「自分を愛することに苦闘するのぞみ寮生」
寮長 東 晴也
Hさん(めぐみ館2年)の礼拝でのお話。「自分は周りの人たちを信用しきれていない。……もちろん『信じたい』という気持ちがないのではありません。それでも、私はどうしても、それらのことが怖くて仕方ないのです。それを考えると、自分がどうしたらいいのか、わからなくなり、不安になります。私は、そんな自分を嫌いで仕方ありません。……」私はこのお話を聴き、心が震えました。こんなにも真剣に自分の現実に向き合い、その理由を冷静に分析し、その結果を礼拝の場で告白していることにです。さらにHさんは「こんな自分を変えていけたらと思っています。……これは自分の将来にも、つながることだと思ったからです」と、自分の将来に向けての展望を語って、感話を終えています。 (*この感話の全文はTHE・MEGUMI・NEWS NO63に紹介されています)
私は、各館の夕礼拝に出席していますが、最近の礼拝の感話の内容は、このように自分と向き合い、自分の課題や弱さを述べるものが多いことに気づかされています。例えばR君(大望館1年)は、自分の体の一部が「コンプレックス」であり、「これは苦痛でしかない」と正直に語り、なぜこうなるのかを自分で調べた結果、「すげー(凄い)」との感動を話してくれました。また、K君(光風館1年)は、「自分の好きなところを見つけるのは難しい」と述べた上で、「自分のことが好きになれるように生活すること」で「自然に他人からも好かれて、自分のことも好きになれる」と、自分なりの工夫をユニークに語ってくれました。H君(大望館1年)は、自分の「こだわりは他人から理解されないことがよくあります」と自分の『こだわり』を具体的に紹介し、でも「そのこだわりのせいで時々困ったり……(逆に)助かったこともあります」と話してくれました。最後に「こだわりを持っていると良いことも悪いこともあります。ですが、こだわりが強すぎるとわがままになるので、その限度を見極めてこれからも生活していきたい」と、こだわらざるを得ない自分のことを率直に語ってくれました。
私は、このように自らを吟味し、率直に語る寮生の姿に、好感と共に逞しさを感じます。そしてその姿は私にとっての希望です。私は、このような厳しい自己吟味なくして、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」(聖書マタイによる福音書22章39節)とのイエスの教えなど守りようがないと思うからです。そういった意味において、多くののぞみ寮生たちは、まさに順調に「苦闘」しています。これは今の私の偽らざる感想です。
私たちがお預かりしているかけがえのない若い魂は、この海風の叩きつける太夫浜の地で、懸命に生きています!一人ひとりの成長のために、どうか日々のお祈りに加えていただければ幸いです。そして、一人ひとりの生徒を懸命に支える寮務教師達のためにもお祈り下さい。
【寮生リレー】
礼拝のお話より
「私と家族とみぎわ館」 Y.M(みぎわ館1年 東京都)
私の家族について話します。父と妹の3人暮らしです。
父は音楽、バイク、車が大好きです。私も音楽、バイク、車が大好きです。私の趣味は父の影響といっても過言ではありません。趣味の話をしている時の父の楽しそうに輝いている顔が、私は好きです。
妹は、中学2年生です。父には時々反抗するらしいですが、私が家に帰ると、学校での出来事や様々なことを、とても楽しそうに話してくれます。その話を聞くのが、私の楽しみの一つです。私は、そんな家族が大好きです。
そして、家族がずっと支えてくれていたことを知ったのが、寮に入ってからです。家にいる時はいつも、そばにいるのが当たり前で、私の気分次第で当たって、文句を言ったり、悪口を言ったり、酷いことも沢山したりしました。それが普通だと思っていました。しかし、入寮し、家族は私がつらい時にはいつも相談に乗ってくれて、励ましてくれていたことに気がつきました。いつも嬉しいことがあった時には一緒に喜んでくれていました。
