「愛すること、これ勝つことなり」(ルカによる福音書1章1~4節)
寮長 東 晴也
みなさんにとって明日からの「フェスティバル」は、どんな意味を持つものなのでしょうか?私なりに思い巡らせてみたので、今日はそれを述べます。
先日、朱鷺メッセで行われていた第72回県美術展覧会(通称「県展」)に行って来ました。その中で、今年、私が思わず足を止めた作品がいくつかあるのですが、その1つを紹介します。県展では、洋画、彫刻など7部門があるのですが、それは写真でした。その作品のタイトルは「君は輝いている」です。このタイトルを聞いて、皆さんはどんな写真を思い浮かべますか?「清宮君、高校通算百号ホームランの瞬間!」そんな写真でしょうか。この写真は、「ゼッケンをつけていないユニフォーム姿の選手、つまりベンチにも入れない野球部の部員が炎天下、砂埃の舞うグランドで数人分の荷物を一人で担いで運んでいる後ろ姿」をおさめたものでした。おそらくこの野球部員は、このタイトルのように「自分が輝いている」などと全く思ってもいないでしょう。でも、この写真を撮った人にとっては、試合中のどの好プレーよりも「輝いて」見えたのだと思います。
今日、読んでいただいた聖書は「やもめの献金」というお話です。「やもめ」とは、ご主人を亡くされた女性です。この人が、なんと自分の生活費を全部献金した。その瞬間を見ていたイエスが感動して、弟子たちを集めて、事の始終を話して聞かせている場面です。レプトン銅貨2枚は、今日の日本で百五十円位だそうです。全財産を献金してしまうこの人が、この時、どれだけ真剣な思いで礼拝を捧げていたか、容易に想像できます。
でも、イエスって、面白いよね。イエスは何を見ていますか? 誰がいくら入れたとか、どの連合が1位だったとかいう結果なんか見ていません。そうではなくて、自分が持っているものの中からどれだけ捧げたか。自分が持っている力・才能・時間等を、自ら喜んでどれだけ捧げたか。発揮したか。つまり、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、神様と隣人を愛しているかを見ているんだと思います。フェスティバルが、敬和学園最大の行事であるなら、私はここを意識して参加したいと思います。だから、この「やもめ」をイエスが写真に撮って、タイトルをつけたとしたら、おそらく「君は輝いている」みたいな感じのタイトルを付けたんじゃないかなと思うんです。
懸命に生き、捧げている人は素敵です。そしてその姿を、本人の気づかないところから見ている人がいる。そし
て、見ている人が感動して、泣いたり笑ったりして、拍手している姿を、プレイヤーの君達が見てまた感動する。
あのグランドで、大荷物を一人もくもくと運んでいた野球部員は、カメラを意識していたでしょうか?聖書の中のやもめは、イエスが見ているから献金したのか? おそらく、どちらも違うでしょう。誰にも見てもらわなくても、自分がやるべきだと思ったことを、良心に従ってしただけですよ。だから、かっこいい!輝いている。
だから、皆さん、誰にも見てもらえてない、誰からも評価されてないなんて、余計な心配しなくていい。誰かがこっそりあなたのことを見て、口には出さなくても感動している。そして「君は輝いている」と思われているんです。そして見る人を励ましています。励まされた人は、また他人を励ますことのできる人間に、成長していくでしょう。そんな場面がいたる所にあるのがこのフェスティバルで、そこにこの行事の大きな意味があるのだと私は実感しています。
最後に、私の尊敬する思想家 内村鑑三の短い言葉を紹介します。
勝つこと、必ずしも勝つことにあらず。
負けること、必ずしも負けることにあらず。
愛すること、これ勝つことなり。
憎むこと、これ負けることなり。
(内村鑑三)
(2017年6月8日全校礼拝にて)
< 寮生リレー >
「フェスティバルを終えて」
努力の積み重ねで得たこと T.M(めぐみ館3年 新潟市)
「やれて良かった!」「私にも努力をすれば、成し遂げられることがあるんだ!」と思えたのは、女子ダンスチーフになったからこそ、感じられたことです。
私がダンスチーフになろうと思ったのは、1年生の時のダンスチーフの先輩に、憧れたことがきっかけでした。みんなにテキパキと振りを入れ、分からないこところは、できるようになるまで、とことん練習に付き合ってくれるなど、ダンスが大好きな私からしたら、ダンスチーフの先輩の姿がとてもかっこよく見えていました。「私も3年生になったら絶対にダンスチーフになる!」と心に決めていました。
