2014年11月25日火曜日

のぞみ通信 No.204(2014年11月19日)

主の御心のみが              
 寮長 信田 智
 
 私はよく生徒に、先生年はいくつですかと聞かれますが、もう定年を過ぎ、本来ならばとっくに退職しているはずの年齢なのです。以前私は10年程教会で牧師をしていましたが、ある時、敬和の初代校長太田俊雄先生から、「敬和の宗教主任が辞めて、後任がいなくて困っている、敬和に来て手伝ってくれないか。」と電話がありました。私は「出身教会の後継者として招かれてきたばかりで、とても無理です。」とお断りしました。
 太田先生には神学生時代1年間キリスト教教育を習ったことがありましたが、そんなに深い師弟関係はなかったのです。その先生が神学校を卒業して10年も経った私に、電話して来られたのですから、よほど困っておられたのだと思います。しかも、時期はもう2月上旬のことでした。  常識的にはそんな時期に突然転任など出来るはずがないのです。
 しかし不思議なことに、この頃私の心の中に何かもやもやとしたものがあったのです。それは「この教会に骨を埋めるつもりで来たけれど、本当にそれでいいのだろうか」と言う迷いのようなものでした。その迷いを吹っ切るために主任牧師と話をしたのですが、私の思いとは裏腹に、その迷いが増幅される結果になり、少しここを離れた方がよいのではないかと判断し、次の宗教主任が決まるまで、敬和学園でお手伝いさせてもらってもいいかなと考え、太田先生の招きに応えることにしました。
 しかし、私は教師になることなど全く考えてもいなかったので、教員免許証など持っていませんでした。そこで、太田先生に「先生、私は教員免許証を持っていません。それでもいいのですか。」とお話ししたところ、太田先生は「教員免許証が教育をするのではない。私はあなたを必要としているのです。」と言われたのです。かっこいい殺し文句にやられ、この先生のために私のできることを全力でお手伝いしようと決心しました。
 太田先生のお手伝いのつもりで来た敬和学園に、何と、37年も在職することになってしまいました。途中何度か、そろそろ潮時かなと思われる時もあったのですが、その時は主が、「わが僕よくやった、もう引き上げていいよ。」とは仰って下さらなかったのです。私は、神さまが「お前の敬和での使命はもう終った」と仰って下さる時が来るまでは、動くまいと心に決めて今まで歩んできました。
 神さまのなさることは実に不思議で、私達には計り知ることが出来ません。骨を埋めるつもりで赴任した出身教会にはわずか2年、次の宗教主任が決まるまでの、お手伝いのつもりで来た敬和学園には、37年もいることになってしまいました。「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。」(詩編37:23)顧みてまさにその通りであったと思えるのです。私達は自分の思いでいろいろな計りごとをし、それが正しいと思いますが、ただ神様のみ心のみが実現するのです。だから、これが主の御心だと信じたことであるならば、大胆に行動したらいい。もし御心でなければ、主はそのことをも示してくださるに違いない。


寮生リレー通信  (第 117 回)


『コスモスコンサート』

「歌うことの幸せ」
Y.I(めぐみ館 3年 新潟県阿賀野市) 
 去る11月1日、女子声楽部と男子声楽部シュビドゥバーズは、3年生引退となる定期演奏会のCOSMOS CONCERTを開催しました。敬和の在校生、先生方、先輩方、保護者、一般の方々、たくさんの方々にご来場いただき、大盛況に終えることが出来ました。ここまでの道のりは、決して穏やかなものではなく、本当に来てくださる方を楽しませ、自分たちが納得のいくコンサートを作り上げることが出来るのか不安でした。部員の衝突、部活に対する意識の違いなど、私たちは様々な壁にぶつかって来ましたが、それを乗り越え、大会でも金賞を受賞することが出来、演奏会に行った際は聞いて下さった方に喜んでいただけるような演奏をすることが出来るようになりました。
 私たちが歌うことができ、その歌を聴いてくれる人がいることが、どれだけ幸せなことか気付くことが出来ました。この様なことに気付くことが出来、成長する機会が与えられたのも、周りで支えて下さった先生方、友人、保護者の方々、そして歌があったからであり、感謝しています。本当にいつもありがとうございます。私は高校を卒業しても歌を続けていきますが、ここで学んだこと、歌に対する純粋な気持ちを忘れずに、これからの道のりを大切に歩んでいきたいです。最後に、コスモスコンサートにご来場いただいた方々、スタッフをして下さった方々、本当にありがとうございました。来年度の声楽部もよろしくお願いします。


「最後のコンサート」
M.N(大望館 3年 長野県長野市)
 僕は45回生、男子声楽部シュビドゥヴァーズの部長を務めさせていたただきました。今年は僕たちが中心となって作り上げる、第25回コスモスコンサート、今年のコスモスコンサートのテーマは、『Second Family~僕たちが帰る場所~』でした、このテーマは3年生たちが幾度も話し合い決めたテーマで、3年生たちの強い思いが込められています。
 今年のコスモスコンサートは去年にはなかった「ポップス部門」が追加され、ほかにも盛りだくさんな内容となっていました、とくに見どころだったのが「ミュージカル」と「大会報告ステージ」でした。ミュージカルは、個性あふれる部員が個性あふれる役を演じたおかげで、クセありまくりでしたが、笑がいっぱいのミュージカルとなりました。
 大会報告ステージは、僕たちが全日本合唱コンクールで歌った歌を歌いました。その2曲は僕たちが一番練習してきた歌で、一番思いがこもっている曲です。コスモスコンサートで歌ったどんな歌よりもうまいと感じました。練習はやっぱり嘘をつかないんだなと思いました。最高のコスモスコンサートでした。




『大夫浜コンサート』

「感謝を込めて」
I.T(光風館 3年 茨城県龍ヶ崎市)
 太夫浜コンサートにお越しいただいた方、これなかったけど応援してくださった方、本当にありがとうございました。
 僕はこれまでの二年半、たくさんの人に迷惑をかけながらなんとかこの部活をやってきました。部員の誰も僕が最後まで部活を続けられるとは思っていなかったと思います。それでもいろんな人に支えられながら、なんとか引退まで部活を続けることができました。見守ってくれた方、怒ってくれた先輩方、見捨てず辛抱強く付き合ってくれた仲間たちに感謝しています。太夫浜コンサートはそんな感謝を形にして届けたいと思って演奏した、恩返しのコンサートでした。拙い演奏しかできませんが、その時にできる最高の演奏ができたと思っています。
 僕が器楽部で培ってきた全てをもってごめんなさいと本当にありがとうを届けました。少しでも笑顔になっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。胸を張って、引退したいと思います。ありがとうございました。そして、46回生率いるこれからのJazz Hornetsにご期待ください!



「部活で学んだこと」
O.Y(光風館 3年 京都府京都市)
 私は3年間の部活動を通して、協力し感謝することの大切さを学びました。
 器楽部では主に、ビッグバンド・ジャズを演奏しています。ビッグバンド・ジャズはその名の通り、大規模な編成で演奏する音楽で、最小編成でも17人を必要とします。そして、吹奏楽や管弦楽とは違い、1つのパートを2人以上で演奏することはめったにありません。そのため、各々に高いレベルの技術力が要求され、自身のパートに責任を持つ必要があります。しかし、その分、バンド全体が一体となって演奏する感覚を体験することができ、ビッグバンド・ジャズ特有の迫力のある演奏ができたときの喜びは大きいです。
 私が部活動を始めたばかりのころは、自分の技術力の向上だけを目標にしており、周りとの協調性が低かったと思います。しかし、ビッグバンド・ジャズでは一体感が最も重要視されます。確かに、個人の技術力も高くなければいけませんが、周りと協力しなければ、美しい音楽にはなりません。例えば、あるパートが主旋律を演奏しているとき、ほかのパートがうるさく演奏してしまうと、どれだけ主旋律がきれいでも台無しになってしまいます。他にも、ドラムやベースといったリズム楽器の音を聞かなければ、全員のリズムが合うことはまずないでしょう。このようにビッグバンド・ジャズを演奏するときには、互いの演奏にアンテナをはり、より良い演奏となるように他人を気遣うことが必要になります。
 部活動での経験は、一人では何もできないということを教えてくれ、何かが上手くいったときにも、そのほとんどが、他の人が気遣ってくれた結果だ、ということを知りました。常に感謝の心を忘れず、協力し合って生きていきたいです。




『敬和を考えている中学生へ』 


「寮ってどんなとこ?」
T.M(みぎわ館 3年 新潟県長岡市)
 みなさんは、寮生活と聞いてどのようなイメージを持ちますか?面倒くさそう、上下関係が厳しい、規制が多い、携帯が使えない不便所、等あまり良いイメージは持たないのでは無いかと思います。私は入寮前はそうでした。しかし、そんなことはありません。断言します!!勿論上下関係や規制が無い訳ではありません。生活をしていく上で必要なルールもありますが、それは私達を縛りつけるためのものではありません。お互いに気持ちよく生活するものです。
 ではそんな寮生活では何を学ぶことができるでしょうか。答えはたくさんあります。気遣い、思いやり、敬語、上下関係、話し合うことの大切さ、正面からぶつかる事もあります。悩む事もあります。しかしそれは寮生活だからこそできる事だと思うのです。入寮しなければ分からない事もたくさんあるのです。
 携帯もPCもTVゲームも必要ありません。目の前にもう話相手が居るのですから。基本的な生活プログラムはほぼ毎日同じですが、3年間過ごしてきた中で同じ日は一度もありませんでした。
 沢山の笑顔、涙、悩み、話し合い、そして何よりも思いやりで出来ている寮。入寮前は不安や迷いがありましたが、今は入寮した事を後悔していません。むしろ本当に感謝しています。3年間はあっという間です。人との関わりの中で大きく成長する事間違いなし!!今までは知らなかった自分、深く関わるからこそ見えてくる相手の良さに気が付く事ができました。


「仲間たちと過ごす時間」
H.M(みぎわ館 2年 宮城県気仙沼市)
 最近心の底から思いっきり笑ったことありますか。心の底から思いっきり怒ったことありますか。心の底から思いっきり泣いたことありますか。寮生活というものは、嫌でも人と関わらなければできません。
 家では、学校で嫌なことがあった時一人きりになる事ができたかもしれませんが、寮ではそうは行きません。悩みがあっても仕事はしなければならないし、相性の合わない人ともつきあっていかなければならない。その中でぶつかり合いが起こって苦しい思いもするかもしれません。でも、うわべだけの仲ではなく、心の底から思いっきり本心をぶつけ合った友だちは、かけがえのない『仲間』になるのです。そんな仲間たちなら、一生かかっても切れない絆が生れるのではないでしょうか。
 高校生でいられる時間はとても短いものです。長い長い人生の中のたった3年間、その短い時間を、思いのままをぶつけられる仲間たちと過ごす。それってとても素敵なことだと思いませんか。





<もう一つの寮体験>
 去る10月29日(水)から31日(金)までの3日間、学校から小田中教頭と狩野教務主任が寮体験で大望館に来てくださいました。
 これまで、学校の研修の一環として寮体験に来てくださった先生は何人もいます。そのほとんどは若い先生方でした。今回は教頭と教務主任という学校の中でも中心を担っている先生方が来てくださるということで、大望館生達はどんなおもてなしをするか考えました。先生方に最高の想い出を残してもらおうとしたのです。
 男子寮生45名、色んな案が出されましたが、最終的にスウェーデンの伝統的な食べ物「シュールストレミング」でのサプライズおもてなしをしました。シュールストレミングとは、この時期に食べられるニシンの塩漬けで、スウェーデンでは日本のくさや的な存在だそうです。その強烈なにおいから「世界一臭いたべもの」と称されています。
 後日、両先生方もその時の様子を楽しそうに語っていました。彼らの願いが叶い、想い出に残る寮体験となったようです。その時の実行委員長の文章を紹介します。



「Welcome to 大望」
K.S(3年 宮城県大崎市)
 この感動をより深く表現するために、以下より倒置法を駆使してお話します。気分が悪くなったら飛ばしてかまいません。
 少し前に大望館に来られました、小田中教頭と狩野教務主任が。僕たちは知ってました、先生方が来ることを。そこでサプライズにと、考えました、缶詰を買う計画を。その缶詰は世界一でした、臭いが。かの有名なシュールストレミングさんです。臭いを数値で表すと、数倍もあるのです、焼きたてくさやの、納豆の・・・。5000円という値段でしたが、皆で少しずつ集めて注文することになりました。Amazonで。
 先生たちは何も面白くない平和な一日を過ごしました、大望に来てから。僕たちは内緒にしてました、シュールストレミングのことを。二日目の夜、なんの説明もないまま連れ出しました、外に・・・。あまりにも危険だからです、屋内だと。
 ついに、実食!!生ごみの溜まったポリバケツの最下層のような臭いがしました。ナウシカの腐海みたいな感じです。
 先陣をきった小田中教頭・狩野教務主任は、怒り狂ったオームみたいになりました。僕たちもなりました。興味をもってもらえたら幸いです。レッツシュールストレミング!



寮務教師から一言
 あの暑さからあっという間でした。冬って本当にやって来るのか?あの時はそんなことを考えていましたが、ここ数日で急に冷え込んできました。雪とは縁のない地域で育った私は今年は多い年かと毎年楽しみにしてしまいますが、昨今の異常気象によるキャンパス内に降り積もる雪の少なさには驚くばかりです。子どもたちと一緒に作るかまくらを今年は披露できるか?しかしその一方で、雪の多さに悩まされる方々がおられることも忘れずにその日を待ちたいです。
寮務教師 澤野 恩

2014年10月24日金曜日

のぞみ通信 No.203(2014年10月17日)

強いられてするのではなく
 寮長 信田 智

 私は、ある大きな教会の副牧師をしていたことがある。主任牧師はとても厳しい方で、服装から原稿の下書き、言葉使い、礼拝の司会、説教の内容、立居振舞、牧師としての在り方、ありとあらゆる面で厳しく訓練された。大概の伝道師は、その厳しい訓練に耐えられなく、1年か2年でやめていった。この牧師のもとで勤まればどこの教会に行っても勤まるであろうと言われていた。私も、いつも緊張して気の休まることのない生活をしていたように思う。しかし、その牧師のもとで5年間、歴代の伝道師達の中で一番長く務めることになった。もっとも、そのしわ寄せは全部家族のもとに行っていた。
 一方私の恩師は、一度も私を厳しく指導することはなかった。しかし、その恩師の前に出ると、全部見透かされているように思い、隠し事は出来なかった。そして、自らの至らなさを気付かされ、自然と身を正さざるを得ない凛とした厳しさが伝わってくるのである。ぐいぐい引っ張ってくれる良い指導者もいる。また、従わざるを得ない威厳に満ちた指導者もいる。幸いなことに、私は若い時両方の指導者のもとで訓練を受けることが出来た。私のような無力な者が、敬和で今まで務めることが出来たのは、良き指導者に恵まれ良き環境が備えられていたからに他ならない。
 詩編の32編には、「分別のない馬や、らばのようにふるまうな。それは、くつわと手綱で動きを抑えねばならない。」と言う一節がある。私たちは何かをするのに人を見ることが多い。自分より強そうな人の言うことは聞くが、自分より弱そうな人の言うことは聞かないといったように、強力な力には屈し、弱い力のもとでは暴走することがある。くつわや手綱で、強制的に制御しなければ言うことを聞けないというのでは情けない。強制的にいうことを聞かされ、いやいや何かをするのではなく、自分の意志で物事の良し悪しを判断し、行動することのできる人になっていきたい。
 今回47回生1学年の修養会に参加させてもらった。47回生の修養会実行委員会のメンバーは、自分のことを後回しにし、みんなに仕えることに徹し実によく活動していた。また、47回生全体も強制されていやいや動くのではなく、時間をしっかり守り自主的な行動を心掛けていた。楽しみにしていたトレッキングが雨で中止になり、雨天プログラムに変更されても、文句も言わずみんなで雨天プログラムを盛り上げていった。これからの更なる成長が楽しみである。
 その背後には47回生を信頼し、彼らが自分で気づき、自分たちで問題解決を図ることが出来るように、忍耐強く待っている教師集団がいることを見せてもらった。同時にまだまだ未熟な集団であり一人一人であるので、道を外れそうになるときに厳しく叱ってくれる存在も必要である。その存在は47回生にとって最大の応援団であることを忘れてはならない。自分で考え、自分で判断し、主体的に行動できる自由を身に着けていきたい。そして、そのことについては自分で責任を負う覚悟も必要である。


寮生リレー通信  (第 116 回)
 
