2年生の歩く修養会。最初にゴールを切る敬和の福男は誰に!?
「人は他者を通して はじめて己を知る」
寮長 東 晴也
推薦入試を受験する3年生の中には、私のところに「推薦書を書いて下さい」と言いにくる生徒が何人かいます。校長でもなく、クラス担任でもなく、私に依頼しにくる個々の理由を私なりに理解し、学年主任からの依頼もあった上で喜んで承諾しています。これは、その生徒を深く、しかも個別に知ることのできる、またとない機会となるからでもあります。
推薦書を書くにあたり、時間をとってその生徒と向き合います。目の前の生徒を「推薦する」という前提がありつつ、私は、この目の前の生徒の「何を、どう」推薦できるか。或いはできないのか、を自問します。このような時、多くの教師は、生徒の中にある短所には多少目をつぶり、長所をできるだけ明確にきちっと真実の範囲内で表現しようと試みるのではないでしょうか。私はそうです。その作業に関しては、生徒は実に協力的です。一つの目標に向かっての共同作業は、生徒の良さ・素晴らしさを二人で、一つ一つ確認していくという実に心地よい、楽しい作業です。
ところが、大学が求める生徒の資質・能力・考え方・活動等と、生徒自身が意識していることや経験などが、どうもマッチしないと感じることが正直あります。「大学はこういうものを求めているけど、どうかな?」「それはちょっと分かりません……」進学希望の大学から求められている資質ないし活動内容に関して、目の前の生徒自身にはどうも心当たりがないらしいのです。それがないようなら、この項目に関しては推薦すべき記述がないことになります。そこで、これまでの敬和学園生活を二人で振り返ることになるわけです。「あの時はどうだった?」「この時は……?」
このような問いを繰り返していると、ある時、ハッとする瞬間があります。まさに探していた宝が見つかったような瞬間なのです。「それだよ!それがまさにここで求められていることじゃないかな。君はそんな才能や経験があるじゃないか!」「あっそう言われてみればそうですね!」
問答を通して、生徒自らが自分(の良さ)をあらためて認識した瞬間です。後から振り返ると、こんなことも気づかなかったのかと笑いたくなるほどなのですが、生徒自身が自分の良さを分かっていなかったようなのです。
「人は他者を通してはじめて己を知る」どうもこれは疑いようのない真理です。だとしたら、今の私が知っている「私」とは一体何か。私は、私自身の一部しか、私のことを知らない。だからこそ、ひとりでいては決して学べない真実に出逢うために、学校があるのです。
私には私のことが分からない。でも、完璧な目をお持ちの神様は、「わたしの目にあなたは価高く、貴く」(イザヤ書43章3節)と言って下さる。だから安心して今日も生きて行こうと思えるのです。
「命のままに咲きなさい」~修養会礼拝の話より~
Y.Y(みぎわ館1年 新潟市)
私は小学校の頃から一言で言うと変わっている女の子と言われてきました。いつもテンションが高く、とにかく感情豊かなところからきっとそう言われてきたのでしょう。
「Yってほんと変わってるよね。」
「黙ってたらまだ可愛いと思うんだけどな。」
そう言われる度に、普通で静かな女の子になりたいと思いましたし、そう言われ続ける自分が嫌いでしかたありませんでした。そんななかで去年の夏、私はある舞台の主役をやらせていただきました。その役とは、世界的ベストセラーである「赤毛のアン」のアン・シャーリーです。
私はアンを演じていくうちに、自分とすごく重なっていくのを感じました。感情豊かで想像することが大好き。そんなとにかく変わっていたアンが私によく似ている気がしました。一つだけ私と違ったのは、私は自分の個性を認められず自分らしく居続けられないことでした。アンとの出会いを通して、自分の個性と向き合っていくことと自分らしく生きることの大切さに気づきました。アンのように胸を張って堂々と自分らしく居ることほど、生きていく上で大事なことはないのです。
私は私でしかありません。皆さんも皆さんでしかありません。今までも、これから先も私や皆さん一人ひとりと全く同じ人間なんて存在することはありえません。それは個性も同じです。一人ひとりがもっていて決してかぶることなくばらばらなもの。そんな素敵な神様からの贈り物を変えようとするなんてもったいないと思いませんか。
アンはなぜあれほど強く自分をもって居られたのだろうか、なぜあんなに思い切った行動や発想ができたのだろうかと考えました。結果、アンの周りの友だちなど登場人物がアンを受け入れて、個性を出せる環境を作っていたからだと気付きました。私は、私を含めて49回生にはそれが足りないように思えます。「命のままに咲きなさい」というわたしたちの修養会のテーマは、まさに個性を出してありのままの自分で成長していくことではないでしょうか。けれど間違えないでください。わがままなのは個性ではありません。自分の素敵な良さを出すこと、そしてそれを引き出し受け入れること、これが49回生の課題となっていくと思います。