離れて寮生活に慣れるまで、不安しかないような毎日でしたが、そばにいなくても父や妹が私を支えるため、段ボールいっぱいの荷物と段ボール全面にメッセージを書いて送ってくれ、励ましてくれました。かかってくる電話も嬉しくて力になりました。離れて暮らしていても、いつも応援してくれていること、支えてくれていることを痛感しました。家族がもっともっと好きになりました。
今、本当の家族と離れて暮らし、家族がより大好きになったら、みぎわ館の皆さんが家族のように支えてくださっていることにも気がつきました。みぎわ館の皆さんのおかげで私は毎日、本当に楽しく過ごせています。ありがとうございます。 そして、今度は私が次に入ってくる1年生を励ます番だと思います。私がここで感じたように、楽しく過ごせる環境を作りたいです。そのためにも、ここでの生活をたっぷり楽しみ、みなさんとの一日一日を大切にしていきたいと思います。
「大切な人」 S.S(大望館1年 五泉市)
みなさんは親・家族をどう思っていますか?きっとこう質問された時、「大切な人。無くてはならない存在」と答えると思います。しかし、誰でも時には「うざい。居なくなればいい。」と思ったことが一度はありますよね?私にもそういった時が多々あります。
例えば、疲れている時に長話をされたり、「こうしろ、ああしろ。」と言われたりした時です。ですが、私は父をとても尊敬しているし、感謝しています。理由は数えきれないほどありますが、一番の理由は母の死です。
母は私が8歳、小学2年生の時にガンで亡くなりました。今では顔も声も覚えていませんが、とても悲しかったことは覚えています。特に悲しかったことは、授業参観の時です。周りには友達の母親ばかりで帰り道はとても落ち込みました。けれど、帰るとその分、父と祖母が褒めてくれたことがとても嬉しかったです。
その頃から尊敬していたし、感謝もしていました。そして、進路に悩んでいるときには、ここ敬和学園を勧めてくれました。
今では寮に入って、さらにありがたみを感じました。こういった些細なことから親・家族・人の見方は変わってきます。
この際、見つめ直してみてください。きっと見方が変わってくるはずです。
ミーティングについて「本気になる時」 K.T(光風館2年 兵庫県)
寮生活の中で大切な時間。礼拝、食事、勉強の時間。これらのことも非常に大切な時間です。しかし、大切な時間はもう一つあります。それは、ミーティングです。ミーティングとは、自習時間中などに学年や館全体で集まり、今の自分たちの問題点やどうすればいい館になるかなどを話し合う場です。しかし、ミーティングと聞くと、大半の寮生は「だるい。しんどい」と感じます。けれども、このミーティングが無ければ、その学年や館の絆は深まっていかないのです。
最近の光風館48回生のミーティングは、光風館テーマの通り『本気(マジ)』、そのものです。各委員会の集まりがない日は、毎日のようにミーティングします。自習時間中で話し足り無ければ、夜の点呼を終えてからも話し合いをするほど、ミーティングを重ねてきました。時には、意見が食い違い、一つの議題について、2日間かけるなど納得がいくまで話し合いをしました。
これほど本気でミーティングを重ねている光風館2年生ですが、1年生の頃はそこまで本気ではありませんでした。
なぜ、今の2年生がここまで本気でミーティングを取り組むようになったのかというと、あるミーティングの時です。その時の2年生は、先生・先輩・後輩からの信頼がうすくなってしまったと感じた時のことです。
そんな時のミーティングで、どうすれば信頼を取り戻せるのかということについて話し合いをしていました。しかし、すぐには答えが出ず、いっぱい話し合いを重ねました。そうして、話し合いを重ねていく内に、ある人が「本気になればいい」と言ったのです。最初は何のことやらと思いましたが、その言葉の意味を聞き、納得すると同時に本気になりたいと思ったのです。
