年生は2泊3日のスキー教室に行き、寮に居るのは私達2年生だけになりました。その間に私達は鍋パーティーをしたり、楽しいことを沢山しました。そして「セクシャリティー教育」の時間もありました。そのお話をしてくれたのは男子寮・大望館の澤野先生です。
 澤野先生のお話はとても分かりやすかったです。はじめに澤野先生は、生まれて未だ40日しか経っていない澤野先生のお宅の赤ちゃんを連れて来て下さって、私達に紹介してくれました。その赤ちゃんはMちゃんと言って、何人かは抱っこもさせてもらいました。赤ちゃんはとても小さく可愛かったです。子どもが生まれてどれだけ愛おしいものかという話を、私達に聞かせてくださいました。
 その話を踏まえて、人工中絶に付いてのお話がありました。人工中絶は法律では認められているけれど、やはり、1つの命をなくすというのは残酷なことだと話を聞いて感じました。そして、澤野先生の話の中で、私達は6兆分の1の確率で生まれてきたという話を知り感動しました。
 私はまさに奇跡と言う言葉がぴったりだと思いました。1つの命が生まれると言う事は、凄く大きくて、また重いことなんだということを改めて感じる事が出来ました。
 今回、私達が学んだことは、これから私達が生きていく上でとても大切なことでした。
 
 
 
 
< 光風館 > 
「スキー教室に行って」
M.R.(1年生:新潟市江南区)
 スキー教室に行ってきました。僕は冬休み中、スノーボードに行った時に派手に転倒してしまい、鎖骨を骨折し全治4ヶ月と診断されました。ドクターストップもかかっていたし、内心僕自身もスキー教室へは行けないなと思っていました。なぜなら、骨折した後、家族に病院に連れて行ってもらったり、寮では友だちに制服を着せてもらったりして自分のことも満足にできなかったからです。
しかし、スキー教室は今年度最後の泊まりの行事なので行きたい気持ちもありました。親や先生に相談した結果、やはり敬和生活で1度しかないスキー教室に行かないで悔いを残すのは良くないと感じ、スキー教室に行く事に決めました。
 悩みながら参加したスキー教室でしたが、スキー教室に参加して良かったことがあります。それは今までの敬和生活の中で関わりのない他クラスの人と交流が増えたことです。スキー教室中に「どうやったらターンが上手にできるのか」など、そういう話しをしているうちに、今まで関わりのなかった人ともよく話すようになり、今では会う度に言葉を交わすようになりました。それは苦手な人がいる人にも言えると思います。一度話してみないとわからないと思います。人はみかけで判断してはいけないということを学びました。
 また、スキー教室中、僕はスキーウェアを着る時、友だちに手伝ってもらいました。友だちのサポートがあったおかげで、今回のスキー教室を楽しめました。周りの友だちに助けてもらったことで、人は一人では生きていけないということにも気付かされました。人は互いに助け合い、支え合っていかないと生きていけません。スキー教室で学んだ事をこれからの寮生活や学校生活で活かしていきたいと思います。
 

 
 
 
 3年生が自宅学習期間に入り、2週間が経ちました。1・2年生だけの生活も、始めは静かすぎる館内に驚いたりもしましたが、今では少ない人数ながらにぎやかさを取り戻し、のぞみ寮らしく生活をしています。
 毎年、3年生がいなくなると館運営に不安を持っていた私ですが、今年はそんな不安を全く感じていません。それは、3年生たちが「のぞみ寮は心を学ぶ場なのだ」と考え、動き、伝え続けてくれた事が、後輩たちにもしっかり受け継がれていることを、傍にいて感じ取れているからだと思います。3年生たちが築き上げてくれたよき伝統はしっかりと活かしながら、より生活のしやすい場、心の育つ場を目指して、私達寮スタッフも1・2年生と共に歩んでいきたいと思います。
 そして、3年生と一緒に過ごせる時間はあと2泊3日だけとなっています。別れに寂しさもありますが、3年間の彼らの成長を称え、それぞれが夢に向かって歩み始める事を共に喜ぶ時間にしたいと思います。…3年生の帰寮が待ち遠しいです!
みぎわ館担任 森口 みち子

2012年1月30日月曜日

のぞみ通信 No.176(1月24日)