「 のぞみ寮テーマ:希努愛絡 」
I.H(めぐみ館 2年 神奈川県川崎市)
 今年ののぞみ寮の全体のテーマは「希努愛絡」です。みなさんはきっと「きどあいらく」と聞いて思いつくのは感情の方の四文字熟語だと思います。ですが、このテーマの方の「きどあいらく」にはこんな意味があります。「希望を持って努力し、愛を持ってつながる。」
 このテーマを決めるにあたって、まずブロック長、そして副ブロック長でどのような寮にしていきたいかというキーワードから出していきました。帰って来たいと思えるような場所、笑いあえる場所、愛を持って歩み寄って行けるような関係、そんなキーワードが出ました。そんな中でもよく出てきた、中心となっていたキーワードは「愛」だったように感じます。46回生の修養会でのある人の礼拝のお話で私は愛について深く考えさせられました。愛とは、自らが損をしてでも相手の幸せを願えること、自らの利益を求め自分が幸せになってばかりの「愛」とは愛ではなく利用であるということ。自らが損をする「愛」は、寮生活においてとても難しく、とても大切なことだと思います。
 寮生活において努力し3年間成し遂げることで、十人十色ではあると思いますが必ず得られるものがあると思います。そのためには寮の仲間と協力し合い、時にぶつかり時に笑い合うことが必要不可欠です。その時、愛を持って接しなければ伝えたいことも伝わらないと私は思っています。このテーマを大きく掲げ、みなさんが少しでも心にとめて寮生活の1日1日を大切にして下さることをお祈りしています。

 
 【めぐみ館ブロック長】  
「おでん~みんなでうま味を出し合おう~」
I.H(めぐみ館 2年 神奈川県川崎市)
 今年のめぐみ館のテーマは「おでん~みんなでうま味を出し合おう~」です。夏が終わり寒くなってあたたかいおでんを食べたいと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?この中にある大きな2つの意味は、「家にいる時でもふと恋しくなるようなあたたかい、帰って来たいと思える館」、「1人1人の個性を大切にする」ということです。
 おでんは1つ1つでも美味しいけれど、集まるとさらにダシやうま味が出て、あったかくて美味しくなります。家から帰って来た時の、愛情のたくさんつまった「おかえりなさい」の言葉。これは寮にいたいと思える、寮に帰って来た時にほっとするようなものだと思います。寮にいればたくさんのルールに縛られ、先輩がいて後輩がいます。心に余裕がなくなることもあります。ですが、辛い時に支えてくれるのは、先輩後輩を含めた寮の仲間たちです。その仲間たちがお互いに個性を出し合い、たくさんの考えを共有し、理解し、吸収することで、私たちはまた一つまた一つと大きく成長していけるのではないでしょうか。考えがぶつかるのは当然のことです。これだけたくさんの人がいたら、誰一人として全く同じ考えを持つ人はいないからです。1人1人が自分の意見を大切にしながら相手の意見も尊重していく。それによって個人が成長し、そして館としての成長も出来るのではないでしょうか。これが、このめぐみ館のテーマ「おでん~みんなでうま味を出し合おう~」の内容です。
 さて、みなさんには、人生においてこれが本当に本当に大きな経験だった、そしてその後も自らの糧になる、というようなことが思いあたるでしょうか。すぐに思いつく人も、今はまだない人もいると思います。私はまだないです。ですが、人生に関わるような大きな経験とはきっと後になって過ぎ去った時に気が付くのではないでしょうか。その時とても辛く苦しかったことはその壁を乗り越えてみると大きな糧となっているかもしれません。みなさんがこののぞみ寮での3年間に真剣に向き合い全力で取り組むことで、人生においてそんな経験となることを願っています。

 【光風館ブロック長】  
One For 光風 」   
S.E(光風館 2年 兵庫県西宮市)
 普段、礼拝のお話があまり上手ではなかった光風生の一人が夏休み明け、礼拝のお話をしてくれました。彼は夏休みに兄弟四人で旅行した想い出を話していました。お話の終盤に『「僕は兄弟四人でいっしょにまた旅行に行ける日がもしもあったら、また行きたい!」と思いました。』と言い、普段の彼ならここでお話が終わるのですが、その日の彼は違いました。
 『みなさんの中で一人っ子の人がいると思います。この話を聴いて、兄弟がいてうらやましいと思っていると思います。でも僕は、この光風館全員が家族・兄弟だと思っています。先生はみんなを見守ってくださる親で、二・三年は後輩たちを支えたり元気を出してくれたりする兄で、一年生はこれからのことを学ぶ弟なので、一人っ子の人でも光風館全員を自分の兄弟だと思ってくださるともっと楽しい寮生活になると思います。僕は悲しい時があっていつも側にいてくれるのが家族・兄弟だと思います。ですので、これからも家族・兄弟達を大切にしていきたいと思っています。』と、言ってくれました。お話が終わり、彼の成長に光風生たちは歓声を上げ、礼拝の雰囲気はがらりと変わりました。僕も同学年の光風生として彼の成長を喜ぶのと同時に、彼に兄弟と言ってもらえたことを凄く嬉しく感じました。そして、これからの光風館を作っていく46回生の中で大切なことを気付くきっかけとなりました。
 46回生光風館のテーマは、『One For 光風』です。なぜこのテーマになったかというと、まずテーマ決めのミーティングで「今の自分達には何が足りないのか?どうしたら自分達の寮は良くなっていくのか?」について話し合いました。その中で「楽しければ何でもいいんじゃない?今よりももっと楽しい寮にしたい!」という意見も上がりました。しかし、その反面で「楽しむためには普段の生活のメリハリが足りない」という意見も上がりました。たしかに今年に入り、担任寮務教師が変わり、2年生の倍くらいの人数の1年生が入ってきたことにより、大きく寮内が変わったこともあり、僕たちの生活は所々でルーズになっていました。なので僕たちは楽しむためにも、「まずルーズになっている所から引き締めていこう!改善していこう」という想いを込めて、このテーマにしました。
 少し話が飛躍しているように聞こえるかもしれませんが…ひとり一人が光風館の仲間のために行動すれば、結果的に自分勝手な行動が減ったり、行事をもっと楽しんだり、メリハリのある生活が出来るようになると思います。僕たちはテーマを考える時に、そのテーマがいつも頭に置いておけるということ、実現出来るということも意識して考えました。いつでもこのテーマを忘れずに生活していきましょう。

 【みぎわ館ブロック長】  
「窓を開けよう!!」
H.M(みぎわ館 2年 宮城県気仙沼市)
 みぎわ館ブロック長のH.Mです。突然ですが、みなさんは掃除が好きですか。みぎわ館では毎日の掃除を朝に行っています。実を言うと、私はあまり掃除が好きではないのですが、毎朝部屋の窓が開けられて入ってくる、心地良い風は大好きです。特に秋、この季節は掃除にピッタリの気候です。話は変わりますが、先日ミーティングで、みぎわ館のテーマについて話あっている時、多くの意見が出る中、こんな言葉が出ました。「風通しの良い館にしたい」とは、どういう意味だろうと首をかしげていると、気持ちを言葉にするのが苦手だと言っていたその人は、慎重に言葉を選びながら、一生懸命に説明をしてくれました。「部屋を閉め切って閉じこもっていると、空気がモヤモヤして、頭が痛くなったり、気分が悪くなる。それと同じように人間関係とか、色んな事がモヤモヤしている所に風を入れて、スッキリさせたいなあ、と思ったんだ」その言葉を元にして、他の意見も交えた結果、今年のみぎわ館のテーマは「窓を開けよう!!」に決定しました。
 このシンプルなテーマには、たくさんの意味が込められています。悩みを抱えて苦しんでいる時、一人で閉じこもらず、もっと、広い世界を見渡して、自分の無知を知ろう。殻にこもってしまっている人の窓をノックして、皆で開けてあげよう。他にもたくさん、46回生それぞれの想いが込められています。みぎわ館に居る全員が自分なりの意味を持たせる事の出来るテーマです。そしてそれこそ、一人一人の「窓」であり、またみぎわ館全体の大きな一つの「窓」になるのではないでしょうか。
 心の窓を開ける、と言うのは、口で言う程簡単な事ではありません。外は寒いかもしれないし、雨が降っているかも知れない。それでも勇気を出して、また、誰かに手伝ってもらって窓を開けてみた時、その向こう側にみぎわの「愛」が見えると思うのです。
 ところで、テーマも固まってきた頃、一人が「!マークを付けよう」と言いました。何故かと聞くと、「元気で明るいみぎわっぽいから」こんなステキなみぎわ館を今年も宜しくお願いします。

 【大望館ブロック長】
「大志を抱け 望まれる人間になれ ~Let’s respect each other~
O.Y (大望館 2年 兵庫県伊丹市)
 新大望館のテーマは「志を抱け まれる人間になれ ~Let’s respect each other~」です。少し長いような気もしますが、ここには大望生として、あるべき姿が込められています。
 大望のホールに大きな額があります。そこには大きな文字で「Boys Be Ambitious」と書かれています。日本語に訳すと、皆さんも知っている通り「少年よ、大志を抱け」という意味になります。これは北海道大学の初代教頭で居られたウィリアム・スミス・クラークさんが第1期生との別れを告げる時に発した言葉です。この言葉には続きがあります。
少年よ 大志を抱け!
お金のためではなく
私欲のためでもなく
名声という空虚な志のためでもなく
人はいかにあるべきか、その道を全うするために、大志を抱け
 このような事を言っています。僕はこの言葉が好きです。なぜなら何か夢を持つことはとても大切なことだと思うからです。たとえ失敗したとしても、それまで夢に向かって頑張った過程がとても大切だと思っています。その夢に届かなかったとしてもそれまで頑張ったのなら道は違ったとしても自然と良い方向に道が開けると思います。
 僕はこの世の中は一人で出来ることなんて少ないと思います。なにかしようと思えば必ず、誰かの助けが必要となるはずです。先ほど話したように大志を抱いたとしても望み通りに行くには一人では当然叶いません。だからこそ、大望館の一人一人がお互いをリスペクトしあい、一人一人が自信を持って夢を持てるような館にしたいのです。リスペクトとは尊敬という意味ですが、僕の言うリスペクトとは後輩から先輩にするものではなく、学年問わず、仲間の良い所を見つけ、褒め称えてあげることです。当然、良い所を見れば、悪い所も見えてくるものでしょう。その時も、罵倒するのではなく、認める事が大事だと思います。自分が何かするには仲間のリスペクトを受けなければならないと思います。そして仲間のリスペクトを受けるためには仲間をリスペクトし、大切に思う心が必要だと僕は思うのです。その助け合い・支え合いの精神がこの今の大望館に一番必要なものなのではないかと思いこのテーマに決まりました。



『 修養会 』


「修養会の感想」 
T.A(みぎわ館 1年 新潟市西区) 
 私は、修養会の実行委員をやらせていただきました。修養会2週間前には、ホテルとキャンプ場、それと、プログラムの2日目にあるトレッキングの下見に行くなど、準備も様々な事がありました。
 修養会の1日目、私たちの磐梯クラスは、夕食のカレーにチキンカレーを作りました。カレーには赤ワインと香りを付けるためにローリエと言うハーブを入れると言う、本格的なカレーを作りました。このカレー作りは、47回生が4つの班に分かれて3人の先生に審査をしていただき、味のクラス対抗合戦をしました。
 2日目は、あいにくの天候で午前中は田原米子さんと言う方のビデオを鑑賞しました。この米子さんは、母親の死をきっかけに自ら死を選んで、駅のホームに飛び降りてしまいました。ただ、幸いにも駅員さんの手によって一命は取り留め、助かったのですが、左腕と右手指2本、片足が失われました。そんな米子さんは生きていくのが苦しい中で聖書に出会います。米子さんはある聖書箇所を読んで、自分自身の考えが変わったそうです。指が3本しかないと思っていたのが、3本もあるから、何でもできると言う考えに変わっていかれます。人生を前向きに考えるようになった米子さんは料理をしていたり、裁縫をしている姿が映し出されました。私は、このビデオを見て、人は考え方によって何でもできるのだと、教えられた鑑賞会となりました。
 午後は、男女に別れてドッチボールトーナメント戦をしました。夜には、キャンドルファイヤーを体育館でやりました。最初に湖南の風の睡蓮花を歌いました。次に各クラス1列になって、伝言ゲームをやりました。40人の伝言ゲームは、人数が多いので心配でしたが、どのクラスも最後までやりきれました。そして最後のフォークダンスでは、皆が盛り上がっていたので、企画者としてはとても嬉しい気持ちになりました。3日目は講演を聞き、無事に修養会を終える事ができました。
 私は、初めて修養会実行委委員をやってみて、まとめる大変さや、楽しい事ばかりではない辛い事もたくさんある事に気が付きました。修養会のテーマ「自分と出会う」をこの修養会を通して考えさせられました。



「自分と出会う」
S.R(大望館 1年 神奈川県松田町)
 今回の47回生修養会テーマは「自分と出会う」というものでした。修養会の3日間のプログラムの中で、もっとも印象に残ったのは、2日目の夜のキャンドルファイヤーでした。キャンドルファイヤーは企画から運営までのすべて実行委員を中心に行います。
 そして迎えた本番。キャンドルファイヤーでは、ゲームをしたり、料理コンテストなどの表彰を行ったりしました。しかし、思った以上にプログラムに時間がかかってしまい、予定していたものすべてを行うことはできませんでした。時間をかけて準備をしてきたのに、予定通りにできずに悔しい思いをする。みなさんはそのような経験をしたことはありませんか。
 たとえば勉強です。たくさん勉強をして、これなら試験でいい点数を取れると思っていたのに、結果的に思ったよりも点数が伸びなかった、という経験はだれもがあるのではないでしょうか。勉強してきたつもりでも思うような結果が出ない。でもなぜ思うような結果が出なかったのか、今回の出来事ではっきりとわかりました。自分でどんなに準備をしてきたつもりでも、まだまだ準備が足りなかったり、詰めが甘かったりしていたのだと気付いたのです。
 自分自身のことは自分でわかっているつもりでも、実際はよくわかっていないものなのかもしれません。今回の修養会のテーマは「自分と出会う」ですが、私たちは意外に「自分と出会」えていないのかもしれません。「自分と出会う」方法の一つは「自分に関心を持つ」ことだと思います。そして「関心を持つ」というのは、具体的には自分を好きになること、「自分を大切に思うこと」と言いかえられると思います。
 修養会の講演の中で印象的だった言葉が二つあります。ひとつは「人間の体の中で脳みそはたったの3%」という言葉です。最近よく「学校がつまらない」などという言葉を耳にします。しかし、つまらないと決めつけているのは自分の体のたったの3%の部分で、そのほかの97%がどう考えているのかはわかりません。
 もうひとつは「生まれてきたことを幸せに感じる」という言葉です。この言葉は「自分を好きになる」「自分を大切に思う」ということと似ている気がします。つまり「自分と出会う」ために大事なことは「生まれてきたことを幸せに感じる」ということなのかもしれません。あるいはそれは「感謝しながら生きる」と言いかえられるかもしれません。僕はいま毎日学校に通うことが出来ていますが、世界には学校にいきたくても行けない人がたくさんいます。もっといろいろなことに感謝しながら生活するべきだと思いました。
 敬和学園は「自分探し」の学校です。修養会で学んだことをこれからの学校生活の中でいかし、そして最終的には「生まれてきたことを幸せに感じられる人間」になれるように努力していきたいと思いました。

「修養会」
K.N(めぐみ館 3年 新潟市南区)
 最後の修養会は、聴いて感じる3日間でした。2日目に女川の旅館の女将さんのお話を伺ったのですが、その時に「自然は強いし怖いけど、人間はもっと強い」というようなことをおっしゃっていて、感銘を受けました。また、協力することが出来る人間の温かみのようなものを感じ、じんわり心があったまったような思いがしました。まだまだ感じた事はありますが、書いているとキリがないのでやめておきます。
 今回、部屋の人と大分夜更かしをして、だらだらわははと喋り、突然寝ました。なかなかシュールで楽しかったです。普段は関わらない人とも何故か話せたり、温泉のお風呂も熱かったけどすべすべで気持ち良かったり、ご飯も美味しく、布団もふかふかで、倖せでした。あと、芋煮がとっても美味しくて最高でした。やっぱり富士クラスは素敵な人ばかりです。大好きだなぁ…。そんな感じで、本当にいろいろあったけれども、思い返してみるとこんなに楽しい修養会でした。実行委員の方、お疲れ様でした。
 
