2012年5月25日金曜日

のぞみ通信 No.180(5月21日)

< マイナスをプラスに >

寮長 信田 智

 敬和に在職して34年間聖書の授業に携わってきた。宗教主任をしていた25年間、1学年160人・4クラス体制の時代は3年間全校生徒が、また1学年200人・5クラス体制になっても、1年生と3年生は全て、私の聖書の授業を受けることになっていた。寮長になってからは、2年生と3年生合わせて5クラスを担当していた。
 そして、今年度からは寮・校舎・体育館の耐震工事の準備に関わる事になり聖書の授業を持たなくなった。敬和における私の最後の授業は、3月6日6限白馬クラスのひとコマだけであった。この日は前々から、特別な思いを持って迎えるべく、最終講義と心の準備をしてきた。ところが当日になって、なぜか授業の事をすっかり忘れ、3時に業者と会う約束を入れてしまった。
 3時少し前、教務室から電話があり授業の事を知らされた。慌ててクラスに駆け込んで、お詫びをしながら、残り15分間ほどの授業を始めたとたん、今度は携帯電話が鳴り出してしまった。約束の業者からの連絡であった。敬和における記念すべき最後の授業が、最も無残な形で終わる事になった。 生徒達は、「先生これも記念すべき授業ですよ。」と声をかけてくれた。
 数日後、その事を聞いた白馬クラス担任の浅妻先生が、私に思いもかけない話をされた。「クラスの生徒にも諮り了解を得たので、終業日のロングホームルームの30分間、最後のやり残した授業をしませんか」と言う事でした。躊躇をしながらも、その申し出を有難く受けさせてもらい、最終講義を完結させることが出来、安堵と感謝の思いで一杯になった。
 そこで更に驚くべき事が起きた。クラスの生徒から感謝の言葉と共に、寄せ書きの色紙と大きな花束を頂いた。失敗を犯し、その恥を負い続けなければならない教師に、かくも温かい配慮をしてくれた事に対し、どのように感謝の気持ちを表わしたら良いのか、言葉も出ないほど嬉しかった。浅妻先生の計らいで、最後の授業で大失態を演じてしまった締め括りが、そのままスムーズに最終講義を終わった事より、はるかに大きな感動を持って締め括る事を許され、感謝に溢れた。
 振り返ってみると、普通に考えれば、どう見てもマイナスとしか思えない出来事の中に、その経験を通してしか知ることの出来ない、大きな恵が隠されていた事がしばしばあった。自分の失敗を正当化したり、ごまかす事をしてはならない。しかし、救いの道が備えられていることも事実である。失敗やマイナスのない人生はない。ならば、マイナスをプラスに変える経験を増やしたい。

 「神を愛する者たち、つまり、ご計画によって召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」  (ローマ8:28)