黒き雲の上に青空あり                    
寮長 信田 智
 
昨今、東京は記録的な乾燥注意報が出されていると聞く。
しかし新潟の空は雪雲に覆われ、日照時間が極めて少ない。地球規模でも、地震・津波・台風・原発事故・干ばつ・豪雨・熱暑・寒波と地球環境が大きく変動しているのを感じる。昨年の3・11東日本大震災は、わたし達の生活のあり方を、大きく考え直さなければならない出来事となった。
 いろいろな事情で昨年7名の寮生が寮を去っていった。大切なお子様をお預りし、寮担任を中心にスタッフ一同、精一杯関わってきたつもりであったが、なお力及ばなかった。本人の事、親御さんのことを思うと、1月の新潟の空と同じように、わたしの心はなかなか晴れない。
 
 さて、皆さんは宗教をどのように思っているだろうか。宗教は弱い人間の神頼み、困った時の神頼みに過ぎないと思っていないだろうか。それはそれで一理あるかも知れない。しかし、聖書で信仰の父と言われたアブラハムという人物は、神の語りかけを聞いたとき、家族、財産、生命の危険を省みず、行き先を知らずに神の示す地に出て行った。見える形で私たちを守ってくれる安住の地にいるのではなく、神のチャレンジに自分の人生を賭けたのです。
敬和学園初代校長太田先生も、日本聖書神学校で次期校長になり、牧師養成という大事な働きがあったにもかかわらず、影も形も無い、出来るか出来ないかさえ分らない、キリスト教学校の設立のために全てを投げ打って新潟に出てこられたのです。その他多くのクリスチャン達、また私たち自身にしても、信仰はまさに命がけの大冒険だったのではないでしょうか。望み得ないときになお、望みて信じ、神様の約束に自分の人生を賭けたのです。
 
 被災地の復興は未だ遅々としてはかどらない。今なお多くの方々が、その苦しみの中に身を置いて闘っておられる。原発事故においては、人間の傲慢と過信により、どれだけ多くの方々が、これから先なお何十年と苦しまなければならないかを思うと、先の見えない暗黒の中で不安が募ってくる。
今私たちを取り巻く現実は、様々なところで暗澹たる状況になっている。信仰があってもなくてもその現実は変わらない。しかし、その現実の中でどのように生きるかは、人それぞれによって違う。黒き雲の上には、今も燦然と輝く太陽があり、そこには青空が広がっている。心を高く上げ、そこに目を留め、希望を持って前進したい。
 
 
 
 
寮生リレー通信  (第 93 回) 

【 光風館 】
 
「レベルアップに繋がった寮クリスマス」
I.H.(1年生:新潟県三条市)
 僕たち1年生にのぞみ寮クリスマスの飾り付けの話がきた時、僕も含め「面倒くさい」と感じた人の方が多かったと思います。1回目の話し合いが行われた時、僕は正直「だるい」という気持ちが心の中にありました。1回目の話し合いは、僕が見る限りですが、積極的に意見を言う人もいれば、話し合いにあまり参加しない人もいたし、寝ている人もいて、「最初はこんなものかな」と思いましたが、みんなの気持ちはバラバラだと感じました。しかし、2回目、3回目と話し合いを重ねていくうちに、みんなが話し合いにきちんと参加するようになり、光風館の1年生で作る物も決まりました。それは、“雷門”と“東京ドーム”になりました。そこから、光風館の1年生を2チームに分けて、飾り付けの準備が始まりました。みんなふざける事もあったけど、自分のやるべき仕事をきちんとやっていて、作業もスムーズに進みました。作業を通して、普段あまり話しをしない人とも話す事ができたりして、自然とコミュニケーションを取る事も増え、みんなで楽しく作業ができました。多少の問題もみんなの力を合わせて乗り越えることが出来ました。この事から、やっぱりみんなで協力した方が楽しいし、助け合うということが大事だという事ことも再確認することができました。そして、飾りを完成させることができました。
 