「修養会を終えて….『仕える』から気づいたこと」
Y.M(光風館 3年 新潟県村上市)
 私たち45回生の敬和生活における最後の修養会がついに終わりました。私は修養会実行員として今回の修養会に関わったわけですが、関わって初めて実感したことがありました。それは、『仕える』という言葉の複雑さです。
 45回生の学年テーマである『愛によって互いに仕えよ』、一年次は『愛』を、二年次は『互いに』……そして三年次は『仕える』を主眼おいて修養会を作っていったわけですが、一年次、二年次に比べて三年次の『仕える』はテーマとしてとても漠然としたイメージしか胸に抱けず、実行員内で修養会のテーマを決めた際に『仕える』とは一体何なのか?という疑問が上がりました。実際、私も『仕える』ということに対し理解を全然できていなかったように思います。そんな漠然とした中、決まったテーマが『自ら仕える~serve each other with love~』でした。恥ずかしいことですが私は修養会を終えるまで「『自ら仕える』とはなんのこっちゃ?」と思っていました。そもそも『仕える』ということさえもよく解っていないのに『自ら』と言われてもなおのこと混乱するだけでした。こんな自分の頭が『仕える』ことの意味を自分なりに理解できたのは修養会が終わり、敬和に帰るためのバスの中でした。そのとき私は何気なしに修養会のしおりを見返していました。私自身なぜそうしたのかわからないのですが、そのことが私にとって大きな意味を持ったことは間違えありません。しおりの後のメモ欄のところを読み返しながら三回あった講演会のこと思い返していました。三回の講演会を聞いていたときは特になにも感じるものがなかったのに、修養会後のバスの中で私は『仕えるっていうのは自分が何を他者にできるかを考えることじゃないのかな?』と不意に考えました。被災地の状況や被災者の方の心中、そういったものを講演会の中で聞きました。それを聞いたうえで、私たちに何ができるのか?何をしたら喜んでもらえるのか?そういったことを考え実行することが重要だと思います。もしかしたら、私の考える『仕える』はどこか間違っているかもしれない。しかしそれは他者から見た視点であって私の中での『仕える』とはこれだ!という確固たる意志を持つことが大切なことです。
 私は今回、自分だけの『仕える』を得ることができました。何が正しくて何が正しくないのかではなく自分の意思をしっかり持つことこそが重要なことだとも気が付きました。『仕える』という言葉だけでなく、ほかのいかなる言葉でも同じで、人がたくさんいればその人それぞれのとらえ方があります。そんな中で周囲に同調することが悪いこととは言いませんが、自分という存在が消えていく……そんな風に私は思います。たくさんのなかで自分だけのものを持つことが大切だということを今回の修養会、『仕える』から気づくことができました。新しい価値観を持つことができた、そんな自分の新しい側面を生んでくれた修養会でした。


『 寮体験に参加して 』


 56日の寮体験プログラムを体験して…」
 N.K(1年 新潟県胎内市)
  私は9月7日〜12日の6日間、入寮体験をしました。私は最初、寮体験へ行くことがすごくイヤでした。なぜなら先輩方が厳しくて怖い印象が強かったからです。行ったら思った通り、厳しくて怖かったです。しかし厳しかったり怖かったりしたのは、自分の礼儀や挨拶がなっていないからだと痛感しました。
 もう1つ、そのこと以外にも感じたことがあります。それは来たばかりで何もわからない自分に優しくわかりやすく教えてくれたことです。「18時から準備だから遅れないで。テーブルの配膳はこうだよ」や洗濯の仕方まで教えてくれたのです。また、ルームメイトも自分に優しく接してくれました。本を貸してくれたり、食べ物をくれたり、とても優しく接してくれました。
 先生方のおもしろい一面を見ることも出来ました。まるで友達同士みたいな会話をしているので、ビックリしました。しかも寮の先生は優しかったです。夏休みの宿題が終わってなかった時、面倒見よく教えてくれたり、点呼の時には「寮、楽しいか?」と声をかけてくれたりしました。普段では見られない一面が寮では見ることが出来ました。
 今回、寮体験に参加して感じたことがたくさんありました。厳しさ、優しさ、楽しさ、発見などいろいろなことが寮にはありました。


「寮生がみんなすごい理由」
N.M(2年 新潟市西区)
 まさか自分が入寮体験をするとは思ってもいませんでした。私にとって寮生は1年生の頃からあこがれでした。あこがれの存在でありながらも、自分に寮生活なんてムリだ、通生で頑張るんだと、何故か一人で意地を張っていました。しかし友達からの突然の誘いで自分も行く気になり、今回の寮体験に参加しました。
 1日目は、本当に緊張して自己紹介もまともに出来ませんでした。家では当たり前のようにやる事、歯磨きやお風呂、部屋の出入り。寮生活はこの当たり前のことをやるだけでもたくさんのルールがあり、正直、なんでこんなめんどくさいルールがあるんだと思いました。1日目の夜は、「この一週間一体どうなってしまうんだろう、絶対やっていけない」と思いました。でも少しでも早く寮生に馴染めるように頑張りました。
 私は、寮体験を通して気付いたことがあります。それは、めんどくさいと思うたくさんのルールを毎日しっかり守って続けていくことが自分のためになり、成長に繋がるんだということです。だから寮生は私にとってどの人もかっこよく見えて、あこがれの存在になっているのだと思います。なかなか体験することのできない体験が今回できて良かったと思っています。ありがとうございました。



【各委員会の目標】
礼拝委員会出会い
生活規律委員会あいさつは世界を救う~言われる前に自分から~
食事委員会感謝いっぱい 腹いっぱい いつも元気にぽかぽかハッピー
整美委員会Peace of Mind ~部屋の乱れは心の乱れ~
行事委員会Just do it ~今を楽しく元気よく~
リサイクル委員会分別されなかったごみたちを助けよう!
~ひとつの分別で未来が変わる~
 
 
【各館の目標】
めぐみ館 :  「おでん~みんなでうま味を出し合おう~」 
光 風 館 : One For 光風」
みぎわ館 : 「窓を開けよう!!」
大 望 館 : 「大志を抱け 望まれる人間になれ ~Let’s respect each other~
 


寮務教師から一言
 日ごとに秋も深まり、朝夕は肌寒さを感じる季節になりました。のぞみ寮では、45回生から46回生への世代交代が終わり、秋の木々が美しく彩られはじめ、新しい息吹へと準備を始めるように、各館、そして各委員会の新メンバーによって新しいテーマが掲げられました。活き活きと、自分たちのこと、これからのことを語り合う46回生。そして、おおきな眼差しで見守り支える45回生。どちらも頼もしく嬉しい気持ちにさせられます。環境が変わる事で焦りや葛藤、悩みも生まれるかもしれません。そのひとつひとつに一人一人がじっくりと向き合い、成長への糧となれるように私たち教師もサポートしていきたいです。歴代の先輩達の想いのつまった伝統を引き継ぎつつ、彼ら彼女たちらしい色を加えて、より豊かなのぞみ寮をつくっていってほしいと願っています。
寮務教師 会田 咲

2014年10月14日火曜日

のぞみ通信 No.202(2014年9月5日)

主は最善の道を
寮長 信田 智
先日、のぞみ通信200号で私が頸椎を痛め、難儀していたことを記したところ、何人かの保護者の方からお見舞いの言葉をいただいた。幸い手術をすることもなく、薬と、首の筋力をつける体操、息子が送ってくれた高反発の枕で、今は全く回復し日常生活に支障はない。頸椎を痛める前は、木刀で素振り200回、スクワット50回、腕立て70回位して体を動かしていたが、2か月ほど運動が出来なかったので、少ずつ運動を始めようと思い、木刀の素振、スクワット、腕立て伏せ等を始めたところ、素振り、スクワットはそれなりにできたのですが、なんと、腕立て伏せは一回もできず、大変なショックを受けた。
 しかし、この経験は思わぬ副産物を生みだした。私も年を取ってきたので、敬和を退職した後どこに住むかを考えていた。妻は私の転勤に伴い、生まれ育った岡山を長い間離れていたので、退職後は故郷の岡山に戻りたいとの願いを持っていた。ほぼその線で妻の姉との間でも話が固まっていた。ところが、今まで元気であった私が動けなくなってしまったので、息子たちが心配し、岡山に行ったら何かあって老々介護になっても、訪ねていくこともままならないから、自分たちの近くに住むようにと言ってきた。
 若い高校生と一緒にいると、ついつい自分が年を取っていることを忘れがちになる。今まで自分が元気であることを前提にいろいろなことを考え、息子たちも私が元気であることを前提にしてきたが、やがて老々介護になることを前提に考えなくてはならなくなったようだ。やっと岡山に戻る目安が立ったと思っていた妻は、また、岡山に住むか東京に住むかで悩まなくてはならなくなった。あちらが立てばこちらが立たず、こちらが立てばあちらが立たず。人生ままならないものだ。
 私は、今まで自分の都合で妻を振り回してきたので、(ある時期は3年間に4回も引越しをしたこともある)老後は妻の言い分を受け止めていこうと思っている。しかし今は、先のことを考えることなく、寮教育のこと、敬和の耐震・改修工事のこと、与えられた務めに誠実に向き合うことが肝要と心得ている。自分の果たすべき義務と責任を主の御前に誠実に果たしていけば、主は最善の道を備えてくださることを信じて今まで歩んできて、主のなさることに間違いはありませんでした。
 いよいよ新学期が始まりました。めぐみ館の耐震・改修工事において、工事関係者は、土曜・日曜休みもなく、世間で言うお盆休みもなく、朝早くから夜遅くまで、夏休み中も連日工事を続けてこられた。厳しい天候の中でも、寮生のことを思い内部の生活空間だけは何とか仕上げようと、最善を尽くしてくださった。残るはベランダ側の側面と、めぐみホールへの渡り廊下部分ですが、戻って来た生徒たちは、リニューアルされためぐみ館に歓声を上げて喜んでいた。
 つらいことも、自分の思うようにならないことも多々ありますが、その先には開かれた素晴らしい世界があることを信じて、後期の歩みを共に励んでいきましょう。



寮生リレー通信  (第 115 回)

< みぎわ館 >

「ブラジル留学」
W.H(2年:新潟県三条市)
  2年生のW.Hです。私は、昨年の夏から今年の7月までブラジルへ留学し、無事帰って来ることが出来ました。苦しい事や、泣いたこともたくさんありましたが、その分、楽しかったこと、嬉しかったこともたくさん経験が出来ました。
 私はブラジルで表現する事の大切さを実感しました。また、たくさんの愛情に触れ、愛についても学びの多い1年となりました。これらの経験を活かし、これからの寮生活をより有意義なモノにしたいです。
 是非、寮のみんなでブラジル独自のダンスを広めて、躍りたいと思います。
 
 
< 大望館 >
 「海外教室に行って」
S.K(2年:新潟県長岡市)
  僕はこの夏、アメリカ海外教室に行ってきました。カリフォルニア州のオレンジヴェールというところに滞在してきました。海外教室は僕の予想を上回るものでした。まず初めて乗った飛行機はとても楽しく、機内食も美味しかったです。そしてアメリカに着いたときは衝撃でした。当たり前のことですが、人々が話す言葉はすべて英語。簡単な単語しか分からない僕はここでやっていけるかとても不安でした。お世話になるホストファミリーの方と会った時、何を話せばととまどっていると、ファミリーの方から優しく声をかけてくれました。とても嬉しくて、安心しました。僕が困っている時は、携帯の翻訳機を使って会話もしました。
 アメリカではいろんなところに行くことができました。ディスカバリーキングダム、サンスプラッシュマウンテン、野球観戦などたくさんのプログラムがあり、とても充実した日々を過ごすことができました。
 不安だらけで始まった海外教室ですが、ファミリーの方、引率の先生、友人の協力で有意義な体験ができました。言葉や文化が違っても助け合う気持ち、人を思いやる気持ちは世界共通であると思いました。この経験を今後敬和生活にも生かせていけたらと思います。



< めぐみ館 > 
 「敬和キャンプ」
T.K(2年:新潟県新潟市)
 私は今年の夏休みに敬和キャンプに参加してきました。敬和キャンプとは学校の行事の一つで、毎年夏休みに佐渡教会で5泊6日のスケジュールで行われます。
 敬和キャンプの良いところは3つあります。
 一つ目は「働く」です。敬和キャンプでは労作をします。主に外で教会周りの草取りをします。夏の野外はもちろん暑く、草は多いし虫もたくさんいます。色んな意味ですごく大変なのですが、頑張った分、休憩時にもらえる飲み物やアイスがとても美味しいです!キャンプ中の「働く」は労作だけではないのです。なんと自分たちでご飯づくりや掃除をします。ご飯づくりなど、やりたい人だけがやるのではなく、学年バラバラのグループをいくつか作り、5日間そのグループで行います。労作した後の、自分たちで作ったご飯、美味しさは倍!!最高です。
 二つ目は「学ぶ」です。学習時間というものがあります。その名の通りです。さすが敬和ですね。学ぶときは学ぶ、の敬和は、勉強もきちんと怠りません。自習はもちろんですが、他にも先生方が今現在に起こっている問題を教えてくださったり、それについてどう思うか考えたりと、とても深い内容でした。
 三つ目は「遊ぶ」です。みんなと交流を深めるために「スポーツ」という時間が組まれていて、グループ対抗でいろいろな遊びをします。私の場合、去年は海でビーチバレー、今年は雨だったので体育館を借りてバレーボールをしました。佐渡の海は本当にきれいです。とても浅いので結構遠くまで行けます。最高の交流の場だと思います。人によっては一番楽しい時間かもしれません。
 この3つはキャンプでとても大切なものです。そしてこれらと同じくらい大事な事があります。それは、キャンプ中は携帯やスマホ、その他の電子機器が禁止されていると言う事です。持っている人も、佐渡についたら必ず教師に預けます。ひとりでも多くの人とコミュニケーションを取ってほしいからだと私は思います。今はラインやフェイスブックが当たり前の時代です。これらがOKなキャンプだったら、きっと今と違うんじゃないかなと思います。それらがないからこそ、いろいろな人と話し、いろいろな事をして、仲良くなるんだと学びました。
 「働く」「学ぶ」「遊ぶ」を通して、みんなが打ち解けていき、友達・知り合いの輪が大きく広がっていくんだと思います。私はこの敬和キャンプは、一つの小さな家族だと思います。だってそう思いませんか?朝昼晩、毎日みんなで食事をし、片付けや掃除もして、遊んで、労作をして汗を流す。キャンプで過ごす一日一日の小さな瞬間に、そう感じることが出来、心からここに来てよかったなぁと幸せな気持ちにさせてくれました。一人では無理なことでも、みんなとなら乗り越えられる、行く度に違うメンバーだからそこが良い。また行きたいと思わせるキャンプにぜひ皆さんも参加してみて下さい。


 < 光風館 >
 「広島碑巡りの旅に参加して」
O.K(1年:長野県長野市)
 僕は8月3日から8日までの広島碑巡りに参加しました。最初はとても迷いましたが、両親からも行くようにすすめられたので、この碑巡りに行くことを決めました。1年生は僕一人だったので、緊張していましたが…実際に行ってみて、「いい旅だったな」と思っています。この広島碑巡りの旅で印象的だったのは、被爆者の方から直接お話を聴くことが出来たことや、式典の行われる平和記念公園内にある平和祈念資料館の展示内容や世界遺産になっている原爆ドームを自分の目で見ることが出来たことなどです。
 原爆被爆者の一人である河内さんからは、『人生というのは、いつどこでどんなことが起こるか、わからない。だからその一瞬一瞬を大切にして生きてほしい。』ということを学びました。河内さんは原爆が投下された日、実家を離れていたため助かりましたが、お母さんやお父さん、お姉さんは被害に遭われて亡くなられたそうです。「何をどうしたらよいかわからず、すごく苦しかった」と河内さんは話してくださいました。悲しみがどれだけ大きかったということがとても伝わってきました。僕ははじめて自分自身がそういった立場におかれた時、どう思うだろうかということを考えました。そして平和とは、どういうものなのかということも考えることが出来ました。
 平和祈念資料館には、原爆を落とされた後の広島の焼け野原の写真や被爆をして変形しながら互いにくっついてしまっている食器類、皮膚が焼けただれていかにも痛々しい様子の人形などが置かれていましたが、そういうもの全てが、何も変わりのなかった日常を原子爆弾によって一瞬のうちにして壊されてしまったことを物語っていました。
 僕は、家族や友達と過ごす日々がとてもかけがえのないものであると感じました。普段、当たり前と思っている日常こそ、平和なんだと思います。今回の広島碑巡りでは、平和について真剣に考え、広島の人たちの想いを受け止めることが出来たので、本当に充実した旅になったと思います。
 


