【聖句:マタイによる福音書 4章 19-20節】
『イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。』
敬和の中には様々な企画やプロジェクトがありますが、中でも非常に敬和らしいプロジェクトとして最近注目を集めているのが、「敬和学園応援団プロジェクト」です。コロナ以降、生徒数が激減してしまったのぞみ寮の勢いを少しでも回復させようと、卒業生とスタッフが毎月のミーティングで話し合い、協力し合いながら様々な企画を走らせています。中でもこの度実現したのが「フィールドワーク」です。
これはもともと大学の授業の中で展開されていた科目の一つで、学生が関心や志を持つフィールドにそれぞれ出掛けて行き、そこで様々な働きや出会いを体験し、それをレポートするというものですが、今回はプロジェクトメンバーの一人で53回生卒業生の李 耕守さん(国際基督教大学3年)が、のぞみ寮で約1週間の「フィールドワーク」を体験されました。
朝の起床・朝食時の点呼~登校(生徒の体調チェック)、昼間は学校の授業を見学(選択聖書の授業も担当しました!)、夕方の寮スタッフミーティングから夕食、夕礼拝~点呼・消灯まで、寮スタッフと連携しながらたくさんの生徒との交わり・関わりを体験する事が出来ました。以下は参加された耕守さんの感想です。
「敬和学園は、私にとって「よく生きる力」を育んでくれた原点だと思っています。敬和での生活は、「自分自身を生きる」ことを学ぶ毎日でした。なぜなら、敬和では常に「私の生き方とは何か」が問いかけられるからです。行事や寮生活、仲間とともに取り組む様々な活動の中で、私はたくさんの「違い」に出会い、心が揺れ動く経験をしました。その度に、自分自身と向き合いながら、自分という存在を少しずつ引き出してきました。この「引き出す」日々こそ、私にとっての「自分探しの旅」だったと感じています。
今回、1週間のフィールドワークに参加し、「生徒でも教師でもない大学生」という立場で寮業務に関わりました。いわば「あいだ」の存在として過ごしたことで、さまざまな視点が開かれたと実感しています。生徒の視点からは、それぞれが「違い」に悩み、葛藤しながらも、他者を尊重し、どう共に生きていくかを模索している姿に出会いました。また、教師の視点に立つと、生徒の人間的成長を支えるために、日々どのように関わることができるのかを真剣に模索している先生方の姿がありました。敬和の教育は「共育(ともにそだつ)」と表現されることがあります。今回のフィールドワークを通して、共に育ち、生きようとする姿に出会い、敬和に流れる温かさと豊かさを実感しました。
小田中校長先生がよく使う言葉に「私の自慢は生徒です」があります。私はそれに対して、「私の自慢は、敬和の卒業生であることです」と伝えたいです。言葉や人、出来事との出会いを通して、自分自身と深く向き合い、「自分を生きる」という人生の軸を築くことができたからです。
フィールドワークを通して、敬和で学んだ大切なことを思い出すことができました。敬和は、私を新たにしてくれた大切な居場所です。この大切な場所がこれからも発展していくよう、これからも敬和とつながり続けていきたいと思います。」
フィールドワーク終盤に開催されたワークショップでは「自分探し」をテーマに大学で学ぶ事の意味・意義を分かり易く紹介、進路が目前の3年生以外も真剣表情で話を聞いている寮生の姿が印象的でしたし、ワークショップ後にも「更に詳しく話を聞きたい」と耕守さんを個人的に訪ねる生徒も出るほどでした。
フィールドワークは、体験した卒業生にとっては当然の事、出会う生徒たちや受け止める寮スタッフにとっても意義深い機会であることが分かり、現在第2・第3のフィールドワークの実施が可能か検討中です。卒業後もつながりが深い敬和だからこそ実現できる「敬和学園応援団プロジェクト」、これからの新企画に乞うご期待!(野間)
