聖句
「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される。」
(箴言27章17節)
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食事当番が始まりました。
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蛍光灯も変えちゃいます!!
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新学期がスタートして3週間。1年生の様子からは、寮生活のリズムに慣れ始めてきたことが伝わりうれしく思います。身の回りのことはもちろん、掃除や当番等、協力し合いながら共に責任をもって活動します。一つ一つ丁寧に言葉と姿で1年生に伝える上級生の姿はとてもやさしく、側で見ている私も温かい気持ちになります。
「伝えた」ではなく、「1年生に伝わるようにするにはどうしたらよいか」と、常に1年生を思っての優しい対応は、愛情いっぱいです。「伝えたから」と「できる」「できない」と目先のことで判断してしまいがちな私は、みぎわっ子たちの姿から、わが身を振り返り、気持ちを新たにされています。
寮生活では、毎日いろいろな出来事に出会います。だからこそ、おもしろい!!
ひとつ一つの出来事に、謙虚で誠実に過ごしていくことを心に刻み、みぎわっ子たちと味わうことのできる日々を過ごせる恵みに心から感謝です。(小菅)
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礼拝のお話
「自分との挑戦~仲間との出会いの中で~」 2年 Yさん
小さいころから人見知り、それでも友達と楽しく小学校生活を終えた私は、中学1年生のクラス発表を見て絶望しました。“仲がいい子が一人もいない”。クラス内で小学校が同じだった子は、皆小学校の時に仲が良かった子と一緒。自分から話しかけに行くことが苦手な私は、正直“終わった……”と思いました。
案の定、入学して早々、クラス内ではグループができ、少し話せていた子にもある日突然仲のいい子が出来ていて、完全な“ぼっち”生活が始まりました。小学校の時、仲が良かった友達もそれぞれのクラスで楽しそうに過ごしていて、一人でいることが嫌いだった私にとって毎日の学校生活は地獄でした。
そんな私は、その先にもいろいろなことが積み重なったことで、中学1年の3学期、学校に行けなくなりました。2年生も3年生も、部活や学校と連携した教室には行けても、結局クラスに入ったのはほんの数回だけでした。行きたい高校にも確実に成績が届かず、諦めなければいけませんでした。
中学3年の秋。母と進路について相談していた時、母がおもむろに“敬和はどうか”と話してきました。母と叔母が敬和の卒業生であり、寮生でもあったため、それまでにも敬和の話はよく聞いていましたが、一度も敬和に行きたいと思ったことはありませんでした。しかし、その時はじめて“敬和に行こうかな”という気持ちが芽生え始めました。
“脱コミュ障”をこっそりと掲げて迎えた入寮の日、コミュ力が高すぎる仲間たちに圧倒され私は、“自分以外でグループができたらどうしよう”と焦りと不安に襲われて、夜布団の中で泣きました。次の日、会って2日目にして自分の中学の話をして、それぞれに辛かった話を聞いた時、寮すごいなと驚きました。“これからよろしくね”と言った直後にそんな話をする事、人生で一度きりの経験だろうと思います。
毎日が濃すぎて“まだ1週間しか経っていないよ”と言っていたのも、もう1年前のこと。この1年で個人的にはすごく成長したなぁと感じています。“私は人見知りでコミュ障だ”という固定観念にとらわれて、話しかける勇気が出なかったり、途中で何を言えばいいのかわからなくなったり、話が続かないこと多々ありますが、そんな中でもみぎわに来てから人と話すことが増えて、少しずつだけど、いろいろ話せるようになってきて、緊張することも少なくなってきて、そんな風に成長させてくれたみぎわ館のみなさんにはとっても感謝しています。
これから1年間、みぎわで53、54,55回生に出会えたことに感謝して、もっともっとたくさんお話をしていきたいです。