 
めぐみ館の耐震工事を終えて
 I.M(1年:新潟県南魚沼市)
  夏休みが明けて帰ってきたらすごく寮がきれいでびっくりしました。お部屋や廊下の床の色が変わっていました。他にもお風呂やトイレなどとってもきれいになっていました。その中でもラウンジがすごかったです。ラウンジにあるライトはとてもおしゃれでかわいいです。そしてブラックライトがついていました。夜、電気を消して見てみると、星が出てきて天の川が出てきて、とてもきれいでした。今では寮の中で一番お気に入りの場所はラウンジです。とーっても寮がきれいになって良かったです。



S.H(2年:山口県下関市)
  夏休み中に寮を見る事の出来る機会があり、めぐみ館のあまりの変貌に本当に驚きました。どう変わったかを少し紹介したいと思います。
 まず玄関。前までは薄暗く、虫の死骸もたくさんいそうな雰囲気でしたが、今では明るく、なんと通るだけで電気が点くというハイテクな玄関になりました。
 入るとまず色に驚きます。ピンクです。明るいです。でも、階段はもっとピンクです。階段のキャサリン(怪談話)が噂されていためぐみの玄関ですが、キャサリンもびっくりな程ピンクです。女子力が上がりそうな気がします。各階は、廊下の色が階ごとに違っていて明るくなり、トイレは裸足で入れるくらいキレイになって、ウォッシュレットや温便座も付き、快適な空間になりました。
 一番驚いたのはラウンジです。照明も壁紙も、ここは寮ですかという程おしゃれだし、天井は雲です。しかも夜には星空になります。こんな寮は他にあるでしょうか。残りの一年半をこんな素敵な場所で過ごせることを幸せに思います。
 工事前の引っ越しは大変でしたが、それを忘れるくらい素敵になりました。携わってくださった全ての方に本当に感謝です。こんなに明るくなっためぐみ館で、これからさらに明るく楽しく毎日を過ごそうと思います。



K.M(3年:新潟県胎内市)
  夏休み明け、久しぶりにめぐみ館に帰って来ると、そこは全く新しい空間に変化していました。館内全体が明るい色に塗装され、以前は昼間でも少し暗かった場所も光が射したように明るくなり、非常に気持ちよく毎日を過ごすことが出来る生活の場となっていました。トイレも各部屋もきれいになっていましたが、私が一番驚いたのはラウンジです。寮という感じがなく、とてもおしゃれで多くの工夫があり、入った瞬間、わくわくしました。みんなが集まる場である場所がこんなにすてきな空間になり、とても嬉しく思います。
 今回の耐震工事は、きれいになったから過ごしやすくなった、というだけでなく、今ある美しさをずっと保つために、今与えられている場所・物を大切にすることの大事さを再確認する良いきっかけにもなりました。毎日の掃除や大掃除にも力が入ると思います。
 私はあと半年しかこのきれいになっためぐみ館で生活することができませんが、これからここで生活していく後輩のためにも、与えられた空間を大事にし、責任を持って過ごしていきたいです。
 また、この耐震工事はたくさんの人の支えがあったからこそ行うことが出来たと思っています。寮務教師と生徒間の連絡の不足や工事の騒音、荷物の異動など苦労は絶えませんでしたが、こんなにもすてきな場所を造ってくださった工事の方々、私たちの意見を真摯に聞いて下さった先生方にたくさん感謝しています。
 見た目が美しくなっためぐみ館。これからは、めぐみ館生の内側もより美しくなるよう努力していきます。



< 寮務教師から一言 >
  夏休みが明けてもまだまだ暑い日が続いていますが、日が落ちるのも少しずつ早くなり、秋の到来を予感させる季節となってきました。
 秋は勉強にスポーツに行楽に、いろんなことをするのに適しています。何か1つのことに熱中してみたり、新しい事に挑戦してみたり、仲間とスポーツや料理を作ってみたりと、寮でしかできない経験をしてほしいと思います。
 また、後期が始まり進路や修養会、世代交代も近づいてきました。悩みながらも、一歩一歩着実に歩みを進めていくのぞみ寮生を見守っていきたいと思います。一人一人にとって実り多き季節となってほしいと思います。
堀越 俊継(大望館担任)

2014年6月26日木曜日

のぞみ通信 No.201(2014年6月26日)

寮生パワー
寮長 信田 智
先日、朝祷会(キリスト教の教派を超えた有志の集まりで、様々な問題のために、それぞれの地域で祈りを結集し、支援をしている集まり)の全国大会が敬和学園を会場に行われた。高校では小西校長の記念講演が行われ、夜には寮生との親睦夕食会が持たれた。
 敬和学園の設立のためにも、朝祷会の熱き祈りと支援が注がれてきたことを思い、校長自らその敬和学園が今どのような教育を行っているかを、熱く語ってくださった。また、寮での夕食親睦会は、寮生にとっても初めてのバイキング形式の夕食となり、お腹も心も満たされた。調理師さんたちのご努力と、温かいご配慮を感謝しています。寮生も多くの方々のご支援に感謝を表すために、心を込めたおもてなしをさせていただいた。
 その中で、有志による讃美歌と、寮生全員による合唱を2曲披露させていただいた。その1曲は、ヘンデルのメサイアから「ハレルヤコーラス」でした。入学間もない1年生には、少し荷が重いかとも思いましたが、数日にわたり2,3年生が各館で夕礼拝後5分ほど指導し、本番では万全の仕上がりを見せてくれた。朝祷会の方たちは感激し、「暗い時代の中で、ここに希望がある。」と力強くご挨拶いただきました。
 一人一人を見れば、問題を抱えている子供たちもいっぱいいる。それぞれの館が抱えている問題もたくさんある。我々寮務教師の未熟さもある。しかし、それらすべてを乗り越えて、主がご自身の栄光を表そうとして、敬和学園とのぞみ寮を用いていてくださることを信じて、これからも主の御業のために励んでいきたいと願っている。それにつけても、寮生のパワーを目の前にして、私自身圧倒される思いにさせられた。たまたま教育実習に来ていた卒寮生たちも、自分たちの時代とは、また一味違うパワーを見せつけられて、感激し涙を禁じえなかったと感想を聞かせてくれた。
 今、めぐみ館の耐震・改修工事行われている。生活の場をぐるりと工事用の足場が取り囲み、騒音と埃の中で窓も自由にあけられず、玄関も圧迫され、ホールも閉鎖された状態の中で不平の一つも言わず、粛々と日常生活をこなしている寮生・そこに住む寮務教師たちは大したものだと感心させられる。自分たちの知恵や努力によって変えられることには、しっかりと取り組み、自分たちの努力ではどうにもならないことに関しては、黙して受け止める潔さを身に付けてきてくれていると思う。
 彼らのその思いをしっかりと受け止め、工事に最善を尽くしてもらっている。だから、きっと夏休み明け、めぐみ館生が戻って来た時には、不自由をして耐えた甲斐あった、と言って喜んでもらえるようなめぐみ館に変身していることでしょう。
 フェスティヴァルでの寮生のパフォーマンスも見事であった。様々な葛藤を通して大きく成長する機会でもあった。夏休み前、3年生はもうすぐ進路を決める大切な第2定期テストが迫っている。心して取り組み、それぞれのために備えられている道へ、正しく導かれるように祈る。


寮生リレー通信  (第 114 回)

< みぎわ館 >  
「朝祷会の方々をお迎えして」
O.A(2年:大阪府豊中市)
 先日、朝祷会の全国大会が敬和で開かれ、多くの方々が敬和にいらっしゃいました。その日の夕食はバイキングとなり、朝祷会の皆さんと、のぞみ寮の生徒とテーブルを囲みました。その時、キリスト教について、敬和について、こののぞみ寮について、沢山お話する事ができました。その日の礼拝では、同室の先輩のお話でした。そのお話を聞いて、私は改めてのぞみ寮は、スゴイと思いました。多分、人生の中でこんなにもたくさんの人と共同生活をする機会はないでしょう。その中で、たった3年間とても濃い関係を作る事ができるのは本当に珍しく、敬和でしか、のぞみ寮でしか出来ない事だと実感しました。
 最後にのぞみ寮生全員でcosmosとハレルヤを歌った時、全員が大きな口をあけ、楽しそうに、誇らしげに歌う姿を見て、その皆と歌っている自分が誇らしくなりました。高校生になって、このように全員が歌ったりできるのは、やはりすごいです。このような皆と出会えたのは、敬和のおかげであり、いらっしゃった朝祷会の皆さんの祈りのお蔭だと思います。それを実感出来たステキな機会でした。
 
 

< 大望館 >
「2ヶ月を振り返って」
N.T(1年:新潟県胎内市)
 大望館に入寮してから2ヶ月が経ちましたが、それに伴い最近感じることがあります。それは、親のありがたみです。寮では洗濯や身の回りの整理整頓、食当での片付けなど自分のことは自分でやらなければいけません。寮に来るまでは洗濯や食器洗いなどは親に任せきりでした。全く手伝いをしなかったわけではないのですが、頼まれたらやる程度でした。入寮したての頃は、洗濯物をため込みすぎて風呂に入る時に友達からバスタオルを借りたり、干すのに時間がかかり消灯時間を過ぎても洗濯物を干すという日もありました。食当では何をどうすればいいかわからず、先輩や先生などから怒られてしまうことがあり、親のありがたみをひしひしと感じています。
 なので、今度家に帰った時は家事などを積極的に手伝ったり、ありがとうという気持ちを素直に伝えていきたいと思いました。他にも、先輩への挨拶はもちろん、同級生にも朝あった時には「おはよう」と笑顔で挨拶をしたりして、もっと1年生との仲を深めて良い学年にしたいです。


< めぐみ館 >
「フェスティバルで得たもの」
F.A(3年:岐阜県飛騨市)
 私は、今年度のフェスティバル本部長でした。本部長をしたことは、私に色んなことを経験するチャンスを与え、すごくたくさんのものを得させてくれました。そして、まわりのみんなの優しさを感じることが多くありました。話を聴いてくれる人や、気遣いの言葉をかけてくれる人、相談にのってくれる人、夜遅くまで一緒に起きてすべきことを手伝ってくれる人・・・たくさんの人の優しさに触れました。周りにいる人たちに、私はすごく助けられていました。こんなステキな人たちと出会えてうれしかったです。
 これから卒業まで、あと少しの時間しか残されていません。ステキな人たちと、もっともっと仲良くなりたいし、少しでも私がみんなから受けた優しさを、返していけたらいいなと思います。



< 光風館 >
「フェスティバルを終えて」
A.T(3年:新潟県新潟市)
 突然ですがみなさんは、良いリーダーになるための条件とは何と考えるでしょうか。それは能力、人望、人間性でしょうか。今回、私はフェスティバルで大雪連合男子総合チーフという、連合でリーダー的存在である重要な役割を担う事になりました。正直私にはリーダー経験が浅く、率先して何かに取り組むなんて事は不得意であり、こんな自分で総合チーフなんて務まるのかなと考えていた時、「リーダーになるための条件」ってなんだろうと疑問に思ったのです。私はどちらかというと何かに向かって頑張ったりする事が不得意でした。総合チーフという役割を担う前は何も考えず適当に生活してきた自分に課せられた課題。自分にとってとても高い壁であり、乗り越えなければいけない試練であると同時に、自分が成長できる好機だと思いました。この好機を逃したら絶対に成長出来ないと確信した私は、一所懸命にこの課題に向き合いました。
 そこでまず生じる問題がありました、それは今までの生活態度を無理にでも見直し、改善する必要があるということでした。人は知らず知らずに安定を求める生き物であり、その安定した事柄を大きく崩す、あるいは崩される事に対して敏感であり、安定から不安定になる事により、心身ともに負担になるものです。なぜならかつての私がそうであったからです。それを承知した上で、自らを変えるということは、不安、恐怖という感情と、次々と自分に降りかかってくる困難に立ち向かう勇気が必要でした。正直なところ、その頃の自分にはそもそも勇気なんて無いし、むしろ今までの生活態度がどれだけダメだったのかを実感した時は、自己嫌悪に陥るぐらいの状態になりました。大雪クラスではたくさんの問題を抱えていたのにも関わらず、解決出来ずにいた自分に自信を無くし、その頃の私は自分自身に絶望を感じていました。
 そんな時、私が変われるきっかけを与えてくれたのが佐藤文英先生でした。本格的にフェスティバル準備が始まろうとしていた頃、私は先生とお話をする機会がありました。(…といっても自分が相談に乗ってほしいとお忙しい中無理を言ったのですが。)そこで私は先生に今の自分の心境や、良い総合チーフになるにはどうしたらいいのか、自分の思っている事をすべて話しました。その時、先生が私に言ってくれた言葉に私は救われました。それは「お前のやりたいようにやればいいんだよ。なるようにしかならないのだから。」この一言が私の心に響き、今まで良い総合チーフにならなければならないという使命感や、見失っていた事がこの先生の一言によって、今まで高い壁にぶち当たり悩み苦しんでいた自分が全く嘘のように思えるようになりました。正直なところ、先生の言葉で私の心に変化が起きたのかはまだ分かりません。ただ、この先生が私に言ってくれた事を私はずっと求めていたのかもしれません。私に勇気を与えてくれた先生には本当に感謝しています。
 そして、私はフェスティバル準備期間を終え、胸を張ってフェスティバル本番に臨む事が出来ました。そこまで達することが出来たのは、先生だけではありません、クラスメイトのみんなや、仲の良い友人、週末に帰ると快く迎えてくれる両親。本当に数々の人々に支えられたからこそ、ここまでくる事が出来たのだと心から思いました。良いリーダーの条件、それは私には分かりません。わかるには経験が浅すぎるからです。それはこれからの人生でゆっくりと考えていきたいと思います。まずは、今回の色々な経験を生かして残りの敬和生活、悔いのないように生活していきたいと思いました。
 
 

< みぎわ館 >
 「信仰告白(ペンテコステ)」
Y.M(3年:新潟県新潟市)
 私がキリスト教に初めて出会ったのは、幼稚園の時です。私は新潟教会のすぐ近くの二葉幼稚園に通っていました。毎日、ご飯の前にお祈りをしたり、賛美歌を歌ったり、クリスマスにはイエス様の誕生物語の劇をしました。私は天使役で、マリアにお告げをする役だったのを覚えています。
 小さかった頃は近くにあったキリスト教でしたが、小学校・中学校と進学するにつれて、その存在は私の中から徐々に薄れていきました。中学3年生の頃、学校にもあまり行かず、通学に悩んでいた時に、知人の紹介で勧められたのが、今私が通っている敬和学園です。当時の私は自分の未来に希望を持つことが出来ず、ただ流されるままに、敬和学園に入学しました。
 そんな私を変えてくれたのは、大切な友人達との出会いです。友人の一人は、私が辛く苦しんでいる事があると、「Mの事を祈っているからね。」と、言ってくれました。私は、最初「祈ってる」とは、どの様な事かよくわかりませんでした。しかし、彼女が私の事を思ってくれていること、またその事による彼女からの愛を感じる事ができました。それ以来、時々耳にする「祈り」という言葉に私は何故か引きつけられるような気がしました。敬和での生活を過ごしていくにつれ、私には段々と「祈り」という言葉の意味がわかってきたように感じます。それは、誰かを想う気持ちを神様の御心に委ねる、という事だと思います。それは愛があってこそできる事で、色々な場面でそれを感じる時、私は愛されているんだな、守られているんだなと思うことが出来ました。私のために祈ってくれた友人の様に、私も大切な人の為に、祈る事ができる人になりたいです。
 敬和学園のぞみ寮では毎年4月の末に寮祭が行われます。私は礼拝委員として、寮祭で行われる礼拝の話し合いを何度も重ねました。最初はスムーズに進んでいた話し合いが、献金先を決める時にとても、もめてしまいました。礼拝委員は個々の思いにより、献金を捧げたい所があり、のぞみ寮の先生方はのぞみ寮として献金先にしたい所がありました。お互いの主張をし続ける平行線な争いでした。こんなにもめるのであれば、寮祭の礼拝を止めてしまおうという声さえ上がって来ました。このような最悪な状況の中、礼拝委員の一人が「献金って言うのは、人がどこどこにしたいなんて、偉そうに決められるものじゃないと思う。誰のためにって言う気持ちを神さまが献金を必要としている人たちに与えるんだと思う」と言いました。私はその言葉を聞いて、私の心の中にあった憤りは消え、安らかで前向きな気持ちになれる事ができました。私は彼の言った、神様が与えて下さる、というところがとてもしっくりと来ました。私達の「どこどこに献金したい!」という主張は、少し自分達の立場を見誤っていたのかも知れません。神様に委ねて、お祈りをすればどの様な結果になったとしても、それが最善だと思うことが出来るのだと思います。
 「御心のままに」という事に関して、私は自分の悩むべき事や苦しみを神様に委ねてしまって良いのかと、考えていました。しかし、逆に「御心のままに」と祈る事で、神様が私を誰かのためにと仕えさせてくださるのだと思いました。私は与えてもらっているだけではなく、神さまの御心によって、誰かの為に仕える事ができるのだと気付きとても嬉しく思いました。
 洗礼を受けようと思ったきっかけの一つに、とある聖書箇所との出会いがありました。
それはマタイによる福音書22章20節の最後の部分です。
「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という箇所です。
 私はこの聖書箇所から、イエス様からの大きな大きな愛を感じました。私の勝手な解釈ですが、「この世の終わり」というところは「永遠」を指すのではないかと思います。
イエス様がずっといつまでも、たとえ自分が死んだとしても、いつもそばにいて下さるという事を信じる事ができるなら、今まで抱いていた恐れや不安を、希望や生きる糧とする事ができるのではないかと思います。
 キリスト教の小さく弱い人にこそ目を向け、誰をも愛する精神は私にとってまだ難しい事ですが、今日という日をこれからの人生の新たな一歩として踏み出し、人の為に祈り、神様によって仕え、愛にあふれた人になりたいと思います。