 寮クリスマスの前日に、友愛館に飾りを持っていき、光風館の場所に飾りつけをしました。他の館はどこもとてもレベルが高くて驚きました。やっぱり女子寮はとても完成度が高く、凄いと感じました。しかし、僕は見た目も確かに大切だと思うけど、本当に大切なのは一生懸命になって飾り付けに取り組む姿勢だと思いました。確かに僕たちの飾り付けはズバ抜けて凄い作品ではなかったけど、完成に至るまでの時間、みんなで楽しく準備したり、時には真剣に取り組んだりと一生懸命にできたと思います。僕たちは、ほんの少しだけどレベルアップ出来たと思います。そして、これから行われる行事のひとつひとつに真剣に取り組んで、また少しずつレベルアップしていきたいです。初めての寮クリスマスはとても楽しい思い出ができました。
 
 
 
【 大望館 】
 
「寮クリスマスを思い返して」     
H.S.(1年生:新潟県燕市)
去る12月10日、僕は初めて寮クリスマスを経験しました。御馳走を食べたり、各館の団結力を試すゲームをしてみんなで盛り上がれる楽しい行事でした。しかし、楽しいだけではなくきっちりと「礼拝」もしました。今回はその事をお話しさせてもらいます。
 礼拝は学校のチャペルで行われました。夜にチャペルで礼拝をすることはなかなか無いので、毎朝のチャペルとは違った雰囲気で不思議でした。進行はいつもの礼拝と同じでしたが、讃美歌を歌うことが好きな人の集まりである「のぞみコール」という集まりが聖歌隊として讃美歌を歌っていました。僕も参加させてもらったのですが、とても良いハーモニーで心地よかったです。
 
 一番印象に残ったのがゲストの方のお話です。その方は東日本大震災が起きてからずっと継続的にボランティアを続けていられる方で、こんな事を言っていました。
「メディア等で大震災の事を報道しなくなっても、被災地はまだ大きい傷跡を残し、支援を必要としている」と。
僕は男子声楽部シュビドゥヴァーズに所属しており、冬休みには被災地である宮城県の七ヶ浜町にて被災支援労作に参加させてもらいました。数か所に渡り訪問して演奏等させてもらいましたが、そこで出会った人々や、現地の様子は隠しきれない傷跡を抱えているようでした。現地のボランティアセンターでは、途方も無い量の作業に対して「コツコツやるしかない」とも言っていました。僕はほんの3日間お手伝いをしただけですが、とても大変でした。そんな仕事をずっと続けられる人は、本当にすごいです。
 この礼拝で感じた事と僕が被災地で感じた事をしっかり覚えていたいと思います。
 
 
 
【 めぐみ館 】  
 
「寮クリスマスを終えて・・・」
Y.R.(2年生:新潟市中央区)
12月10日にのぞみ寮でクリスマス会が行われました。寮クリスマスでは、館対抗で行事委員が考えてくれたゲームをしました。ゲームは、イントロクイズ、○×クイズ、パズルを作るゲームがありました。これらのゲームは、すべて4つの館が対抗して行われました。その中で、私が一番楽しかったゲームは、パズルを作るゲームです。これは、最後に行われ、前のゲームでの総合点数で、順位によって色が分けられピースの数決められていました。私たちめぐみ館は1位で通過し、ピースの数が一番少なかったからか、最初に完成することができました。のぞみ寮のテーマである「One piece」という4つに分けられたパズルがそれぞれ体育館全面にごちゃまぜにされて数百個用意されたダミーの中から4つのピースを探し出し完成させるものです。これは、みんなで協力したから、すぐに終わったように感じました。1人で探したら、手に負えないほどの量だったとおもいます。景品は、大きな箱から小さな箱が4つ用意されていて、私たちは一番大きな箱をめぐみ館全員で選びました。中身は、ティッシュとノートで、他の館はすべて飲食物でした。大きくて重ければいいとは限らないと痛感しました。また、協力と言うのは大切でチームワークや、信頼が必要だなと思いました。
 
 
 
