2013年11月27日水曜日

のぞみ通信 No.195(2013年11月27日)

< 2013年度 寮体験プログラムを終えて >
 2013年10月20日(日)~25日(金)まで、通学生を対象に寮体験プログラムが開催されました。普段なかなか細部まで知ることのできない寮生活を体験してもらい、寮生活の素晴らしさ・寮生の頼もしさの訳を知ってもらい、寮生も通学生から大きな刺激を受ける機会に…と毎年開催されています。今年は男女計12名の通学生が参加してくれました。その感想を一部ご紹介いたします。

*T.Y(新潟市中央区)
 私はこの一週間、寮に泊まりました。めぐみ館に泊まりました。最初は全然なじめなくて緊張してしまったけど、あっという間に楽しくなりました。普段あまり話したことのない人とも気軽に話せるようになりました。本当に嬉しいです。みんな最初から友達のように接してくれました。部屋のメンバーも良かったです。修養会やオリエンテーションキャンプでは、他の部屋に行くことはなかったけれど、寮ではいろんな部屋に遊びに行きました。館内行事や全館合同行事も面白かったです。いい思い出が出来たと思います。参加して本当に良かったです。ご飯も美味しかったです。寮生だけが食べられるような特別な食事ができたと思います。今まで暇だった自由時間を充実して過ごせました。寮の中ではこの時間が一番好きです。どの時間もいいですが、特にピアノを弾いていると楽しくなります。寮のホールやピアノ室で練習しました。讃美歌を弾くのが一つの楽しみになりました。これをきっかけに弾ける曲をどんどん増やして、ぜひ礼拝の伴奏をしてみたいです。礼拝がさらに楽しみになりました。
 学校もいいですが、放課後が待ち遠しかったです。寮体験が終了してしまうのが寂しくなりました。寮体験ができて本当に楽しかったです。すごくいい経験になりました。寮に入れば変われると思いました。ぜひ寮に入りたいです。


*I.K(新潟市東区)
 私が寮体験に来た理由は、普段から寮生がどんな生活をしているのかなと思っていたのと、たまに寮のことを寮生から聞いて楽しそうだったということです。実際、寮に来てみてすごく楽しかったです。
 1日目に光風館の1年生のみんなでキムチ鍋を作って食べたり、火曜日の夜は部屋のベランダに出て星を眺めました。この日はオリオン座がきれいに見えて、流れ星が3つも見えました。うちだときれいに星が見えないし、そもそも親が星を見るために外に出させてくれることもありません。丁度、流星群が見れる時期だったので、寮体験プログラムに参加してよかったなと思いました。
 水曜日には寮体験に来ているWくんを驚かそうというドッキリを光風館の全員でやりました。結果は、Wくんがあまり驚かず微妙な感じに終わりましたが、とても楽しかったです。スマートフォンやゲームが1週間もできなくなるなんて耐えられないと思っていましたが、このようなみんなで楽しむ生活が続けばスマートフォンやゲームがなくても暮らせそうだなと思いました。



< 寮生リレー通信  (第 108 回) >
 
 【新委員長所信表明】


*リサイクル委員会 『ゴミ箱きれいに、心きれいに、未来きれいに』 
K.N(2年:東京都八王子市)
 今年のテーマは「ゴミ箱きれいに、心きれいに、未来きれいに」です。リサイクルは、今日、あすなどの近い未来のためでなく、何十年も先の私たちの生活や地球のためにあります。遠い未来を守る、地球を守るためには、今日、ゴミの分別を心がけることが必要です。そしてゴミ箱がきれいな今日を積み重ねていくことがリサイクルとしてとても大切なことだと思います。ゴミ箱がきれいになることで心がきれいになる、これを続けることで、未来がきれいになるという、日々のちょっとした心がけからリサイクル委員全体、のぞみ寮生全体の行動としておこしていきたいと思います。
 リサイクル委員の今後の活動としては、4館のリサイクル委員長が行っているゴミステーションの清掃と、少しずつになりますが、4館での仕事内容の違いや差を縮めていきたいと思っています。リサイクルがどの館でもしっかりと行われている、分別がされているきれいな館、ストレスのない館を1年間を通してめざしていきます。
 これらを達成するためには、ここにいる全員の協力が必要になります。すてきな未来を作る、守るために、かんたんでめんどくさい、でも大切な分別や心がけを全員でしていきましょう。






*整美委員会 寮みがきは自分みがき! ~今日より明日へ 素敵な自分になるために~ 
K.N(2年:新潟県新潟市)
 今年のテーマは『寮みがきは自分みがき! ~今日より明日へ、素敵な自分になるために~』です。
 今年の整備委員会のメンバーは特別主張があるというわけではありません。しかし皆、館のことをとっても想っているのです。素敵なことですよね。そんなメンバーでテーマについて考えた時、出てきた言葉は「身の周りをきれいにすると自分みがきになるんだって」というものでした。
 寮の方、皆が身の周りをきれいにするということはその館がきれいになるということになり、館がきれいになるということは寮がきれいになるということになるのです。
 そんな考えで、”みがくことが素敵な自分に近づくこと”になるなら、寮みがきをすれば皆素敵な人になりますね。皆さん、大掃除だけでなく、普段から心がけてみてください。
 そして、先程整備委員会のメンバーは特別主張があるわけではないと言いましたが、だからこそそれぞれの館をじわじわときれいに、住みよくしてくれると思います。そのためには皆さんの協力も必要になります。
 どうか企画したこと(主に大掃除)に対し、嫌がらず、参加して頂ければと思います。そして、できれば楽しんでください。楽しく且つ積極的に、ホコリや汚れを一つ残らずなくすくらいの勢いで、館や寮の方と協力してできたら、最高ですよね。ご協力お願いします。
 最後に宣言して終わります。

 我々整備委員会は、少しでも快適に過ごせる寮にするために、日々尽力していきます!



 *行事委員会  『あなたの生活に潤いを ~少年少女であれ~』
K.E(2年:神奈川県相模原市)  
 テーマは「あなたの生活に潤いを ~少年少女であれ~」です。このテーマについて説明したいと思います。敬和生活は友達や先輩との距離もとても近く、様々な行事があり、とても楽しいですよね。しかし本当に楽しいだけかというとそうではないと思います。テストや友達関係、進路などの悩みは絶えないと思いますし、誰もが少なからず疲れを感じていると思います。行事ではそんなみなさんに映画を見て全く違う世界を楽しんでいただいたり、運動でリフレッシュしていただいたりと、寮の行事という時間を通して、生活の疲れをいやしていただければと考えました。
 また、“少年少女であれ”という中には子供心を忘れずにという思いをこめました。高校生にもなってくると考え方や行動のしかたが大人びてきます。ですが、行事をする時くらいは子供のような心でおもいっきり笑ったり泣いたりと楽しんでいただければ嬉しいです。
また今年の行事では昨年度以上に様々な種類の行事を各館から4館合同までたくさん企画し、実行していきたいと思っています。それにはなによりも皆さんが参加してくださる事や協力が大切になってきます。私たち行事委員も様々な企画を考えますが、是非みなさんからも“あれがしたい、これがしたい”という要望があればどんどん言ってほしいです。きっといたらない点も多々あるとは思いますが、私たち行事委員も様々な企画が実行できるよう頑張っていきたいと思っていますので、どうか温かい目で見守ってください。



*礼拝委員会 『Warm time ~明日の力へ~』
W.T(2年:茨城県那珂市)
 今年度の礼拝委員のテーマは「Warm time ~明日の力へ~」です。
 Warm time とはあたたかい時間という意味です。
 私たち礼拝委員は、1日の生活のなかで寮の礼拝の時間を大切にしてほしいと思っています。私たちのぞみ寮生は学校では勉強や部活動、さらには生徒会活動に打ち込み、寮生活ではひとりひとりがそれぞれの役割を担い、常に周りに目を向けながら40人程の人たちと24時間共に過ごしています。そのような中で、私たちはひとりになって落ちつける時間があまり持てません。
 ですが礼拝は唯一、自分ひとりになれる時間です。自分ひとりになり、自分自身を見つめ直すことができ、決して孤独ではなく、周りのあたたかさに包まれた時間になってほしいと願っています。そして、のぞみ寮の礼拝は生徒ひとりひとりが必ずお話をします。そこで日ごろ思っていること、体験したことなどを自由に話し、話を聞いているひとりひとりが新たな発見をし、明日どのように生きるかのヒントにつながるような礼拝づくりをしていきたいです。
「見よ、わたしは口を開き 舌は口の中で動き始める。 わたしの言葉はわたしの心を率直に表し 唇は知っていることをはっきりと語る。 神の霊がわたしを造り 全能者の息吹がわたしに命を与えたのだ。」(ヨブ記33:2~4)



 *生活委員会 『聖く正しく美しく~君と私の0チェック生活~』
 
W.M(2年:愛媛県大洲市)
 今年の生活規律のテーマは「聖く正しく美しく~君と私の0チェック生活~」です。聖書の「聖」と書いて「きよく」と読みます。このテーマにはのぞみ寮での生活をより快適にするために、一人ひとりの生活を見直し、改善するために生活規律委員ができる限りのサポートをして、全員の0チェックを目指していこう、という意味が込められています。こののぞみ寮は集団生活の場です。一人が仕事を忘れてしまったり、一人がわがままを通そうとすれば、周りの人たちに迷惑がかかります。その数がチェックという目に見える形で表されています。そのチェック数を減らしていくことでのぞみ寮生全員が快適にすごせるようにしたいと思っています。そのために各館のルールを見直し、それぞれの館のよい所をまねするなどしてできるだけ4館のルールを統一したいと考えています。
 話は変わりますが、みなさんは「ルール」と聞いてどんな印象を受けるでしょうか。自分を縛りつける鎖のようなものですか。確かに、いい印象を持つ人は少ないでしょう。ですが、ルールがあるからこそ集団生活というものは成り立っています。ですから一人でもルールを守らない人がいれば、それをカバーする人が必要になってきます。チェックがつかないからといって、ルールを無視して生活をしていると、その分、周りの人に迷惑がかかっています。ルールとは集団生活において、一人ひとりが快適にすごすためになくてはならないものなのです。中でも、生活規律で決められているルールは、集団で生活する上で最低限できてほしいことばかりです。また、今はルールだから、しないといけないから、と強制されていることでも、社会に出ればできないと恥ずかしいこともたくさんあります。特にあいさつはうるさく言われますよね。そのくらいできて当然なことなのです。そして、決められたルールを守るということも大切なルールです。一人ひとりが周りを気遣って生活すれば、ルールは当たり前に守れるようになり、寮全体がより居心地のよい空間になります。ここにいる全員で、そんなのぞみ寮を作っていけるといいですね。


*食事委員会 『すききらい× もりもり食べよう 毎日ごはんをありがとう。』
T.M(2年:長野県安曇野市)
 新しく食事委員になりました、みぎわ館のT.Mです。今年度のテーマは「すききらい× もりもり食べよう 毎日ごはんをありがとう。」です。このテーマは少し子供っぽいと思われてしまうかもしれませんが、伝えたいことをわかりやすく、ストレートに表現したものです。まず私たちが考えたのは、寮での食事が担う役目です。私たち寮生は、3食全てこの友愛間でいただいています。そしてバランスを考えて作られるそれらの食事は、私たちの体と健康になくてはならないものです。そのような毎日の食事を、ぜひ好き嫌いせずにおいしく食べてほしい、そんな願いを込めました。苦手なものは避けてしまいがちですが、この寮生活の中で少しでもチャレンジしてみてはいかがですか。
 次に、食事をする時にわすれないでいただきたいものとして私たちが考えたのは、感謝です。こうして私たちが毎日ごはんを食べることができるのは、私たちの見えないところに多くの方々の想いと努力があるからです。まず、私たちの健康を考えて献立を立て、温かいごはんを笑顔で作ってくださる調理師のみなさん。そして大切に育てた食材を提供してくださる農家の方々。私たちのために日々働き、養ってくださる親や、支えてくださる人々。そんな温かいものが食事の背景にあることを忘れないでいたいです。そして何より、私たちが生きるためにたくさんの命をいただいていることを覚えていますか。食事を前にした時、感謝していただきますと言えたらいいですね。1年間どうぞよろしくお願いします。


 
< オープンスクール労作 >
 
「オープンスクール」
S.Y(2年:奈良県北葛城郡)
 私はオープンスクール労作で学んだ事があります。それは、『誰かの為に働く喜び』です。
 今回私は初めて労作に参加させて頂きましたが、失敗の連続でした。学校案内での説明がうまくできなかったり、目を見て話せなかったり、変な間を作ってしまったりと、思い出すだけで恥ずかしい気持ちになってしまいます。
 申し訳ないという気持ちから、案内の途中で「わかりにくい説明ですみません」と保護者の方にお詫びもしました。しかしその時、「大丈夫、君はよく頑張っているよ」という言葉をかけて頂きました。心がすっと楽になり、同時にうれしさもこみ上げてきました。初めて労作する意義というものを感じた気がしました。『奉仕をして感謝される』という事がすばらしいことであることが分かりました。
 今回の経験を通して、お互いがよい気持ちになる、感謝しあえる関係を普段の学校生活や寮生活で築いていければいいなと思いました。『何事にも感謝をする』ことを心がけることによって自然と周囲の人たちと笑顔になれれば嬉しいです。


「統率することの難しさ」
Y.M(2年:新潟市中央区)
 私は今年のオープンスクールに総合チーフとして参加させて頂きました。昨年は学校案内、寮案内等、直接中学生と関わり、楽しみながら労作をすることができました。しかし今回の労作では、総合チーフとして求められるものは何か、また、どのようにしたらみんなの仕事を上手にサポートできるかを考えながら責任感というものを感じつつの仕事でした。
 今回の労作で何よりも実感したのは、人に頼るということです。頼られる立場にいるためには、本当はみんなを信頼して頼らないといけないという事を改めて学びました。全体が滞りなく上手に運営されるためには、みんなが一人一人を信頼することが必要となります。そのためにはまず自らが信頼に値する人となれるよう、自分の仕事に責任を持って丁寧にこなす事が大切だと思いました。そこで初めてチームワークが発揮されるのではないでしょうか。今回の労作は、労作に参加したみんな一人ひとりの良さや個性が活かされたチームで、よい仕事がみんなで出来たのだと嬉しく感じる事ができています。その一端を担う事ができ、とてもよい経験ができました。


~寮務教師より一言~
 すっかり寒くなり、厳しい新潟の冬が顔を出しはじめました。寮生の中からも、体調不良の訴えが多くなってきたように見受けます。
 そんな中ですが、のぞみ寮では12月に予定されている様々なプログラムの準備に勤しむ寮生の姿がちらほらと見られるようになってきました。3日間に及ぶキャロリングや寮のクリスマス、あるいは各館ごとにもクリスマスが計画されています。先日引き継いだ2年生の運営委員を中心に、素晴らしいものをつくってくれることを期待しています。寮務教師も、そんな寮生の取り組みを、健康面も含めてサポートしていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
 また12月が終わり年が明けると、3年生の寮生活は残すところ1ヶ月となります。受験モードが一段落しつつある中で、急速に成長を遂げている3年生は、1、2年生にも良い刺激を与えてくれています。このメンバーで過ごせる残り僅かな時間が一層有意義な時間となるよう、寮生、教師一丸となって取り組んで参ります。

2013年10月30日水曜日

のぞみ通信 No.194(2013年10月23日)

