2018年3月14日水曜日

のぞみ通信 2018年3月5日 第234号

<3年生ラストメッセージ>

「Girls Be Ambitious」  N.Y(みぎわ館3年 長野県)

  3年前私は、地元を離れたい一心で敬和に入学しました。入寮当初の私はとにかくみんなに気に入ってもらおうと人の顔色をうかがうばかりでした。そんな中、さまざまな事情により、副ブロック長を担うことになりました。誇らしさと同時に重い責任を感じました。もっと人と仲良くなろう、仲良くなってもらおうと、色々してみました。結果、たくさん失敗して空回りして、自分に失望しました。それでも、私はそれを隠そうとしました。周りに弱いところを絶対に見せず、常に先を見通せる頼れる強いリーダーになることが一番重要なことだと思いこんでいたからです。
0314_no01  2年生になって、はじめて正面から他館の人と先生とぶつかりました。新しいことを始める難しさ、理解してもらえないことのもどかしさ、対立することの辛さ、価値観の違い、そして仲間の存在の尊さを知りました。
  私はみんなを引っ張るリーダーではありませんでした。自分は強くなれない、むしろ弱すぎて、一人の友人とさえも、まともに向き合えない無力なやつだということを思い知りました。私はリーダーを目指すことをやめました。私はリーダーとして求められているわけではないこと、私の思い上がった考えが、みんなとの間に壁をつくっていたことに気がつきました。そして、やめてみると不思議と気持ちが楽になり、なんだか拍子抜けしつつもほっとしました。
  3年生のある日、ある人から「変わったね」と言われました。彼女いわく、私の周りにあった壁がなくなり、関わりやすくなったそうです。その時はよくわかりませんでしたが、今ならはっきりとわかります。私は変わったのかもしれません。でも、きっとみぎわのみんなに変わらせてもらったのだと思います。
  みんなのおかげで私は、ここで本当にたくさんの自分と出会うことができました。無力で錯綜する自分、傲慢な自分、強くなれない自分、リーダーじゃない自分、面倒くさいって言うわりに仲間が好きな自分、本当に今まで全く知らなかった自分だらけでした  。自分探しとはどういうことなのか、ようやく気がつきました。今、自分探しに悩む人、自分を変えたいと思っている人、あせらなくていいんです。ここにいる時点で、あなたにはもう、いい変化が起こっているのです。本当の自分はいつもそっとそばにいます。あとは自分が気付く時を待っていればいいんです。
  48回生は、みなさんの目に一体どのように映っているのでしょうか。私からみた48回生は、魅力に満ち、さまざまな弱さと強さをもつ集団です。もうここ以外のところで生活している自分は思い浮かべられないくらい、一人ひとりに、みんなに魅了されました。みんなが私を変えてくれて、みんなが私に友達を愛することの素晴らしさを教えてくれた。そして私に本当の私の存在を気付かせてくれた。本当にありがとう。

 

 

 

「家族」  I.K(大望館3年 長野県)