【 みぎわ館 】
 
「敬和!ありがとう!」    
K.S.(3年生:茨城県下妻市)
 私が敬和に入学してから、もう3年が経とうとしています。本当にあっという間でした。いろいろな事がありました。1年生の頃は敬和が嫌で、口癖は「死にたい」「家に帰りたい」でした。よく泣いていて、学校でも寮でもあまり人に心を開くことが出来ずに過ごしていました。
2年生になり、学校に行くことが嫌になり、よく授業を休んだりして毎日先生に怒られ、それに反抗していた日々。今では考えられない事ですが、2年生の秋までは敬和に背を向け、「嫌いだ!」と思い続けていました。
そして3年生になり、卒業を間近に控えた今、私は敬和がとても大好きになっています。みんなに心を開かずに殻に閉じこもっていた私にも、ここではみんながそばに居続けてくれました。支え続けてくれました。私の事を考えてくれていました。とても幸せだと思います。
 
 真っ赤なスウェットを着続けていたおかしかった日々、部屋替えの時に目が腫れるまで泣いたあの日、みんなで花火を見た夜、いたずらをして喜んだ日々、42回生のミーティングでみんなで泣きながら語り合った日々、私と何人の人がケンカをし仲直りをしてどれだけ心の結びつきを強めてきたことか…。思い出すときりがありません。全てが幸せな思い出です。
こんなに素敵な記憶がたくさんあるのは敬和に入学して、のぞみ寮に入寮して、ここでみんなと出会えたからです。私の敬和ライフはたくさんの人に愛され、最高の物になりました。あまり勉強は得意になれませんでしたが、私の心はここでとても成長したと思えます。敬和での出会いは一生モノです。普通ではありえない出会いがいっぱいです。今、私は敬和にいられて、みんなに巡り会えて幸せです。そして、みぎわのみんなに向ける私の愛は無限大です。3年間、本当にありがとう。
 
 
 
 
【 スタッフから一言 】
 
 2012年がスタートし、もう早1ヶ月が経とうとしています。3年生の修了が目前に迫り、学年問わず、残りの時間を大切に有意義に過ごそうとしている様子が見られます。各館で始まった3年生によるラストメッセージ。どの寮生も、自分や家族や友達などと徐々に向き合えるようになった事、苦しい事を泣きながらでも乗り越えてきた事、そこから周りの支えや愛情を知り、自分らしく歩めるようになった事を実感しています。のぞみ寮生の大きな大きな心の成長をはっきりと確認でき、幸せこの上ありません。保護者の方々には、お子様の大切な3年間をのぞみ寮に託して下さり、信頼し、支え続けてくださっている事、本当に感謝申し上げます。
 2012年も、みんなが元気で大きく成長していくことを祈りながら、寮スタッフ一丸となって寮教育に取り組んでいきたいと思います。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
みぎわ館担任:森口みち子

2011年11月16日水曜日

のぞみ通信 No.175(11月14日)

親の心子知らず            寮長 信田 智
 
 「人皆に美しき種子あり、明日何が咲くか」ある人がこれをもじって、「人皆に悪しき種子あり、明日何をしでかすか」と言った。見える現実は、はきだめのような、どろ池のような現実がある。その現実を前にして、「明日何が咲くか」とその子の中にある可能性に目をとめ、明日を信じて待つか、「明日何をしでかすか」と戦々恐々として、目の前の現実に振り回されるかによって、子供の将来は変わってくる。信じられ受け止められている子供は、時がくれば親の信頼に応え、きっと素晴らしい花を咲かせてくれことでしょう。今度は何をしでかすかと、戦々恐々とした状態で向きあわされている子供はやがて、親が恐れているようになっていくのではないでしょうか。
親は、自分の信じるところを子供に伝えてやる事が大切です。跳ね返される事もある。嫌がられることもある。それでも親の思いを伝えてやらなければならない。親が伝えるべきことを伝えないで、子供が道をそれて行くならば、それは親の責任です。しかし、親として伝えるべき事は伝えても、なお道をそれていくこともある。
 
 最近親子の心のすれ違いが多い。親の思いが子供に伝わっていないのである。親は一生懸命伝えているつもりなのに、子供は一切受け付けない。子供も親に一生懸命自分の思いを伝えているつもりなのに、親には理解できない。何故そう言うことになるのか、基本的な信頼関係が出来ていないことが多い。どこかでボタンを掛け違え、親は自分のことを愛してくれていない。自分は邪魔な存在なのだと思い込んでいる子をよく見かける。また親は、どうしてこの子はこんな子になってしまったのだろうと嘆くばかりで、子供を理解しようとしない。そのような関係の中では、親が何を言っても伝わるはずがない。行き詰まった時には、慌てず騒がず神様にお委ねしてみよう。
 