再 会                
 寮長 信田 智

 昨年から卒業生のホームカミングデーが行われるようになり、今年は第二回目で 2,12,22、32回生が対象であった。まだまだ定着していないので、集まる人数は少なかったが、昨年よりは人数も増え、久しぶりに会う卒業生達と良き交わりの時が持てた。会えば年月を越え、すぐに高校時代にタイムスリップしてくる。更に、それぞれの場でよき働きをされていることを聞き、大いに励まされた。
 私自身は、高校を卒業してから同窓会に出たのは、60歳の還暦を迎えての同窓会一度だけで、その時は42年ぶりの再会であった。それでも、会えば高校時代のことが鮮明に思い起こされて、時を忘れて語り合った。何時も思うのであるが、敬和の卒業生たちは実にしばしば母校に尋ねてくる。また、各地に散在している卒業生達が、それぞれの地でしばしば集まり親交を温めている。みんな敬和が本当に好きなのだ。
 9月に、寮の保護者たちの「語ろう会」が行われた。はるばる神奈川からこられたあるお母様は、「自分がこの学校で学びたいと思うくらい敬和が好きです。敬和の行事のある時は休みが取れる限り、出来るだけどの集会にも参加したいと思っています。」と語られていた。そう思ってくださる保護者の方が大勢いることは、なんとも心強い事であり、敬和の精神が親から子に、兄弟から兄弟に、またその知り合いにと広がり、敬和学園を支えてくれていることを思う。
 再会と言えば、15年前のチャペル建築で、当時O所長の下で活躍しておられたY氏が、今回の耐震改修工事の所長を務めてくださった。また、7年前友愛館建築の際活躍されたM氏が、今回Y所長の下で主任として働いておられる。設備のM氏は、これらすべての工事に、設備責任者として関わってこられた。敬和の精神だけでなく、建築の責任者も継承されている。より良い技術と実にこまやかな配慮を持って、誠実に仕事に取り組んでくださっていることに感謝したい。
 「敬和学園」実に不思議な学校である。多くの方達を巻き込んで、敬和の応援団を形成してくださる。その魅力は何であろう。歴代の校長が皆、素晴らしい個性的な人格を持って、敬和のためにその身を捧げてきてくれた事は大きい。また、3年間寝食を共にし苦楽を共にしてきた寮の仲間の絆は強く、敬和は心の故郷であり、寮は第二の家族となっている。個性豊な者達がぶつかり合い、理解し合い、高め合っていく。何よりも、その時代の精神を先取りし、その時代に失われていく大切なものを守り通そうとする青臭いまでの純粋さが、イエス・キリストの純粋な精神とあいまって、不思議な魅力をかもし出してきたのかも知れない。「敬・和」を合い言葉にそれぞれの与えられた「場」においてよき証し人として励んでいきたい。



寮生リレー通信  (第 107 回)
 
 ◆めぐみ館ブロック長◆  
「I 愛 相~ぽかぽかGIRL’Sめぐみ~」
Y.C(めぐみ館 2年 新潟市中央区)
 今年のめぐみ館のテーマは「I  愛 相~ぽかぽかGIRL’Sめぐみ~」です。ここで3つの「あい」についてお話します。
 一つ目の「I」は「自分」「私」という意味です。これは自分自身の事、また、一人の時間を大切にできるようにと思い、入れました。
 二つ目の「愛」。これはそのまま「愛する」「LOVE」という意味です。他者に対して愛をもって接するということはもちろんですが、物や、行動にも愛をもってできるといいなと思って入れました。具体的には、毎日の掃除やゴミ捨て、あいさつなどです。気持ちを込めてしっかりと取り組んでいきます。
 最後、三つ目の「相」は「相手」の「相」です。寮という場にはたくさんの人がいます。それは「話し相手」だったり「相談相手」という自分にとって心地よい時もありますが、逆に、「ケンカ相手」という場合もあります。どんな相手に対しても、思いやりをもって、しっかり正面から向き合える、そんな雰囲気づくりをしていきたいです。
 以上、三つの「あい」。実は読み方を変えると「I LOVE YOU」とも読めます。これはたまたまです。たまたまですが、45回生全体のテーマでもある「愛をもって互いに仕えよ」に通じているような気もします。
 「ぽかぽかGIRL’Sめぐみ」は、いつもぽかぽかした気持ちで食卓を囲める、そんなめぐみ館でありたい!という願いを込めて入れました。
 昨年、めぐみ館では大幅なルール改正が行われ、ルールブックも薄くなり、とても生活しやすくなりました。その時に、先輩方から教わった事があります。それは「あたりまえのこと」「マナー」の大切さです。あいさつや言葉遣いなどはルールではなく、マナーです。今年のテーマに掲げた三つの「あい」を心に留めて、誰にとっても居心地の良い館にしていけるよう、精いっぱい頑張っていきましょう。


◆光風館ブロック長◆  

~つなげよう光風の輪~」   
K.K(光風館 2年 長野県長野市)
 みなさん、こんばんは。新しく光風館のブロック長になりましたK.Kです。早速ですが、光風館のテーマを発表します。
 「 ~つなげよう光風の輪~」です。なぜこのテーマにしたかと言うと、○というのは、△や□と違い、角が無く、どこをとっても平等です。平等というのは、光風館で生活するみんなが平等であるということです。誰が一番偉いということなく、みんなが同じ存在で、同じ目線でいろいろなことを見ることができるようになりたい。そう思い「」というテーマにしてみました。
 また、サブタイトルでもある「~つなげよう光風の輪~」というのは、同学年のヨコのつながりや先輩後輩とのタテのつながりをしっかりとつなげ、みんなが仲良く過ごせるような生活の場、そういう輪を光風館の44人でつなげられたらいいなと思い、このようなサブタイトルにしました。
 今回のテーマを大事に、僕は光風館のブロック長として「仲良く」ということを大事にしていきたいと思っています。
 今、光風館の2年生は20人います。他の学年と比べると、あきらかに多い人数です。20人もいると全員がとても仲がいいとは言い切れません。ひとりひとり個性を持っているので、他の人と合わなかったり、時に衝突するのは当然だと思います。ですが、20人ものいろいろな個性をもつ人と楽しく生活しないのはもったいないです。なので、同学年でのヨコのつながりを強め、みんなが仲良くなれたらと思っています。また、生活していく中で、先輩後輩の誰とでも楽しく付き合える、タテのつながりもつくっていきたいです。
 でも、寮生活はただ「仲良く」だけではだめです。やるべきことにしっかりと取り組めるひとりひとり、そして当たり前のことを当たり前にできる集団でなければなりません。先輩にはしっかりとした礼儀や感謝の気持ちをもちたいと思います。後輩には、良い見本となれるようしっかりとした生活を送っていく必要があると思います。そのような生活の中でやるべき時にはみんなでやる、楽しむ時にはみんなで楽しむ。そのようなメリハリのある光風館にしていきたいと思います。
 細くて、見えるか見えないかの線で描かれた○ではなく、つながりの強さを表すような太くて力強いを目指して生活していきたいです。


◆みぎわ館ブロック長◆  
「Rhapsody in blue」 
T.M(みぎわ館 2年 長岡市)
  みぎわ館の新しいテーマは「Rhapsody in blue」です。Rhapsodyとは、形式がなく自由であると言う意味があります。私たちみぎわ館45回生でこれからどんな館にしていきたいかということを話し合った中で、「すべてをかっちり、きっちりやるのではなく、のびのびしたい」「今までの伝統やルールも大切だけど、そのことに縛られ過ぎず革命を起こしたい」「型にとらわれたくない」という意見がでました。寮にはたくさんのルールがあります。ルールは寮生活をより快適に、楽しくするための規則です。今まで受け継がれてた伝統や行事など寮にはすでにたくさんの“型”があります。みぎわ館ではその伝統やルールを大切にしつつ、みぎわ館45回生にしかできないことや、ルールの見直しや改善、新たにルールを作るなど、型にとらわれず新たに革命を起こしていきたいと思っています。ルールに縛られてあいさつや掃除をするのではなく、常識を持って、自分で判断をしていくこともとても大切なことだと思います。決められた型の中で生活するのではなく、自由にのびのびと生活でき、自由という言葉の意味をはき違えず、けじめをしっかりとつけ安心して暮らせる居心地の良い館にしていきたいと思っています。
 次にblueの意味についてお話します。今回テーマを決める以前から2年生ミーティングをする中で、「みぎわ館に色をつけるとしたら何色だろうか?」という話し合いがありました。理想の色や現実はこんな色だなど、それぞれが自分の思うみぎわ館の色を言いました。そんな中で「みぎわ館は茶色だ」という意見が出ました。絵の具は全色混ぜると茶色になります。みぎわにはいろいろな個性の人がいてそれぞれに色を持っています。その一人ひとりの色を合わせたら絵の具と同じで茶色になるからみぎわ館は茶色、というものでした。この意見を聞き、なるほどと納得させられた反面、なんだか地味だなと感じてしまう部分もありました。そんなとき「空みたいな館になりたい!」という言葉が出ました。空にはたくさんの天気や色があります。天気でいうと雨や晴れ、曇りや雪など。色でいうと青空、夕焼け、夜空など。また空の天気や色、雲の形は毎回同じように見えますが、実際はその瞬間しか見る事ができません。同じ青空はもう二度と見る事ができないのです。私たちの寮生活もそのことと似ているのではないでしょうか?ここで出会った仲間や寮で過ごす時間が、今当たり前になっているかもしれませんが、今この瞬間はもう二度と戻ってくることはありません。ですから毎日の寮生活を大切にしていこう、大空のようにいろいろな色や個性を出せる館にしていこうと考え、空の代表色であるblueにこのような意味を込めました。
 空と言っても10人いれば10通りの空があると思います。それぞれが思い描く空、すなわちみぎわ館で過ごす一人一人の存在を認め合い、型にとらわれ過ぎず革命を起こしていく、そんな館になれるよう、“Rhapsody in blue”というテーマのもと、かけがえのないこの一瞬一瞬を大切に過ごしていきたいと思います。

◆大望館ブロック長◆
「十人十色 大望館~Stay frank・Stay happy~」
S.K(大望館 2年 兵庫県西宮市)
 大望館のブロック長になりましたS.Kです。新しい大望館のテーマである「十人十色 大望館~Stay frank・ Stay happy~」には3つの言葉があり、それぞれに意味があります。
 最初に「十人十色」についてです。皆さんもご存じの通りその言葉の意味は「人にはそれぞれ個性がある」という意味です。大望館には様々な個性の人がいます。ラーメンを素手で食べる男?や廊下を大声で走り回る人などとても個性が強いです。そんな価値観の違う人たちと一緒に生活し、いろんな考え方に触れることで、寮に入る前とは少し違った自分に出会う事ができます。そうやって、個性を尊重しながら共に成長していこうという意味もこめてこの言葉をテーマに入れました。
 次に「Stay frank」についてです。「frank」の意味は「正直な」という意味があります。そこに、「stay」が加わって「正直なままでいよう」という意味になります。大望館では様々な問題が起こり、その度にミーティングが行われてきました。そういった場面で自分たちが正直になり本音を言わないと表面上は解決したとしても根本的には解決できません。だから、そういったことをなくしていこうと思い、この言葉を選びました。
 最後に「Stay happy」についてです。意味は「楽しいままでいよう」という意味になります。寮生活は堅苦しいだけじゃ全然おもしろくありません。「楽しさ」が必要です。楽しいと笑いが生まれ辛かったことも忘れられると思います。だから、この言葉を入れました。また、今の大望館は3年生がいるのでとても楽しいです。その3年生が抜けたときに45回生がどう盛り上げていくかが大切になります。それで、世代交代で中心となる45回生で自分たちらしい盛り上げ方を見つけていけたらなと思います。もしかしたら、ラーメンを素手で食べる男が中心となって盛り上げていってくれるかもしれません。
 以上の3つの言葉を中心によりよい大望館を作っていきたいと思います。

 

 
 
 
 < 修養会 >
「修養会」
I.H(めぐみ館 1年 神奈川県川崎市)
 今回、私たち46回生の1年次の修養会のテーマは「弱さを認め合う」という事でした。自分、そして友だちの弱さを認める事で強く優しくなれるということを、私たちは毎日の礼拝、修養会での1日1日の生活、また前橋教会の内田牧師の講演で学び、実感することができたと思います。さらに今回の私たちの修養会には「星野冨弘さんを知る」という事もとても大切なテーマとしてありました。星野冨弘さんについて少しご紹介します。星野さんは体育教師でした。しかしある日、実技をしていたところ、首を打ち、首から下が動かなくなってしまいました。星野さんも最初は絶望していたそうですが、口に筆をくわえて絵を描き詩を書き、希望は捨てませんでした。さて、普通ならば星野さんの状況は絶望から抜け出し希望を見つけることのできるものではありません。私は最初に星野さんのことを知った時、強くそう思いました。ですが、知っていくうちに分かったのです。キリスト教と出会い自分の内なる弱さを知り、受け止め、そして認め、本当の自分を見つけたからこそ星野さんは強く生きているという事を。修養会前、私たち46回生の大半の人はテーマを聞き、「何それ」「楽しめるのか」というような感情を抱いていたと思います。正直、私も修養会実行委員という立場でありながらも少し不安を感じていました。ですがその不安は、内田牧師のお話を聞き、星野さんの絵や詩のある冨弘美術館に行くと全く消えていました。私は敬和で本当の自分と出会い、自分と他人の弱さを認められるそんな46回生になっていきたいと心から思いました。46回生にはまだまだたくさんの課題があります。そのことも学年全体で乗り越えていこう、そう思える大切な修養会になりました。
 
「修養会」
H.K(大望館 2年 新潟県村上市)
  今回の2年生の修養会は3日間で70~80㎞をひたすら「歩く」修養会でした。私は運動部ではなく、スタート前までちゃんと歩けるかとても不安でした。足が豆だらけになったり筋肉痛になったりで歩けなくなるんじゃないかと思っていました。しかし、一緒に歩いている友だちと色んな話をしながら歩いていると意外とスムーズに歩くことができました。ただ、後半になってくると無言で黙々と歩く時間も増えてきましたが、そんな時は、友だちも頑張っているんだから自分も頑張ろうという気持ちになり歩くことができました。そんな感じで2日間は何とか歩ききりました。
 3日目は体も心もボロボロでした。特に足の激痛がひどかったです。指から血も出ていました。しかし、ここまで来たら歩き切りたいという思いの方が強くなってきて、3日目は根性で歩きました。おそらく自分一人では歩くことは絶対に出来ていなかったです。周りにいる友だちの存在があったからこそ歩くことができました。本当にキツイ修養会でしたが、なんだかんだで全部歩けたことに満足しています。あと、宿の温泉にも助けられました。

 
「漁師の嫁になりたくて」 
T.M(みぎわ館 3年 神奈川県川崎市) 
 “今年の修養会は被災地へ行きます。” LHRで知らされた時、私は当時の記憶を思い出しました。なぜなら私には当時の記憶が薄れていたからです。また、海外メディアで放送された当時の映像を見ました。津波で流されそうな人を助けた男性が犠牲になってしまう映像でした。忘れまいとしていた私自身が忘れていた。とても恥ずかしく、またどのような気持ちで被災地へ行けばよいのか迷いました。
 実際に現地へ入ると、そこには復興しようと工事がたくさん行われていました。しかし、ふと周りを見渡すと被害の様子がわかりました。森になっている木は津波の影響で曲線を描いていたり、川には倒れたままの電柱が残っていたり。映像で見た以外の生の現場で感じることは多かったです。そんな中、私は南三陸町を訪れました。漁師さんと一緒に漁業支援を行うためです。現地入りする前まで、当時の記憶を聞かない、へらへらしてはいけないと自分に言い聞かせていました。しかし、漁師さんは、私たち数時間だけのボランティアワーカーたちを温かく迎え入れ、たくさんのお話を聞かせてくださいました。ワークをしていく中で、漁師さんたちの「ひもの結び方」を伝授してくださったり、笑わせてもらいました。また、“漁師の嫁になりたい”と私が突拍子もないことを言った時、漁師さんは真剣にお婿さんを探してくれようともしました。ワークを終え私が帰ろうとしたときに引き留めてくださるほどでした。“また来てください。今度はおいしい海鮮を用意して待っています。”漁師さんのボスが言ってくださいました。そして私たちはまたここ、南三陸へ帰ってこようと、帰りのバスの中で話しました。
 被災された方の中には、当時を思い出したがらない方もいたようです。しかし、お話してくださる方は口をそろえて言いました。“今、地震が起きたら高いところへ逃げなさい。逃げ道を確認しなさい。油断はしないで。”と。地震よりも、津波によって亡くなられた方が多いからだそうです。
 私たちは物の復興に目を注ぎがちです。また、それは大事なことです。しかし、今私たちにできることは、経験された方の話を聞き、それを伝え、同じ被害に遭わないということです。考えるだけでは伝わらない、現地へ行くことでしかわからない。私にとって最後の修養会は、とてつもなく大きなものになりました。
 

