2015年4月17日金曜日

のぞみ通信 No.207(2015年3月23日)

寮生リレー通信  (第120回)

 
「偉大な45回生」 
 I.H(めぐみ館 2年 神奈川県川崎市) 
 3。この数は、私たちが45回生に送る気持ちを、そして何より、感謝の気持ちを伝えた回数です。1度目は3年生が自宅学習期間に入る前、館内での送る会。2度目は寮修了礼拝、そして3度目は卒業礼拝と送る会です。寮生はやはり先輩との繋がり、つまりタテの繋がりがとても強いと思います。それはもちろん毎日共に生活をしているというのは大きいですが、それ以上に先輩が教えて下さること、学ばせてくださることがとても大きいのです。
 「先輩方がいらっしゃったからこそ、今の私たちがいます」。よく聞く言葉だ、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、寮生にとってこれは心からの言葉です。敬語やあいさつから丁寧に教えて下さる先輩の存在は、寮生にとって大きく揺るぎないものなのです。
 3年生が巣立ち、46回生は最上級生と言うカベと四苦八苦しながら戦っていかなくてはなりません。それとともに、45回生がどれだけの苦労をしていたのか、どれほど偉大なのかを思い知らされていくのだと思います。たくさん怒られました。たくさんお話しました。たくさん学びました。たくさん笑い合いました。45回生の姿、45回生への感謝を胸に辛くて苦しくて楽しくて幸せな寮生活を大切に歩んでいきたいと思います。
 
 
 
45回生は大きな存在
O.Y(大望館 2年 兵庫県伊丹市) 
 45回生が卒業してからの大望館の様子が少し変わりました。はじめに感じたことは、45回生がいなくなってとても静かになったという事です。僕は44回生と一緒に寮生活をしていたし、45回生の方たちも言っていたのですが、45回生は44回生と比べると大人しめな性格の人が多いので、正直卒業してしまっても雰囲気はそんなに変わらないのかなぁなんて思っていました。しかし、全然そんなことはなく、今ではご飯の時間に楽しそうに盛り上がっていたり、お風呂場でワイワイはしゃいでいた3年生の姿が懐かしくなりました。テスト期間になると夜に頑張って勉強している3年生を見ていたら、僕も頑張ろう!とやる気が沸いたこともありました。そんな姿がなくなってしまうとなると、やっぱり寂しいです。
 45回生の皆さんはとても優しい方たちでした。ギターを教えてくださったり、テストの時に頑張れよって言ってエナジードリンクをくださったり、一緒にバカなことをしてくださったりといろんな事がありました。僕が落ち込んでいる時には、寄り添って悩みを聞いてくれることも度々ありました。時には涙を流したこともありました。その時に懸命に慰めてくださる先輩の姿を思い出しては、僕も後輩が辛そうにしているときには先輩が僕にしてくださったように寄り添って真剣に話を聞いてあげようと思いました。
 45回生は今の大望館の基盤を残してくださいました。その基盤をこれからも大切にし、生活していこうと思います。45回生の皆さん今まで本当にありがとうございました。


3年生を送って」              
H.M(みぎわ館 2年 宮城県気仙沼市) 
 45回生を送る会は信じられないくらいあっという間でした。ハレルヤが終わり、花道を作っている間、ぼんやりと「来年は私がここを通ることになるのか」と考えていました。
 3年生の方々が卒業されることにどうしても実感が持てずにいたのです。去年はただただ感情のままに泣いて見送る私がいましたが、今年はなぜか不安が大きかったようでした。今、私たちの後ろには後輩がいて、また新しい一年生がやってくるというのに、これまでのように支えてくれる先輩たちが誰もいないなんて!来年度私が3年生となり、3年生として立ってやっていける気など到底しませんでした。
 それでも時間は待ってはくれません。3年生を送り出した後のがらんとしたチャペルは、いつもと同じはずなのになんだか味気なくて、今はそんな味気ない空気の中で毎日の礼拝が行われているような気になることがまだあります。今はまだ寂しげに感じてしまうチャペルがにぎやかになる頃には、私たち46回生は3年生です。大役が担えるのか、そして45回生と同じように、晴れやかに花道を通ることができるのか、その答えは考えてみるとやはり3年生の方々が残してくださっていることに気が付きました。
 私はいつもみぎわ館の3年生から大きな愛情を受けていました。私たちみんな受けていました。それが、光となり水となり土となり、私たちをいつも支えてくれていました。私たちが受けていた愛情を、私たちが後輩へ仲間へと注いでいけば、きっと素敵な花を咲かせることができるのでしょう。それがきっと大役を担うことにつながっていくのでしょう。それを、毎日の生活の中でたっぷり教えてくださっていたことに気が付きました。
 不安はまだまだ絶えませんが、45回生から受けた愛情に誇りをもって、私たちはこれから敬和生活、のぞみ寮生活を送っていきたいと思います。先輩たち、2年間、素晴らしい時間と関係をありがとうございました!
 