 私の息子は敬和在学中(24回生)、自分の生き方を捜し求めていた。その流れの中で、1年間AFSの留学生としてミネソタ州に留学した。留学から帰ってきて、「お父さん、僕は高校を卒業したら就職をする。お世話になったホストファザーは、高卒だけど立派な仕事をしている。自分は大学に行く意味が分らない。」と言い出した。
親としては、思っても見なかった申し出であったので、留学の結果がこれなのか、親の心子知らずとはこの事かと思った。息子と話しても平行線でどうにもならない。それでも親としての思いは伝え、後はどういう選択をしようとも、神様が最善をなしてくださると信じて委ねた。親の気持ちを試していたのだろうか。やがて進路の時期が来た時、自ら大学への進学を選択していった。
 
 
 
 
寮生リレー通信  (第 92 回) 
光風 「大夫浜コンサートを終えて」U.Y.(3年:新潟市秋葉区)
 10月28日に大夫浜コンサートが行われ、僕はそこで器楽部としての最後の演奏をさせてもらいました。3年生最後の晴れ舞台であったため、とても強い想いでコンサートに臨みました。この日のために何ヶ月も前から準備をしてきましたが、振り返ってみるとあっという間でした。「コンサートまでの準備の1秒1秒を大切にしていこう」と思っていましたが、やはり時間が経つのは早く、「引退」という実感も湧かないまま演奏をしていました。
 「器楽部は幸せな部活だ」と周りからよく言われますが、全くその通りだと最後の大夫浜コンサートを通して実感しました。運動部の3年生は最後の大会に負けて、満足な形で引退できないというのが大半だと思います。今回の大夫浜コンサートは例年と同じく、多くのお客様が来場してくれました。器楽部は自分たちの好きなことをして、多くの人に祝福されて引退します。1年生の頃はそれがどれくらい幸せなことなのか、よくわかっていませんでした。演奏が終わった後も、多くの方々から「良かった」とか「楽しかった」など言葉をかけてもらいました。演奏をしている時はとても楽しく、大きな拍手をもらい、その中で自分が引退できると考えたら、本当に自分は恵まれているなと思います。
 大夫浜コンサートは多くの方々の協力で成功したものであり、その協力が無ければ成功していなかったでしょう。私にとって最後のコンサートが良い雰囲気の中行われ、心に残る引退をさせてもらった自分は、支えて下さった方々に感謝をしなければなりません。そして、このような経験は貴重であり滅多にできることではありません。正直、ずっと続けてきた器楽部を引退するというのはとても悲しいことです。ですが、最後の大夫浜コンサートで今までの経験で得た力を出し切れたと思うので悔いはないです。3年間での部活動とこの大夫浜コンサートで得たものは一生忘れることはないと思います。
 
 
 
みぎわ 「信徒大会!」    
S.K.(1年:神奈川県川崎市)
 私は11月3日に行われた「新潟地区 信徒大会」に子どもプログラムの係として参加しました。「新潟地区 信徒大会」では、新潟県内のたくさんの教会の人たちが集まり、様々なイベントを通して関わり合えた時でした。それが終わった後、300人以上もの人が来られていたと聞いてとてもびっくりしましたが、その大きなイベントのお手伝いが出来たことをとても嬉しく思っています。
 最初、ボランティアを募っていた時は一体どんなことをするのだろう?と思っていました。係決めを行った時、私は昔から子どもの世話をするのが得意で、小さい子から人気もあったので真っ先に子どもプログラムの係に立候補しました。子どもプログラムの係は、子どもたちを相手に、学校案内をしたり、一緒に遊んだりする係でした。この係に決まってからより一層、「どんな子どもたちが来てくれるんだろう!」とか「どんな風に接したらみんなが楽しんでくれるかな?」など、いろいろ想像してワクワクしていました。
 当日になり、たくさんの子どもたちを見た時嬉しくて思わず大きな笑顔になっていました。私は男の子1人と女の子2人、中学3年生の敬和志望!の人と一緒に行動することになりました。みんなと一緒にキャンパス内の至る所を歩き回ってウォークラリーをしたり、体育館で鬼ごっこやドッチボール、宝探しをしました。みんなととても仲良くなれ、私自身がとても楽しく過ごすことが出来て良かったです。特に、中学3年生の人とは意気投合でき、友達が増えたようで嬉しかったです。
 1日一緒に過ごした3人がお別れの時に「今日はありがとう。楽しかったよ。」と言ってくれました。その言葉を聞いて、ボランティアに参加して、この係になって、3人と出会えて、本当に良かったと思えました。また、信徒大会で係の仕事を任せてもらい、人のために働くことのやりがいと、「ありがとう」と感謝される喜びを体験しました。これから敬和で過ごす2年半、寮生活をしていく毎日の中で、人のために働くことを心がけていきたいです。
 