< 被災支援労作 >
「被災支援労作に参加して」
 I.H (光風館 2年 新潟市西区)
 私にとって2回目となる被災支援労作に参加させていただきました。今回の支援労作は寮主催だったので、10人という少人数で労作をしました。支援労作の内容は、「チームレスキュー」という団体の引っ越しのお手伝いでした。内容だけ聞くとどこが支援労作なのだろうと思う方が多いと思います。
 「チームレスキュー」は、東日本大震災以降に結成された災害復旧・復興支援専門の災害ボランティアチームだそうです。学生ぐらいの方が多くいたので話を聞いて見ると、学生主体で活動しているチームなのだそうです。中には私たちと同じ高校生もいるそうです。NPOに認定されていて、大川小学校の警備を唯一任されているそうです。
 そんな「チームレスキュー」さんの支部の引っ越しの手伝いをさせていただきました。荷物を整理して車に積み込むグループと引っ越し先で荷物を車から降ろし、支部に運び込むグループに分かれて作業しました。私は荷物を車から降ろすグループでした。車が来ない間はやることが無いので、あたりを見回して震災のことを考えていました。津波に流され家の基礎だけ残っている光景がありました。大きな住宅街だったはずなのに、今では新築の家がポツポツとまばらに立っているだけです。震災にあった方々の助けになりたくてもどのようにして震災にあった方々の支援をすればよいのか、被災地に暮らしていない人にはわからないこともたくさんあります。そんな時には長く付き合ってきた支援団体に話を聞いたり、その団体の方と一緒に活動させてもらう。そんな方法もあるのだと私は知り、学びました。直接はできなくても、小さな事から支援は始まっていくのだと感じました。是非、多くの人にこれからの被災支援に参加してもらえたらなと思いました。



のぞみ寮新運営委員長会 2013.10~2014.9
 この10月より、各館の運営、ならびに「のぞみ寮」全体の運営を担ってきた3年生に代わり、2年生がその役を担うことになりました。各館で選出されたブロック長や各委員会の委員長で構成される「のぞみ寮」運営委員長会は、その1・2年生の代表組織です。

【のぞみ寮運営委員長会の目標】
   TIME
     Tear    ~時に泣き~ 
      Indignant ~時に腹を立てて~ 
       Merrily  ~時に楽しく~
        Encourage ~時には励まし合う~ 
 

【各委員会の目標】
礼拝委員会 Warm Time~明日の力へ~
生活規律委員会 聖く、正しく、美しく
  ~君と私の0チェック生活~
食事委員会  好ききらい×(ブー) もりもり食べよう! 
 毎日ごはんをありがとう。
整美委員会 寮磨きは自分磨き
  ~今日より明日へ、素敵な自分になる為に~
行事委員会 あなたの生活に潤いを
  ~少年少女であれ~
リサイクル委員会 ゴミ箱キレイに、心キレイに、未来キレイに
 
【各館の目標】
めぐみ館 :  I 愛 相~ぽかぽかGIRL’Sめぐみ~
光 風 館 : ○ ~つなげよう光風の輪~
みぎわ館 : Rhapsody in blue
大 望 館 : 十人十色 大望館~Stay frank・Stay happy~


< 寮務教師から一言 >
 ようやく過ごしやすい季節となり、今年度も残り半分となりました。寮では世代交代が行われ、新運営委員会の働きがいよいよ本格的になってきています。44回生の素晴らしいところを引き継ぎつつ、45回生らしい新しい風も吹かせてくれることを期待しています。
 1年生は寮生活・学校生活に慣れ、余裕のある表情も大分見られる様になりました。まだ先輩達の背中を見て追いかける日々が続きますが、44回生が約4ヶ月後に卒業し、さらにその1ヶ月後には後輩たちを迎え、今度は自分たちの背中を見せる番となります。敬和生としての自覚をしっかりと持ち、“先輩”になる準備をして欲しいと思います。
 のぞみ寮では自分自身と向き合う事、他人と向き合うことを大切にしています。それらに真剣に取り組むことで悩みや課題を抱えている生徒もたくさんいますが、その時間を大切にしお金では買えない財産を自分の中にコツコツと増やしていけることを願っています。
寮務教師 小黒 恵

2013年9月11日水曜日

のぞみ通信 No.193(2013年9月10日)

「信じて待つ」          
 寮長 信田 智
 
 「ある人が、どこかでボタンを掛け違い、嫁・姑の間に長年にわたる確執が生れてしまった。彼は息子の家族の名前を挙げ、その家庭に平和があり、自分たちとの間に和解の道が開かれるように日々祈り続けてきた。おそらく、良かれと思ってしていた配慮が、配慮ではなく、冷たい無関心のように伝わってしまったようです。
 しかし、4年前の夏休みに息子が子供を連れて遊びに来た。その後毎年夏休に来るようになり、始めの2年は2泊3日、昨年と今年は3泊4日の滞在になった。そして、今年は息子の連れ合いが梅ジュースと、しそジュースを作ってくれた。また、梅のエキスを醗酵させ天然酵母を抽出し、天然酵母のパンも焼いてくれた。
 さらに娘を送り出すに当たり、ジュースとパンに添えて「毎年夏休みに新潟から帰ってくる娘は、とても幸せそうな顔をして帰ってきます。今年もよろしくお願いします。」という内容の手紙をくれた。涙が出るほど嬉しかった。やがて顔と顔とを合せてまみえる日が来ることを信じ、楽しみに待っている」というのです。
 寮生も様々な重荷を抱えながら寮生活をしていることであろう。その中でいろいろな問題を投げかけてくる。その時は、彼らの成長を信じて待ち続けていきたいと思う。たとえ、親も子も諦めたとしても、私たちはあきらめずに信じて祈って待ってやりたい。寮の教師達は本当に忍耐強く、諦めずに関わり続けてくれている。それによって支えられてきた親も生徒もたくさんいる。
 私は寮生の顔写真を見ながら一人一人の名前をあげて、「彼らの霊性と健康と学びとが祝され、悪と誘惑、すべての災いから守られて、3年間の寮生活を全うする事が出来ますように」と祈っている。それでも3年間の寮生活を全うする事が出来なくて、様々な事情により途中で寮を去っていく子どもたちがいる。その親子と面談しながら、もったいないなぁ、なぜもう少し辛抱できないのだろうか、なぜ我々はこの困難を乗り越えることが出来なかったのだろうか、と残念な思いでたまらなくなってくる。
 今、目に見えている現実は、辛く苦しい先の見えない不安だけかも知れない。しかし、私達教師は、その先に広がっている「もう一つの現実」に目を注ぎ、それを生徒と共有する事が出来るようにしていきたい。それは、忍耐して待つことを通して生れてくる信頼関係の中から見えてくるものであろう。さらに、教師にも親にも本人にも見えていない、もっと豊かな、「神が生きて働いておられる現実」があることに目を注ぎ、神様の備えておられる恵みに与ることができるように、信じて祈って待つ者でありたい。
 「だから、自分の確信を捨ててはいけません。・・・神のみ心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。」(へブライ10:35-36)
 
 
 
 

寮生リレー通信  (第 106 回)

 
 

< 大望館 >
「海外教室」S.K(3年生:兵庫県西宮市) 海外教室では、カヤック、サンフランシスコ観光、カリフォルニア州にあるタホ湖でのクルージングなどいろいろなことを経験することができました。

 その中でも一番楽しかったのがレイクタホでの三日間です。一日目は、レイクタホをクルージングしました。この湖は、とても大きくて驚きました。深い部分は紺色で、浅くなるとエメラルドグリーンみたいな色で、思わず「きれい」と言ってしまうほどでした。
 二日目は、カヤックで友だちと競争したり、卓球やテニスなどスポーツをしました。二日目にビーチで見た夕暮れは今でも忘れられません。
最終日はバーベキューをして、肉をいっぱい食べてから帰りました。こうしてレイクタホでの三日間はあっという間に過ぎました。また、この海外教室ではホストファミリーのところへ泊まり、共に時間を過ごしました。その時間は今の自分にとってかけがえのないものになっています。私が大学生になったら、もう一度アメリカを訪れたいです。
 
 
< みぎわ館 >
 
「広島碑巡りの旅に参加して」 
N.M(3年生:兵庫県姫路市) 敬和での最後の夏休みに広島に行こうと決めたのは、卒業生の先輩からの電話がきっかけでした。正直最初は、小学校の修学旅行で一度広島に行き、戦争や平和についてたくさん学んだことがあったので、それで十分だと考えていました。しかし、その先輩に誘われたことがきっかけで広島に行くべきか考えるようになりました。もしからしたらこれをきっかけに、新しい発見や出会いがあるかもしれないし、この先、社会学を学びたいと思っている私にとって、これは見聞を広げるチャンスなのかもしれないと思うようになり、参加しようと決めました。
 実際に広島に行って私が感じたことは、小学生の時に広島を見て感じた時の気持ちよりも何倍も深く考えさせられたし、小学生の時から時間が経ち、成長した私がいるので、以前と今とでは感じることは全く違っていて当然でした。
 私が特に印象的だったことは、被爆者の方からお話を聞かせて頂いたことでした。こういう機会はこれから先、減っていくはずですし、直接聞ける機会などきっと人生で数回しかない、もしかしたら今回が最初で最後かもしれない、そう思ったら、今私はこの場でとても貴重なお話を聞かせて頂けているということに気付き、自然と被爆者の方のお話を真剣に聞くことができました。そして私は、実は原爆の恐ろしさ、戦争がどれほど恐ろしいものなのかということを知っているつもりでいたけれど、それは戦争を体験していない私にとって知っているつもりになっていたに過ぎない…ということに気が付かされました。原爆が広島にもたらしたものは、当時の街が壊されたり、多くの命が奪われただけでなく、この機会に話してくださっている被爆者の方が何十年経っても忘れることのできない恐ろしい記憶として、一生この悲惨な出来事と闘い続けていかなければいけない、とんでもなく恐ろしいものであるということを、被爆者の方のお話を聞いて教えられました。
 被爆者の方のお話以外にも、平和記念式典に参加したり、広島女学院の方に平和記念公園を案内してもらったり、原爆や戦争の恐ろしさを感じることができました。また、戦争をやっても何も良い事なんてない、恐怖や不幸ばかりなのだ、と改めて知らされました。これから先、証言者が減っていき、戦争を知らない子どもたちがもっと増えた時、今回広島に行って被爆者の方から直接お話を聞くことができた私が代わって伝えていきたい、伝えていかなければいけないと思います。
 最初は参加するつもりではなかったのですが、先輩が参加のきっかけを作ってくれたおかげで、広島で戦争の事も自分の事も周りの事も世界に生きる人たちの事など、様々な事を考える機会が与えられました。私はこの夏休みに、少し成長できた気がします。何でも経験することが大事だということに改めて気付かされました。これから先私の人生の中で、きっと辛い事・苦しい事に出会う時があるはずです。でも今回の経験を通して、すべてが恵み、すべてがチャンスだと思って何事にも逃げないように向き合っていきたいと思いました。
 ヒロシマで学んだ事をこれから先も忘れずに、残りの敬和生活を一日一日しっかり過ごしていこうと思います。
 
 
< 光風館 >
 
「2年生合宿」 
K.K(2年生:長野県長野市) 
 今回、僕たち光風館45回生の2年生合宿は、掃除、ボーリング、焼き肉、温泉という内容で行いました。とにかく、今回の2年生合宿を一言で言うなら「楽しかった」だと思います。2年生全員が楽しんでいたなぁと感じたし、自分もとても楽しみました。
 ボーリングでは、スコア1位を競い、生徒と先生の壮絶な戦いがあり、結局、先生がスコア1位を取ってしまい、景品の光風館ショップ300円券を生徒がもらうことはできませんでした。でも、僕自身久しぶりのボーリングでとても楽しく、最高でした。
 焼き肉では、仲の良い友だちと楽しく食事が出来て、たくさん笑いながらたくさん食べて、身も心も満足しました。
 温泉では、ゆっくりと体を休めることが出来、とても気持ちよかったです。
 2年生合宿がこんなに楽しくてよいのかと思ってしまいましたが、今回しかないと思い、心の底から楽しみまくりました。この合宿で、2年生の仲は深められた気がします。まだ1人も辞めていない光風館45回生なので、このメンバー全員で卒寮したいと思いました。
 この機会を与えてくれた、三浦先生、青栁先生に感謝です。
 
 
< めぐみ館 >
 
「敬和キャンプに行って」 
T.M(1年生:新潟県十日町市) 
 私は初めて敬和キャンプに参加しました。キャンプは佐渡に行ったので船に乗って行きました。私は佐渡に行くのは初めてでしたが、幼い頃に一回船に乗った事があるので敬和キャンプで二回目です。ですが、2・3才の頃だったのであまり覚えておらず、船に酔うことが心配でした。しかし、あまり揺れを感じなかったので、楽しく船に乗ることができました。
 佐渡教会で5泊6日のキャンプでした。2日目、3日目、4日目は午前中が自習時間、午後は教会の周りの草取りなどの作業をしました。草取りを始めて3日後にはすごくキレイになっていました。2メートルくらいの高さの草があってその向こう側の海が見えなかったものが見えるようになっていました。5日の午後は海に行き、ビーチバレーや海に入って遊びました。海は久しぶりだったので楽しかったです。ご飯は班ごとで協力して作りました。人が作ったのも自分で作ったのも、協力して作ると美味しいなと感じました。
 この敬和キャンプで人と協力することは大事だと強く思いました。来年も参加したいです。
 
 
 
 
 寮務教師から一言
 
 夏休みが明けて、太夫浜も少しずつ朝夕が涼しくなってきました。夕方も暗くなる時間が早くなり、もう秋が始まるのだなと感じています。
 秋と言えば、読書の秋、スポーツの秋、勉強の秋、食欲の秋、行楽の秋、芸術の秋などいろいろなことをするのに適した季節と言われます。後期が始まりましたが、是非のぞみ寮生には、寮の仲間と勉強はもちろん、みんなでスポーツをしたり、みんなでなにかを作って食べたり、みんなで楽しいことを企画して行ったり、寮でしかできないいろいろな経験をしてほしいと思います。私たち寮の教師ものぞみ寮生と一緒に秋を楽しみたいと思います。
光風館担任 三浦 啓

2013年8月29日木曜日

のぞみ通信 No.192(2013年8月22日)

一つの部分が苦しめば        
寮長 信田 智

 耐震改修工事もいよいよ追い込みに入ってきました。工事が初まってから寮の教師達は、昼間借家に避難して放課後寮に戻る生活をしていましたが、夏休みに入り、みぎわ館・大望館のライフラインが完全に遮断され、本格的な工事に入ったため、8月以降実家に帰れる教師は借家を引き払い実家に帰り、それが出来ない教師は引き続き借家住まいをしています。私は工事の責任もあるので借家を引き払い、めぐみ館のゲストルーム、めぐみの間に住まい工事を見ながら生活をしています。(めぐみの間には小黒先生が生活をされていますが、小黒先生が海外教室で留守をされるので、先生のお手を煩わせ、めぐみの間を空けていただきました。)
 私の日常は、現場と共に日常生活があり、日常生活の中に耐震改修工事があるといった感じです。その中で、細かい打ち合わせ確認事項は、工事の進捗状況に応じて随時行なわれていきます。耐震壁設置にかかる寮長宅は、和室の一室と風呂場・洗面所が解体され、見る影もありません。刈り間仕切りされた部屋も、窓は開けられず、家具はほこりと湿気で大変な状況です。生徒の居室の数部屋も全ての家具と壁が取り払われ、型枠が組まれコンクリートが打設されました。館内も工事現場そのものです。
 8月になっても梅雨が明けず、連日降ってはやみ、降ってはやみの天候で、外壁のコンクリートがなかなか乾かず、塗装が出来ないで困っている様子です。現場の所長さんによると、どこの現場も人手不足と雨に悩まされているとのことです。(長雨のために、グラウンド・テニスコートの補修も大幅に遅れ、クラブの練習にも支障が出ています。)
 それにしても、居室の間仕切り一枚を耐震壁にするには、その部屋の壁はもちろん、家具・床・天井・窓枠・上下水道・電気・ガス全ての配管配線のみならず、隣の部屋・居住者の生活全てに関わってくるのです。まさに寮生活そのものを耐震改修工事の中に見ている思いです。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ。」(コリントⅠ12:26)一人の寮生の痛み苦しみは、我々みんなの痛みであり苦しみです。また一人の寮生の誉は、我々みんなの喜びであり誇りです。全てがそう言う繋がりの中にあることを改めて感じています。
 工事関係者は、埃と蒸し暑さと戦いながら休日返上で、寮生の帰寮日までに、館内は何とか生活できる環境を整えるように奮闘してくれています。帰寮後も外部の工事は継続して行われ、工事がすべて完了するのは10月にかかる見込みです。
 夏休み直前の閉寮礼拝で、痛み苦しみを抱えつつ、確実に成長してきた一人一人、地元に戻り「良き知らせを伝える者となるように」と励まして送り出しました。夏休の最後、ご家庭でたっぷりとエネルギーを注入していただき、また元気に寮へ送り出して下さい。夏休みを経て、一人一人が逞しく成長して戻ってくるのを楽しみに待っています。