 
 
45回生を送り出して 
S.E(光風館 2年 兵庫県西宮市)
 僕たち光風館は寮修了礼拝で、ある唄を歌いました。それは我武者羅応援団の『リベンジ』あまり卒業向きの唄ではないのですが、あえてこの曲を選びました。その歌詞はこんな内容です。

『リベンジ』  我武者羅応援団

 まず3年生を送るにあたり、2年生だけでミーティングをしました。その中で、全員でできることを考えていると「“応援団”はどう?」という声が上がりました。「たしかに全員できるし派手でいいね」となり、応援団の動画を探している時、この唄に出会いました。聴いている最中、2年生の一人が自分の中学校時代の経験を思い出して一言。「これ、共感できるわ…。」
 僕たちは3年生のラストメッセージで、敬和に来るまでに色々な後悔や挫折、また敬和学園に入学してからも様々な苦労があったことを聞きました。しかし、卒業を前にして、3年生はとても輝いて見えました。それは、3年生ひとり一人が敬和学園で自分なりのリベンジを果たせたからではないだろうかと考えています。どこにいってもここでの経験を思い出し、リベンジ出来たことを思い出してがんばってほしいという、ぼくたちなりの応援としてやることにしました。
 寮修了礼拝後、他館の人や先輩、先生にほめてもらえたときに僕は本当に光風館でよかったと思いました。僕たちの想いが伝わったということと、2年生だけで決めた企画に1年生もついてきて声がかれるまで練習してくれたからです。
 僕は3年生が卒業するのが不安で仕方ありませんでしたし、3年生の存在は確かに大きかったです。2年生は人数が少ないし1年生には不安が多い、そう思っていました。ですが、こうして光風館がひとつにまとまり3年生に喜んでもらえた時、自信を持って48回生を迎えられ、新しい光風館を作っていけると確信しました。


寮修了礼拝
生徒代表挨拶 
K.T(光風館 3年 福島県南相馬市) 
 私が生まれ育った福島県南相馬市原町区は、さほど大きな町ではなく結構田舎な町でした。小さい頃の私は外で遊んでいるばかりの子供で、毎日楽しく過ごしていました。そんな変わらない毎日を過ごしていた私ですが…ある時、大きな出来事がありました。それは東日本大震災です。私は原発事故で地元を離れることになり、とてもつらい想いをしました。しかし、この出来事が私に変化を与えるきっかけになりました。
 中学3年に上がる時だった私は、幼馴染みからの一本の電話がきっかけで宮城県の中学校へ一緒に行くことになりました。その頃の私はとても反抗的で、転校した中学校では散々でした。そんな中、同じように震災で転校してきた南三陸の同級生とたくさん関わることがありました。その関わりの中で震災の経験談を聴くことがありました。「家が流されていくのを目の前で見た…。」その言葉を聞いた時、私の心の中で何かが変わりました。それは、自分が今まで閉じ込めていた気持ちを見つめ直さなければいけないと感じた時でした。私は「少しずつでいいから素直になっていこう」と考えました。進路を決める時期になり迷っていたら、幼馴染みから「新潟に面白そうな高校あるけど行くか?」と誘われ、敬和学園に進路を決めました。
 そして最高の敬和生活が始まり、全てが新鮮でした。寮では朝昼晩食事を共にし、寝るときも一緒。普通の高校生では考えられない生活。私は何より寮生活が楽しくて仕方ありませんでした。しかし寮生活は楽しいだけが続くような場所ではありません。館ごとのルールはあるし、先輩や後輩と上手くやっていかなければならないし、同じ学年でぶつかり合いもあります。泣く人、怒る人、話を聞かない人など悩む事もありました。面倒くさいことや腹が立つこともたくさんありました。でも、それらの事はすべて意味のあるものでした。相手からの言葉一つ一つに気持ちが込もっていて、寮生は何も考えずに伝えることをしていないと感じたからです。何気ない日常での優しさや思いやりを持つ事を寮生は当たり前のようにしていたと思います。それは寮生がみな物事に対して、真剣に向き合って考える力を持っていたからです。
 寮で生活する中で私は様々なことを学び、経験しました。集団で生活する難しさ、考えて行動することの大事さ、人とのコミュニケーション、友達の大切さなど一個ずつあげていくと、切りがないくらいあります。
 そして何よりも寮生活を送ることが出来たのは、その背後に親の支えがあったからだということを学びました。このことを改めて実感したのは、自宅学習期間中のある日、私の尊敬する人からの一言からでした。「親にありがとうの気持ちを伝えている?」
 友達に会うことも通学出来ることも親の支えがあってこそ出来ていることであって、自分一人では出来ないことを感じ、考えることがありました。みなさんは、親へ感謝の気持ちを伝えていますか?私は敬和生活が終わることをきっかけにして、素直に伝えたいと思います。
 45回生のみなさん、入学してから今日までの日々はどうだったでしょうか?たくさん笑って、たくさん泣きましたか?朝も昼も夜も一緒に生活して、学校でも一緒。その中で寮生同士が家族のような存在に感じたのではないでしょうか?数えきれないほどの思い出があり、思い返すたびに笑顔になれると思います。ここのぞみ寮で結んだ絆はどんなに時間が経っても、切れることはないと私は思います。この絆は一生ものです。これから私たちは夢に向かって進んでいきます。夢に向かう途中、つまずくことやダメになりそうな時が来るでしょう。そんな時は頼ってください。頼り合ってください。この先どんなことがあっても絶対生きて、また笑い合いましょう。これから夢に向かって頑張っていきましょう。三年間ありがとうございました。 
 