 
 
大望 「信徒大会に参加して」  
S.T.(1年:長野県茅野市)
 11月3日に敬和学園で新潟地区の信徒大会が行われました。新潟県内の様々な教会の人達が、チャペルでお話しを聞いたり、敬和の先生方による特別授業を受けたりしました。僕は、その信徒大会のスタッフとして手伝わせていただきました。
 僕の係は受付で、来られた方々をチャペルの前の方へ誘導する役目でした。先生にはたくさん人が来ると言われていたので、最初は「それは面倒くさいなぁ」と思っていました。しかし、実際は小さなグループや個人で来られる方が多く、意外とスムーズに誘導が出来ました。
 その中で、僕は不思議な気持ちを抱くことがありました。それは、こちらが挨拶をすると相手は挨拶に加え、「お願いします」や「御苦労さま」と言ってくださったことです。僕は、「どうしてこの人はこんな事を言うのだろう?」と不思議に思っていました。「御苦労さま」は、まだ分かります。しかし、「お願いします」は何なのか分かりませんでした。ただひとつ言えるのは、その人達は「大会に参加させてもらう」という気持ちで来たのではないか、と言う事です。僕だったら、そうは考えないはずです。そして母が前に、「教会に行っている人は心が優しいよね。」と言っているのを思い出しました。その時僕は、今の自分が少し恥ずかしくなりました。僕は、この機会にもう一度自分を見直して、人として成長したいと思います。
 
 
 
めぐみ  「器楽部で過ごして」   
K.N.(3年:新潟県胎内市)
私は3年間器楽部で過ごしました。3年間とても充実した毎日でした。素敵な仲間に出会えました。尊敬できる人にも出会えました。何度も、くじけそうになったときがありました。けれどそんな時には応援してくれる人がたくさんいました。また老人ホームや、商店街で演奏すると笑顔で手拍子をしてくれる人がいました。「感動したよ」と言ってくれる人がいました。そのたびに私たちは幸せだなと感じていました。
私の敬和生活でこの部活がなければ、今の私はいないと思います。何事にも一生懸命になること、音楽を通して人を幸せにできることを知ることができました。また引退コンサートでもある「大夫浜コンサート」では、とても幸せな時間を過ごすことができました。見に来てくださったみなさんありがとうございました。また今まで一緒に頑張ってくれた後輩たちにも感謝をしたいです。ありがとう。
器楽部で過ごした3年間は、これからの人生でかけがえのないものとなると思います。ここで楽しい音楽に出会えて最高でした。これからも器楽部JAZZHORNETSをよろしくお願いします。
 

 
 
~スタッフより一言~
先日、みぎわ館内のミーティングの中で「のぞみ寮には人との関わりの中で心を学びに来ているんだ」との発言がありました。ハッとさせられました。毎日の仲間との生活を通して寮生自身が痛切に感じているからこそ、出た言葉なのでしょう。とても真実味があり、心の底から本当にそう考えられているのだと、聞いていた私にも伝わり感動した瞬間でした。
「心を学ぶ」場所があるという事を知っている高校生が世の中にどれだけいるのでしょうか?のぞみ寮では学年が進むにつれ、寮生活を送る日数が増すにつれ、その事に気付けていきます。様々な出来事を通して、たくさんの仲間や自分の新たな面との出会いに溢れた場所だからこそなのだなぁと改めて教えられています。今年も残すところあとわずか。「心を学ぶ」場であるのぞみ寮で、私たちスタッフも一緒になって前進していきたいと思います。
みぎわ館担任 森口 みち子