 私は敬和での3年間で、家族の大切さを一番気付かされました。
  クリスチャンでも、クリスチャンホームで育ったわけでもない私が、わざわざ敬和学園の寮生になった理由は、寮で暮らしたかったからです。「とにかく家から出たい」の一心でした。家にいたくないが故に、寮ならどこでもよかったのです。どうせなら家から遠く離れた県外の寮がいいなと思い、学校の先生に相談したところ、のぞみ寮を紹介されました。中学の時、私と家族との仲は良くありませんでした。私が勉強をしない結果、テストの点数が悪かったり、家事を手伝わなかったり、親が何か言えばイライラして強く当たってしまう。どう見ても自分が悪いのにその頃の私は「全て親が悪い」の一点張りでした。何度も自分を変えたいと思いましたが、面倒くさがりの私がそうそう変われるはずがありません。そんな中、知った敬和学園。特に寮という大人数で毎日修学旅行とか、合宿のような日々を送れるなんてすごく楽しみでした。
 実際に入寮した時、ルールは厳しかったものの、家にいるときより気楽に過ごせました。先輩は優しいし、学校でも寮でも常に友達がいて、一緒に何かをするだけですごく楽しい日々を過ごすことが出来ました。ここが本当の家だったらいいなと思ったりしたこともありました。一方で親からかかってくる電話は、嫌いでした。あまり話をしたくないから、できるだけ早く切るようにしていました。
  そんな私にも、友達とうまく付き合えない時期がやってきました。辛くて一晩中泣いたこともあります。その辛さを誰にも相談することも出来ず、一人で抱え込んでいました。そんな時、私を救ってくれる存在がありました。親です。あんなに嫌いだった親に、恥を承知で相談しました。親は親身に聞いてくれました。家ではあんなにひどいことを言って、何もしていなかったのに、私の話を聞いて、一緒に泣いてくれました。私はその時初めて親に心の底から感謝しました。本当に生意気だった、こんなバカ息子に泣いて共感してくれる人は、きっと親だけだと思いました。
  その日から私は、親に常に感謝して生きています。何かしてくれるたびに「ありがとう」と言うように心がけています。私に誰にも相談できない本当に辛いことがあっても、親は絶対に自分の味方であり、心強い存在であることを知りました。皆さんの親はどうでしょうか?感謝していますか?それともお互い、いがみ合っていますか?寮にいられるのは親がお金を払ってくれているから。学校に通えるのも、お小遣いがあるのも、今の自分があるのも全て、親のおかげです。敬和はこんな大切なことを教えてくれました。もし私が地元の学校へ行っていたら、私と親の関係は何一つ変わらなかったでしょう。もし、まだ親といがみ合ったり、話すのが嫌な人は、ぜひ感謝を伝えてみてください。今は無理な人も、いつか必ず伝える事があると思います。これが寮生活において気付かされた、一番大切なことだと私は思います。

 

 

 

「信じることの幸せを感じながら」         A.E(めぐみ館3年 新潟市)

 私はもともと人と話すことが苦手で、小学生の時から全く話しませんでした。それでも一人友達がいました。毎日遊ぶのが楽しくて、全く話さないのに仲良くしてくれるその子が大好きでした。しかし中学に上がり、その唯一の友達に見放されて、独りぼっちになりました。中学校は陰口がひどくて、全く話さない私への陰口は特にひどかったです。何をしても陰口を言われる気がして何もできなくなり、家族以外のすべての人に怯えていました。笑うこともなくなって、全てのものを閉ざしていました。そんな時に母を通して敬和に出会いました。
  入学してからもほとんど話せず、緊張で全身固まり、一秒一秒がとても辛かったです。寮に戻る事が辛く、とにかく家に帰りたかったです。中学生の時と違ったのは“話せるようになりたい”と思っていたことと、“話しかけてくれる人がいた”ということでした。とにかく話せるようになりたくて、自分なりに色々な事を試して見ました。仲間と話せたら嬉しくなり、逆に話せないと落ち込みました。“話したい”と思うからこそ、話せない自分が嫌になり、仲良く過ごすみんなの姿を見ては、おいて行かれている気がして焦りました。
 でも、寮の仲間は、うまく話せなくても何度も話しかけてくれました。飛び上がるくらい嬉しくて仕方がありませんでした。寮生活の中で、家族のようにはしゃいでいる仲間達の姿から、人ってこんなに信じてもいいものなのだと、だんだんと思えるようになっていきました。。
 少しずつ、私を無条件に信じてくれる人たちの存在に気づいていきました。私が話せるようになりたいと思っていることを寮の先輩方は気づき、見守り、成長を喜んで下さっているということを先生から聞き、私があまり話せなくても、みんな心を開いて話しかけてくれていたことを知りました。こんなことをしても、あんなことを言っても、絶対相手は受け止めてくれると、とにかく信じてみようと心に決めて過ごしました。少しずつですが、仲間を信じられる自分に気づいていきました。
  本当のことを言うと、今でもまだ人を信じ切れてはいません。そこにいる人が自分を見てどう思うか、陰口を言わないかなど、私はつい心配になってしまいますが、受け止めてくれると信じ切ること、どう思われてもいい、これが自分だからと思うことによって、その心配から解放される事を実感出来るようになってきました。
  それを気づかせてくれためぐみ館の仲間達にはとても感謝しています。自分でも驚いていますが、最近は家にいて、ふと寮に帰りたいなと思うこともあります。私がここまで話せるようになったのは、本当にみんながいたからです。私が心を開くまで待っていてくれていると感じていました。みんななら、私を見捨てないと信じることができ、話せるようになりました。信じて声をかけ続けてくれて、見放さないでいてくれてありがとう。めぐみ館で生活できて幸せでした。
  みなさん。人を信じて生きていってください。自分を受け止めてくれる人は必ずいます。そして、自分を変えたいと思っている人は願い続けて下さい。変わりたいと願う程、辛いことも多いと思います。でも願い続けていれば、必ず何かは変わります。今まで頑張ってきた自分と、自分を信じてくれる人たちを信じて、やりたいことを思い切ってやってみてください。