『残暑お見舞い申し上げます』

 残暑見舞い申し上げます。
 今年は静かな大望館ではなく、工事でにぎやかな大望館となりました。耐震工事もかなり進んでいます。リニューアルした大望館に期待を寄せて、元気に帰って来てください。帰って来ても暑い日は続きますが、みんなで暑さを吹き飛ばそう!!
 暇で仕方ないので、早く帰って来てください。
のぞみ寮主任 澤野 恩



 残暑お見舞い申し上げます!
 みなさん、暑い夏を思いっきり楽しんでいるでしょうか?
 夏休みは、しっかりと休むこと、でも休み過ぎないこと!メリハリのある生活をすること、夏を楽しむことを全力でしてほしいと思います。しっかりと新学期へのエネルギーを充電して、一回りも、二回りも成長して光風館に帰ってきてほしいと思います。
帰寮日に光風館の45名みんなで揃って新学期をスタートしたいなぁと思っています。みんなが元気に(お土産を持って)帰寮するのを楽しみに待っています♪
光風館担任 三浦 啓



 残暑お見舞い申し上げます。
 暑いですね。みんなそれぞれの夏を満喫していますか?暑さに負けている人はいませんか?坊主の多い体育会系(?)の大望生に夏バテは許されません!しっかり食べて、寝て、遊んで、勉強して、暑さに負けずに充実した休みを送ってください。
 後期は新しい大望館がみんなを待っています。みんなも負けじと成長した姿で帰って来るのを楽しみにしています。もちろんみんなのいろんな思い出話も聞かせてくださいね。
大望館担任 堀越 俊継



 残暑お見舞い申し上げます
 夏です。夏バテでおなじみの夏です。暑さのあまり、食欲は削ぎ落ち、行動意欲は引き裂かれ、ダラダラうだうだしてしまう。そんな毎日を繰り返す夏はごめんなのです。
 ごめんと云えど、容赦を知らぬ、それが夏。油断をすればあっという間に夏の餌食となるでしょう。ダラダラうだうだしない為にも、熱さで暑さを吹き飛ばしましょう。ぜひ何かに「熱く」打ち込む夏休みにしてください。熱くても、暑苦しくならぬよう。そしてしっかり食べること。そうして夏を制してください。
男子寮担任 青栁 希望



残暑お見舞い申し上げます。
 慌ただしい閉寮から早1ヶ月が経ちます。今年は耐震工事に伴い、寮開放もないままあっという間の寮生たちとのしばしのお別れとなり、何だか寂しい今日この頃です。でも、いつもよりお家で過ごす時間が多い分、しっかり甘え、充電し、後期へのエネルギーをたっぷり蓄えて帰って来てくれるのだろうなぁ、と想像すると帰寮した時のみんなの満たされた笑顔を見るのが楽しみでなりません。
 後期のスタートを全員がそろって迎えられるように、またたくさん食べて、笑って、語って、遊んで…元気いっぱいに後期も共に歩んで行けることを願いつつ、みんなの帰寮を待っています☆
みぎわ館担任 森口 みちこ



 残暑お見舞い申し上げます。
 どのような夏を送っているでしょうか?猛暑と思ったら、急に涼しい日が来たりと変化に体が追い付かずに体がダルいな~と感じたり、食べ物に偏りが出たり、ついついダラダラと過ごしてしまいがちな人もいるかもしれません。
 けれど、折角の長い長い夏休みです!家族との時間はもちろん、レジャーや趣味やバイトなどなど、少しでも自分の興味がある方向にどんどん飛び込んで行ってみて下さい。そして、たくさんの素敵な出会いや発見をして来てもらえたら嬉しいなと思います。みなさんにとってSense of Wonderであふれる夏になりますように!みんなの帰寮を心待ちにしていますよー!
 めぐみ館担任 会田 咲



 残暑お見舞い申し上げます!
 例年に増して暑い夏、皆様お元気にお過ごしでしょうか。
 今年度は、2館の寮務教師としてお子様たちに関わらせて頂いております。めぐみ館、みぎわ館共々、女子力を高めるべく、様々な努力がなされてきました。前期には様々なドラマが展開していました。ご自宅での様子はいかがでしょうか。
 自宅へ戻られたお子様の、この夏休み中における、様々な事柄・人との出会いの全てが大きな心の成長に繋がりますように!夏休みを最後の最後まで有意義にしっかり楽しんで、25日(日)に、のぞみ寮生全員が元気な顔で揃えることを楽しみにしています!
 女子寮担任 榎本 かな





寮務教師から一言

 前期終了日から、本格的に寮の耐震改修工事(大望館、みぎわ館)が行われました。そのため、寮の方は一斉に閉寮と相成り、部活で残る残泊者は、冷房の効いた学校の教室で合宿を行いました。大望館、みぎわ館に住んでいる寮務教師たちも近くのアパートに引っ越し、夏の間だけではありますが通勤しました。後期には、外装も綺麗になった2館が新学期を迎えてくれます。お近くに来られる事がありましたら、是非お立ち寄りくださいませ。また、続きまして光風とめぐみ館の耐震改修工事が来年の夏に予定されています。日頃よりのお支えに増して、このようなご不便に付きましてのご協力に感謝申し上げますと共に、後期からも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
女子寮担任 榎本 かな

2013年7月3日水曜日

のぞみ通信 No.191(2013年6月16日)

耐震改修
寮長 信田 智

 私が敬和に赴任した頃は、校舎も未完成のままで、壁から鉄筋が伸びていて、今の1階正面玄関から尾瀬・白馬教室の部分が4階までなかった。その後今の校舎が完成し、寮も、みぎわ館(開校当初は1階が管理棟、2階が教室、3・4階が男女の宿舎であった)だけでしたが、めぐみ館・大望館・光風館が建ち、やがて創立25周年記念に創生館、創立30周年記念事業として、グラウンド、チャペル等の教育施設が整えられてきた。
 私が敬和の建築に関わるようになったのは、創立25周年記念の創生館建設からでした。大学で建設工学科土木工学を専攻して来たこともあり、創立30周年記念事業は、3代目榎本校長のもと、10数億円に上る事業の実行委員長として働かせていただき、貴重な経験をさせてもらった。4代目小西校長のもと、40周年記念に友愛館の建設、そして創立50周年記念に向けて、寮・体育館・校舎の耐震改修に関わらせていただくことになった。
 今年度は大望館とみぎわ館の耐震改修工事が行なわれる。新築工事には、何もないところから、新たな建物が誕生して来るワクワク感があるが、耐震改修工事には、装いを新たにする喜びと同時に、痛みを伴う切なさがある。基礎工事のために樹木を伐採し、地中に埋設されている配管を掘り起こし電気・ガス・水道等ライフラインを切り替えなければならない。
 みぎわ館は、旧のぞみホールと廊下で繋がっていたが、その中央に旧のぞみ寮本部があった。また、32年前に起きた寮の火災後に急きょ取り付けられた、みぎわ館のベランダも全て撤去され、みぎわ館と旧のぞみ寮ホールの間は更地になってしまった。また大望館も、正面の生徒玄関が取り壊され、教師住宅の玄関も封鎖され、ひさしが撤去され、玄関は大望館ホールの脇に、ホールの一部を使い臨時に仮設された。それらの過程を見ていると、今回の耐震工事がいかに大掛かりなものであるかを実感させられている。
 耐震壁の設置のためには、みぎわ館の部屋の間仕切り壁をも壊し、新たにコンクリートの耐震壁を作らなければならない。その工事にかかる生徒の部屋、教師の部屋は、夏休に入ると全ての荷物を移動しなければならない。大望館ではベランダの手すりを撤去し、その部分をコンクリートの耐震壁に補強する。・・・実に地味な、しんどい作業となる。更にそこに住む寮生、寮務教師とその家族へ大きな負担がかかる。何よりも学園の経済的(10数億円にのぼる)負担は大きい。
 それでも耐震補強工事は、生徒の命を守るための最優先課題として、小西校長が取り組みの決断をされた。それを単に耐震補強だけに終わらせず、少しでも生徒の生活環境を改善するために、トイレ、玄関、外壁等の改修を行う。伐採された開校記念の桜の木は、幹と根を保存し、何らかの形で残していきたい。また工事が終了した後は、新たな植樹をして校内の緑化に努めなければならない。
 改修は、その本質を残しつつ新たにしていく作業である。卒業生が戻ってきた時、装いは新たになっても、敬和の持っている雰囲気と空気は失われないようにしていきたい。



寮生リレー通信  (第 97 回)

< 光風館 > 
「フェスティバルを通して」
3年K.M ( 岡山県 岡山市出身)

 僕は、2013年の44回生がチーフを務めるフェスティバルで、雲仙連合の競技部門チーフと、テナーパートリーダーの役目を担い、いろいろなことを学びました。
 僕たちが入学した年は、東日本大震災のあった年です。その年は、各地で祝い事や祭りなどが自粛されているのに、フェスティバルを行って良いのか、という所からフェスティバルの活動が始まりました。結果、「つながる」をテーマに、被災された方々へ元気・活力を届けるフェスティバルとなりました。僕たちは、フェスティバルを行う意味や意義を理解しています。ただのお祭り騒ぎや思い出作りでないことをわかっています。
 そんな44回生、雲仙連合では、クラス内で目標を決めました。人の良い所、苦手な所を知って、カバーし合うこと、感謝すること、その他いろいろ出し合いました。いざ、連合活動が始まると、思っていたよりうまくいかず、各部門チーフは減点と期限に追われる日々でした。自分は衣装とパネルに顔を出しましたが、図案と現実の食い違いや、強い日差しの中の活動を体験して、他部門のチーフの苦労を知りました。これら事前準備で学んだことは、大人になっても役立つと思います。
 フェスティバル当日、その日までの努力が積み重なって、雲仙連合は総合2位を取ることができました。また、僕が努めるテナーパートがパート賞を取れたり、いろいろな感動がありました。
 校長先生からもメリハリのある素晴らしい行事になったという言葉を頂きました。フェスティバルの目的を理解し、心を一つにできた44回生だったからこそのフェスティバルだったと思います。敬和で良い経験ができて本当に良かったです。



みぎわ館 
「部屋と、パネルと、私」
3年A.Y (新潟市西蒲区出身)

 私は今回のフェスティバルで、蔵王連合のパネルチーフという大役を担わせて頂きました。何故私がパネルチーフに立候補したのか。それは、パネルチーフという役割に1年生の時から憧れを抱き続けてきたからです。そのきっかけは、私がみぎわ館に入寮した当時の部屋の3年生だったYさんがパネルチーフをされていて、私は2ヶ月もの間パネルチーフとして奮闘されるYさんのそばで過ごさせてもらっていました。何度もやり直し、涙し、大変な思いをされていましたが、パネル部門で1位を受賞され、輝いた笑顔で帰って来られたYさんを見続けていました。その時から、私もパネルチーフになりたい!と思い始めていました。
 しかし、いよいよ私たちの代のチーフ決めが行われようとしていた時、憧れだけで大役が全うできるのか…という不安が大きく、立候補するかどうか相当悩みました。しかし、私は絵を描くことが大好きですし、何より「挑戦してみたい!」という思いが強く、その不安を押しのけ、立候補することを決意する事が出来ました。
 しかし、それからの2ヶ月間は想像以上に物事が何もかもうまく進まず、落ち込んでばかりでした。そんな私を周りのみんなは支えてくれていました。私が出来ない箇所をいつでもどこでもフォローしてくれていました。だから私はどんなに落ち込んでも、泣きながらでも、パネル制作を投げ出すことなく、前向きに取り組むことが出来ました。
 私は今回この役を担った事で、どんな状況にあっても私は一人ではないのだ、ということを改めて実感する事が出来ました。落ち込んでいた時に寄り添い励ましてくれた友だち。電話で遠くからでも支えようとしてくれた家族。応援して下さった先生たち。下絵書きから完成するまでの全ての工程に携わり、一緒に頑張ってくれたパネル部門のみんなの支えがあったからこそ、やり遂げることが出来、今こんなにも充実感を感じ、満たされているのだと思います。そして、4位を受賞する事が出来ました。順位以上にステキで大切な事に気付け、いろんなことに出会えた最後のフェスティバルとなりました。
 これから、ここで感じたたくさんの喜びや経験を糧に、敬和生活・寮生活を大切に過ごしていきたいと思います。   





大望館
「フェスティバルを振り返って」
3年S.K (新潟県長岡市出身)

 高校生活最後のフェスティバル。いろいろと書きたいことはあるのですが、詳しくは学校で配られる敬和新聞に書いてしまったのでそちらをご覧ください。
 その感想文に当日のことだけ書いてなかったのでそのことを書きます。人生初、あんなに声がかれました。一日目の時点で既に限界がきていましたが、のど飴を大量に舐めることにより、二日目もなんとか声を出すことができました。フェスの次の日は声が出なくて、一生声がでないのではないか?と思いましたが、やはりのど飴を大量に舐めて、その翌日はしゃべれるようになってとても安心しました。富士連合が優勝できたのは少なからずのど飴のおかげというものがあると思います。皆さんものどが痛いとき、声が出ないとき、飴を舐めたいとき、ガムを噛みたいけどガムを持っていなかったとき、ぜひのど飴を舐めてみて下さい。きっと突破口が見えてくるはずです。



 
 めぐみ館
「フェスティバルを通して学んだこと」
3年A.W (大阪府東大阪市出身)

 先日行われたフェスティバルで、私は合唱チーフをさせてもらいました。合唱チーフは、主に練習をしきったり、まとめたりするのが役目です。
 チーフになり、私は自分のクラスに問題があることに気がつきました。それは、ピアノを弾くことのできる人がすくない、ということでした。しかし、ぐずぐずと文句も言ってはいられず始まった合唱練習。ピアノ弾ける人がすくないということ以外にもたくさんの問題がありました。そんな中ある日うちのクラスはミーティングをひらきました。そこで、各チーフが、今各部門で抱えている悩み、不満、苛立ちをクラスの子に言いました。私はこれで、解決する!と思っていました。寮や部活でしかミーティングをしたことがなかった私は、誠意をもってみんなが参加するものだと勝手に思っていたのです。しかし、それは寮内のことであって学校では違いました。はなから聞く気のない人、聞くふりしている人、寝ている人、聞いてくれる人。そして、どれだけ、寮がミーティングをするにあたってよい環境かを改めて知りました。
 クラスでのミーティング後、変わらない態度にいらだった時も多々あります。しかし、ある子に諭されて気がつきました。私は周りに要求ばかりして、自分はなにも変わろうとしていなかった、と。何か変ってみようと、とにかく元気に明るく、そうしているうちに何となく雰囲気がよくなり、練習事態も良くなっていったように感じました。私はようやくそこで、自分が変わらないと、周りなんてもっと変わらないということに気が付けました。初めてぶつかった、クラスの子たち。毎日毎日合唱のことだけを考えていた2ヵ月間。1,2年が真剣にやってくれることの嬉しさ、そして、3年がやってくれない悔しさと情けなさ。たくさんの感情が入り混じった、今回のフェスティバルは楽しくはなかったけど、すごく実りのあるものだったと思います。
 合唱の結果は良いものではなかったけど、それまでの過程で得たものを大切に、そして活用してこれからを過ごしていきたいです。




「フェスティバル本部」
3年S.N (新潟県村上市出身)

 突然ですが本部と聞いて何が思い浮かぶでしょうか?生徒にとっては減点、生徒以外の人から見れば見守る役などに見えると思います。私も入る前までは本部といえば減点しつつ見守っている役なのかと考えていましたがまったく違うものでした。今年度のフェスティバルはどんなものにしていくか、から始まり、それぞれの役職の人への説明、プリントの配布、練習日時決定、道具の準備・・・・初めて本部に入った私の感想としては、背中を突き飛ばされるかのように1日1日が過ぎて行っているように感じました。ですが本番直前になってから徐々に増えていくミーティングの回数、積もるみんなのイライラ、先生との意見の食い違いなどに挟まれ、それまであんなに早く過ぎて行った時間が1分でも待てなくなってしまうほどに息づまってしまうこともありました。本部って大変だなと思うかも知れませんがそんな本部に入ったからこそ、信頼関係や自分の限界、みんなで支えあうということがどんなに大切かを知ることができました。私はそんな本部に入れて本当によかったと思っています。






