2017年6月5日月曜日

今週ののぞみ寮 第34号

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 礼拝委員がそれぞれの館の礼拝をもっと良くしよう!ということで、礼拝委員そろって1週間かけて4館を訪問し、共に礼拝を守る時を持ってくれました。のぞみ寮では、各館見廻りと呼んでいます。
 5月29日(月)から始まった各館見廻りのトップバッターはみぎわ館。31日(水)は光風館、6月1日(木)は大望館、そしてラストは2日(金)めぐみ館の順で訪問し、素敵な時間を共に過ごしてくれました。

0034_06 礼拝委員たちは、普段は立ち入ることのない他館への訪問に、なぜか不安と緊張でいっぱいだったようです。いつも食事時に見せている顔とはちょっと違った、ピリッとした顔で他館に足を踏み入れる委員長たち。一歩足を踏み入れた瞬間からの、その館の雰囲気に「わ~!こんなんなんだ!」とびっくりの連続だったようです。例えば女子寮で、ホールに集まる前に点呼をとっている横に一緒に男子委員も整列して「こんばんは、こんばんは」とあいさつ運動(!?)してくれていました。また、礼拝の最後に誕生日者を歌ってお祝いする場面に遭遇し、「へぇ~!」なんて言いながら一緒に手拍子しながら歌ってお祝いしてくれました。男子寮では、点呼でさえも指を鳴らしながらの粋な(?)様子に、「明るいなぁ、にぎやかだなぁ!」と女子委員たちはびっくり。礼拝の最中も、讃美の声は大きいし、お話を聞きながらの相槌や笑いやらの反応がしっかりあることに「いいなぁ!」と感じて帰ってきていたようでした。
 各館の礼拝の最後には、礼拝委員の代表2名が訪問した館の礼拝の良い所、持ち帰ってマネしたい所などを全体に向けて話してくれました。いつも当たり前にしている自分たちの館の礼拝に、そんなステキがあったのかと、自分たちでさえも新たな発見をし、「素敵だよ!」と言ってもらえてとっても嬉しい気持ちになることができました。
 このあと、礼拝委員たちは各館見廻りで気付いたこと・感じた事を委員会で話し合い、レポートにまとめ、具体的に各館の礼拝をより良くするために動いていく予定だそうです。とっても楽しみ!そして、のぞみ寮で大切にしている礼拝を、のぞみ寮生自らがより良くしたいと立ち上がってくれるなんて!!のぞみ寮生って、やっぱかっこいいなぁ!!

 

 

 

 

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 今年度から大望館の担任として共に暮らしている山﨑飛鳥先生が、6月4日(日)ペンテコステの礼拝で洗礼を受けられました!たくさんの人達に見守られながら、寮生達もたくさん来てくれ、とっても素敵な洗礼式となりました。山﨑先生の信仰告白も、私達の胸を打つものでした。

 

 「信仰告白」 山﨑 飛鳥
 新潟教会と出会うまでは、人生の中でキリスト教と関わることがなく、まるっきり未知の世界でした。聖書も存在は知っていましたが読んだことは全くなかったです。同期の片岡自由さんから日曜日は教会に通っていると聞かされ、一緒に教会に行こうと誘われて行ったのが通い始めるきっかけとなりました。
 教会・職場での関わりを通して、漠然と少しずつではありますが、キリスト教自体に興味が沸き始めました。説教を聴いていくうちに、キリスト教の救いは罪からの救いだとわかってきました。しかし、メッセージで何度も繰り返し聴かされる罪が他人事のように思えました。その時の私には罪が分らず、自分は少なくともいい人間の部類だと思っていました。だから赦されたいとか救われたいとか願う気持ちは全くありませんでした。また、礼拝に出席することは続けていましたが、出席することで満足している自分が存在し、このままでもよいのではないかと思っていました。

0034_09 そのうちある出来事を通して、自分が自己愛の塊でしかない醜い人間であることがはっきり分かるようになりました。教会で聴いていた罪が、わたしの内にあることを初めて認めました。そういう自分がたまらなく嫌で、赦せない気持ちになりました。
 ある時、「自分で自分を赦せない(ゆるせない)のに、なぜ神様は、私を赦すなんて言うのか。」こう思った瞬間でした。神(かみ)は実(じつ)にそのひとり子(こ)を賜った(たまわった)ほどに世(よ)を愛された(あいされた)。それは、御子(みこ)を信じる(しんじる)者(もの)がひとりとして滅びる(ほろびる)ことなく、永遠の命を得るためである。」
 
この言葉が、ものすごい勢いで私に飛び込んできました。聖書からいきなり飛び出してきたその言葉は、活字とは思えず、まるで私のそばにぴったりと寄り添っておられた方の口から発せられた言葉のようでした。
 また、学びを通して聖書について自分の頭で考え、それを言葉にすることによって、今までもやもやしていた信仰がクリアでまっすぐなものとなっていきました。そして、キリスト教について学ぶことになった、ここ数年で大変な変化が自分の中で起こっていることは単なる偶然ではなく、神様のご計画の内なのかと思うようになりました。
 自分がどれほど罪深い人間だったかを思い知らされ、その罪は許されることが分かりました。今まで学びを受けてきた中で、人間は自分勝手な生き物で自分の感情に頼ってしまうため、誤った方向へ進みがちになってしまいます。そうならずしっかりと自分自身が家族(生徒)を守っていくためにも、自分の悟りを捨て、十字架にまでかかってくださったイエス様の愛を受入れ、愛と恵みを持って支えて下さるイエス様に一生付いていこうと思うようになりました。そしてそのイエス様が洗礼を受けることを望んでいて、私もイエス様の家族に入りたいと思い、洗礼を受けることを決意しました。
 様々な形の導きによってこの教会に来ることができてとても感謝しています。新潟教会のメンバーの一員になれて本当に嬉しいです。信仰の先輩である教会のみなさまとの交わりを通じて成長させていただきたいと願っています。これからもよろしくお願いいたします。

2017年6月4日 新潟教会にて