 
保護者代表挨拶 
F.C様 
 まずは今日までMを支え導き、同じ時を共有してくださったすべての方々に感謝申し上げます。また、私どもの末子の高校卒業の際に、このような貴重な機会を与えてくださったことにもお礼申し上げます。
 F.Mとの付き合い、現在・過去・未来と題し、お話させていただきます。
 MはF家の第4番目の子供です。忙しい共働きの家で、兄弟からももみくちゃにされ、生後5か月より保育園に入り集団生活をしてきました。Mは上の子どもたちとは少し違っていました。それは小学校に入ってからわかったことですが、漢字が書けない、読めない、物忘れは多い、授業は聞いているようだが理解はできていない。ですから学校の授業参観や個人懇談で、私は毎回先生に叱られるので、それらが大嫌いでした。でもきっと私以上にMは叱られていたのでしょう。唯一のMへのほめ言葉は、「Mさんは子どもらしい子どもですね」というものでした。
 そんなMの高校選びがいよいよ始まりました。そしてここ敬和学園を見学し、労作教室と畑を見た時に、やっとMの居場所を見つけた!来るべきところに導かれた!という思いがしました。それで、両親、本人も喜び勇んで敬和に入学させてもらい、みぎわ館に入寮したというわけです。
 Mは生後5ケ月から保育園で集団生活を始めました。その保育園ではMは英才教育を受けていたのです。話し合いの英才教育です。問題が起こるたびに子ども同士で話し合いを持つということが日常茶飯な保育園で、コミュニケーションや忍耐を学ぶという経験をしていました。敬和の寮生活では勿論、問題も多いだろうし、そこでの話し合いの機会も多いだろう。でもMはそれをしっかりと乗り越えていくはず!と両親もMも想像していました。しかし、違いました。そう、うまくはいきませんでした。みぎわ館の寮生の方はいろいろな地域から集まり、文化背景、教養レベル、生育レベルも全く違う人々の集まりでした。きちんとした知識や常識、多様な価値観の上に成り立つ話し合いに、Mが太刀打ちできるはずもありません。強い思いはあっても、それを相手に伝える手段がなく、話し合いの場ではMはきっと涙ばかりを流していたのだろうと容易に想像できます。
 2年生の初めに「寮に戻りたくない」と言ったことがありました。これはMにとって、集団生活に対する初めての泣き言でもありました。私は何もしてやれませんでしたが、きっと泣きながら本人なりに乗り越えていったのだろうと思います。
 先日、あることでMと言い争いになった時、Mが私に「それはお母さんとの価値観の相違」と言いました。これが今のMです。価値観の相違、なんていう漢字が書けるのか疑問ですが、たくさんの人と関わり、価値観の多様性を知り、自分なりに掴んだ言葉であろうと思います。
 私は言いたい。「価値観の相違?それがどうした。それは大前提で、当たり前のこと。それで済まないから…、その先が問題なのよ!しっかり考えないとね。」と。こんな風に私はMの壁になり続けます。まだまだ簡単に越えられない壁になり続けようと思います。
 しかしこれからはMとは、一人の人間として、対等に尊重し合える付き合いを模索していこうと思っています。
 本当に皆様、Mを育てていただきありがとうございました。そしてこれからも、どうぞよろしくお願いいたします!