しかし、実際にダンスチーフとしての責任を担うことになると、自分が思う以上に大変なものでした。ダンスの振りを考え、組み立てるところから難しさを感じ、メンバー全員の構成するフォーメーション移動など、思うように進まず苦労しました。上手く考えや振りをまとめられない自分に嫌気がさし、何度も「私なんかダンスチーフでいいのか!」「なんで、できないんだ!」と自分を責めました。男子ダンスチーフとも意見のすれ違いがあり、うまくいかないこともありました。みんなをまとめるチーフが、弱いところを見せたらそれがメンバーに伝わってしまうと不安な気持ちなったこともあります。
めぐみ館の中で、ダンスチーフになった友達に相談したり、遅くまで必死に頑張りました。悩みの中に時間を積み重ね、少しずつ自信もつき、思い描いていたダンスチーフに近づけてうれしかったです。
順位も大事だと思いますが、何よりも大切にしたかったのは、観ている人も踊る人も楽しめるようなダンスをすることでした。「みんな笑顔で、楽しそうだったよ!」と言われた時は、心からうれしかったです。一生懸命についてきてくれたメンバーに感謝しています。ダンスチーフとして得たことはたくさんありますが、その中でも、「苦労するのは当たり前」、ただその中で「どう自分と向き合い頑張るか」で最高の経験が出来ることも、学ぶことが出来ました。この経験を糧に、気持ちを新しくして歩んでいきたいと思います。
改めて、支えてくれた仲間と家族に感謝します。ありがとうございました。
貴重な経験 H.R(大望館3年 新潟市)
あっという間の2か月間でした。僕は今回のフェスティバルで、蔵王連合の総合チーフを務めました。最初、自分がフェスティバルで総合チーフをやることになるなんて、全く想像もしていませんでした。僕以外にやる人がいなかったので、投票などはなく、すんなり僕に決定したのですが、それを素直に喜ぶことができませんでした。それは、他のクラスでは熾烈なチーフ争いが行われているのに、こんなに簡単に自分に決まってしまっていいのかと思ったからです。
「本当に僕でいいのか?」「もっと適任な人がいるのではないか?」いろいろな感情が生まれてきました。実際、やはりそんな生半可な気持ちで務まるようなものではなく、僕の未熟さから様々な問題が発生しました。各チーフとコミュニケーションがとれず、色々なすれ違いが起きて、減点が続出し、連合全体の雰囲気が悪くなってしまいました。それから、自分のことで精一杯で、周りが全然見えていない僕のせいで、もう一人の女子のチーフに迷惑を沢山かけてしまいました。さらに1・2年生が全然ついてきてくれなかったりと、本当に色々な大変なことがありました。ですが、それを乗り越えてむかえたフェスティバル当日には、特別なものがありました。今までの不安の全てを、吹き飛ばすくらいみんな本気で、全力で取り組んでいて、その団結感には鳥肌がたちました。順位はともかく、全てでベストを尽くすことができたのではないかと思います。
僕は今回の体験を通して、本当に沢山のことを学びました。みんなに本気になってもらうには、まず自分たちが本気でぶつからないといけないということ。どんな人も喋ってみないと、どんな人なのか、どんなことを考えているのかは、わからないということ。挙げたらキリがありません。本当に貴重な体験でした。連合のみんなや、支えてくれた仲間には感謝しかないです。蔵王連合のチーフになれて本当に良かったです。そしてなにより最高に楽しかった。この経験をこれからの人生にいかしていきたいです。
絶望の淵から O.K(大望館3年 東京都)
私は今回のフェスティバルでダンスチーフをしました。実際にやってみて、本当に大変な仕事でした。去年ダンスをやったという事と、部活が「よさこい」であるぐらいで、経験としては浅いのにもかかわらず、8分間のダンスの振りを考えるということは、本当に苦労させられました。
フェスティバル前日に、事件が起きました。もう一方の女子のダンスチーフが前日にも関わらず、「振りを付け加える」と言い出したのです。要するに「振り付けを変更する」ということです。そんなことは絶対に無理だと思いました。前日に、振りを変えるとは、どういうことであるか、ダンスメンバーに不安を感じさせてしまう可能性のこと、またそれがどれだけ大変なことなのか、今出来ている振り付けの細かい部分を練習すべきではないかなど、意見を言ってたくさんもめました。私も、女子のダンスチーフも『より良いものにしたい』という、そこの気持ちは変わりませんでした。方向性の違いでこんなにもめてしまい、どちらも意見を曲げず大変な話し合いでした。結局、振りつけを変えることになりましたが、決まった瞬間私は「本当に終わった」と思い、仕事を放棄して勝手に寮に帰って、部屋でいろいろ頭の中を整理していました。色々考えた結果、このままではダメだと思い、最後のリハーサルのために、とりあえずグラウンドへ行きました。しかし、リハーサルに出る気持ちにはなれませんでした。せめて、遠くからでも見ようと思い、端にある土手から見ることにしました。やる気をなくしていた私でしたが、みんなが踊っている姿を見て、不思議と本当に感動しました。自分が考えたダンスを踊ってくれていること、みんなが楽しそうに一生懸命踊っている姿、また振りつけを変えた部分もうまくいっていて、本当にいい踊りでした。そんな気持ちから、リハーサルが終わったばかりのダンスメンバーのもとへ行き、「さっきはすいませんでした」と謝罪しました。