< のぞみ寮物産展へのご献品感謝 >
寮長 信田 智
昨年からPTA・同窓会のバザーがなくなり、ゆかり会と、のぞみ寮だけに縮小され、外にテントを張り、露店での販売となりました。そのような中でも、多くの保護者の方々から沢山のご献品を頂き、にぎやかに物産展を催すことが出来まして感謝いたします。ご献品くださったうえに、送料までご負担いただき、まことに有難うございました。
 フェスティバル2日目。物産展の会場は、グラウンドへの通り道で、多くの保護者の方々、卒業生、オープンスクールに来てくれた中学生達と触れ合う事の出来る、恵みの場となりました。おかげさまで売上の方も順調に伸び、約21万円にもなりました。今年は、みぎわ館、大望館の耐震工事の為に用いさせていただきます。重ねて御礼申し上げます。






< 教育実習生の言葉 寮全体礼拝 2013年6月2日 >

敬和学園40回生卒 K.S

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」 
(ローマの信徒への手紙12章15節)

 敬和学園は、ひとつの身体である。施設配置を考えると、お腹を満たす友愛館、心を癒す保健室、頭に知識を得る図書室、手を使う美術室、反対側に労作教室。となると、のぞみ寮は敬和学園の足である。
 以前、授業で洗足(イエスが弟子の足を洗った)物語をした。それまで、弟子たちは「自分と師イエスには絶対的な上下関係にある。だから、師イエスと僕たちは隣りにいて近い距離だけど、遠い存在なのだ」と思っていた。だが、イエスは弟子の足に触れ洗う、というとても身近な行為をした。足は汚く、あまり良くないイメージである。その足を洗うイエスの姿は、「上下関係」ではなく「愛と信頼関係」に溢れている、という内容であった。
 足の「あまり良くない」イメージは「恥ずかしい、あまり見られたくない部分」とも言い換えることができる。のぞみ寮は、敬和の足と言った。決してのぞみ寮があまり良くない、と言っているわけではない。だが、のぞみ寮は「恥ずかしくて、あまり見られたくない部分まで見られてしまう場所」。全国から集まった赤の他人が、24時間共同生活をしている。楽しいこと嬉しいことがあると同時に、気に入らないことがある。でも、そんなモヤモヤが言えない・・・という気持ちを抱いている人もいるはずだ。
 私も「几帳面すぎる」という恥ずかしくて、見られたくない部分があった。だが、それを我慢すると、次は自分が辛くなった。イライラしたし、なぜか相手が嫌いになった。さすがに限界・・・と思い伝えると、返ってきたのは一言だけ。「そんなん、早く言ってくれたらよかったのに」。仲間は受け入れてくれる、と知った。
 私は、学校が「教育」ならば、のぞみ寮は「叫育」だと考える。気持ちを伝えなくては、生活出来ない。自分の見られたくない部分を見られてしまう関係は、気付けば強く固いものになっている。喜ぶ人と共に喜べる、泣く人と共に泣けることを大切にしてほしい。それはイエスが教えてくれた「愛と信頼関係」であるから。

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」
(詩編133編1節)


 

< 寮務教師から一言 >

 今年度のフェスティバルも無事に終えることができました。多くの悩みや困難を乗り越えたことで、充実感にあふれた顔をみることができました。この経験からまた一つ成長することができたのではないでしょうか。
 今年初めての部屋替えが行われました。3年生は気持ちを切り替え、自分の進路と向き合って欲しいです。1,2年生は夏休み前の大事なテストに向けて、学習体制を整えて欲しいと願っています。7月末には保護者を対象とした個人懇談が寮でも行われます。遠方の方やご都合が合わない方は、電話での懇談も受け付けますので、ご都合のよろしい日時をお知らせください。
堀越 俊継(大望館担任)

2013年5月20日月曜日

のぞみ通信 No.190(2013年5月19日)

苦難の先に母の日が       
寮長 信田 智

 私の妻は、第二子の出産にあたり、妊娠中毒症のような症状が出て、危険妊婦と言う事で数週間入院をする事になり、私たちは不安を抱えながら出産の時を迎えた。体重は、2500グラムの小さな赤ん坊であったが、健康な体で生れてきてくれたことを感謝した。しかし、その時には分からなかったのだが、妻の体は妊娠中毒症とは別な病気に侵されていたようであった。
 その後、長男が3歳、次男は生れて3ヶ月で、岡山から東京の出身教会に後継者として招かれ、そこに骨を埋めるつもりであった。妻は東京に移ってからも体調が優れない中で、原因がわからないまま無理をして頑張っていたようである。大きな病院で、腎臓の検査、肝臓の検査等を受けても原因がわからないうちに、わずか2年で出身教会を離れ、5歳と3歳になった二人の息子を連れて、敬和学園に赴任することになった。
 新潟に来た最初の年、敬和から4キロほど離れた松浜に住んでいた。ある時、妻が腹痛を訴えて近くの町医者に診ていただいた。すると、腹痛とは別に、もしかしたら大変な病気かも知れないから、大きな病院で診てもらうようにと言われた。東京の大病院で見抜けなかった病気を、校医の村山先生が発見してくださり、東中通教会におられた、小出医師、塩崎医師のお計らいで、県立ガンセンターで治療の道が開かれた。
 誰も身寄りのない初めての土地で、半年も経たないうちに、命に関わる事だからすぐ入院するようにと言われ夫婦で祈り、「神を愛する者たちには、すべてのこと相働きて益となる。」(ローマ8:28)この約束を信じて翌日入院をした。それから6ヶ月入院生活が続いたが、子供達は岡山にある妻の実家で3ヶ月、その後新潟に戻って、同僚であった鈴木先生のご家庭で3ヶ月お世話になった。朝、子供達を幼稚園に送り出して出勤し、幼稚園から帰ってきた子供達を同僚のご家庭で預かっていただき、仕事を終えて同僚宅に寄り子供を引き取り、食事と風呂をすませ、休みまた朝を迎える生活であった。
 妻が退院してすぐ、太田校長から、宗教主任として構内に住んで寮生の生活を側面から支えて欲しいと言われ、校内に移住する事になった。以来35年間校内に住み、寮長が退職し次の寮長を迎えるまで、昼間宗教主任としてフルに学校で働き、夜は寮長として寮の責任を2回にわたり3年間負った事もある。
 妻は、当時体調も優れず入退院を繰り返していたので、子供たちが成人するまでは何とか見届けたいと願いながら生活していた。難病ゆえに今も完治はしていないが、当時を知る方達からは驚かれるほど元気になり、日常生活が送られるようになった。また、二人の息子とも結婚をし、孫も与えられ、母の日にはプレゼントを贈って来てくれる。このような母の日を迎えることが出来るまでに守られ、導かれてきた年月を振り返り、深く感謝をしながら過ごした母の日であった。




< 寮生リレー通信  (第 104 回) >



 めぐみ館  
「寮遠足に参加して」
A.K(北海道河西郡出身:1年生)
 長いゴールデンウィークの真ん中で、私たちは長岡の「おぐに森林公園」に行きました。焼きそばを作ったり、遊んだり、そして帰りには温泉に行ってきました。行く前はバスツアーと聞いていたので、どこに行くのかもわからず、しかも当日はバスではなく、先生方の車でした。もはやバスツアーじゃないっっ!むしろ大家族でキャンプをしている感じでした。焼きそばをみんなで作り、食べて、それから温泉に入ってアイスをおごってもらいました。せっかくだからと言ってハーゲンダッツを食べている子もいました。そして、また先生の車で帰って来ました。
 私は、ゴールデンウィーク中、家に帰りたかったのですが、でも残った子たちでイベントが出来て良かったです。バスツアーにバーベキューにとても楽しかったです。あっという間に時間は過ぎました。他の館の子たちと仲良くできたり、楽しい時間を過ごせました。バスツアーでは、とてもいい思い出がたくさんできました。今回バスツアーに参加できてよかったです。これからの寮のイベントも積極的に参加出来たらいいです。そして、寮での思い出もたくさん作っていきたいです。






光風館
「試行錯誤の寮祭」
Y.M(新潟県村上市出身:2年生)
 ちょうど1年前、僕たち45回生(現2年生)がこののぞみ寮に入寮して初めて、みんなで力を合わせて行った行事が「のぞみ寮寮祭」でした。この「寮祭」がきっかけで45回生の横の繋がり、そして「寮祭」の指導をしてくれた44回生(現3年生)との縦の繋がりが深まったと思います。
 そんな「寮祭」から早1年が過ぎ、今度は僕たち45回生が新しく入寮してきた46回生(新1年生)の指導をするという立場になりました。
 最初、何をするのか決めるにも46回生はまだ入寮したてで、あまり一人一人の人柄、個性がわからなかったので、「46回生に合った出し物ってなんだろう」と皆でひたすら考えていきました。そんな中、最初にアイディアとして出たのが、映画『アベンジャーズ』を光風館風にしようというものでした。しかし、この案にはいくつも欠点があったため、没になってしまいました。その後も、皆でいろいろ話し合ったり、案を出したりしたのですが、なかなかいい案が出なくて行き詰まってしまいました。そんな時、思い出したのが、僕たち45回生の「寮祭」でした。僕たちがやった出し物が「白雪姫」だったので、「今年も童話かおとぎ話でいってみよう」という軽い気持ちで方針をおとぎ話にしました。そこで、どんなおとぎ話にするかと考えた時、思いついたのが「桃太郎」でした。これなら、観に来る人皆に分かりやすいのではないかと思い、話し合いをして「桃太郎」をすることに決めました。
 練習を始めた当初は、グダグダで「大丈夫かな?」と思う場面がいくつもありましたが、皆で臨機応変に対応したので、なんとか乗り越えることが出来て、乗り越えたことによって、僕たち45回生(2年生)と46回生(新1年生)の繋がりが深まり、試行錯誤を繰り返した「寮祭」を成功させることができました。
 これからの寮生活も、仲間、先輩、後輩と工夫しながら縦と横の絆を深め、楽しい寮をつくっていきたいと思います。








  みぎわ館 
「かんた役をやりました!」
K.A(新潟県長岡市出身:1年生)
 私は寮祭で、「となりのトトロ」に出てくる「かんた」の役をやりました。最初、2年生の先輩方が書きあげてくださった台本を受け取り、配役を見た時には「え!?かんた?かんたって、あのかんた?だよね!?私が!?」と心の中でとても戸惑っていました。
 しかし、いざ練習を始めてみると、その「かんた」役は私にピッタリはまっているような感覚がありました。不思議でした。そして、それを見抜いてか、私を「かんた」役にと考えてくださった先輩方を改めてすごいと思わされました。
 練習では、先輩方から多くの改善点を教えてもらいました。声を変に作ってしまわない事、一つ一つの仕草をしっかりすること、正面を向いて発声することなど、様々なポイントを教えて頂き、どんどん良くなり、より一層ぴったり「かんた」にはまっていきました。
 改善点をクリアしていく中で、私自身が一番難しかったのは「声を変に作ってしまわない事」でした。初めの頃の声は、緊張でか、のどを押し潰した声しか出て来ませんでした。「おなかの底から声を出してごらん!」と教えられた私は、おなかの底から出すことを意識するようになりました。すると、今まで出していた声の2倍以上もの大きな声が出るようになりました。私は「やった!普通の声が出た!」と嬉しくなり、その声をキープできるようにがんばりましたし、その声が出るようになると、楽しかった練習も、もっともっと楽しくなりました。
 そして当日、私は練習で出るようになった声が出なくなってしまったらどうしよう…と心配で仕方ありませんでした。本番、出番が来て、練習の時よりも「かんた」らしい声が出ました。その瞬間、緊張が一気に解けました。そして、何よりも楽しい気持ちが溢れてきました。
 劇もダンスも終わってしまった時は、「もっとやりたかった!」と思えたほどでした。私は寮祭で舞台に立てた事、「かんた」をやりきった事、とっても嬉しかったです。この日の事、この充実感は忘れられません。敬和学園に来て、のぞみ寮に入寮したこと、本当によかったと思います。なぜなら、ここで起こることは何でも、私の人生で一度っきりの事ばかり、ここに来なければ知ることも出来なかったことばかりだからです。これからの寮生活、敬和生活も大事にして行こうと思います。









  大望館  
「全校労作を終えて」
Y.T(新潟市西蒲区出身:3年生)
 僕は、今回全校労作で東区にある「ほがらか福祉園」におじゃまさせてもらいました。
 ほがらか福祉園は、障害福祉サービス事業所生活介護・就労継続というくくりにあるみたいで、去年修養会で行った施設と似たような作業をさせてもらいました。
 実際の作業は、筒に入っている割り箸を取り出して、別々にするというものでした。
 この作業は、ほんとに単純で正直2時間も集中力がもちませんでした。それでも僕の横などで作業してる方たちは、全然疲れたような顔をせず、いつものことのよう淡々と作業をこなしていました。もう20年とか通っている人もいるみたいで驚きました。
 福祉の仕事は、近年人気があるとかよく聞きますが、それは一部の人気な職種だけでこうゆう施設は、なかなか人手不足なのが現状のようです。そしてなにより、物などをつくる仕事と違って、人が人につく仕事なので、人が不足するのはしかたがないのかなという気もします。これから少しでもこんな仕事を志す人が増えていくといいなと、労作を終えて思いました。







《バザー献品のお願い》
 「のぞみ通信」4月号でもお願いさせていただきましたが、今年度も「のぞみ寮コーナー」におきまして、保護者の皆様のご協力のもと、年々大評判になっております全国物産店を開きたいと計画しております。つきましては、寮生保護者の皆様に献品のご協力をいただきたく、重ねてお願い申し上げます。詳細は下記の通りですので、くれぐれも無理のない範囲でご協力をいただければ幸いです。

日 時 : 2013年6月8日(土)フェスティヴァル2日目9:00 開始
品 物 : 全国各地の名産品(食料)、その他  
場 所 : 敬和学園内 校舎裏側テント 

・アルコール類は取り扱わないことにしております。
・賞味期限をお考えの上、お送りください。
 また当日直接会場へご持参くださっても結構ですが、準備の都合もありますので、前もって御用意いただけたら幸いです。
・誠に勝手ながら、お品代・送料も含めて、ご負担頂きますようにお願い致します。
「値段付け」の目安に、価格をぜひお知らせ下さい。なお、ご希望の売値価格がございましたらお書き添えください。また、品名やアピール文なども添えていただけますと、大変助かります
* ちなみに昨年は28万円もの収益があり、友愛館の建築資金返済に充てさせていただきました。今年はのぞみ寮耐震改修工事のために用いさせていただきます。
* 宛先は、以下のようにお願いいたします
950-3112
新潟市北区大夫浜325敬和学園高等学校 
 のぞみ寮本部 寮バザー用品
   025-259-2390




寮務教師から一言
 テストも終わり、キャンパス内がフェスティヴァルに向けてにぎやかになってきました。あっちでは絵具まみれになってパネルづくりに精を出す人たち、こっちではダンスを一生懸命に踊る人たち、忙しそうに走り回っているのはフェスティヴァル本部の人たち…。寮内でも、衣装に競技に合唱に演劇に…と様々な分野にかかわる寮生たちが時に難しい顔をして、時に仲間と笑い合い、時にとってもひらめいた顔をして毎日を送っています。
 一つの事に向かってみんなで協力して創り上げて行こうと努める姿は、とってもカッコいいなぁと思わされます。泣きながらも担った役割を全うしようと努力する姿には心打たれます。自分の事でいっぱいいっぱいのはずなのに、頭を抱える仲間をサポートしようとする動きを見ると、共に歩む事の意味を教えられます。悔いの無いように、心の底から楽しめるように、本当の意味で楽しいって何なのかを知る大きな機会としてほしいなぁと思います。
 フェスティヴァルが終わった時、また一つ大きくなっているであろうのぞみ寮生たちの姿を、今から楽しみにしつつ、私達寮務教師も共に歩んでいきたいと思います。
みぎわ館 森口みち子

2013年4月26日金曜日

のぞみ通信 No.189(2013年4月10日)