※  今年の寮祭の献金は100,827円でした。あしなが育英会に献金させていただきました。
ご協力ありがとうございました。



寮務教師から一言
 フェスティバル直前に梅雨入りし、当日天気を気にしながらも今年度のフェスティバルを無事終えることが出来ました。準備期間中、寮生ひとり一人が与えられている役割を一生懸命こなしていく姿を見ることが出来ました。時には泣き、焦り、友人とぶつかることもありましたが、当日見せる表情は輝いて、心から楽しんでいるようでした。この経験からまたひとつ成長することが出来たのではないでしょうか。
 今年度初めての部屋替えが各館で行われました。3年生は自分の進路を考え、自分自身と向き合ってほしいと願っています。1・2年生は、夏休み前の第二定期テストに向けて、学習体制を整えてほしいと願っています。
 7月末には保護者を対象とした個人懇談は寮でも行われます。遠方の方やご都合が合わない方は、電話での懇談も受け付けますので、ご都合のよろしい日時をお知らせください。
片岡 自由(光風館担任)

2014年5月19日月曜日

のぞみ通信 No.200(2014年5月19日)

道 芝
寮長 信田 智
今年1月、冬休み明けの開寮礼拝に何人かの寮生が帰寮できなかった。親も子も、もうひと踏ん張りしてくれたなら、皆そろって新年のスタートを切ることできたのにと思うと残念でなりませんでした。そこで、3月の閉寮礼拝で、新年度のスタートをみんなで気持ちを切り替えて始めることが、一人一人のこれからの寮生活にとって、寮全体にとって大きな意味を持つことを再度訴えました。
 保護者の方々にも、子供達の新年度のスタートをみんなで気持ちを一つにして始めることが、子供の自主 自立 自制のためにとても大切であることをご理解いただいて、新年度4月の開寮礼拝には、万難を排して送り出していただきたいと訴えました。その結果2014年度の始まりは、だれ一人欠けることなく元気に戻ってきてくれました。私の記憶の中では、全員開寮礼拝に揃って集まったのは、これが2回目だったと思います。
 私自身はこの春休み、頸椎を痛めて首から肩、腕にかけて激しい痛みが襲い、手もしびれ、寝たり起きたりの日々でした。開寮礼拝、入寮礼拝も、かなりの痛みはありましたが、呼びかけに応えてくれた寮生、保護者の皆様の思いを受け、とても勇気づけられ、励まされました。本当にうれしかったです。
 新学期が始まって1か月半ほど経ちました。5月第2日曜日は母の日でしたが、お子様たちは何か連絡をして来たでしょうか。GW明けで、家で甘えてきたばかりで特に連絡をしなかった子が多かったのではないかと思いますが、母親の有難味は身に染みて感じていることには間違いありません。私も高校生の時は、なかなか親への感謝の気持ちを表すことはできませんでしたが、親の有難味は年と共に深く感じられるようになっていきました。
 私の母は、早くに夫に先立たれ、残された6人の子供たちを女手一つで育ててくれました。恐らく自分のことなど全く顧みる暇もなく、ひたすら家族の生活と、子供の教育のために働き続けてくれたのだと思います。私の父は当時不治の病と言われた結核にかかり、その晩年は結核病棟に隔離され、面会もままならず、母との交流は短歌で心を通わせようとしていたようです。父が他界し10年が経ち、その記念に父との交流を綴った短歌、その後短歌の先生の指導を受け詠んだ歌を自分で印刷し出版しました。
 その歌集は『道芝』と題されました。誰の作かは定かでないのですが「踏まれても 根強く生きよ 道芝の やがて花咲く ときは来らん」という歌が、まさに我が家の歩みそのものであったところから名づけらとのだと思う。また、母が還暦になって詠んだ歌「身を飾る 珠は持たねど 花咲ける 五つの宝 ありて豊けし」(いずれも歌集には載っていない)は本来なら六つの宝と詠みたかったところであるが、私のすぐ上の17歳の息子を失いながらその嘆き苦しみを乗り越えて、5人の成人した子供たちを、珠玉のような宝と詠んでくれた母に、あらためて感謝の思いを募らせる母の日でした。



寮生リレー通信  (第 113 回)
< みぎわ館 >  
「畑のおはなし」
T.M(3年:宮城県仙台市)
 今、みぎわ館の裏には、小さな畑があります。色とりどりの花が咲き、ハーブやトマトの苗が青々と葉を揺らすここは、少し前まで何もない砂地でした。そんなちょっとしたガーデニングの始まりは偶然で、ある夜、私が榎本先生と話していた時のことです。
 どうすれば残飯の量が減るだろうと、私は相談がてら先生とおしゃべりしていました。私が食事委員だということもありましたが、多くを学び、得ることのできる寮生活の中で、毎食後に大量の残飯を目にするのを、前から残念に思っていたのです。しかし、きつく呼びかけをし、無理に食べてもらいたくはありませんでした。自然に食べ物の大切さを感じてほしかったのです。そこで、畑をつくるのはどうだろうという話になりました。
 普段当たり前に食べられる、キュウリなどの野菜を自らの手で育てられるうえ、私たちの残飯、つまり生ごみを肥料として使うことができるのです。すると驚くべきことに、すでにコンポストが用意してあるとのこと。先生はそういうことを誰かが言い出すのをずっと待っていたそうです。
 そうして始まった畑づくり。まだ広くはありませんが、少しずつ砂地を耕し、腐葉土を運び、生ごみ肥料の投入を続け、ついにはそこに苗を植えることができました。有志を募っての作業でしたが、積極的に参加してくれる友人たちに感動しました。特に、光風館のガーデナー(笑)、T君には感謝しきれません。
 これからも、強要するのでなく、みんなが少しずつこの畑に興味を持ってくれることを願います。そこから自らの食事と向き合い、“食べる”ということをそれぞれ考えてくれたら嬉しいです。深刻な食糧不足とは反対に、飽食の時代を向かえるここ日本で、私たちはいかに食べ物の大切さ、命の重みを忘れずにいられるでしょうか。この畑は小さいけれど、今、私たちの確かな希望となっています。
 そして、畑仕事は案外楽しい!たまにでもいいので、ぜひどなたでもいらしてください。


 大望館 >  
「入寮から寮祭」
S.R(1年:新潟県上越市)
 入寮から1ヶ月が経ち、だんだんと生活リズムがつかめてきた感じがします。しかし、親元を離れての寮生活の最初は本当に大変なものでした。携帯が使えず今までのように地元の人とも連絡が取れず、23時には電気は使えなくなり、寮内でのルールがあり、そして今まで親にやってもらっていたことを自分でやらなければいけないなど、今までとはまるで違う生活になりました。
 それに追い打ちをかけるように寮祭の準備が始まりました。私がいる大望館は一発芸と全員でダンスをしたのですが、そのような事をしたことが無く、最初は恥ずかしくて、もじもじとしていました。寮の先輩には全力でやれば何とかなるといわれ、それから吹っ切れて全力で楽しんでやることを心がけて準備をしていきました。
 そして寮祭の日。始まりは寮生やその家族と外で食事をしました。ワイワイやっている感じでも、このあとに控える出し物のことを考えて、1年生のみんなは緊張で顔がこわばっていました。楽しもうと思っていた私もその一人でした。
 食事後、友愛館に移動して各館の出し物が始まりました。大望館は1番最後でした。大望館の番がとうとう来てしまい、緊張がすごかったのですが、全力で一発芸をしました。ちなみに私は猿のものまねをしました。正直全く笑ってもらえないと思っていたのですが、たくさんの人の笑い声が聞こえてきて、すごく達成感を覚えました。その後のダンスも楽しく緊張もせずにやる事が出来ました。
 寮祭はやる前はすごく不安でやりたくなかったけど、終わってみればすごく楽しくて、今後の寮生活に向けて前向きになれた行事でした。


 < めぐみ館 > 
「イースターに受洗しました」
U.A(1年:新潟県秋葉区)
 私が信仰告白をしようと思ったきっかけは中学校生活の中にありました。私の中学校生活の思い出は、思い出したくない程にいい思い出がありません。毎晩のように泣き、どうしたらいいのか分からずにいました。クリスチャンホームで育ってきた私は、「辛い時は祈ればいい。神さまが救ってくださるから。」ということを幼い頃から聞いていました。その時はまだ半信半疑でしたが、「友だちと上手くいかない」「クラスメイトとも上手くいかない」「どうしたらいいのかわかんない」と祈っていました。
 すると少しずつ祈りに応えられているということを実感し始めました。「祈りは応えられている。私のことを見捨てないでいてくれる。」という喜びと希望が胸に溢れ、信仰告白をする決心をしました。
 まだ、分からないことがたくさんあり、クリスチャンとして未熟な点はたくさんありますが、神さまと一緒に歩んでいきたいと思います。


< 光風館 >
「畑と僕」
T.H(3年:新潟県新潟市)
 前の光風館の寮務教師であった三浦啓さん、青柳希望さんと「何か新しいことをしてみたい。次に繋がっていくような、新しいものを光風館に残してみたい」とよく話していました。
 光風館の目の前にある何も使われていない空き地に、レンガの窯を作ってみようと計画していました。今回の畑も元はと言えば三浦啓さんとしようと計画していたことのひとつでした。今まで寮で生活していて考えていたことの中に、「せっかく広い土地を活かせていないなぁ」という想いがありました。きっともっとみんなが気軽に立ち寄れるそんな場所になれるはずだと…。これが畑を始める上での一番の理由です。
 この時期に畑を始めようとしたきっかけはとても簡単なことでした。土曜日の朝食後、部活動が休みだった寮の数人と話をしていた時のことです。「暇だなぁ〜」という一言を聞いた時、自分がパッと思い付き言った言葉が「畑をしてみよう!」ということでした。最初は「冗談でしょ?」みたいな雰囲気だったのですが、寮生のノリですぐさま実行に至りました。
 同室の後輩を引き連れて青空の下、労作教室から借りてきた鍬やスコップを使って、光風館裏の固い土をひたすら起こしたのが、畑作りの最初でした。そこからだったでしょうか。一度、火がつくとやめられない自分がいました。
 畑を一から始めるとなると、身体に負担がかかったり、精神的にも疲れてきてしまったりするイメージが強いでしょう。確かにその通りです。ですが、自分は土を耕していて大切なことに気付くことが出来ました。ひとりでやっている訳ではない。みんなと一緒に、一丸となってやれていたということです。作業をしながら、普段の何気ない会話もたくさんしたり、これからどんな畑を作っていこうか、何をみんなで育てていこうかなどと話したりしていると、場の雰囲気が明るくなり、とても楽しい気分になっていました。「この先、どんな畑になるんだろう」という楽しみもありますが、こういったコミュニケーションが自然と取れるのが畑をしていく中で一番良いなぁと感じたところです。まだまだ始めたばかりなので、いくらでも楽しみは勝手に増えていきます。私は3年生なので寮に住んでいられるのも残り少なく、きっとあっという間で、出来ることは限られていってしまうのでしょう。それでも、したいことはたくさんあります。
 実は前に光風館の裏には畑があったという話を聞きました。ですが今では、畑であったという姿はなく、無くなってしまっているというのが現状です。これを知った時、「とてももったいないなぁ…。今作ろうとしている畑がずっと残って、この先続いていってほしい。」と願いを持ち、畑作業をしています。これから先もみんなで手をかけて、ゆっくりと積み重ねて、時間をかけながら、より良いものにしていきたいと思っています。
 今は先生のアドバイスを参考に3年生が作っているという様な雰囲気があると聞きましたが、全くそんなことはありません。たまたま3年生の人数が多いだけです。出来れば是非、1年生も2年生も一緒に手伝ってください。自分の中での勝手な理想ですが、「何年もかけてより良い畑を作ってもらいたい。こういう風習をこれから先も繋げていってほしい」という気持ちです。
 光風館の一部の生徒で始めたことが、今では先生たちや別の寮のみんなと一緒に進められています。自然と人間関係の繋がりが生まれていることに、今とても感謝しています。これは一緒に住んでいる寮生の特権であり、寮を楽しむということにも繋がると思うし、とても大切なことだと思っています。畑を作ることによって、これから先も同じように後輩たちにも同じ気持ちを感じて、また新しいことを考えてもらえるように期待して、自分自身が楽しんで取り組んでいきたいと思います。



編集後記
 もう早5月も半ばとなりました。1年生は寮生活にも慣れてきた頃。2年生は先輩となり、上からも下からも学ぶ事が多い日々が日常となってきました。3年生は残された自分たちの敬和での時間がわずかであることに気付き始め、様々なことにより一層力を入れて取り組み始めた感じがします。毎日確実に成長の階段を上っているのぞみ寮生たち。笑ったと思えば泣き、喜んだと思えば悩み…それぞれ山あり谷ありですが、それでも仲間との毎日を大切に、自分と向き合いながら、仲間と向き合いながら、親元を離れて精一杯ここで生活する彼らは本当に頼もしく、たくましいなぁと思います。
 ゴールデンウイークも終わり、第一定期テストを迎え、その後はしばらくフェスティヴァルの準備にいそしみます。またまたいろんなことを体験し、感じ、たくさんの笑顔と涙の日々となるのでしょう。忙しく、大変な時期を乗り越え、みんなが何を感じ、何を考え、どんな成長を遂げていくのか楽しみでなりません。のぞみ寮生一人一人の成長をそばで見せてもらい、感動させてもらえる私たち寮務教師って本当に幸せです。だけど感動させてもらうだけではなく、私たち寮務教師も寮生と共に歩み、共に成長する「仲間」の一人でもありたいものです。
森口みち子

2014年4月23日水曜日

のぞみ通信 No.199(2014年4月23日)

自分らしく生きる
寮長 信田 智 
自分らしく生き生きと生きてみたいと思ったことはないか。今まで、人の目ばかりを気にして生きてきたことはないか。友達の目、先生の目、時には親の目を気にして、自分らしく自由に生きられなかった。そんな経験をみんな持っているのではないだろうか。
 ところで、自分らしく生きるということはどういうことか。親や教師や友達や周りの目から解放されて自由になって、自分の本当の願いに生きることかもしれない。それが出来たらどんなに素晴らしいことだろう。でもなかなかそれができない。さらに、自分の本当の願いがどこにあるのか分からないということがある。それは、今まで自分で選び、自分で決め、自分で決めたことについて責任を取ることをせず、いつも親任せ、人任せできたからです。
 ちなみに、この敬和学園に入学したい、のぞみ寮で寮生活をしたいと、自分から願って決めた人はどのくらいいるだろうか。そんなに多くはないかもしれない。でも、動機はどうでもいいのです。これから3年かけて、のぞみ寮で高校生活を送ることが出来て本当に良かったと思えるような生活を、自分で切り開いていってほしいのです。
 君たちが敬和で生き生きと、自分らしく生きるためには、どうしたらいいのか。
 繋がるべきところに、しっかりと繋がっいることが大切です。自分をしっかり受け留めてくれる処が必要なのです。君たちにとって、つながるべき処は、いったいどこだろう。まずは家庭です今まで親が口うるさくてうっとうしいと思っていた人も、寮に入ると家庭がどんなに自分を守っていてくれた場所であり、親がどれだけありがたい存在であるかに気付かされます。
 次に君たちの繋がるべきところ、これからは寮です。ここは君たちにとって第二の家庭です。小言も言われれば、ぶつかり合いもあります。しかし、根本的なところでは、互いの愛と信頼の関係で結ばれているのです。しっかりとのぞみ寮につながり続けてください。3年間つながり続けたならば、必ずあなたの高校生活は生き生きと輝いたものとなり、保護者の皆様にとっても思いに勝る祝福の源となることでしょう。
 そして、友達です君たちにとって今一番の関心事は、うまく友達ができるだろうか、先輩は怖くないだろうかということかもしれない。心配いりません、寮の先輩はみんな優しい人です。友達との関係で、自分を見失わないようにしてほしい。無理して友達を作ろうと焦ることはない。自分は自分でいいのだ。自分の中身をしっかりさせていくことを考えてください。そうすれば自然と友達が出来てきます。
 何よりも神様につながってほしい。先ほど歌った讃美歌に、「いつくしみ深い友なるイエスは」という歌詞がありましたが、誰も私のことをわかってくれないと思っていても、私たちのすべてを知っておられる主イエスが、一番身近な友として、あなたを愛し、あなたと共にいてくださることを知ってほしいのです。イエスにつながって自分らしく生き、生き生きと輝いた高校生活を送ってください。(2014年度入寮礼拝より)
 