フェスティバル本番。ダンスが始まるギリギリまで緊張していました。一人で振り付けの確認をしました。自分の番が来ましたが、不安な気持ちでいっぱいでした。踊っている途中で雨が降ってきたりもしましたが、それでも踊り続けて最後までやりきりました。
結果発表で、2位と言われた瞬間は、驚きとうれしさでいっぱいでした。なかなか上手くいかなくて、ダンスチーフを辞めたいと思うこともありました。しかし、自分があきらめてしまったら、どれほど多くの人に迷惑がかかるか、そう考えたらやるしかない。そして、何とかやりきることができました。すべてが終わり、連合ごとでの最後の集まりの時に、ダンスメンバーから3年生あての色紙をもらった時には、うれしすぎて感動しました。ダンスメンバーには感謝の思いでいっぱいです。心から感謝しています。
「各館ミーティング」
先輩達のような家族会議 O.H(みぎわ館1年 見附市)
50回生が入寮して、二ヶ月が経とうとしています。入寮して、慣れないことばかりで、疲れることの多い毎日ですが、寮の友達や先輩方が優しくしてくれるので、日々の疲れは吹っ飛び、楽しく生活しています。
みぎわ館50回生も、先輩方のようにミーティングを行うようになりました。やろうと思ったきっかけは、「あまり話をしたことのない子が、まだいる。」という、友達の一言と、「みぎわ館50回生同士が、もっと仲良くなって欲しい。」という先輩からの一言からです。友達の声や先輩からの一言を聞いて、解決していきたいと思い、1年生もミーティングをするようになりました。
今、みぎわ館の1年生にとって、ミーティングはとても大切だと思います。何故なら、みぎわ館50回生の仲を深めるために、お互いを知る必要があるからです。そして、自分達の寮生活を、より良いものにしていくために必要だからです。また、いろんな課題にみんなで目を向けて、すぐに話し合って解決するために、ミーティングを行っていた先輩達の姿を見て、かっこいいと思ったからです。
互いのことを知る、仲を深める、より良い寮生活となるよう話し合う等々……。どんなミーティングを行っていきたいかということや、何のためにミーティングを行うのかと聞かれたら、まだ上手く答えることはできません。でも、大事にしたいことはあります。互いの信頼関係を大切にしながら、真剣に話し合ったり、一人ひとり自分の考えをもって発言し合ったりして、良いミーティングをしていきたいです。かっこいい先輩達を見習って、私たちも色々なことに目を向けて話し合っていきたいです。
「礼拝委員の取り組み」
各館の個性が出せる礼拝に Y.N(光風館3年 新潟市)
私は、昨年の夏休み明けからのぞみ寮に入寮しました。入寮して間もなく、委員会決めになったのですが、どの委員会が何をすると言われても、わかる訳はなく、友達から誘われたという単純な理由だけで、礼拝委員になりました。
礼拝委員として過ごしていく中で、入寮する前の私とは、礼拝に対する姿勢が変わっていきました。具体的には、「礼拝をより良いものにしていきたい」と感じるようになったことです。クリスチャンではない私は、敬和学園に入って初めて礼拝を知りました。だから、礼拝はどこも同じようなものだと思っていたのですが、教会の礼拝は敬和学園の礼拝とは違う形式でした。
また、今回各館の礼拝を受けて、敬和学園のぞみ寮の礼拝の中にも、様々な形の礼拝があると知りました。各館の礼拝に参加していく中で、そのどれにも共通していることがあると思いました。それは、各館の礼拝に「それぞれの個性が出ていた」ということです。これは、各館を巡り終わった後、礼拝委員でシェアをした時に、いろいろな意見が出ながらも、みんなが口を揃えて言っていたことでした。