<退任のごあいさつ> 
寮務教師  山﨑 飛鳥
 この度、のぞみ寮から学校の方へ異動することになりました。
 こちらで過ごした1年間は、あたたかい職場と、やりがいのある仕事に恵まれ、今思うと本当にあっという間でした。このような職場と巡り合えたことは、私にとって最高の幸せであったと感慨を新たにしております。
 寮生のみんなに助けていただいて、「ひとつひとつの出来事に精一杯取り組んだ」という満足感がある一方で、寮生とのここでの生活、行事のことなど、まだまだやり残したことがあるような気がしてなりません。
 私が寮生と過ごす中で一番の変化とはみんなの前で話せるようになったこと、自分の考え・思いをきちんと言葉にして伝えることです。これらのことを毎日の礼拝、ミーティングなど寮生の日々の姿から学び、そして多少なりとも自分の「力」にできたのではないかと思っています。
 これからは、ここで教えていただいた1年間を忘れずに、もっともっと自分を磨いて、存分に力を発揮して参りたいと思います。
 寮長をはじめとする情熱あふれる寮務教師の皆様、毎日おいしいご飯を作ってくれた調理師の皆様、元気で明るい子供たちのために惜しみないご協力をくださる保護者の皆様、そして敬和学園の主役である寮生の皆様、本当にお世話になりました。
最後に皆様のご健勝とご活躍を、そしてのぞみ寮のご発展をお祈り申し上げ、お礼の挨拶とさせていただきます。
 本当に ありがとうございました。 
 
 寮務教師  遠藤 朗子 
 今年度を持ちまして、のぞみ寮を去ることになりました。そして様々な事情が重なり、のぞみ寮だけでなく敬和学園から旅立つこととなりました。敬和学園という場所で、私は39回生として三年間の敬和生活を満喫し、教育実習で3週間、昨年は音楽や労作、46回生の副担任、そして今年は音楽と初めての寮……と、一人の人間として育てられ、たくさん鍛えられました。大変お世話になった第二の故郷を離れるのは、正直とても寂しいです。
 でも、幸せです。皆さんからは大きな愛をたくさんもらいました。たくさん一緒に笑い、怒り、泣き、歌い、とても濃い2年間を過ごさせていただきました。「一緒に」が全力過ぎて、皆さんに「本当に20代なの?」と何度温かい目で見守ってもらったことか。次会う時までに、少しでも20代らしくなろうと思います。
 時には厳しいことを言って、悲しい想いにしてしまったこともあったかもしれません。悩ませてしまったこともあったかもしれません。ごめんなさい。ただ、皆さんのことを心から信頼し、尊敬していました。本気で感情を出して、一生懸命生きる。なんてかっこいいのでしょう。これからも不器用に、泥臭く、がむしゃらに寮生活を楽しんでくださいね。
 最後に、本当にお世話になりました。この2年間で学んだことを胸に、私も次の夢に向かって挑戦し続けます。お互い、まだまだ若いです。たくさん好きなことを続けて、愛と感謝に生きて、素敵な時間を過ごしましょう。ありがとうございました。
 


寮務教師から一言
 早いもので、2014年度の歩みも終わりを迎えようとしています。それぞれどんな1年を過ごしたのでしょう。私たち寮務教師はこの1年、何度も泣いたり怒ったり、でもそれ以上に、頬が痛くなるほど大笑いをしている生徒たちの姿をたくさん見させていただきました。入寮したばかりの頃、あんなに寮生活に不安を覚えていた47回生も、今では立派に寮での仕事をこなし、活躍してくれています。46回生はいよいよ3年生。その心構えがしっかりできているのか、来年度のことを真剣に考えているようです。日々の生活でいろんな出来事が積み重なり、人は成長していくのだなぁ……と感心させられっぱなしでした。
 今年度ものぞみ寮を温かくお支え下さり、ありがとうございました。来年度も何卒よろしくお願い致します。春は別れの季節。しかし、新しい出会いの時でもあります。さぁ、希望を持って新たなスタートを楽しみましょう!それでは、また会う日まで。
 寮務教師:遠藤 朗子