 
 
<47回生代表挨拶>
入寮の決意  みぎわ館 T.S
 桜の開花もあちこちで聞かれ、暖かな春の日差しに包まれた今日、私たち47回生はのぞみ寮に入寮します。5年前のこの日も、私はこの友愛館にいて、敬和学園の校歌を口ずさんでいました。兄の入寮礼拝に同席していたからです。私が敬和学園を知ったのは、兄が高校進路を決定する際です。当時、5歳離れた私は小学4年生でした。進路に悩んでいた兄は、この学校の卒業生の従妹から話を聞き、家族でオープンスクールに参加しました。その際、幼いながらに「私もこの学校に来たい」と思いました。そして兄が入学し、学校行事を見学したり、寮から帰省した際に話を聞いたりするうちに、ますます期待が膨らみました。
 時は経ち、兄が卒業して2年。敬和学園の存在は遠いところにありましたが、中学3年生になった私は進路を真剣に考えなければならない時がきました。悩みました。敬和に入学するという事を考えると、友達や家族と離れなければならないこと、知らない人の中で生活を始めることなど、不安しか浮かばなかったからです。そして、春と夏のオープンスクールに参加してみました。すると、不安をはるかに上回る期待と希望でいっぱいになりました。
 それでも今、これから始まる寮生活において、同じ寮の人や先輩と仲良くなれるのか、また、私の家は仏教を信仰しているので、キリスト教になじむことができるのかなど、多少の不安を感じています。しかし、兄を見ていると、寮生活で一生の友達を得たように感じます。先日も同じ寮だった友達が家に泊まりに来ました。そして、私のために高校時代の思い出を楽しそうに話してくれました。何もない不便な生活の中で、自分を見つめる時間が大切だったことを、卒業してしばらくたってから感じているようでした。
 これからの寮生活を充実したものにするにはどうしたらよいのでしょう。やはりルールを守ることではないでしょうか。当たり前なことですが、その当たり前なことを当たり前にすることが、集団生活をするうえで最も大切なものであると思います。ルールの一つに「携帯電話の禁止」があります。情報化が進み、高校生が携帯電話を持つことも当たり前になりはじめています。私の友人たちもほとんどの人がスマートフォンを買い、うらやましくも思いましたが、電話ですぐに話せない不便、欲しいものがすぐに手に入らない不便、そんなことも皆で楽しんでしまえば、違う何かが見えてくるのではないかと期待しています。
 ここに集う47回生の仲間と共に、様々なことを学び、「敬和学園にきてよかった」と思える3年間を過ごしたいです。
 最後になりますが、校長先生ならびに寮の諸先生方、そして先輩方にはあたたかいご指導とお導きを下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。私たち新入生一同は、歴史と伝統ある敬和学園の学生として、のぞみ寮の寮生として誇りを持ち、その名に恥じぬよう、実りある学校生活、寮生活を送ることをここに誓い、入寮の言葉といたします。





 <入寮によせて>
保護者代表挨拶   S.J 様 
 あの東日本大震災から3年が経ちました。一昨日、三陸線の全線開通による復興へ向けての様子がニュースで流れていましたが、被災地では、今なお多くの方々が苦しんでいます。そのような中で、この敬和学園の47回生として、今日の入寮礼拝、明日の入学礼拝を迎えられることに、親子ともども感謝しましょう。
 敬和にお世話になるのは妻、長男に続き、わが家としては次男で3人目になります。妻の時代のことは、よくわかりませんが、長男は、神奈川の高校に通っていたとき、挫折を味わい、身も心もボロボロの状態で、高校一年生の夏に敬和に転学し、大望館での生活を始めました。温かく迎えて下さった先生方と先輩、同級生たちには感謝してもしきれません。その後の2年半近くの寮生活で、長男の成長には、目を見張るものがありました。それもひとえに、寮長先生をはじめとする寮の先生方のおかげと切に感じております。先生方が、寮生をわが子同然に可愛がり、時には厳しく、時には優しく、その子その子の全て受け入れて下さいます。
 恥しながら、私は親として、子供たちに十分な人間教育をできていないと思っております。子供にとって、一番大事なことは「安心感」です。何も心配することなく毎日を穏やかな気持ちで生活すること、自分の存在や生き方の有りのままを受け入れてもらえることが、子供の生きる力の源になります。この敬和の寮生活は、「安心感」に満ち溢れた中で、人として将来生きていくための人間教育がなされていると確信しています。新入生のみなさん、どうか安心してこれからの3年間を過ごしてください。
 私は、6年間に渡り、神奈川県でPTA会長を務め、多くの学校を見る機会を得ました。今、日本の多くの教育現場で「生きる力」ということを簡単に言う風潮があります。「生きる力」を子供たちに養うことは、教える側には、相当の覚悟と努力が必要と私は思います。この敬和学園の寮教育は、まさに「生きる力」の養成に真っ向から取り組んでいる日本中で数少ない所であること間違いありません。
 寮生活は、これまでの家庭生活とは大きく異なります。自分のわがままばかりは許されません。自分勝手な行動は取れないし、好きな時間に好きなことをできるわけでもありません。これからの人生において必要とされる挨拶や礼儀、社会での上下関係の厳しさを学ぶことになります。が、寮で過ごす3年間は、この先のみなさんの人生において、心の中に温かく残り忘れられないものとなるはずです。
 保護者のみなさま、ご心配も多々あるかと思いますが、この子達がこの先の人生を力強く生きていくための必要な時間が、神様より与えられようとしています。ここで出会えたことは、親も子も何かの縁であり必然の出来事です。保護者のみなさま、どうか一丸となって子供たちならびに寮教育をサポートしていきましょう。
 最後に、寮長先生をはじめとする寮の先生方、ご指導の程よろしくお願い申し上げます。上級生のみなさん、先輩として、47回生に、いろいろと教えてあげて下さい。この「のぞみ寮」で生活する敬和生が、素晴らしい人生の礎を築けることをお祈りしつつ、簡単ではございますが、保護者代表の挨拶とさせて頂きます。


 <在寮生代表挨拶>
Y.C(3年生:新潟市中央区)
 ここにいる皆さんは他の47回生より一足早くのぞみ寮生としてこの敬和学園にやってきました。今、どんな気分ですか?ドキドキ・ワクワクしていますか?それとも、不安と緊張でいっぱいですか?のぞみ寮での生活は、きっと今までに経験したことのない事ばかりがおきると思います。もしかしたら、今となりにいる人と、一生の友達になるかもしれません。もしかしたら、大ゲンカするのかもしれません。
 それでも、一緒の場所で、同じご飯を食べ、濃い時間を共に過ごしていきます。その中で、いつしか「もうひとつの家族」と呼べる関係になっていくのです。
 「もうひとつの家族」になる過程には、つらい事、苦しい道のりがたくさんあります。そんな時には、後ろに座っている先輩たちを頼ってください。皆さんより早くそんな道のりを歩んできた勇者たちです。
 ここからはじまる3年間をどんなふうに過ごすのかは、自分自身で選べます。みなさんが、よりステキな寮生活を送れるように、心から祈っています。これからよろしくお願いします。




<着任の挨拶>
*今年度新たに3名の先生がのぞみ寮・寮務教師として着任いたしました。 


光風館担任 片岡 自由
  今年度から新しく寮務教師として光風館を担当させていただきます片岡自由(かたおかじゆう)と申します。
 福島県会津若松市出身で、父が日本基督教団若松栄町教会の牧師をしております。敬和学園37回生として光風館で3年間生活をしていました。今回、寮務教師として母校・光風館へ戻ってきたことへの嬉しい気持ちと、ひとり一人のいのちを預かる立場としての責任を感じています。
 のぞみ寮での生活と敬和学園での学びがきっかけとなり高校卒業後、私は関西学院大学社会学部に進学しました。しかし、卒業する1週間前に東日本大震災が起き、福島県会津若松市が実家である私は、原発事故によってふるさとが汚染された現実を突きつけられました。自分の中にひしめく感情と向き合いながら約2年間、市民団体である会津放射能情報センターで専従スタッフを務めました。健康被害を口に出来ない現実の中で、弱く小さくさせられている人々の想いに寄り添う活動を続けています。その活動の中で、他者に寄り添った敬和学園での学びが活かされていることに気付きました。
 のぞみ寮では自分と向き合い、他者の想いに寄り添うことが求められます。24時間を共にする仲間と出会い、その想いに寄り添うことによって新しい自分を発見することになります。生徒ひとり一人が成長するために喜怒哀楽をしっかり表現出来る環境を作りたいと思います。ひとり一人を受け入れ支え、その想いに寄り添い、共に泣き、共に笑い、共に成長していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。



男子寮担任 山﨑 飛鳥
 初めまして。今年度より寮務教師になりました山﨑飛鳥(やまざきあすか)と申します。光風館と大望館の両館を担当させていただきます。新潟県新潟市出身で昨年度まで新潟大学に在学しておりました。年齢は22歳で敬和学園の卒業生でいえば40回生の年にあたります。教科は保健体育、労作を担当しています。また部活動ではラグビー部の副顧問も担当しています。
 私は高校時代に寮生活をしていました。その寮は全員ラグビー部員で、毎日練習に明け暮れ、ご飯を食べ、お風呂に入り、寝る場。これが私の「寮」に対する意識でした。その時はまさか、自分が教師として寮で過ごすとは考えもしなかったです。
 私は寮務教師としてこの「のぞみ寮」に入り、毎日が発見の連続です。その中でも特に驚いたことが2つあります。
 まず一つ目が、生徒と教師の距離が近いことです。同じ場所で同じ釜の飯を食べるからでしょうか?生徒たちは程よい距離を保ちつつ、気さくに話しかけに来てくれます。
 二つ目は、行事への取り組む姿勢です。私の知っている寮生活とはちがい、本当にさまざまな行事を、寮生が主体となって企画します。スポーツ大会やお花見など、生徒の発想には毎回驚いてばかりいます。
 まだまだ分からないことが多く手探りですが、のぞみ寮の一員としてこれから一緒に学んでいけたらと思います。よろしくお願いします!



女子寮担任 遠藤 朗子
 こんにちは。今年度より寮務教師となりました遠藤朗子と申します。女子寮の2つの館(みぎわ館・めぐみ館)を担当させて頂くことになりました。学校では1年生の音楽の授業を担当し、声楽部の副顧問でもあります。昨年までは学校の常勤講師として、音楽の他に労作の授業も担当させて頂きました(お時間許されましたら、学校のホームページから「労作日記」をぜひ御覧ください)。
 さて、私も敬和の卒業生(39回生)で、当時は通学生として登校していました。寮の生活の様子は、寮生の友達から聞くことはありましたが、当時の私にはあまり関心がありませんでした。のぞみ寮特有の「不便さと不自由さ」にどうも抵抗を感じ、「大変そうだなぁ」と思いながら寮生と接する日々を送っていました。そのためか、敬和生とはいえ、寮に関してほとんど無知の状態で今年度を迎えることとなったのですが……。いざ寮での生活が始まると毎日が新鮮で、「こんなにステキな場所が敬和にあったのか!」と、新たな発見と驚きと感動で溢れた生活をさせて頂いております。キラキラ輝く生徒たちを見ていると、高校時代の自分にぜひ寮生活を勧めたくなります。出会いあり、悩みあり、大爆笑あり、怒りあり、涙あり。こんなに感情を爆発できる空間があるなんてステキ。しかも生徒同士で、というのがまたすごい。「社会に出てゆく第一歩」を生活の中で学べる、のぞみ寮での初めての一日、一ヶ月、一年。今からとても楽しみにしています。
 まだまだ至らない点がたくさんあり、ご迷惑をおかけすることが多々あるかもしれませんが、皆さん一人一人の支えとなれますよう、尽力していきたいと思います。共に歩んでいきましょう。何卒宜しくお願い致します。



寮生リレー通信  (第 112回)

< 大望館 >
「1年生が入寮して」           
S.T(3年:新潟市南区) 
 4月8日、大望館では新1年生19名、新2年生2名を迎えることになりました。私は3年生になり、1年生が入寮した事で思ったことがあります。それは1年生に寮のルールを教えることで自分自身がそれを出来ているかと確認することができたり、自分の行動に責任が伴うということです。寮のルールは1年生だけが出来ていれば良いということではなく、2・3年生が1年生の見本になるようにしなければいけないということを再確認することができました。最初は3年生は何もしなくて良いというイメージがありましたが、後輩の見本となり自分が後輩を導いかなければいけないという強い責任感も生まれてきました。
 新学期も始まり2年生は先輩に、3年生は最高学年になり戸惑うことも多々あると思いますが、私は残された1年という寮生活を大望生45人全員で協力し合い、充実した寮生活を送れたらいいなと思っています。


< みぎわ館 >
「1年生を迎えて」           
T.A(2年:愛媛県今治市)
 「先輩になる。」私は実際に先輩になるまでこの事がどれほどの事かはっきりと理解しきれていませんでした。私の部屋は同学年の子がいるので、2人で1年生に寮のルールや仕事を教えています。1年生が入寮してきてまだ2週間も経っていませんが、この短い期間の間に本当にたくさんの事がありました。そして、私にとってとっても濃いものでした。
 4月8日、47thが入寮してきました。これから2人で教えていくんだ。と単純に考えていた私でしたが、その3日後、同室の同学年の子と1年生に教えていくうえでのちょっとしたすれ違いで、言い合いになってしまいました。それからお互いほとんど会話をしていませんでした。その間、私は頭を冷やし、整理していました。そうしていく中で自分の未熟さや、自分の言動によりどれだけ相手を傷つけてしまったか、言葉を発信する責任のようなものに気付くことができ、このままではいけないなと思ったので、話し合いをしたいと思い、思い切って話しかけました。話し合いをして、お互いの誤解を解き、お互いちゃんとはっきり思っていることをぶつけ合いました。それからは2人で協力し合いながら教えることが出来ています。この事で私は話し合いをすることや自分の気持ちを伝えることの大切さ、人に何かを教えることの大変さ、言葉の重さに気付かされました。言葉は、自分が伝えたことが相手には自分が思っている通りには伝わっていなかったり、言い方や言葉の表現の仕方によって意味は同じでも感じ方が違ったりなど、誤解を生んでしまったりする難しいものでした。そして、教えることの大変さ。1年生が入寮するまで、私の中で先輩は自分達よりも年上で私たちよりも長くここで生活している。だから敬わなければならない。と考えていました。ですが、実際に教える立場になって、その大変さを知り、それから私の中で敬うべき存在になりました。先輩方に感謝の気持ちでいっぱいになりました。そこでやっと「先輩になる。」ということの本当の意味に気付けた気がしました。
 この気付きを大切に、より良いみぎわ館を、みぎわ館生みんなでつくっていきたいなと思います。



< 光風館 >
「先輩になって」             
S.H(2年:福島県郡山市) 
 47回生が入寮して来て、僕たち46回生は先輩になりました。寮に後輩が入ってくるから、「色々らくになるなあ」と思うのと同時に、「そのためには多くのルールや仕事のやり方を教えなくては」という責任感もわいてきて、不安や緊張も感じはじめました。
 光風館に入寮してきた47回生は、僕たちよりも8人も多くて、教えるのが大変だと思っていましたが、みんな覚えるのが早くて、当初抱いていた不安をよそに、想像していたよりもずっと楽でした。特に、電話が鳴った時のダッシュがすごくて、みんな我れ先にと取りに行く姿に、ついこないだ僕がそうであったにもかかわらず、懐かしさを感じました。何度も見ていると、「ケガをしないだろうか?」と心配になって来て、そんなに焦らなくてもいいのに(笑)・・・と思う毎日です。
 もうすぐ、寮祭があります。各館でその準備が進められています。毎年恒例の1年生の劇が今年はどんなものになるのかとても楽しみです。47回生の頑張りに期待しながら、僕たち46回生は、一年生に色んなことを教えています。47回生の変化と成長は僕たち46回生の成長でもあります。そのためにも、僕たちがまず力を合わせて頑張りたいです。