この話し合いの中で、一人の委員の言葉が頭に残っています。それは「今回、お話の人を選んで礼拝に参加したが……では、お話する人を選ばずに今回のように礼拝に参加していたら、その場合でも今回のような『各館の個性が出る礼拝』になったのだろうか?」という言葉です。「ああ、なるほどなぁ」と思いました。確かに、今回は事前に私たちが礼拝に行くと言って参加しました。その結果として「各館の個性が出た礼拝」になったのではないか、ということです。次回は、飛び入り参加のような形で各館の礼拝に行ってみても面白いのでは……と思いました。今後、私たち礼拝委員は各館の礼拝がいかなる場合でも、より「各館の個性が出せるような礼拝」にしていきたいです。
価値ある違い S.H(みぎわ館3年 山口県)
女子寮合同礼拝を企画し、「同じのぞみ寮・同じ女子寮でもこんなに違うのか……」と衝撃を受けてからおよそ4ヶ月。私は「礼拝委員として何が出来るのか。みぎわの館のテーマ『のぞみ寮の伝説』として、何をすべきなのか」を考え続けてきました。
学校では文化委員長として礼拝を大事にしている身であり、礼拝の在り方については、常日頃から思うところがありました。今年2月の女子寮合同礼拝で学んだことは、礼拝の形は一つではないということ。そして、そこにいる人が礼拝の雰囲気、礼拝そのものをつくっているということ。例えば、司会のセリフが同じでも違って聞こえるくらい、そこにいる人によって、その場の礼拝があるのです。
今回、礼拝委員で企画した通称「各館見回り」。礼拝委員のユーモアの欠如を揶揄したようなネーミングであるこの企画は、言ってしまえば他の館の礼拝に参加するだけです。ですが、館に入った瞬間から驚きの連続でした。まず、男子寮での礼拝。もちろん雰囲気は全く違います。ホールへの入り方、入ってきた人への挨拶、点呼の取り方、全てが女子寮では有り得ません。お話も、やはり女子とは視点も違えば、文章も違う。奏楽もそうでした。そこにあったのは、単に「性別が違う」から違いがあるのではなく、その館にいる人の「個性が違う」から違いがあるのでした。その違いは女子寮でも応用させることが出来ると気付きました。私の館、もしくは女子寮にはまだまだ出来る可能性が大いに秘められています。「こうしなくちゃいけない」ということも、「女子寮では出来ない」ということもなく、試してみる必要と価値がある。そう考えたら、なんだかワクワクしてきます。
私はめぐみ館での礼拝が2度目でしたが、2度目だからより良く雰囲気の違いもわかります。「あっ、こんなところもあったんだ」みたいな発見は、やはりワクワクします。「各館見回り」の経験から今、私にはたくさんのワクワクから生まれたビジョンがあります。このビジョンをどう自分の館で生かしていくか、これから考えていきたいと思います。
『報 告』
先日開かれましたフェスティバルに、多くの保護者の方々に足を運んでいただきました。ありがとうございます。
また、お願いしておりました物産展の献品ですが、皆様のご協力で多く集まり、売り上総額295000円となりました。売上金は全額学校に献金させていただき、必要なところで大事に使わしていただきます。心から感謝するとともに、ご報告させていただきます。
『教師からの一言』 女子寮担当 森口 みち子
フェスティバルが終わり、ほっと一息ついている寮生たちの姿が見られます。4月の初めから取り組み続けてきたフェスティバル。毎晩のように泣き、悩み、腹を立て、孤独を感じ、見ているだけでも切なくなる瞬間が、たくさんありました。終わってみて、生徒達は言います。「フェスティバル、最高だった!」と。あれだけしんどい思いしたのに!?つい問い返してしまう私に、「とことんしんどかったから、最高だったんだよ。」と笑って語る寮生たちの逞しさは、すごいとしか言いようがありません。しんどいことは自分が成長する糧だと、体験を通して知っているのです。
足下の小石を、つまずかないようにと、よけてやりたくなるのが大人かもしれません。でもつまずくことが非常に大切な経験・体験になることを、私は寮生から改めて教えられました。うまくいかないから、仲間の力を頼ることができていました。泣くから、寄り添ってもらえる喜びに気が付かされていました。もう無理だとあきらめかけたけど、みんなでやってみるとギリギリでも出来ることを体験していました。「私なんて」が「私だって!」に変換されていました。つまずき、嘆いていたはずの生徒達はみんな、そこからそれぞれ素敵なことを見いだしていました。どれも全て、つまずいたからこそ手に入れられたものでした。そしてもっと素敵なことは、つまずきを通して大きくなった自分がいることを、自覚できていたことです。自分の成長に気がつけるから、仲間の成長にも心が留まります。互いに認め合うことも、つまずきから与えられた産物でした。
ほっと一息ついた今、グンと大きくなっている寮生の姿が、まぶしくてたまりません。どんな時でも神様が共にいてくださることを信じて、祈って、のぞみ寮生と共に、心震わされながら歩んでいきたいと思います。