敬 和
寮長 信田 智

 敬和学園のぞみ寮によくきてくれた。これからまた新しい出会いが始まるかと思うと、心がわくわくしてくる。しかし、私たちの思いとは裏腹に「ヤバイ、なんでこんな所に来てしまったのだろう。今すぐにでも帰りたい。」なんて思っている人はいませんか。帰ってもいいですよ。ただし、半年寮生活をして同じ気持ちだったら私もあきらめられる。きっと、半年したら寮が好きになっていると思うのです。なぜなら、ここには君たちが今まで経験した事のない、素晴らしい出会いが一杯あるからです。
 さて、敬和学園と、こののぞみ寮が大切にしている事があります。それは、最も重要な掟としてイエス・キリストが教えられた掟なのです。その第一は、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。第二もこれと同様である。「隣人を自分のように愛しなさい。」この二つの掟です。これを一言でいうと、「敬神愛人」ということになるのです。神を畏れ敬い、隣人を自分のように愛する。この二つをしっかりと踏まえて行動することが、すべての掟の根本なのです。
 皆は、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、何かに取り組んだ事がありますか。また、人の事を、自分の事のように考えて行動した事がありますか。今はまだ、自分がこれから寮でやっていけるかそのことで頭が一杯で、とてもそんな事は考えられないと思っているでしょう。しかし半年も、ここで一緒に生活していると、そういうことを考えられるようになっていくのです。
 この大切な二つの掟を心に刻み、胸に納めて生活できるように、それを、目に焼き付け見える形にしたのが、今、君たちが胸につけているワッペンです。どこかで見かけたマークだなと感じた人はいませんか。V(フォルクス)W(ワーゲン)というドイツの自動車会社の頭文字を図案化したマークに似ていると思うのです。
 敬和の校章は、K(敬)W(和)を図案化したもので、円が世界を表し、縦の線が「心を尽くし、精神を尽くし、思いをつくして、あなたの神である主を愛しなさい。」という第一の掟、神に向かって生きる人間の向上心をあらわしています。横の線は「隣人を自分のように愛しなさい。」という第二の掟、人と人との関係で、縦と横が交わり、人が互いに腕を組み合っているように見えませんか。
 VWとKWの大きな違いがあります。VWは利益を追求する会社です。しかし、KWは利益を追求するのではなく、神の愛と、隣人愛を追求する学園です。私たちは、敬和の校章がとても好きです。そして、誇りに思っています。敬和は、「神を畏れい、人と平に過ごす」学園です。その中にあるのぞみ寮は、日々の生活の中でその実践をしています。ぜひ皆さんも、「敬和」を誇りに思えるような学園生活、寮生活を送って欲しいと思います。
2013・4・2  46回生入寮礼拝より




「 46回生 代表挨拶 」

< 入寮の決意 >
新入寮生代表 みぎわ館 K.M

 厳しい寒さも和らぎ、春の訪れを感じるこの良き日に、私たち新入寮生一同は、それぞれの決意、意思、希望を持って敬和学園高等学校のぞみ寮に入寮いたします。敬和学園に入学できる喜びに加え、これから3年間、仲間と共に過ごし、たくさんの貴重な経験、体験ができるのぞみ寮に入寮できる喜び、期待で胸がいっぱいです。
 今日、私たちは新しい生活への第一歩を踏み出したところです。今まで一番近くで支えてくれていた親元を離れ、全国から集まった新しい仲間とこれからの3年間、共に起き、共に食べ、共に遊び、共に学びます。楽しいことやうれしいことはもちろん、たくさんの苦難や大きな壁にぶつかることもあると思います。限られた環境の中で、仲間と供に生きる喜びを分かち合い、それぞれが他人を思いやる心を忘れず、日々切磋琢磨しながら、充実した毎日を送っていきたいと思います。また、寮生活を通して自主性、協調性など、たくさんの事を学び、新しい自分、新たな可能性を見つけ、生きる力を身に付け、人として大きく成長していきたいです。
 義務教育を修了し、それぞれが自分で決めた人生の進路です。これからの3年間は短い人生において、掛替えのないものになると思います。私の母も敬和学園のぞみ寮の卒業生です。今でも高校時代の友人と頻繁に会ったり、楽しかった思い出話を沢山してくれます。のぞみ寮での生活が残してくれる思い出は、一生の思い出として輝き続けるのだと母を見て思いました。しかし、思い出は自らが動かないと作り上げることはできません。戸惑いや不安もありますが、常に自覚と責任を持った行動をとり、思い出を築いていきたいです。
 これからの私たちの寮生活に携わる全ての方々への感謝を忘れず、向上心を持って勉学に励み、仲間と協力し合って寮生活を送ることを誓い、入寮生代表の言葉とさせていただきます。




「 入寮によせて 」

< 保護者代表挨拶 >
T.Rさん

 みなさん、ご入学おめでとうございます。
 私は、みなさんがうらやましいです。私も敬和生になりたかったのですが、家の事情で入学する事が出来ませんでした。その事がずっと心に残っていて、子ども達には敬和に入るチャンスがあれば、と願っていました。今年入学する次女と3年生になった長女が敬和生として生活を皆さんと共にします。
 長女が入学した時の話です。私はとても嬉しく思っていました。しかし、私の知人に「なぜわざわざ新潟に?」と言われる事が多くありました。私たち家族は神奈川に住んでいます。10分電車に乗ると東京都に。10分反対方向に乗ると横浜市に行けます。ですから、どちらに行ってもミッションスクールは山の様にあり、わざわざ新潟で寮生活をしなくても…と思うのでしょう。ある方に「かわいそうに」とも言われました。子ども達には「良し」とした決断だったので、ちょっと心が痛く感じた時でした。
 4月、5月は寮からの電話も「こんな事があった」と新鮮な話ばかりで、ここでの生活は間違いではなかったと、安心そのものでした。ゴールデンウィークには帰省するとばかり思って家族で楽しみにしていたのですが、寮で企画した震災ボランティアに参加するので帰らないとの電話もありました。
 全てが順調に行くと思っていたのですが、気が付くと、泣きながらの電話が増えていたのです。親としてありきたりですが、「今を乗り越えればいいこともあるはず」など声を掛けましたが、電話を切った後は切なくて、苦しくて、「かわいそうに」と言われた言葉が胸に突き刺さります。
 私は仕事をしているので、子どもたちのためにと思い、職場での出来事をよく話していました。仕事の事、人間関係の事、大人の汚さも話していたのです。それは、自分だけではないんだ、頑張る事よりも踏ん張る事を感じ取ってもらいたかったのですが、何の役にも立っていませんでした。
 楽しい会話の時もありますが、泣きの電話は今も続いています。「なぜ私を敬和に入れたの?」「もう学校も寮も、何もかも嫌だ」と言ってきます。今回の春休みでも、「なぜ私を敬和に入れたの?」と。疲れきっていた私は布団に入っており、ドア越しで話してきました。「うーん。…何故だろうね…」と言って寝てしまったのですが、私も考えていました。たどり着くところは、やはり自分探し。
 寮から送られてくる手紙の寮生の礼拝の話、一人ひとりの思いが書かれた話を読んで、親として涙することが多くあります。みんな、寮でも学校でも何かを抱えている、寮生は親元を離れ自分で決断しなくてはならない。いつの間にか自分探しに突入しているんですね。その事に少しずつ、少しずつ気がつけば良いのだな、と思っています。
 3年間で自分探しの答えを見つけられた人はラッキーで、自分探しの途中で卒業してしまうのだろうな、とも思います。きっと、それでいいのでしょう。
 これからも我が家にはまたたくさんの泣きながらの電話がかかってくるはずです。今年度からは2倍に増えての涙声も覚悟しています。残念ながら、泣きの電話は慣れることがありません。親として、いつも心が痛みます。心配になります。でも、娘が話してくれることで私も嬉しいのです。泣きながら電話をしている事を静かに見守って下さる先生方、ありがとうございます。
 私は親としてまだまだ成長途中のようです。子ども達と一緒に悩んで、何かを見つけられる事を願っています。親も敬和生なのだなと感じています。
 余談ですが、長女が慣れた頃に「不便なことはない?」と聞くと、「何もかもが不自由で不便だから、何が不自由で不便なのかわからない」と返ってきました。本人は大真面目だったと思うのですが、笑ってしまいました。寮生だな。
 「大きくなーれ!」と願う毎日です。そして、親代わりとなって支えて下さっている先生方、心からありがとうございます。新1年生も、どうぞよろしくお願い致します。




「 着任の挨拶 」

<新任の挨拶>
大望館担任 堀越俊継

 この度4月より新しく大望館の寮務教師になりました堀越俊継といいます。新潟県三条市出身の27歳です。この3月まで敬和の保健体育科にいました。野球部のコーチもしています。敬和は教師として今年で3年目になりますが、34回生の生徒としても敬和にいました。当時は寮生として光風館で3年間を過ごしていました。久しぶりに戻ってきた寮は、ほとんど当時のままの姿を残していて本当に懐かしい気持ちになりました。ただ、男子寮は礼拝の姿勢や掃除などの館内の美化活動がさらに改善されていて、年を重ねるに連れてより進化してきているのだと感じることもできました。そんな中、新しく大望館の寮務教師になるということで楽しみな気持ちの反面、とても責任感とプレッシャーも感じています。しかし、寮生活を経験したということを強みに、生徒目線と教師目線をうまく使い分け、その状況に応じた対応ができればと考えています。まずは安全安心な寮を第一に考え、そこに自分独自の色を出した寮作りをしていきたいです。寮務教師としてまだまだ分からないことだらけですが、のぞみ寮のために力を尽くしていきたいと思います。今後とも宜しく御願い致します。



< 着任の挨拶 >
めぐみ館担任 会田 咲

 この春から新しく寮務教師としてめぐみ館を担当させていただきます会田咲(あいだ・さき)といいます。新潟市西区の新潟大学の近くに実家がありますが、高校卒業後は東京の大学・大学院に進みました。今回、敬和学園高校での着任が決まり6年ぶりに新潟での生活を皆様と共にスタートできることをとても楽しみにしています。大学では国際関係学・政治学、大学院では福祉学・医療福祉・家族支援という、大きく分けて2分野を専攻して学んでいました。また、社会福祉士という相談援助の国家資格を所持しております。学生時代での学びの傍ら、多くの方のサポートを頂きながら国連支部での手伝いや福祉実習・ボランティアなどほんとうに様々な体験をさせてもらいました。その中で得てきたたくさんの出会いや知識や気付きなどを、これからみなさんと共有していきたいなと思っております。
 のぞみ寮での生活では、共に生活する仲間を尊重し愛するために、さまざまなルールや人間力を学びます。しかしそれに加えて学校生活で抱く緊張感や、不安や、人間関係などを、うまくリセットできる「家庭」や「生活の場」をどのように提供できるのか、これから寮の教師を務めるものとして真摯に考えていきたいと思います。嬉しいときや幸せなときはもちろん、迷ったとき、苦しいとき、どこへ行けばいいのか分からなくなったときに、生徒たちにとって、「ここに帰ってくれば大丈夫だ」と安らげる物理的な居場所であると同時に、卒業していってからも一人一人の心の支えとなる場所を、生徒のみんなと、教師全員と、また保護者の皆さま方と一緒に作っていきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。



< 新任の挨拶 >
大望館・光風館 青栁 希望

 はじめまして。今年度より寮務教師としてのぞみ寮に加わらせていただきました、青栁希望(あおやぎのぞみ)と申します。光風館と大望館の間に入り、二つの男子寮をどちらも見ます。ちなみに教科では数学を担当します。のぞみ寮に来て最初に思ったことは、挨拶の素晴らしさです。いつ、どこで、どの寮生に遭遇した際も「こんにちは」と気持ちよく挨拶してくれます。これは簡単そうに見えて、実はとてもレベルの高いことをやっているなと思います。また、寮生一人ひとりが主体的に動いていることに感心しました。上級生を中心に、それぞれが考えて行動していてとても立派です。寮生活というのは様々な規則や決まりごとの上に成立していて、学生にとっては厳しい面もあるのでしょうが、逆にその厳しさの中にあってこそ学べることがいかに多いかということを寮生の様子を見ていて感じました。
 実は私は、この春までは大学に通っていました。つまり、生徒の皆さんとあまり年端が変わりませんので、年齢の近い視点から様々な関わりが持てればなと考えております。一教員としてはまだまだ未熟な私ですが、寮での生活を通して寮生とともに私自身も成長していきたい所存です。これからどうぞよろしくお願い致します。



< 着任の挨拶 >
みぎわ館・めぐみ館  小黒 恵

 初めまして。今年度寮務教師に着任致しました小黒恵(おぐろめぐみ)と申します。みぎわ館・めぐみ館の両館を担当させて頂きます。担当教科は英語です。
 昨年までは英語科の講師として約4年間、教鞭を執らせて頂いておりました。この度、敬和学園の教育に無くてはならないのぞみ寮の寮務を担うこととなり、うれしい気持ちでいっぱいです。また寮の雰囲気は学校とは全く違うので、入寮したばかりの新1年生と同様に驚いてばかりもいます。
 私の今年度の抱負を漢字1字にすると「学」です。その字の通り、寮務を開始してから毎日沢山の事を学んでいます。それは他の寮務教師の先生方に教えて頂いている仕事だけでなく、むしろ生徒の生活そのものから得ることが多いような気がします。挨拶をする、時間を守る、意見を言う。当たり前のことを当たり前のように行う姿を本当に頼もしく感じています。
 今年度、生徒へのサポートに尽力すると同時に、生徒と共に学び共に成長していけるよう歩んで参ります。よろしくお願い致します。



「 バザー献品のお願い 」

 来る6月8日(土)に行われますフェスティヴァル&バザーで、「のぞみ寮」は、今年も、全国から集まる寮生の保護者の皆様にご協力をいただいて、恒例の「全国物産コーナー」を出店致したいと計画しております。つきましては、保護者の皆様には、献品のお心づもりをいただき、日が近くなりましたら献品をお送り頂きたく存じます。



< 編集後記 >

 のぞみ寮には日本全国、そして海外からも仲間が集っています。そんな様々なバックグラウンドを持つ一人ひとりが、毎日共に食事をし、寝起きを共にし、仲間と交わり生活をします。日々神様に祈り続けながら、のぞみ寮らしく、できる事を探していきたいと思います。
 52名の46回生を迎えスタートした2013年度、のぞみ寮生全員の豊かな心の成長を目指して、スタッフも共に歩んでいきます。新たな良い春を迎えたいと思います。今年度もどうぞよろしくお願いいたします!
めぐみ館担任 会田咲

2013年3月18日月曜日

のぞみ通信 No.188(2013年3月20日)

強く、雄々しくあれ
寮長 信田 智

 入学当時に比べ、随分成長し逞しくなった。その分寮務教師達は手間ひまかけて関わってくれたと思う。中には何回も、もうダメかと思われるような場面に直面しながら、教師、親御さん、仲間に忍耐強く付き合ってもらい、今日の日を迎えることが出来た人もいる。また、修了生それぞれにドラマがあった。
 まだまだ親に甘えていたい年頃に、中学を出てすぐ、上下関係のある集団生活の中に飛び込んできた。戸惑いや不安があったと思うが、よく乗り越えてきてくれた。その経験は、どこに行っても大きな財産になる。これからの歩みに、自信をもって生活していけるものを身につけてきたと思う。しかし、ある意味ではここで守られ、親への感謝の思いが湧き、親元にいた時よりずっとよい関係を築けたのではないかと思う。
 今、私たちが置かれている社会は、とてつもなく恐ろしい社会である。原発問題、領土問題、国防軍の問題、教育の問題・・・どれ一つとっても日本の将来を大きく左右する問題が山積している。しかも、その全てが必ずしも良い方向に動いているとはいえない。まさに吠え猛る獅子が、あなたがたを食い尽くそうと襲いかかって来る有様である。しかし、私たちはそのような大きな力と闘う知恵も力もない。多くの人たちは、時代の流れに身を任せていくしかないでしょう。一部の人たちは、時代の流れに立ち向かって闘う事が出来るかも知れない。私たちはどうしたら良いのか。一人一人神さまの御心を求めて、自分に示された道を見出していかなければならない。それが敬和で、こののぞみ寮で学んできた生き方である。
 敬和学園の初代校長太田俊雄先生は、新潟にキリスト教学校を作るように神様からの召命を受けた時、敬和学園は影も形もなく、人材もお金もなく、何もない無からの出発であったが、ジョン・モス宣教師はじめ、新潟の諸教会、また、国内外の多く協力者とともに、土地を探し、資金を集め、人材を集める所から始め、1年かけてやっと開校に至った。あったのはヴィジョンと信仰だけであったと言われている。おそらく太田先生も、ヨシュア記1章9節「私は、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」との御言に励まされてきたのではないだろうか。
 君たちが、のぞみ寮を巣立って新しいステージに上る時、様々な困難が襲ってくるだろう。そのとき神様の約束を思い出だして欲しい。「強く、雄々しくあれ。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共におられる。」これに勝る助けがどこにあろうか。敬和で、のぞみ寮で、君たちに伝えたい事は、この一事ある。君たちは、毎朝夕、礼拝を通して神さまとの交わりの時を与えられてきた。その恵みは、今は分からなくても、いつか分かる時が来ると信じている。
2013・2・28修了礼拝より