 

 

 

「母からの手紙で」  A.S(光風館3年 新潟市)

 私は、はじめ敬和学園に来ようとは考えていませんでした。“学校に自転車で登校すること”が憧れだったからです。なので、私は地元の高校に行こうと思っていました。ある日、父に「高校はどこに行くのか?」と聞かれた時、私は「地元の高校に行きたい」と言いました。すると、父から「なぜ、地元の高校に行きたいのか?」と聞かれ、「自転車で登校したい」と言ったら、父に「そんな理由なら高校に行くな!!」と言われました。当時の私は、今よりも面倒くさがりで何をするにしてもやる気が無く、進路のことを考えても、父を納得させる理由は思い付けずにいました。もう考えるのも面倒になってきた私は「高校に行かなくてもいいや」とさえ思えてきて、進路を考えることを止めました。それからの私の生活は、さらにダラダラとした毎日になりました。私が部屋にこもっていると突然母が来て、私に「敬和学園に入学して寮に入りなさい」と言い、強制的に敬和学園を受けることが決まりました。
0056_02 毎日ダラダラとした生活を送っていた私には、ルールで縛られた寮生活はとても過酷でした。ミーティングでは自分の思っていること、考えていることがうまく表現出来ずにいて、ストレスが溜まり、夜もなかなか眠れず「こんなんだったら通学生になりたい」と何度も思いました。「これも全部母が私を寮に入れたから、今こんなことになっているのだ」と思い、母を恨みました。
 ですが、5月分のお小遣いの封筒の中に入っていた、母からの手紙を読んだらこの想いは消えていきました。手紙には“私が入寮してから家に帰っても私がいなくて寂しい。入寮礼拝の帰りの車で、これから私と一緒にいる時間が短くなると思うと寂しくて、母は泣いてしまった。”この手紙を読んで私は、衝撃を受けました。入寮してからそれまで、母が私を寮に入れた理由は、家で会う度にケンカをして、家に居ても邪魔な存在で一緒に暮らすのに疲れたから、寮に入れられたのだと思っていました。たぶん、母は毎日ダラダラ過ごしていく私を何とかしようと思って、寮に入れたのだと思いました。この手紙を読んで家族に対する想いが変わりました。
 もし、私が憧れである“学校に自転車で登校すること”を叶えて地元の高校に通っていたら、家族に対する想いも変わることなく、ダラダラ過ごして憂鬱な毎日を送っていたかもしれません。そう思うと「寮に入りなさい」と言ってくれた母にとても感謝しています。それからの寮生活では、何事にも少しでもいいから頑張ってみようと思うようになりました。
 1年生の最初は、人と話すのは面倒と思っていましたが、少し頑張って人と話してみました。その甲斐もあって、48回生のみんなと打ち解けることが出来て、さらに先輩や先生と関わることによって、人と関わる楽しさや大切さを学びました。
 2年目の寮生活では、何のために寮に入ったのかを考えることなく、日々を過ごしていました。人のことを裏切ってしまったり、だらしない生活を送ったりした年になりました。
 そして、最上級生となり学校生活・寮生活・行事などいろいろなことが最後となる年になりました。私は選択体育という生徒たちが種目を決め、自ら授業を創っていくという授業を取りました。私は、この授業であることを学びました。それは、“本気でやれば何でも楽しめる”ということです。この授業の学びのおかげで、私はあまり好きではなかった行事を楽しむことが出来ました。
 私がこのラストメッセージで伝えたいことは、「残りの寮生活を存分に楽しんでほしい」ということです。確かに、この寮は携帯も使えなく、不便でつまらないと思うかもしれません。だから、パソコンやiPodで楽しむのではなく、人といる時間を楽しんでください。楽しいことはたくさんあります。行事・食当・内輪ネタなど、どれも本気でやれば楽しいことばかりです。私がこうして楽しく過ごせたのは48回生のみんなのおかげです。ありがとうございました。