 < 受洗しました! >
*4月20日(日)イースター礼拝で大望館担任の堀越俊継先生が受洗されました。
大望館担任 堀越 俊継
 私のキリスト教との出会いは、敬和に入学したことがきっかけでした。3つ年上の姉が敬和に通っていたことで、中学生の頃に何度か敬和に訪れるようになり、そのまま入学を決めたように思います。その頃から敬和はキリスト教の学校ということは聞いていましたが、姉からは敬和に入ったからといってクリスチャンになることを強制されることはないと聞いていたので、キリスト教の学校ということはあまり気にしていませんでした。本格的にキリスト教を間近に感じ始めたのは入学してからになります。毎朝の礼拝や聖書の授業、寮生活などを通してキリスト教的な考え方や行動というものは何となくこういうものなのかな、という自分の中で想像のようなもやもやした考えはあるものの、それ以上深く考えることも、先生に聞いてみることもしていませんでした。もちろんその時は自分もクリスチャンになるという考えもありませんでした。
 私は教員として敬和に来て今年で4年目になります。寮は昨年の4月から担当させて頂いていますが、この1年は私にとって忘れられないものとなっています。初めて寮担任として生徒を送りだしたということもありますが、そこまでに行く過程の中でも本当に様々な出来事がありました。生徒との衝突、生活指導、自分の力不足を痛感するようなことを挙げればきりがありませんし、そのなかで気持ち的にしんどいなと感じたことも何回もありましたが、それ以上に、自分自身の充実感と成長ということを考えれば、これ以上の年はありません。どんなにしんどくても、先生方のサポートや生徒の協力がある。私は1人ではないということを、この1年を通して強く感じることができました。
 この経験は自分に変化を起こしてくれました。この1年、どんなにつらく苦しいことがあっても何とかやってこれたことに対して、ある人が何気なくこう言ってくれました。「それは結局、神様が見守ってくれているからだよね。」
 この言葉を聞いた時、私の中で何かが閃いたような気持ちになり、同時に過去のあらゆる出来事がその言葉とリンクしたのです。私は敬和を卒業後、受験の失敗から1年間の浪人生活を経て希望の日本体育大学に進学した経緯がありますが、この1年間は人生初めての挫折から始まった本当に辛い1年でした。しかし、今ではこの浪人生活は、私に大きな成長を与えてくれた財産になっています。大学では楽しいことも苦しいことも含め、敬和では味わったことのない世界を知ることができました。大学で教員免許を取得しての最初の職場は、新潟県の公立高校を2校掛け持ちするものでした。この2年間の講師生活も辛いもので、教員に対する夢も揺らぐようなものでしたが、そんな時たまたま見た敬和のホームページに載っていた教員募集に、助けを求めるように、飛びつくように電話をしたのを覚えています。幸いその頃はまだ誰も応募がなかったようで、そこから教員として敬和に戻ってきたということがあります。
 正直これらの出来事を、今まで神様がいたからとか、そういう視点で考えたことはありませんでした。しかし、寮で経験したこの1年間が、またそこで掛けて頂いたあの言葉が、今までの歩みに神様がいてくれたと素直に受け止められるようにしてくれたように感じます。また、「神様が見守ってくれている。」そう考えただけで安心感と心強さを感じることもできるようになりました。もちろんこれまでの歩みの中には本当に様々な人からの助けがあったのも確かです。その方々への感謝も忘れずに、神様を愛し、隣人を自分のように愛せる人になりたいと思います。
 今日こうして信仰告白をするにあたり、私は今ここに立つにふさわしい人間なのかと自問自答する日々もありますが、あの日のあの言葉に助けられた自分を忘れることなく、今日という日を新しい自分のスタートと捉えていきたいと思います。

         

< バザー献品のお願い > 
 来る6月13日(土)に行われますフェスティバル&バザーで、「のぞみ寮」は、今年も、全国から集まる寮生の保護者の皆様にご協力をいただいて、恒例の「全国物産コーナー」を出店致したいと計画しております。つきましては、保護者の皆様には、献品のお心づもりをいただき、日が近くなりましたら献品をお送り頂けたら幸いです。

 日 時  : 2014年6月13日(土) 9:00開始
 品 物  : 全国各地の名産品(食料)、その他
 場 所 : 敬和学園内 友愛館




編集後記 
 47回生63名を迎え、2014年度の歩みが始まりました。にぎやかな友愛館での食事時や自由時間の絶え間ない笑い声…いろんなところで47回生が来てくれたからこその活気が感じられ、嬉しい限りです。47回生のおかげで45・46回生は先輩になります。先輩がいるから47回生は心を育みながら、のぞみ寮生へとなっていきます。学年を越えて共に歩むのぞみ寮生たち。寮生活の醍醐味を全員が毎日・しっかり味わっていってほしいと願います。今年度も、どうぞよろしくお願い申し上げます!
森口みち子

2014年2月27日木曜日

のぞみ通信 No.197(2014年2月24日)

悩みの中に希望が
 寮長 信田 智

 使徒パウロは、イエス・キリストを信じる信仰によって、神との間に平和を得ており、キリストによって今の恵みを与えられ、神の栄光に与かる希望を誇りとしている。と告白している。しかし、彼の誇りはそこに留まらなかった。「苦難をも誇りにしている」と言うのである。なぜなら「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5:3-5)からであるという。とは言え、私たちは自分に降りかかる苦難を誇りに思うことが出来るだろうか。なんで私だけがこんな苦しみに遭わなければならないのか、なんで私の家族がこんな苦しい経験をしなければならないのか。愚痴のひとつも言いたくなるし、絶望的な状況の中では、恐れと不安が私たちを支配するのではないだろうか。
 しかし、よく考えてみれば、愚痴を言い、自暴自棄になったところで何も生まれてこない。むしろ、ますます惨めになるだけである。時には、何もする気になれないほど打ちひしがれる事もある。その時はじっとそこにうずくまり、その苦しみに耐えることしか出来ない。でも、それでいいのだ。耐える事ができるというのは、強靭な精神力があるからだ。やがて、生きる目的となるものを見つける時、そこに希望の光が見えてくるであろう。
 その消息をパウロは、苦難を、忍耐・練達・希望へと繋げている。人生において忍耐の学課ほど困難な学課はないと言われる。私たちは一体どこで忍耐を学ぶのかと言えば、苦難の中でしか学べない。人間はできれば楽をして良い思いをしたいと思うものである。しかし、私たちの先人は、「若い時の苦しみは、買うてでもせよ」と教え諭した。苦難を負うと言うことは決してマイナスな事だけではない。その苦難を通してしか学ぶ事の出来ない、深く広い世界がある。そして、忍耐の先に驚くべき恵みが備えられていることを、経験的に身につけてきたのである。
 小西校長は、教職員の採用面接で、「あなたは、今までの歩みの中で何か苦しい経験をしたり、挫折した事がありますか。」とよく訊ねられる。それは、何事も無く順調に来た人には、子供達の負っている苦しみや挫折を共感する事が出来ないからだ。今の子供たちは本当に大変な状況の中で、様々な苦難をかかえて必死に生きている。我々寮務教師は、その子共達の苦しみを一緒に担っていかねばならない。その子供や家庭の痛み、苦しみを共感できる感性を養っていかなければならない。
 そのためにも、自らが苦難を経験し、忍耐してその苦難と向き合う中で、精神が鍛えられ、練達した働き人になっていく、そういう経験が大切なのだ。子供達の心に寄り添い、共感しながら大いに悩み、そこから見えてくる大いなる希望の光に導かれて、与えられた勤めを全うさせて頂きたい。「闘いなくして勝利なく、十字架なくして復活はない。」そして、そこにこそ希望がある。





寮生リレー通信  (第 110 回)



< 大望館 >
「入寮して一年」~全体礼拝でのお話より~
S.A(2年:新潟市西区)
 みなさんこんばんは大望館のS.Aです。三年生が寮から旅だってから数日が経ちました。気持ちの整理はついたでしょうか。僕はまだまだです。何か心の中がポカンと開いている感じがします。
 さてなぜ今回僕が全体礼拝で話すかというと、ある日の夕飯の後、澤野先生に「A、あと少しで入寮して一年になるから寮に来て思ったことを話してくれ」と言われたので、今日は寮に入る前の事と寮に入ってからの事を話したいと思います。
 みなさんご存知の方もいると思いますが以前僕は通学生として学校に通っていました。通生の頃は毎日一時間以上かけて学校に通ってまた一時間以上かけて家に帰っていました。
 毎日家に帰るのは、八時近くて大変でした。
 寮に入る前は寮生との関わりはあまりなく、クラスの寮生としか関わっていませんでした。なので寮のことはよく分かりませんでした。ですが寮生は先輩、後輩関係なく仲が良い事や団結力が強いと言う事は分かっていました。
 寮とは無関係だった自分ですが一年生の後期ぐらいにクラスの寮の友達に、突然「寮に入らないか?」と誘われるようになりました。その時は、深く考えないで「じゃあ入ろっかな」と軽い返事をしていました。誘ってくれたことを友達が覚えているか分かりませんが、この出来事がきっかけで寮とはどういう所なのか、また寮にはどんな人がいるのか話を聞くようになりました。話を聞いていくうちにどんどん寮の魅力にはまり自分自身寮に入りたいと思うようになりました。通生の友達に「もしかしたら寮に入るかもしれない」と話したら、「えー寮携帯使えないんだよ」とか「なんで生活の不自由な寮に入るの?」など批判的な答えしか返って来ませんでした。実際親にも「寮に入りたい」と言ったら「大賛成だけどあなたって変わっているわね」と言われました。この時はなぜ変わっているのかよく分かりませんでしたが、今思うと家から通えるにも関わらず生活の不便な寮に途中から入る事が変わっていると思います。ですが寮に入ったら成長できると思ったので入寮する事を決心しました。またこの決心が高まった出来事がありました。それは43回生を送る会で最後に43回生が花道を通る時に周りにいた寮生のみんなが先輩と写真を撮っていたり泣きながらハグしている姿を見てうらやましく思いました。一年という短い時間の中でこれほどの絆で結ばれている寮生に加わりたいと思ったからです。
 そして実際に入寮して学んだことがあります。それは、一つの事をみんなで作り上げていくことの大切さと、自分のできる事をすればいいという二つの事です。一つの事をみんなで作り上げていくことの大切さを学ぶことができたのは寮での行事やミーティングがあったからです。
 行事には寮祭やクリスマス礼拝、大望祭などたくさんあります。僕にとってどの行事も初めての体験だったのでとても楽しかったです。これらの行事を無事に楽しく終えることができたのは各館ミーティングを重ね意見を活発に交わしていたからだと思います。実際大望館も何度もミーティングをしていましたが、大望二年生のミーティングは他の館に比べるとミーティングぽさに欠けるところがあります。ですがやる時はやる大望館の言葉の通り真剣に取り組む姿がありました。このことを強く思ったのがこの間行われた大望祭の準備の時でした。二年生は歌を歌うことになったのですが、練習期間が三日間しかなくて間に合うか分かりませんでした。しかし短い期間の中で綺麗な歌声を響かせることが出来ました。これは、みんなが真剣に一つのことを作り上げていこうと思っていたからだと思います。これからの寮生活の中でも意見がぶつかり合う場面があると思いますが、その時はみんなで話し合う事で乗り越えることができると思います。
 二つ目の自分のできる事をすればいいと言う事を学べたのは日々の寮生活です。いきなりですが皆さんは大望館ってどういう寮と聞かれたら何と答えるでしょうか?ほとんどの皆さんが、個性の強い人がたくさんいるとか、無茶ぶりも平気とか賑やかな寮と答えると思います。ですが僕みたいに個性が強くない無茶ぶりもできない人もいます。入寮当時周りのみんなが無茶ぶりとかしている姿を見て驚いたし怖くて仕方ありませんでした。自分も何かをしなければいけないと変にプレッシャーかけてもがいていました。ですが日々の寮生活を送っていると自分と向き合う時間がたくさんあり、自分は何ができるのだろうと考えるようになりました。考えた結果、自分にできる事をすればいいと気付くことができました。気付いてからは考え方が変わり、何とかなると思うようになりました。そして寮生活を心から楽しめるようになりました。だから皆さんもぜひ自分と向き合う時間を大切に過ごしてみたらいかがでしょうか。
 最後になりますが寮に入る前と入ってからで一番変わったところは何事にも感謝できるようになったことです。寮で掃除や洗濯を自分でしていると親のすごさに気付きました。感謝しきれません。また寮の先生や寮の友達にたくさん助けられました。感謝しきれません。僕にとって寮とは第二の家であり男子寮、女子寮関係なく全員が家族なんだと思います。寮に入寮して皆さんと出会う事ができてうれしく思います。
 これからも宜しくお願いします。

 

< みぎわ館 > 
「風になる」           
Y.H(1年:北海道札幌市) 
 私たちみぎわ館46回生は、みぎわ館での3送会でメッセージと映画「猫の恩返し」の「風になる」をみぎわ館バージョンに替え歌し、感謝の気持ちを贈ることにしました。替え歌は、「感動系でいく?」「笑いをとってみる?」「笑いだけじゃつまらないよね」「何か、みぎわらしさがほしいよね!」「みぎわ館らしさって何だろう?」「笑顔!」「食べ物!」「先生たち!」などと、たくさんの意見を飛び交わせ、ようやく完成させることが出来ました。
 本番、私たちの出し物の途中、3年生の方々がぽろぽろと涙を流されていました。私たちはみんな3年生が大好きで、その想いをこめてメッセージと歌を送りました。3年生の表情や涙から、私たちの想いが少しでも伝わった事を感じ、とても嬉しかったです。また3年生が1年生の時、当時の3送会で「風になる」を送る側として唄ったのだそうです。まさか、自分たちも同じ歌で送られる側になるとは思ってもいなかったと聞きました。偶然ですが、これも一つの奇跡だな…なんて思ってしまいました。
 そんな奇跡の私達からの歌「風になる」はこんな風に出来上がりました。

『Ⅰ:忘れていた目を閉じて 思い出す入寮当初。青空に光るチャペル 手をかざしてもう一度。忘れないで すぐ側にみんないるみぎわ館。星空を眺めている 一人きりの夜明けも たった一つの心 悲しみにくれないで。君のため息なんて 春風に変えてやる!
   朝ごはん ランチ食べ 夜はご飯に礼拝。君と作った思い出 友愛館。
ララララ口ずさむ 無意識に讃美歌を。君と唄えた幸せ 忘れないよ。
 Ⅱ:シミフまでの道のりはみんなで鼻歌うたい 青空見上げながら待ってろよムーンライト。忘れないで すぐそばにエミタイがあることを。たまに値引きしてくれるあのおじさん 名前何!?(それを言うならカワシマさんだろ~!!)
   みぎわ館の笑顔を時々思い出して。お肉食べた時には モリモリ思い出して。ABCカメラマン おぐろん・おぐろん・おぐろん(おぐろん!)榎本先生は意外と乙女なんさ!
ラララララ 先生もみんな応援してます。みぎわ館の小さな事務室から。
   雨の日も 風の日も みぎわに電話ください。1コールで叫び 3コール以内に出ます(電話でま~す!)。ラララララ 10人の幸せを願います。
ここで出会えた幸せ祈るように。君と出会えた幸せ 祈るように。』

 みぎわ館を旅立つ3年生への思いを込めたこの歌に名前を付けるとしたら、「すぐそばにいる」としたいです。いつでも3年生の事、お祈りしています!ありがとうございました!