今、わかっている限りの自分というものが私や皆さんの全てではありません。まだ発見できていなくて知らないだけなのです。だからこそ、今もっている個性を十分に発揮し、尚且つ誰も知らないまだ眠っている個性や自分らしさを一緒に見つけていきましょう。そして3年後、沢山の自分と皆さんを知って卒業したいです。みんなで認め合い、時には助け合いながら共に前進していきたいと思います。49回生全員で最高に素敵な花を咲かせていけるよう、改めてよろしくお願いします。
「ぬれねずみの旅」 I.Y(めぐみ館2年 富山県)
ぬれねずみはゆく
長い道をゆく
上り坂をゆく
下り坂をゆく
曲り道をゆく
上り坂をゆく
あぁ、頭上に落ちる
雨の音がする
強い音がする
足元から音がする
一歩ずつ音がする
荒れた波の音がする
沈みかけた舟の音がする
爪先から音がする
踵から音がする
地面から濡れた音がする
ぬれねずみ達は雨の中ひたすら歩きました
冷たさが浸す
ぬれねずみを浸す
水が浸す
その毛を浸す
辛さが浸す
痛みが浸す
だけどちょっぴり
喜びが浸す
一歩一歩が
爪先を浸す
爪先ほどの幸せが
ぬれねずみを浸す
長くけわしく
また長い道をゆく
故郷へゆく
懐かしさのもとへゆく
いつか、雨はあがり
ぬれねずみは気づく
チャペル前でゴールしてダウン
故郷が近いと気づく
毛から垂れる水滴も
足先からにじみ出る血液も
もう、ぬれねずみを苦しめない
雲の隙間から陽がそそぎ
あの故郷を照らす
痛む脚を引っ張って
ぬれねずみは歩く
歩き止まって少し歩き
最後に彼は走ってゆく
ぬれねずみはそうして家に帰る
彼はそうして
また、未来(あした)もゆく
七十キロメートルを越えて
今回の二年生の修養会は、根気強い48回生メンバーといつも私たちを導き支えてくださる先生方、サポートしてくださった保護者の方々、実行委員、全員で文字通り『歩ききった』修養会でした。
雨は降り、普通の生活ではけして使わないような筋肉の端まで使い切り、体も持ち物も満身創痍。それでもなお、前に進むにつれて笑い声、しゃべり声は増し、心の豊かさこそが何にも変えがたいエネルギーであると、この修養会で感じました。
進むにつれてだんだんと景色は変わり、とうとう敬和の緑の屋根と十字架が見えたとき、そのときのなんともいえない満足感。「帰ってきた。」その一言に尽きる満足感と、ぬれながら歩いた道のり、だけれどもこの貴重な経験によって、これからの人生をさらに一歩大きく踏み出せるようになったことを、忘れないうちにと思って形にしたのがこの詩です。稚拙かとも思いますが、長い道のりを歩ききった感動を想像して頂けたら幸いです。
~三年生修養会の様子~
講演後にも熱心に話を聞きました
絶景の立山トレッキング
寮生活を送って
「変わることの喜び」
W.D(大望館1年 新潟市)
僕がこの敬和に来て変われたことは大きく四つあります。
一つ目は、コミュニケーション力です。僕は中学生の頃は人と話すのが苦手でした。そのせいでクラスメイトからからかわれたこともありました。僕はコミュニケーションが苦手というだけではなく、人に話しかけるのもあまりうまく出来ませんでした。でも今はそんな自分が少しずつではありますが、自分の思ったことを友人に伝えられるようになってきました。寮で常に周りに人がいる状況の中、一緒に生活をするという今まではなかったような環境にいるからこそ、少しずつ変わっていったのだと思います。
二つ目は、自分に自信があるという事です。中学の時、僕は自分に自信を持つことができませんでした。その理由は未来に不安があったからです。しかし敬和で見つけた夢のおかげで、自信をつけることができました。毎日の礼拝のお話しの中から、目標と夢について考えるきっかけを与えられ、自分の夢に向かうための目標を決めて、それを一つずつ乗り越えていくことが大切だと知りました。今は小さい目標を決めながら、毎日の生活を大切にしています。
三つ目は、運動神経の上達です。僕は幼いころから運動が大好きで、夏休み明けからサッカー部に所属しています。とても楽しくやりがいのある部活動ですが、その半面辛いこともあります。でもその辛いことを乗り越えたら、きっと成長した自分が待っているのだと信じて、毎日頑張っています。できないことができた時の喜びと、仲間と一緒に汗を流す充実感を感じながら、自分のスキルアップを目指していきます。
四つ目は家族との関係です。僕は中学生の頃、家族が嫌いでした。ケンカが多く、毎日大変な日々でした。でも今では、敬和の寮に入り家族と離れて生活しているからこそ、家族の大切さや感射の気持ちに少しずつ気付いてきた自分がいるように思います。まだまだ家族について思うことはありますが、それでも中学に比べて穏やかに生活することができ、少しずつでも感謝できるようになってきてよかったです。
これからも敬和の生活の中でいろいろなことに挑戦をして、大きく成長していきたいと思います。
「主体性」 ~礼拝のお話より~
I.K(光風館2年 柏崎市)
週末のスポーツ大会より