< 寮修了礼拝 44回生代表挨拶 >
みぎわ館 M.N
今日この場でお話しすることを嬉しく思います。ついに私たち3年生の卒業・寮修了の日がやってきました。この貴重な3年間を改めて振り返って、お話をさせていただきたいと思います。
 敬和に入学する前の私は、友人とのトラブルが原因で学校に行かなくなり、家にこもり、孤独を感じ、誰のことも信じられなくなっていました。そんな状況に陥ってしまっている事を私自身も苦しみ、抜け出したいと願い、敬和への入学を決意することになりました。しかし、人と関わることに恐怖を感じていた私は、寮生活では、なんとなくやり過ごしていればいい、などと簡単に考えてもいました。
 実際に入寮してみると、私の考えが甘かった事に気付かされました。人と適当に関わっての寮生活など、存在しなかったのです。正面からいつも向き合おうとしてくる仲間たち。そんな人たちとの毎日に、そんな生活を中学生時に怖いと思い、避け続けていた私は、勝手に傷つくことが多く、何度も「敬和を辞めたい」と思いました。
 そんな私を特に苦しめたものはミーティングでした。2年生の寮祭のミーティングを自分勝手に放棄してしまったことがありました。みんなに背を向け続ける自分にショックを受け、どうして自分の意見を素直に言えないのか、伝える努力が出来ないのか、と泣くことしかできませんでした。そんなとき、離れて暮らす母からの手紙で前を向くきっかけを手に入れることが出来ました。
 そこには、「お母さんはいつでもNの味方です。大好きなN、自分自身を大切に。」と書かれていました。今まで何事にもネガティブで、自分は何をしてもダメだと思っていた私は、支え続けてくれ、私の心に寄り添い続けてくれていた母の優しさと愛情に改めて出会い、「なりたい自分になってみよう」と背中を押してもらうことができました。そして次のミーティングで、自分の思っていることを整理して言おうと強く心に誓える私になっていました。しかし、仲間に受け入れてもらえる自信があったわけではありません。伝えようと誓ったものの、否定されたら…と大きな不安を抱えたまま、ミーティングの日を迎えました。
 みんなに、心にあったことを全て話しました。初めてだったので震えるほど不安で仕方ありませんでしたが、そんな不安を感じる必要なんてありませんでした。ミーティングが終わると、仲間たちが「話してくれてありがとう」と私に言ってくれました。私はこのとき、受け入れ合うには時間がかかるのかもしれないけれど、まず、自分の心の内を打ち明けてみることが大切で、いつまでも自分の殻に閉じこもっていては前進しないのだ、ということに気づきました。そしてこの時を境に、寮生活の意味と喜びを知り、寮生活・敬和生活、自分の人生そのものに向き合い、前向きに歩み始めることが出来るようになりました。
 私が寮生活で学んだこと・得た事は、「信頼し合うこと」「お互いを受け入れ合うこと」「自分を認めること」「周りの愛情に気が付ける心」「一歩を踏み出す勇気」です。
 今まで上辺だけの付き合いばかりしてきた私に、のぞみ寮で、心から通じ合える大切な友達ができました。一生繋がっていたい仲間たちです。
 長いようで短かった敬和生活はとても充実していました。ここで過ごした日々は私の心の中にしっかりと刻み込まれています。これから先の人生、のぞみ寮で学んだ事を忘れず、ここでの3年間と出会った仲間たちとの絆、周りの人たちの愛情を私の力にして、逞しく生きて行こうと思います。3年間、本当にありがとうございました。




< 退任のご挨拶 >
寮務教師 帆刈 仰也
突然の報告で誠に恐縮ですが、一身上の都合によりのぞみ寮を退職することになりました。離任の挨拶とさせてください。
 敬和学園の生徒指導は、一人の生徒を担任教師のみならず、全教職員で関わる事を大事にしています。のぞみ寮には男女の寮があり、男女の教師がそれぞれ担当します。男子寮においては、男ばかりの社会になり過ぎると大雑把になりがちです。女子寮においては、女子ばかりではキチキチし過ぎて不安に陥ることもあります。これらに関しては、私たち教師が心掛けながら、お互いに関われることを話し合いながら取り組んでいます。
 私は女子寮へ、蛍光灯の交換やパソコンの修理などに行きます。その時に女子の生徒に、声をかけたりする機会があり、少しの修理のはずが、色々と話したり、男子寮の事について質問を受けたりもします。安全面を点検するために教師全員で見まわりますが、各館が閉塞的にならない作用もあると思っています。
 退職するこの時に、多くの事を生徒から気付かされました。教師の何気ない一言や行動を、生徒は常に気にかけて見ているのです。私が言った一言や行動が、勇気付けることや励ましていることに繋がっていたり、逆に考えるきっかけを作っていたりもしていました。これとは反対に、自分が悩んだり、苦しんでいる時には、頑張っている生徒の姿や笑顔で過ごしている生徒、苦しみ悩んでいる生徒の側にいる事で、自分自身が励まされたり、教えられたりもしていました。
 これからは新しい職種、職場で、のぞみ寮での経験を活かして頑張りたいと思います。保護者の皆様には、時に不安を与えたり、心配をかけたりするようなこともあったと思います。しかし、のぞみ寮での歩みを信じて、待ち続けて下さり感謝申し上げます。これからも、信田寮長をはじめとしたのぞみ寮の歩みを支えくださるようお願い申し上げます。今までお世話になりました。有難うございました。



寮務教師 冨井 愛
この度、2年間のお休みをいただいて、青年海外協力隊に参加させていただくことになりました。モンゴルの北東にある、ドルノド県のチョイバルサンというところにある学校で音楽の教師として活動してきます。
 のぞみ寮生と過ごした4年間で、“一緒に暮らすことの大切さ”を教えられました。一緒に暮らしているからこそ、互いの良いところも良くないところも認め合い、自分たちに本当に必要なことを考え、言葉と行動に変えていくことができるということを、身を持って感じました。モンゴルに行っても、のぞみ寮で学んだように、その土地の一員に加えてもらい、同じ暮らしをして同じものを食べ、喜怒哀楽を共有しながら、本当に必要な支援を見つけていきたいです。
 寮生の言葉に胸打たれ、その在り方に心揺さぶられました。皆に成長や変化を求めるのならば、私自身も変化することを恐れず、成長し続けなければならないと考えさせられました。皆の存在そのものが、私を動かす力になっています。身近な人たちをもっと大切にする力をつけるために、少しの間出かけて自分を鍛えてきたいと思います。
 たくさん笑ってときどき泣いて、怒って悩んで喜んで「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返し、寮生の皆に赦された日々でした。本当にありがとうございました。



寮務教師 和田 献太郎
限られた時間ではありましたが、1年近くを寮生と共に過ごして、のぞみ寮とはどんな場所であるかについて、感じたことを書かせていただきます。
 「意外と余裕のない生活をしている」というのが、第一印象でした。それは、今も変わっていません。一日一日を過ごすのに精いっぱい、という寮生が少なくないのです。それだけが理由ではないでしょうが、生徒本人にとっても周囲にとっても、のぞみ寮は短期間のうちに成長を実感できるような場所ではありません。1年単位あるいは3年単位で過ごして初めて、変化に気付ける場所だと思います。
 余裕のない中で、心のバランスを保つために重要なのが、家族との繋がりです。手紙であったり、電話であったり、メールであったり。寮本部に自宅からの荷物が届いていることを知らされた時、生徒の表情が一瞬で明るくなる様子は、そのことを実感させます。文字通り同じ釜の飯を食う仲であっても、本当の意味で腹を割って話のできる友人など、そうそうできるものではありません。指導的立場にある生徒ならなおさらのこと、時に弱音や愚痴をこぼせる家族の存在は、何物にも代えがたいものであるはずです。週末になると、近隣の寮生は自宅に帰ります。遠隔地の寮生でも、長期の休暇には自宅へ戻ります。不自由な集団生活を送っている寮生にとって、この帰省というものは大変良い休養になります。その分、自宅ではつい羽根を伸ばし過ぎ、ダラダラしてしまう時もあるでしょうが、普段の生活内容に免じてご容赦いただきたいと思います。また、一定期間離れて暮らしていることにより、親にとっても子にとっても、お互いの良さに気付ける環境がつくりだされているのではないでしょうか。
 のぞみ寮は、評価を競う場所ではありません。共に生活し、共に育つ場所であり、真の意味でその成果が見えてくるのは、卒寮してからです。ともすれば目に見える変化のみに囚われ、長いスパンで成長を見守ることができなくなってしまう自分にとって、敬和教育の本質に触れる機会を与えられたこの1年は貴重でした。多くの気付きを引き出してくれた寮生たち、また彼らを支えてくださった保護者の皆様に感謝申し上げます。1年間ありがとうございました。



寮務教師 有田 唯
一年という短い間でしたが、のぞみ寮生と共に過ごした時間は充実していました。毎日笑い、時には怒り、ある時はかなしみ、そして日々喜びにあふれていました。のぞみ寮生のたくさんの成長に出会うことが出来ました。また、私自身、寮生のみなさんと関わる中で色んなことを気付かされ、学ばせて頂きました。少しの間でしたが、寮教育に携わる事が出来たことを感謝いたします。のぞみ寮生のみなさん、保護者の方々に心よりお礼申し上げます。
 新年度から学校へ移動になります。引き続きよろしくお願いいたします。




< あなたもそこにいたのか >
寮務教師 三浦 啓
今日は月曜日なので本来なら各館で礼拝を行う日ですが、今日は東日本大震災からちょうど2年を迎える日です。のぞみ寮では東日本大震災が起きてから、寮祭やクリスマス礼拝、日頃の生活の中で被災地と寄り添う歩みをしよう、被災地と繋がる歩みをしようとしてきました。3月11日をみんなで何の日かしっかり確認することを抜きに、被災地に繋がっていくことはできない、そういう想いから今日は各館での礼拝ではなく、みんなで「東日本大震災をおぼえる礼拝」をすることにしたのです。
 2011年3月11日午後2時46分に、三陸沖を震源とする大きな地震が起きました。その大きな地震は津波を引き起こし、さらにその津波は原発事故までも引き起こしました。太平洋側のあまりに広範囲の町々が津波に飲み込まれ、その日の2時45分まで当たり前にあった町や風景、そしてあまりに多くの命が一瞬にしてなくなりました。
 テレビでは大きな地震の後、津波が押し寄せ、町の中を波が駆け抜け、家や車がまるでおもちゃのように押し流される光景が映し出されていました。町が消え、いつもの生活が消え、命が消えた瞬間です。
 あの日、被災した人は、あまりに突然大切な人を、大切な場所を、大切な時間を失いました。被災したことで、あまりに大きな悲しみ、苦しみ、怒り、不安を抱えて生きていかなければなりません。それはあまりに重たいものを背負うようなことです。被災された方々を支援をするということは、被災された方々が背負っている重たい物を「わたしも一緒に持ちます」と言って寄り添うことではないかと思います。みんなでその重たい物を持てば、その重さは軽くなっていくはずです。逆に、重たい物を背負っている人を「大変だなぁ」と言いながら遠くから見ているだけなら、その人は背負っているものの重みで倒れてしまうでしょう。
 今日歌った讃美歌306番は「あなたもそこにいたのか」という黒人霊歌です。イエスが十字架にかけられ、殺された時、イエスのことを大切に思っていた人たちはイエスのことを救うことができませんでした。イエスが、十字架にかけられ、くぎで打たれ、槍でさされるのを、ただただ見ているだけでした。イエスが十字架にかけられたのは、人間の弱さがあったからです。イエスを救うどころか、イエスが十字架の上で殺された時、あなたもそこにいたのか、あなたは目の前でイエスの命が消えていくのをただ見ていただけなのかと、今日歌った讃美歌は訴えているのです。
 震災から2年が経ち、みなさんは被災地についてどのように感じているでしょうか?2年が経過したからもう過去の出来事になっていないでしょうか?私は、今、ストップしている被災支援労作を2013年度に再開したいという思いを持っています。その実現に向けて少しずつ動いていこうと思っています。是非、みんなには、被災地に行き、支援すると共に被災地で何かを感じてほしいと思っています。そして、被災地で重荷を負っている、被災された方々がある日突然持たされた重たいものを「私たちも一緒に持ちますよ」そう言える私たちでありたいと思います。それは何も大きなことをしようと言っているのではありません。自分たちにできる範囲の事を一生懸命にやることだと思います。私たちは問われています。讃美歌302番の歌詞のように、「あなたもそこにいたのか」「大地震、津波、原発事故と大変な思いを強いられている人がまだまだ大勢いる日本にいながら、あなたは何もしないのか?今なにをすべきなのか?」と。まずは、私たちにできることから始めませんか?今、私たちが生かされていることに、当たり前のようにある毎日に、どんな時にも周りにいてくれる仲間や家族に、日々の生活の中で私たちに与えられているたくさんの物に、感謝しましょう。そして、一生懸命に生きていきましょう。
2013・3・11 東日本大震災をおぼえる礼拝より




 43回生を送り出した後、44、45回生の表情に変化を感じました。今度は自分たちが寮を作っていく番だ、との思いがあるからでしょうか。1年間、また2年間  寮で過ごしたからこそ出会える、落ち着いた顔だとも思います。1,2年後、43回生のように、心からの笑顔で、寮を旅立っていかれる日を想像しながら、保護者の皆様と共に寮生の今を応援したいと思います。
 今年度を持って、4人の先生方が寮を去られます。生徒たちの心に愛と勇気をたっぷり下さった先生方です。寂しさもありますが、先生方との出会いを通して学んだ事を、今度は私達が誰かに届けていければと思います。のぞみ寮での出会いが、先生方のこれからを歩む力となりますようお祈りいたします。
  春休み、寮生活のこぼれ話をたっぷりとお聞きください。
(大望館寮務教師:澤野)

2013年2月16日土曜日

のぞみ通信 No.187(2013年2月14日)

平凡を非凡に
寮長 信田 智
いよいよ卒業礼拝の時が近づいて来た。敬和の卒業礼拝における表彰は、3年間皆勤(無欠席、無遅刻、無欠課)の人だけである。学校を休まない、遅刻をしない、授業をサボらない、ごく普通の事です。しかし、これを3年間続けることはとても大変な事です。誰でも出来る平凡なことでありながら、誰でもが出来るわけではない非凡な事。その事に対して敬意を表しての表彰といっても良いのではないか。
 私の恩師は既に天に召されましたが、30年近くに亘り、死ぬまで新約聖書ヨハネ福音書15章1-11節を筆写しておられた。それだけではなく、毎週の礼拝説教も、教会の諸集会もこの聖書の御言を用いておられた。ある時、なぜこの聖書の箇所にこだわるのか訊ねた。すると、「主イエスにつながり続けて、日々豊かな祝福に与かっている私にとって、この御言は深く広い聖書の世界の確かな入口なのだ。」と言われた。
 私は、恩師に真似て何かしてみようと思い、新約聖書のエペソ書(7㌻)全部を暗唱する事にした。3ヶ月間かけて全部暗唱し、やったぞと内心得意になった。しかし、それを持続する事は出来なかった。ところが、恩師は依然としてヨハネ15:1-11を筆写している。そこで今度は、聖書を全部書き写す事にした。自分はあきやすく、いい加減な人間だから、できる時に出来るだけで良いから、とにかく諦めないで書き続けよう。また、これ位はいいや、とすぐに妥協してしまう弱い自分と闘うために、1字1句間違えないように書き写そうと自分に言い聞かせた。そして、1字でも間違えるとその頁は没にして、始めから書き直すことにした。
 案の定何度も挫折し、時には丸1年まったく書けなかった時期もあった。それでも、終わりがあることは希望である。私さえ諦めなかったら必ず終わりがくるのだ。聖書を書き始めてから、聖書全巻書き終わるまでに何と丸10年かかった。そして終わってみれば、失敗して没になった便箋は百枚綴りの便箋10数冊分もあった。私はそれを見て自戒する。「いいか、お前はわずか15分(便箋1枚書き上げる時間)も集中できない人間なのだから、その事を心に留めて置けよ」と。聖書を書き写し終えたら、その先が続かない。その間も、恩師は依然ヨハネ15:1-11を毎朝筆写しおられた。
 恩師はいつも私の一歩先を歩み、これなら平凡な自分でもついていくことが出来るかも知れないと思わせ、私を導いてくれた。私が得意になって追い越したぞと思った瞬間、また私の一歩先を悠然と歩んでおられる。恩師は言われた、「信田君、牧師は平凡でなければならない。奇をてらって何かしようと思うな。平凡を非凡に生きて見せる事だ。」
 寮生活、まことに平凡な毎日である。しかし、一見、この平凡に見える寮生活、これを3年間全うすること、実はとても非凡な事なのだ。3年生たちはそれを成し遂げた。1、2年生はこれから意識して、平凡な寮生活を非凡に生きてみようではないか。日々自分の義務と責任を誠実に果たして行く事が、芯のある人格を作り上げて行くのだ。