その後、48回生が全員同じ気持ちになり、光風館のテーマにあるように『本気(マジ)』でミーティングや寮生活に取り組むようになりました。
寮生は、学校・寮生活でやることが多くなってしまい、一つ一つのことが適当になりがちなことが多いです。そんな時に学年テーマ『本気(マジ)』を思い出し、一つ一つのミーティングを本気でやり、これからもよりよい学年・光風館を作っていきたいです。
世代交代で感じたこと「ルールは気遣い」 I.S(みぎわ館2年 長野県)
ルールは時に、人を守り、時に人の居場所を奪います。入寮してすぐ教えられた沢山のルールに、「貴方の居場所はここにはない。」そう言われているように感じていました。寮に帰って来たいとは思えず、下校のチャイムを聞くたびに憂鬱になる日々。
そんな時、ある先輩からルールをみぎわ館からなくしたいという想いを聞かせてもらう機会に恵まれました。私はその先輩の考え方や想いに共感し、惹かれていきました。そして、その先輩をはじめとする47回生の先輩方の姿を見て気が付いたのです。
「ルールとは本来みんなが暮らしやすくするための気遣いであった」ということに。そうであれば、大好きなみぎわ館の仲間たちに気遣いができない訳がない、そうも思ったのです。しかし、染み付いたルールはそう簡単に変えられるものでも、無くせるものでもありません。それでも先輩方がそんなルールをどうしていったらよいのかと、必死で向き合ってきた姿をずっと見てきました。そしてその姿は私に様々なことを考えさせ、教えてくれました。その時、私は決めました。
先輩方の意思を引き継ぎ、ルールとは何かに気付いた私が皆に伝えようと。それが気遣いであり、教えてくださった先輩方に見せる後輩の態度だと。そして、そんな私たちの姿に後輩はきっとついてくると思うのです。
言葉無しで後輩がついてくるくらいの姿を見せることができた時、初めてルールは無くなるのだと思います。私は居場所をつくってくれた皆に、今度は私が居場所をつくってあげたいと思っています。
進路の取り組みから「夢を叶えるために」 N.K(めぐみ館3年 加茂市)
私は進路を服飾大学に決め、9月のAO入試を受験して合格通知をいただくことが出来ました。はっきりとこの道に進む決断をしたのは7月です。学科は、夏休みの始まる1日前まで悩んでいました。元々ものづくりが好きで服飾関係につきたいと思っていたものの、そこでやっていけるか自分に自信が持てず、一般教養を学ぶ大学にしようかと悩みました。悩みに悩んだ結果、私は自分のやりたいことを突き詰める道を選びました。
AO入試は、自分で製作した作品とそのプレゼンテーション、志望動機と自己アピールを決められた時間内に行うものでした。私はまず自分とは、どんなものが好きで、どんな人間なのか「自分」について考えるところから始めました。自分が自分のことをきちんとわかっていなければ相手に伝わらないと思ったからです。
試験準備で一番苦労したのは、志望動機と自己アピールを3分間で発表するということです。自分について考え、広げた情報をもとに文章を作りましたが、それが納得したものになるまで、先生に付き合っていただきとことん文章を練りました。本当に大変な作業でしたが今思うと自分の考えをしっかりと固めたことで試験にスムーズに臨むことが出来ました。
私の高校3年間は、入学からフェスティバル、大学受験まで大切な場面でたくさんの方に力を借り、手を差し伸べてもらってきました。次は、自分の力で納得のいくところまでできるようになることが、私の次のステップへ進むための課題だと思います。そしていつか、今まで支えてくださった方へ恩返しできたらと思っています。
本当に自分のやりたいこと、続けたいこと、好きなことが続けられる道を選ぶことをお勧めします。自分の目で見たことや、気持ちに重きを置いて考えることも物事も決めるにあたって大切な要因だと私は気づかされました。
3年間の部活動を終えて「成長させてくれた部活動」 M.T(大望館3年 柏崎市)