< 光風館 >
「充実していたスキー教室」
S.G(1年:新潟県上越市)
 2月5日から7日までの2泊3日、私たち1年生は、妙高市の赤倉スキー場でスキー教室を行いました。
 私はスキーの本場、新潟県上越市出身にも関わらず、あまり上手にスキーを滑れないので、選んだクラスは「初級」でした。先輩からは楽しい行事だということを聞いてはいましたが、最初は「面倒臭いな」というのが正直な気持ちでした。そして、あまり気が進まないまま迎えた1日目。行きのバスに乗っているときはとても天気が悪く、皆から不安の声が上がる中、私は悪天候を理由にスキーが中止になればと考えていました。今思うと、非常に恥ずかしく、腹立たしい限りです。
 予定より少し遅れて現地に着き、すぐ開会礼拝、開校式がありました。その後、1時間程の昼食休憩があり、いよいよ講習開始の時間に。5年振りのスキーで、「ちゃんと滑ることができるのか」など不安はありましたが、感覚は忘れていなかったようで、すぐにハの字で滑ることができました。
 2日目と3日目は初級の中でグループ分けされ、今まであまり関わりのなかった磐梯クラスや苗場クラスの人たちと一緒のグループになりました。初めはなかなか声を掛け合えず心配になりましたが、お互い派手にすっ転んで、笑い合っているうちに、いつしか友人と呼べる仲になっていました。
 この3日間を振り返ると、最初はあまり乗り気でなかったスキー教室でしたが、新しい友人ができ、スキーの技術も向上し、とても充実した3日間となりました。



< めぐみ館 >
 「めぐみ館での三年生を送る会を終えて」         
Y.I(2年:新潟県阿賀野市)
 今回のめぐみ館での三送会はミュージカル風の劇を1・2年生で作りました。私は、音響を頼まれ、ピアノを弾いていましたが、後ろから聞こえる皆の声に合わせるのがとても難しかったです。「愛は勝つ」を中心に総計5曲をミュージカル風に組み合わせ3年生へ贈りました。当日は、今までにないくらいのみんなの笑顔と涙がありました。みんな最後の曲を歌う頃には、送る側・送られる側の関係なく涙を流していました。三年生の方は、私たちにダンスと歌をプレゼントしてくれました。絶対泣かないと決めていた私も、いざとなると、涙が一粒一粒頬に流れていました。先輩と泣きながら抱き合っている人、写真を一緒に撮っている人、この時、そこにいた一人一人が、もう三年生との時間も終わりに近づいているんだと感じた瞬間でした。
 練習の最初の方は、みんな疲れたりしてなかなか上手く行かなかったですが、ブロック長をはじめとし、毎日みんなで意見を出し合い、当日にはとてもいいものにすることができました。



  ~寮務教師より一言~
 今年は全国的に記録的な大雪に見舞われました。皆さまの御無事をお祈りします。
 一方、敬和のある新潟市内では、寒さは厳しいですがほとんどと言っていいほど雪が積もることがありませんでした。雪国としては物足りなさもありますが、それでも暖かい春の訪れを心待ちにしています。
 のぞみ寮の生徒たちも、新しい春に向けての変化に対応すべく、様々な準備や行事一つ一つに向き合ってくれています。三年生に心からの想いを伝え、最高の笑顔で送り出したいと三送会の準備に励む姿。また新一年生の47回生を気持ちよく迎えられるようにと、自分たちの代の関係や館の雰囲気を見直そうと話し合う姿。彼ら、彼女らなくして、のぞみ寮は成り立ちえないのだなと、改めて実感させられます。
 のぞみ寮生が敬和での三年間を振り返った時、ここで三年間過ごした自分自身に大きく○(マル)を付けることが出来たなら、仲間とのかかわりの中で入学時よりもっともっと自分を好きになってくれたなら、それほど嬉しい事は無いなと思います。そのために私たちも、更なる連携をもって、精一杯寮生の生活と成長の為のサポートをしていきます。どうぞ、よろしくお願い致します。
(めぐみ館担任 会田 咲)

2014年1月24日金曜日

のぞみ通信 No.196(2014年1月22日)

寮生リレー通信  (第 109 回)
 
夢への一歩が踏み出せる、大きな喜び
みぎわ館3年 F.E(新潟県長岡市)

 私達44回生が敬和で過ごすのもあとわずか。それと同時に、それぞれが目指した道へ進むときが、日々近づいて来ています。今、寂しさや不安、期待など色々な感情が混ざり合っています。新しい場所で、敬和で過ごして得た力を活かし、力強く歩み続けていきたいと思っています。
 私はこの春から大学へ進学し、書道を学びます。小学校3年生の時から続けてきた書道ですが、これまで書道一筋できたわけではありませんでした。離れていた時期もありました。しかし、その離れていた時期が、今の夢を与えてくれました。そして、私自身が書道から力をもらっていた事に気付くことも出来ました。何もかも進歩していないように思っていた時間こそが、私に大切な事を教えてくれました。
 そして私は文学部・書道学科を受験することに決めました。受験方法は公募制推薦。受験内容は実技、小論文、面接でした。受験日はあっという間にやって来て、あっという間に終わりました。小論文が特に悔いが残りましたが、その時の自分が出来ることはやったつもりでした。しかし結果は不合格。こうなることを覚悟していたつもりでしたが、抑えきれない悔しさが涙となって溢れだしました。
 ラッキーな事に、その後再び受験することが出来ました。しかし私はそのチャンスを与えてくれた親に「ありがとう」の言葉さえ忘れ、ただただ焦るばかりでした。そんな時、ある先生に「焦るのも分かる。でもあなたが決めた道でしょう。」と言われ、徐々に自分と向き合う事ができるようになりました。この言葉は「自分に勝て!」と言われているようでした。相手との戦いではなく、自分との闘い。弱気になった時、こう自分に言い聞かせ、確実に準備を進めていきました。前回悔いが残ったことを集中的に取り組みました。
 そうして早くも2度目の受験を迎えました。緊張で手が震えました。深呼吸しながら実技である書道を一文字・一文字大切に書き進めました。そして小論文に取り掛かり、午前は終了。午後からは面接。受験が終わっても、結果を考えただけで恐ろしくて眠れませんでした。
 いよいよ発表日。インターネットで自分の番号を入力し、溢れだす緊張をなんとかこらえ、結果をクリックしました。「合格です」この表示を見た瞬間、家族みんなで大喜びしました。やっと夢への一歩が踏み出せる。本当に大きな喜びでした。
 受験の事で家族や先生方、友人たちに私はたくさんの迷惑を掛けてしまいました。それでも応援してくれ、力になってくれて、自分の未熟さを痛感させられたとともに、感謝の気持でいっぱいです。
 これからが大変な事は分かっています。人一倍の努力が私には必要です。そして、書道に関してまだ点在する知識を立体的な物にしていきたいです。そして将来、自分の言葉で「書」を伝えていくことが出来たら、このうえなく幸せです。



<4人の仲間が受洗しました>
昨年のクリスマスに寮生4名がそれぞれの教会で受洗しました。今月号に彼らの信仰告白を掲載いたします。

大望館2年 S.K(兵庫県津門大筒町)
(12月15日 日本基督教団新潟教会にて受洗)

 私が初めてキリスト教と出会ったのが中学生の時でした。その頃進路は何にも決まっていませんでした。そんな中で母親から敬和学園を進められ「敬和の会」というのに参加しました。その会は、学校の説明だけでなく礼拝を行っていたので教会へ行ったことがなかった私にとって新鮮なものでした。この敬和との出会いがキリスト教との出会いでした。また、その会の説明で言っていた「敬和学園は自分探しの学校」という言葉に惹かれさらに母親や兄が敬和生だったこともありこの学校に入ろうと思いました。
 進路を決定しないといけない時期になり、「自分を変えたい」という気持ちが強かったので気持ちは変わらず、敬和学園に入ることを決めました。
 敬和に入学した頃は、寮のルールや人間関係などで自分のことだけで精いっぱいでした。私は要領よく動けないので、いろんな失敗もしました。そういう風に忙しく寮生活をしている中でつらいことがありました。それは、寮の仲間が寮を去っていくという現実でした。最初はどうにかできないかと思い、悩みをかかえた寮の仲間の話を聞きました。しかし、結局何も出来ずに仲間が去るばかりでした。この時から何も出来ない自分に対して劣等感をもつようになりました。そんな時、礼拝を通して心を静かにして自分と神さまに向き合う中で、また神さまにお祈りをすることで、自分の気持ちを落ち着けることができました。
 敬和学園には毎週金曜日の早朝に行われる早天祈祷会というものがあります。私はそれに毎週参加していて、学校での聖書の授業や教会以外の場所で聖書と触れ合っています。そうしたなかで自分の好きな聖書の箇所ができました。それはコリントの信徒への手紙Ⅱ12章 9~10節です。その中でも特に「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」という箇所を見た時とても励まされたような気持ちになりました。それに、弱さも自分の一部だと思えるようになりました。そう考えると、寮をやめる人を食い止められなかったという現実も受け入れることができるようになりました。そうして、自分への劣等感も最初の頃に比べ少なくなってきました。
 聖書を通して自分を見つめる中で、弱い私は他の人たちの支えとなるようなことができているのか、またどうしたらそれができるのか考えるようになりました。学校や寮などでは世代交代をして2年生が中心となってきています。その中で「お互いに支え合う」ことが大切になります。そしてどのように相手を支えるのかということは聖書に書いていると思います。私は聖書の言葉に向き合う中でそれを見つけたい、またこれからの人生での自分の支えになるものが必要だと思い、洗礼を受けることを決めました。このことを家族にも話し、承諾をえることができました。このように思えるのは敬和との出会い、そこでいろいろな経験をしたからこそだと思います。
 最後にこの洗礼を通して今までの自分を振り返ることができました。そして、自分の弱さを知ることができました。これからも様々な困難に出会うと思います。そうしたなかでも自分の弱さを大切にし、弱い時にこそ強くありたいです。また、自分のことばかりを考えるのではなく、相手のことも考え、そして相手の弱さを受け入れ、隣人を自分のように愛せるようになりたいと思います。




光風館2年 I.H(東京都渋谷区)
(12月22日 日本基督教団原宿教会にて受洗)
 
 私が今回、洗礼を受けようと思った理由は、しっかり自分と向き合い、自分の中に何があっても揺るがない支えを得たいと思ったからです。私は父が牧師ということもあり、物心がつく前から教会に通い、教会幼稚園にも通っていました。私は小さい時からキリスト教との関わりを多く持ちながら育ちましたが、洗礼を意識したことはありませんでした。
 私に自分と向き合うきっかけをくれたのは、新潟の敬和学園でした。しかし、敬和学園への入学を決めたのは、私の本当の意志ではありませんでした。高校の第一志望として受験した公立の高校にはわずかに及ばず落ちてしまい、地元の東京ではなく、新潟の敬和学園へ入学することになりました。その頃の私は意気消沈していたのと同時に新潟での生活、親元を離れることに強い不安を抱いていました。今思えば高校生で親元を離れるという経験をできたのは、自分にとって大きなプラスになったと強く思います。敬和学園での学校生活と寮生活を始めたことによって、私は今までどれだけ両親に頼り、導かれてきたのかということに気付きました。同時に私は自分の弱さにも気付かされる経験もしました。
 寮生活は共同生活なので、誰かと常に隣り合わせの毎日です。色々な個性の持ち主と向き合い、寮で起こる様々な課題に向き合わなければなりません。寮生活を通して自分と向き合い、隣人と向き合い、神さまと向き合うことの大切さを毎日の生活の中で学んでいます。
 敬和学園で得た、目の前の物事や周りにいる誰かに向き合うことの大切さ、それは私が17年間生きてきて最も苦手とし、できる限り避けてきたものでした。原因は、何かに向き合わなければならない時に「面倒」、「まだその時ではない」と理由を付けて逃げてきたからです。私は大小様々な問題が起こる度に壁にぶつかり、自分と向き合うこと、考えることを放棄してきました。しかし、毎日の生活の中で起こる課題や友人関係など自分に関することを後回しにする自分に危機感を覚えるようになりました。その中で、私は私の中に揺るがない支えを求めるようになりました。小さい頃から私にとって身近な存在だったキリスト教に触れていく中で、自分の中に揺るがない支えをつくっていきたい、そう考え洗礼を受けることを決断しました。
 敬和学園のくれたきっかけと共に、今回の洗礼を受けるという大きな決断を経て、私はあらためて自分自身としっかり向き合う中で、私は私の中の大きな変化に気付きました。それは、私は完璧な存在ではないけれど、むしろ弱さがあっても良いのだと思えるようになったことです。そう思えるようになったのも、キリスト教を土台に置く敬和学園の生活、寮生活の中にいるからだと思います。人にはそれぞれ弱さがあります。その弱さがあるからこそ、私たちは隣人と互いに支え合うのです。だからこそ弱い部分も大切なのです。これからもキリスト者として、そのように大切なことに気付かされながら、自分の中に支えとなるものをしっかりとつくる歩みを進めたいと思います。




大望館3年 W.T(宮城県岩沼市)
(12月29日 船岡聖書バプテスト教会にて受洗)

 僕が 教会に行き始めたのはほとんど覚えていません。気付いたら行っていました。教会に行くのがあまり好きではなく、なんで毎週日曜日に行かないといけないのか、苛立ちさえ覚えていました。行けば楽しかったのですが、とてもめんどくさいことでした。小学3年生になり、キャンプに参加できるようになりました。そこでは、教会で学べない一味違うことを学びました。神様についてわかりやすく話してくれましたが、小学生の時はバプテスマを受けるなんて考えていませんでした。中学生になり、小学生の時よりさらに聖書に関心をもてるようになり、聖書の神を信じるようになっていました。しかし、バプテスマを受けることに抵抗があり、恐れがありました。自分は罪深く汚い恥ずかしい存在だと思っていたからです。中高生キャンプに参加しているうちに、色んな方のフォローもあり、バプテスマを受けることへ抵抗が全くなくなりました。そして今年の夏にみんなの前でその決心を伝えました。そして、僕は神様に従って生きていこうと決めました。聖書の言葉1つ1つを大切に生きていきたいです。




めぐみ館3年 W.M(新潟県新発田市)
(12月22日 日本基督教団新発田教会にて受洗)
 
 私は小さい頃から新発田教会に通っていました。礼拝・お祈り・神様という言葉を知っていても深い意味は知らず、興味があるわけもなく、日曜日の午前中といえば教会に行って礼拝を受けるというのが当たり前でした。この当たり前になっていた週1度の礼拝は特別で、教会に行くということは私の中でとても大切なことでした。教会に行くと、教会にいる方々が温かく迎えて下さり、教会に行くのがとても好きでした。
 中学校にあがり、友人関係の悩みが出始めた頃、教会に行ってとても集中して礼拝を受け、神様に必死にお祈りをしたこともありました。そのとき私は神様をすごく近くに感じた気がしました。中学3年生の時、「敬和学園高校」と出会いました。私はそこに入学することを決め、寮にも入れる事になりました。そこで、私自身はとても大きく変わりました。
 敬和では毎朝全校で礼拝を受け、夜は寮で礼拝を行います。日曜日には友達と一緒に新潟教会に行きます。寮では様々な地域の仲間と出会いました。毎日一緒に生活を送る中で、目を見て話し合い、お互いを受け入れ、心から笑いあい、時にはぶつかりました。寮生活は決して楽なものではありません。ですが、少し不便そうに見える寮生活だからこそ得られたものは大きく、寮で3年間過ごした仲間はかけがえのない大切な家族です。
 高校3年生の半分が過ぎた頃、私は寮の仲間の1人と今まで生きてきた中で一番大きな喧嘩をしました。私は、その友人と喧嘩をしてしまったこと、そして友人の言った言葉にとても大きなショックを受け涙が止まりませんでした。そんな時、部活の顧問の先生であり、クリスチャンの私自身とても尊敬している先生に私は救われました。その先生は、涙がとまらず自分の視点からしか物事を考えられなかった私に、相手の立場に立って考えること、そしてイエス様が十字架につけられ復活されるお話をしてくださいました。私はこのお話のおかげで、また立ち直る事ができ、少しずつその友だちとの仲も戻り、最近やっとお互いに謝る事も出来ました。私は敬和に入ってから、悩みの無かったことは一度もありません。
 辛かった、苦しかったことはたくさんありました。ですが、嬉しいことや楽しいことの思い出の方がいっぱいです。敬和に入り、今まで自分でも気付くことの出来なかった自分の良いところを少しずつ見つけることができ、聖書の中の言葉に何度も救われました。そして、様々な視点で物事を考えられるようになりました。
 イエス様が私たちの罪のために十字架にかかり、私たちを赦してくださったように、私も赦すこと、そして許されながら毎日を送っていることを忘れず生きていきたいです。



 

< ひとこと >
 2014年のぞみ寮は、天候不順などで交通機関が遅れるなどの影響もなく、静かなスタートでした。1年生も2回目の長期休みでしたが、友人との再会にはしゃぐ事も無く、少し落ち着いたように感じました。3年生は2月から自宅学習期間に入るので、寮を離れる準備が始まります。3年間寮生活を乗り越えた達成感は、段ボール箱には収まらないくらい沢山の思いが詰まっていることでしょう。
 各館で3年生が礼拝で自身の歩みを振り返ったメッセージを話してくれ、後輩たちはその姿勢や思いを受け継いでいくことでしょう。2月からは1,2年生だけの寮生活が始まります。1年生は先輩になる準備、2年生は最上級学年へと、進級に向けての歩みが待っています。
保護者の方々には、お子様の大切な3年間をのぞみ寮に託して下さり、信頼し、支え続けてくださっている事、本当に感謝申し上げます。
 2014年も、みんなが元気で大きく成長していくことを祈りながら、寮務教師一丸となって寮教育に取り組んでいきたいと思います。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

寮務教師:澤野 恩