 寮生リレー通信  (第 103 回)

< みぎわ館 >
「3年生を送る会を終えて」N.E(1年)
 去る1月28日。この日、みぎわ館では3年生を送る会が開かれました。私たちみぎわ館45回生は、この日のためにミーティングを開き、どんな出し物をするかを決めるための話し合いの場を持ちました。しかし、ミーティングを開いたのは送る会当日の約2週間前でした。時間がないためそんなに凝ったものはできない、でも3年生に喜んでもらいたい!そんな思いでみんなでアイディアを出し合いました。
 そして、私たちは入寮当初の部屋の3年生にメッセージと最後に1年生全員で歌を送ることに決めました。お世話になった3年生へのメッセージや最後に歌う曲は何にするかなど、限られた時間の中でより良いものにしようと頭を悩ませました。
 そして、迎えた3年生を送る会当日。各学年、笑いあり、涙ありのステキな出し物で3年生を送り出すことができました。思い返せば、私は入寮して間もない頃、寮生活や学校生活の辛さから部屋で泣いていると、3年生がなぐさめてくれました。その直後に行われた1年生行事では、半泣きの状態で参加した私を3年生はずっと見守っていてくださいました。シャイな私にも、たくさんの3年生が話しかけてくださいました。そんな3年生と過ごしていく中で、私はいつしかこんなことを思うようになりました。「私も先輩になったら、43回生の先輩方が私にしてくださったように、同じように後輩に接してあげたい!」
 43回生のみなさん、お世話になりました。先輩方からたくさんのことを学びました。それぞれ新しい道での活躍を期待しています。応援しています。今までありがとうございました。



< 大望館 >
「スキー教室の感想」K.S (1年)
 僕たち、45回生のスキー教室は、妙高で行われました。スキー教室は、敬和で1・2を争う人気の行事で、周りの皆はすごく楽しみにしていましたが、僕はそこまで楽しみではありませんでした。理由は、寒いのが苦手なのと、体力がなくて3日間スキーをし続けられるか不安だったからです。
 案の定、2日目のスキー講習では、半日滑っただけで疲れ果ててしまいました。その日しかないナイタ―も、疲労のため、6人分の布団が並べられた部屋で1人で寝てました。
 正直、スキー教室でこれといった思い出も無く、僕なんかが感想を書いて良いのか怪しいです。スキーは楽しかったけど、疲れるし、すねが尋常じゃないくらい痛くなったので、しばらくはやらなくてもいいかな、と思いました。
 おもしろい思い出はできなかったけど、友達とのお泊まりはやっぱり楽しかったです。行って良かったです。スキー教室で学んだことは、イベントの時はめいっぱい楽しむという事と、インフルが途中から流行してきたので、病気に対する予防はとても重要、という事です。
 これらをとおして次のイベントはたくさん楽しんで、良い思い出を作りたいと思います。



< めぐみ館 >
「セクシャリティー教育を受けて」O.H(2年)
 1月31日に寮の2年生全体で男子寮の澤野先生から「セクシャリティー教育」を受けました。その中で、「もし自分が、相手が妊娠したらどうする?」という質問が出ました。正直そんなこと考えたこともなかったし、想像すらしていませんでした。更に先生から、人工妊娠中絶についての話も聞きました。その話を聞いて、もし自分が、友人が・・・。と考えたとき、とても怖くなりました。
 そして先生は「金銭面の問題というよりは、まだ私たちはそのことに向き合うだけの年齢には達していない。責任を持てるだけの成長は、まだしていない」とおっしゃいました。その通りだと思いました。
 この話しを聞いて、私たちを産んでくれた家族に感謝しなければならないことを改めて実感しました。そして、この機会を通して、10年後、20年後の未来に向けて私がすべきことは、上辺だけでない信頼関係を築き、将来に向けて勉強していくことだと思いました。残り1年の敬和生活を充実したものにしていきたいと思いました。



< 光風館 >
「雪の上で滑るなんて・・・」N.R(光風館・1年)
 1月30日、僕は人生で初めてのスキーをするために、新潟県妙高市赤倉温泉でのスキー教室に行ってきました。
 僕は、敬和に来るまで、雪が降らないタイにずっと住んでいたので、ちゃんと滑れるか心配でした。また、スキーができるくらい雪が大量に積もっていたのでとても驚きました。雪の上を板で滑るなんて、最初にスキーを考え付いた人はよく考えたなぁと思いました。そんなことを考えながら1日目のスキーのレッスンを受けました。スキー用の靴で雪の上を歩くのも大変だったし、スキー板を取り付けるのも大変でしたが、何よりも滑ることが大変でした。そして、満足に滑ることもできないまま1日目が終わりました。こんな調子で滑れるようになるのかと不安でしたが、2日目の午後には滑れるようになっていました。
 スキー教室の間にインフルエンザが流行ってしまってとても大変な3日間でしたが、同じグループになった普段は話す機会の無い他のクラスの人と話せたり、一緒に滑れたりしてとても楽しい3日間となりました。




 新潟の春も、もう近くまで来ているような、そんな陽気を感じさせられる今日この頃です。 皆様年度末のお忙しい季節柄、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、各館、新入生の46回生を迎えられるように、ルールの見直しや、大掃除をして整えて準備しています。また生徒たち、新たな学年には今までと違った役割が与えられます。次年度に向けて、新たな試練や、課題もみえてくるでしょう。その一つ一つが、皆、成長に欠かせない経験となっていきます。これまで以上に大きな課題ではあると思いますが、きっと、1年間、2年間で培ったコミュニケーション能力を発揮させる大きな出発点となるはずです。私たちも一丸となって、より良いサポートをいたします。皆様方には何卒、これまでと変わらぬご支援、ご協力よろしくお願い致します。(めぐみ館担任 榎本かな)

2013年1月21日月曜日

のぞみ通信 No.186(2013年1月16日)

< 続 再 生 >
寮長 信田 智
 
作年の8月号(のぞみ通信173号は182号の誤り)再生で、「我々男子寮務教師は、腹を据えて寮内外の整理整頓に気を配っていかなければならない。男子寮がきれいに再生され、『自主・自立・自制・思いやり』の精神がしっかり根付くように、自らを再生して行きたい」と記したが、秋のオープンスクールに向けて、寮の教師達は本気で取り組みを始めてきた。そして、自分だけでは見落としがちな所を、他の館の教師達と共に点検し合い、積極的に美化に務める事を始めた。
 その結果、男子寮は以前に比べとてもきれいになり、いつ、お客様がこられても大丈夫ですと言ってくれるようになった。大きな変化は、今までは大掃除をしてきれいにしても、その状態は1日しか持たない。とぼやいていたが、その状態を保つ事が出来るようになったことであろう。思うに、教師がその気になって、自ら継続して努力していけば、寮生はそれにしっかり応えてくれるということである。それと我々が、きれいさの基準をどこに置くかである。これ位で良いだろうというところに基準を置けば、それ以下になり、これ以上は出来ないという所に基準を置いて、やっと合格する位である。
 私たちはついつい言い訳をしたくなる。その言い訳には確かに一理ある。しかし、言い訳からは何も生れてこない。ただみっともないだけである。言い訳をやめ、如何にその現実を打破するかを考え、具体的な手を打っていくかが大切なのである。そうすると、不思議と道は開かれてくる。しかし、それも一人では早晩行き詰まるであろう。そこにチームワークが必要になってくる。幸い寮務教師は少人数である。毎日顔を合わせているので、別に大上段に構えて会議を開かなくても、お互いの意思を伝え合う事は出来る。この恵まれた状況を最大限に活かして行きたい。
 男子寮をきれいに再生する事から始まった再生プログラムは、寮務教師全体の再生に一歩踏み出したと言える。少人数であるが故の馴れ合い、また、少人数であるがゆえに、一度食い違うと逃げ場のない閉塞感に捉われ、抜け出しがたい泥沼に入り込む事もある。そこでも言い訳はいくらでも出来る。しかし、言い訳からは何も生れてこない事を肝に銘じ、寮務教師自らが再生して行く姿を示していければ、寮教育全体の再生につながるであろう。
 とは言え、我々は自ら再生しようと思ってもその力が無い。己の無力さの中に打ちひしがれるだけである。ではどこからそのエネルギーが与えられるのか。イエス・キリストの十字架と復活による新生こそ、その力の源である。十字架の死は、暗黒と絶望以外の何ものでもなかったが、神はその暗黒と絶望を切り裂いて、驚くべきイエスの復活という出来事を引き起こされた。神は、絶望の先に、希望の朝を備えてくださっているのである。ここに私たちの希望の根拠と、真の再生への道がある。




寮生リレー通信  (第 102 回)

「 大嫌いだった寮  3年間の寮生活をふり返って 」 
K.K.(3年生:埼玉県さいたま市)
 寮が大嫌い。これが私のすべてだった。
 まず、敬和に入学したこと自体、どんなに考えても理由が見つけられない。2月の入試で、初めて敬和学園にやってきた。全く興味がなく、入学する気なんて少しもなかった。こんな寒くて雪がいっぱいな田舎に誰が来るもんかとさえ思っていた。親戚に言われ、とりあえず受験だけするはずだった。地元の私立高校に合格していて、進学先はあったのだ。しかし、気づいたら敬和にいた。
 そして、入寮日から私は大号泣した。挨拶、セリフ、部屋の仕事、先輩の仕事を代わる、電話ダッシュ。意味が分からなかった。毎日どうやったらここから逃げられるかということばかり考えていた。嫌で仕方がなかった私は、2週間泣き続けた。泣き続けた結果、“涙が枯れる”というものを体験した。泣かなくなっても、寮が嫌いなことには変わりはなかった。
 後輩が入ってきてから、自分の仕事、責任の重さや上手くできない自分に耐えられず、体調を崩しやすくなってしまった。それでも、辞めるという選択肢は自分の中になかった。それは、自分一人ではなく、周りに仲間がいることに気付けるようになったからだったと思う。仲間の存在を感じることで寮を嫌いではなくなっていった。
 卒寮を目前にした今でも、寮より家が好きで、家に帰りたいと思うことはある。しかし、それは寮にいたくないから、逃げ出したいからではない。あんなにも嫌いだった寮で3年間も暮らしていたことに驚き、実は大切で、好きな場所になっていたことに気付き、さらに驚いた。自分の変化、成長を感じることができた。
 敬和生活を送れて、のぞみ寮で生活することができて、私は、今とても幸せだ。



「 クリスマスキャロル 」     
H.S.(2年生:新潟県燕市)
 キャロリングという言葉を聞いた事がある人はクリスチャンの方なら少なくないと思います。しかし、「聞いた事無いな」と思う人も中にはいらっしゃるのではないでしょうか。キャロリングとは、クリスマス・イブにキリストの生誕を、讃美歌を歌って告げ知らせること。または、キリスト教国におけるクリスマスの行事の一つで、子供たちの聖歌隊が家々を回って、戸口で聖歌を歌い、その家の人からお菓子をもらったりすることを言います。
 年が明ける少し前の12月中旬に、僕らは少し早めのキャロリングを行いました。もちろん、ただ適当に集まって歌うようなことではありません。「キャロリングをやりたい!」という人達で数週間にわたり練習がありましたが、そのメンバーの誰からも「元気よくハーモニーを届けよう!」という気持ちが伝わってきたように思います。部活等で忙しく、キャロリング本番の全てには参加できなかったのですが、訪れた教会の人達から手作りのプレゼントやお菓子の詰め合わせを頂き、真冬にも関わらずとても暖かい気持ちになりました。
 のぞみ寮でのキャロリングは毎年行われています。こんな貴重な体験ができて、本当に感謝しています。来年も参加してみんなと歌を歌いたいと思います!



「 入試労作をして 」    
T.Y.(2年生:愛媛県今治市)
 私は今回の入試で、入試労作をさせてもらいました。1年生の時も、オープンスクールや1月の入学試験の労作をさせてもらいました。そこでの出会いや体験がとても楽しく、もう1度入試労作がしたいと思ったので応募しました。
 そもそも1年生の時に、私がなぜ入試労作をやろうと思ったのかを説明します。私は入学試験当日まで、新潟なんて来たこともなかったし、入試事態に緊張していたので、不安で仕方ありませんでした。そんな私に入試労作をしていた先輩方は、すごく気さくに話しかけてくれ、すごく救われた気持ちになり、落ち着いて試験を受けることが出来ました。おかげで敬和に合格することができ、入学した時に私を案内してくれた先輩と再会でき、「Yは、あの時こうだったね。」と話してくれ、すごく暖かい気持ちになった事を覚えています。この「繋がり」ってすごく良いなと感じ、機会があれば、入試労作をして、私と同じ様に不安になっている受験生たちに、先輩方がしてくれたことをしてあげたいと思ったからです。
 入学して最初に入試労作が出来ると決まった時は、嬉しくて仕方ありませんでした。ところが、初めてやったオープンスクールの労作は、すごく忙しく、想像以上に大変なことが多かったです。オープンスクールでこの忙しさなら、入試はもっと大変だろうと不安になりました。先輩達は、この大変さの中でも私に、気さくに話しかけて下さり、改めて本当にすごいと感じました。私もそんな先輩達に憧れ、自分なりに頑張ろうと決意し、再び私は入試労作に臨みました。
 受験生の不安を取り除くことができたのかは分からないけど、1年生の頃よりも、私は「受験生の立場」で行動することが出来たと思います。私はこの2年間、入試労作をさせて頂いた感謝の気持ちと、すごく良い経験をさせてもらいました。自分の至らない所は沢山あったと思うけど、私自身の成長にもつなげられる素晴らしい機会にもなりました。



「飾り付けで得たもの」      
T.R.(1年生:大阪府堺市)
 毎年冬になると、のぞみ寮では“寮クリスマス”という行事が行われます。そして、その飾り付けは、その年の一年生が担当することになっているのです。今年は『ワールドクリスマス』という大きなテーマの下、4館がそれぞれテーマに沿った飾り付けをする中、僕のいる光風館は“日本+カナダ”というテーマで飾り付けを行うことになりました。
 飾り付けの準備は当日の何週間も前から始まり、我らが光風館は中々やることが決まらず、4館の中で一番遅く準備を始めました。しかし、やることが決まった直後に、さすがにやばいと皆が思ったのか、いつも以上の結束力を発揮し、てきぱきと役割を分担して、素早く準備を始めました。いつもは何かとバラバラな光風生が、こんなにも結束して動くのかと、少し自分でも驚きました。
 その後もなかなか下書きが完成しなかったり、毎晩遅くまで絵の色塗りをして、寝れなかったりと色々大変な事がありましたが、作品はなんとか期限ギリギリに完成しました。完成した時は、ホッとして皆の顔がほころんでいたのがとても印象に残っています。そんな苦労のおかげか、寮クリスマスの当日はとても盛り上がり、思い出に残るイベントになりました。
 今回の飾り付けで、光風生の絆がさらに深まった気がします。ぜひとも、来年の新一年生にもこの飾り付けを経験してほしいなと思います。




< ひとこと >

 2013年のぞみ寮は、天候不順などで交通機関が遅れるなどの影響もなく、静かなスタートでした。1年生も2回目の長期休みでしたが、友人との再会にはしゃぐ事も無く、少し落ち着いたように感じました。始業してすぐに来年度の入学試験があり、生徒は3日登校して4連休でした。3年生は1月末から自宅学習期間に入るので、寮を離れる準備が始まります。3年間寮生活を乗り越えた達成感は、段ボール箱には収まらないくらい沢山の思いが詰まっていることでしょう。
 各館で3年生が礼拝で自身の歩みを振り返ったメッセージを話してくれ、後輩たちはその姿勢や思いを受け継いでいくことでしょう。2月からは1,2年生だけの寮生活が始まります。1年生は先輩になる準備、2年生は最上級学年へと、進級に向けての歩みが待っています。
 保護者の方々には、お子様の大切な3年間をのぞみ寮に託して下さり、信頼し、支え続けてくださっている事、本当に感謝申し上げます。
 2013年も、みんなが元気で大きく成長していくことを祈りながら、寮務教師一丸となって寮教育に取り組んでいきたいと思います。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
寮務教師主任:帆刈仰也