僕は2年半にわたる器楽部での活動の中で様々なことを経験しました。特に1年生の時、部活動でうまくいかなかった時期に、人を疑うことや、自分を責めたりして、部活動に行きたくなくなり、しばらく休部をすることがありました。そのときは「自分にジャズはできないのかな」と悩みながら苦しい日々を過ごしていました。ですが、家で一人で考えたり、親と話をするうちに、途中で投げ出して後悔するより、やって失敗を繰り返しながら、少しずつ成長していきたいという思いが強くなり、部活に戻ることができました。
2年生の時は、この経験を生かし、何が何でも頑張るという気持ちを持ちながら、休まずに取り組みました。それから、ジャズに徐々に慣れてきて、楽譜を読むことも少しずつ早めることができ、「自分でもやっていける」と自信が出てきて、引退までやり遂げようと思いました。
3年生は厳しいながらも充実した日々を送ることができて、あっという間に月日は経過していきました。この頃は、みんなに支えてもらってここまで来ることができたということに気付くことができ、他人の気持ちを考えながら、自分にできる精一杯の力で、器楽部に貢献したいという意識で頑張ることができました。自分一人ではここまでの道のりや気付きを与えられることはなかったと思います。本当にみんなのおかげでやり遂げることができ、感謝です。
部活動は引退しましたが、この敬和の器楽部で得た出会いと経験は、これからの人生にも大きな意味を持つと思います。苦しい時にも支えてくれる仲間がいるということを経験し、自分も人を支えられるような存在になりたいと思いました。本当に器楽部に入って良かったです。
~教師からの一言~
「誠実に向き合いながら」 小菅 真子(めぐみ館担任)
舞い散る落ち葉や、風の冷たさに、晩秋を感じる頃となりました。3年生はこれから受験を控える生徒、受験、試験を終え卒業後の進路決定の、喜びのニュースも日々届いています。1・2年生は次年度に向けてのカリキュラムの説明を受ける時節を迎えています。寮クリスマスの祝会に向けて二年生中心にのぞみ寮でも活動が進んでいます。
冬休みを心待ちにしながら11月末日から始まる第4定期テストへの取り組む姿も各館で見られ頼もしい限りです。
私事……3人の娘がおりますが、三女も年末に成人を迎えます。三人三様で一人一人に喜びと悩みを持ちながらたくさんの方に支えられてここまで来ました。娘たちのことに一喜一憂しながら過ごしてきた毎日でした。
「お母さんの思う通りにしていたら、自分で悩むことなく楽で今まで来たけど……自分で考えて決めるときが来た。」次女が進路決定の時を迎えたときの彼女の言葉は、私を大きく変えるものとなりました。
母として娘のためにと心に言い聞かせながら、私の願うように、周囲からの評価をいつも気にしながら子育てをし、見えないレールを敷いてしまっていたことに気づいたのです。娘たちから見るならば、私はまだまだ熱く見守られていると感じることも多いようですが、娘の話に耳を傾けて聞くことが出来るようになりました。
自分で悩みながらも、自分で考えて前に進んでいく娘たちの姿を心配しつつも、これからのことが楽しみにもなってきました。
寮生たちとの生活の中で、それぞれの思い、悩みに触れ時間を共にできる機会があります。話に心を傾け聴くことの大切さを生徒たちとの会話から感じることが多くあります。話を聴くときは、答えを出さなければ、良いアドバイスをと、つい頭によぎるのですが、話を聴いてもらうことで気持ちを整理し、話す前とは違う、すっきりとした表情で部屋を後にしていきます。
自分の弱さも出せる場所。支えてくれる仲間がいる場所。それが寮生活です。弱さを自分自身で受け止めたときに、心が強くなり、周囲へも本当のやさしさを表現できるようになると思います。自分で考え行動できる力を備えていけるよう、一つ一つの出来事に向き合いながら過ごせるようにと願っています。成長を感じる場面に出会う瞬間はうれしい時です。
どんな時も側にいて励ましてくださる神様に感謝しながら、彼女たちと誠実に向き合い生活を共にしていきたいと思います。