私はこの夏、少人数制ラグビーの北信越選抜として、長野県菅平で開催されたコベルコカップという大会に参加してきました。近畿地方や東北地方などと戦い、普段では経験の出来ないレベルの高いラグビーを経験することが出来ました。いろいろな経験をして、いろいろな事を思い出しましたが、一番感じたことを書いて、引率してくれた顧問の先生へ提出しました。
「同じ合同チームでも強いチームはチームを引っ張る人物が複数いました。近畿などは全員がそのような選手だったと思います。我がチームにもそのような選手はいました。しかし、一人二人しかいませんでした。私自身がそのような存在になれなかったことを後悔しました。」
私は昔から人の上に立ち、人を引っ張ることが出来る人物ではありません。しかし、なぜ出来ないのか、はっきりとはわかっていませんでした。
その中、9月上旬に17歳以下日本代表コーチの方が新潟下越地方の高校生に講義をしてくれる機会がありました。講義のテーマは、「必要とされる人財になろう」でした。この講義では一流の選手とはどんな選手か、一流になるために必要なことなどを教えてくれる講義でした。その講義の中でコーチの方は一流選手とは「自ら考え、行動、判断出来る選手。自主的より主体的に行動出来る選手」と言っていました。自主的と主体的の違いは、自主的は「決められたテーマに対して、自ら率先すること。」主体的は「何をすべきか、決められていないことを自分で考え、判断し行動すること」とも言っていました。
私はこの話を聞き、この夏に実感したことを思い出しました。私には、この主体性がないことに気付きました。自主的なことを部活でも普段の学校生活・寮生活でも出来ていると思います。しかし、私は決められていないことを自ら考えて行動する部分においては、出来ていませんでした。また、そのコーチは「そのようなことが無意識に出来ている選手が一流の選手だ」と言っていました。そこで私は「じゃあ一流にはなれないのか」とは思いませんでした。一流選手の中でも、生まれつきそれができる選手もいれば後から意識して出来る選手もいると思います。
私は無意識に主体性を持って行動出来ません。それなら意識してでも、チームを引っ張れるような必要とされる人財になりたいです。これが部活だけはなく学校・寮生活の中でも大切なことだと思っています。自分から動くこと、主体的になることが自分のためだけではなく人のためになること、それをこの夏を通して気付くことが出来ました。後悔しないように常に意識出来ればと思います。光風館48回生の世代交代が始まりました。よりよい寮生活が出来るようみんなで意識していきたいと思います。
寮務教師からの一言
「慌ただしさの中から感じる成長」 堀越 俊継(大望館担任)
今年も早いもので10月の半ばを過ぎました。寮では世代交代が行われ、新運営委員会の働きが本格的にはじまりました。
私はこの世代交代の時期が好きです。それはこの世代交代の時期に見せる生徒の表情が、また一つ大人の表情に変わる時だからです。この一年間のぞみ寮を引っ張って土台を作ってくれた47回生には、自分たちが担ってきた役割に自信をもつ表情と、役割から解放される安心感と、後輩に思いを託す先輩の顔を見ることができます。48回生は今まではどこか受け身で寮生活をしていた人も、寮運営という役割を与えられたことで責任感を持ち、引き締まった顔つきになります。49回生はまだ大きな仕事を与えられる人は少ないですが、それでも自分たちが寮にできることを考えて、自ら役割を求めてくる子も出てきたりします。そういう意味ではこの世代交代の時期は大変慌ただしい時期となりますが、どこか安定した生活を送っていたところに、改めて緊張感を与え、自分たちが主体となってのぞみ寮を運営しているんだということを再確認させてくれます。環境や雰囲気が変わることで焦りや葛藤、悩みも生まれるかもしれません。しかしそういったことも一つの成長のチャンスと考えれば、結果を焦らずじっくり向き合うことを忘れずに、一人ひとりをサポートしていくことを心掛けていきたいと思います。
10月は世代交代に加えて部屋替えの時期でもあります。寮務教師はこの部屋替えを考える際に毎回のように悩みます。同じ部屋になったことがないように組み合わせを考えるのはもちろんですが、それ以外にもそれぞれの館で様々な思惑の中で決定しているのが部屋替えです。しかし部屋替えの目的としては、同じ部屋の人もそうですが、同じ階の人など、人間関係の幅を広げてほしいという願いが込められているのは、どこの館も共通して言えることではないかと思います。常に近くに仲間がいる環境の中で、語り合い、ふざけ合い、時に感情をぶつけ合うことも、人に注意することも、決まった人たちだけで行うのではなく、このような部屋替えという手段を利用しながら、新しい人間関係のきっかけになってくれることを期待しています。
先輩たちの思いの詰まった伝統を引き継ぎつつ、新しい風を取り入れて、より豊かなのぞみ寮を創っていってほしいと願っています。この慌ただしい転換期の中、寮生と共に同じ時間を過ごせる恵みに改めて感謝いたします。