『東日本大震災で感じた事』 ~寮祭礼拝でのお話より~

S.U(2年 福島県会津若松市出身)
 皆さんこんばんは。こうして皆さんの前でお話しさせていただけることに感謝します。
 今日は昨年の東日本大震災を通して私が経験したこと、そのとき感じた感謝についてお話ししたいと思います。
 2011年3月11日。中学校の卒業式でした。午後、友人達と校舎前で別れ、母と二人で自宅へ戻り、ゆっくり昼食を食べていました。そして、午後2時半過ぎに母は仕事へ出かけました。中学校3年間の思い出にひたりつつ、嬉しいような寂しいような不思議な気持ちで、机の上の卒業証書を取ってこようと立ち上がったその時に、何かがおかしいと感じました。揺れが大きいことに気がついた私は、とっさに猫を抱えて食卓の下に潜り込みました。いつものようにすぐ収まるだろうと考えていましたが、揺れはどんどん大きくなり、テレビの上の物がバラバラと落ちました。食器棚の上の小さなかき氷機も落ちました。やっと小さくなったかと思うと、またすぐに一際大きな揺れがきました。家のどこかからバキッと大きな音が聞こえ、私は一人だったこともあり、焦る気持ちが抑えきれず叫んでいました。すると祖母が階段を下りてきて、とにかく外に行こうと言ってくれたので、もがく猫を必死に抱えたまま外に出ました。頭上の電線は大縄のように揺れていて、これはただ事ではないと感じました。
 数分おきに大きな揺れが来て、どこかから大きな音が響いて、どうしようもなく玄関でたたずんでいました。すると先ほど出かけた母が引き返して帰ってくれたので、とりあえず家の中へ入りました。テレビをつけてみると、どの局も地震のことばかりで、私の地元は震度6弱でした。大袈裟かも知れませんが、結構な揺れで死ぬかと思いました。今になって、私なんかよりもっと怖い思いをした人が大勢いたんだと思うと、ものすごく恥ずかしい気持ちになります。
 夜のニュースでテレビからよく知っている場所が報じられて、私は「これは人ごとじゃない、自分の周りで起こっていることなんだ」と実感しました。同時に津波の映像や崩れた家が映し出されたり、どこかの浜に200~300人の遺体が流れ着いたと報道され、ゾッとしました。本当にこの世に起きていることなんだろうか、現実なのかと疑いたくなるほどでした。
 震災の翌日の12日は、中学のクラスメイトと私の家で遊ぶ予定でした。地震の後でみんなはソワソワしていたのですが、持ち寄ったお菓子など食べながら、いろんな事を話しできて、ホッと出来ました。2階で母はテレビを見ていました。福島原発が大きく映っていて、テロップで「福島原発放射能漏れの恐れあり」と映し出されていました。母は「なるべく家の中で遊んでいなさい」と言いました。夕方、みんなで写真を撮り、なごり惜しそうに別れ、みんなは帰っていきました。それから母の所へ行ってみると、「爆発しちゃった…」と母が茫然とテレビを見つめていました。それから私は1日中マスクをして過ごしました。
 私は放射能について幼いころから、教会や様々な活動、活動に携わる多くの人達に囲まれて、原発の危険性や放射能について学ぶ環境で育ちました。祖母に誘われて、チェルノブイリ原発事故の写真展を手伝いに行ったり、その事故後に何があったのかを描いたマンガを小学生の頃から読んだりしていたので、原発が絶対安全ではないこと、放射能の危険性について少しは知識がありました。テレビから流される原発の様子を見たときは、すごく悔しかったです。祖父母も母も、叔父や叔母も、みんなは原発に反対してきたからです。
 翌日13日に、叔父さんと叔母さんが家を訪ねてきて、私と弟だけでも三重県に避難しないかと話されました。家族4人で話し合いました。父と母は、「子供たちだけでも早く会津から避難してほしい」と言いました。しかし、小6の弟は、卒業式を間近に控え、なかなか首を縦に振ってくれませんでした。私は家族全員で避難したかったのですが、今の状況を考え、私一人先に避難しました。結局、弟は叔母に連れられて、私が到着した翌日には三重県に避難して来ました。
 避難先で私たちを受け入れてくれた叔父さんの、ポロっと口にした話が印象深く心に残っています。叔父さんの会社と他の幾つかの会社でイベントを企画していたのですが、この震災を覚えて今回のイベントは中止にしようと1つの会社が言いだしたそうです。叔父さんは「それは違うと思うんだけどなぁ…。こんな時だからこそ、やるべきだと思うんだけどね。」と呟いたのです。このとき私はその通りだと思いました。しかし、大変な状況にある人達が大勢いるのに、イベントをしていいのだろうか、その人たちの事を考えたらのん気にやってる場合じゃない、と考えることも間違いでないと思います。ただ私は感覚的に、「困っている人がいるから自分たちも楽しまない」というのは違うように感じました。でも私の中には、せっかくイベントを行える環境にいるのだから、素直に感謝してやればいいのにと思う自分と、なぜか強く言えない、ハッキリと答えられない自分がいました。この1年間ときどきそんな事を考えていました。
 先日、その答えらしきものを現代文の授業で見つけました。「情けは人のためならず」人にした情けは自分に返ってくるとか、人にした親切は巡りめぐってだれかに届くという意味らしいのです。私はそのときピンときました。何か似ていると思いませんか?イベントができる、楽しむことができる環境にあるという幸せは、巡りめぐって震災で大変な思いをしている誰かに届くと思いました。その誰かの笑顔が別の誰かに届けば、みんなはHappyになれるはずです。「情けは人のためならず」幸せが巡りめぐって自分の所に返ってくるまでに、一体どれだけの人が笑顔になっているのでしょう。そう考えてみると、ちょっと嬉しくなりました。だから、私は大変な人たちがいるから自分も楽しまないではなく、むしろみんなで楽しむことができる環境にあることに感謝して行うべきだと思うのです。
 自分の経験からもう1つ、みなさんにお伝えしたいことがあります。「知っている」という事についてです。本当にいざというときに、自分の身を守るのはそれまでの知識です。今回の場合、私は本当に恵まれていました。原発や放射能に関する知識は、幼い頃から周りの大人が教えてくれていたからです。 知っていること、学べる環境にあることはとっても幸せなことなんです。勉強だって大事なことだけど、それ以外にも大事なことがたくさんあります。いろんなことに興味を持ってください。今回は、原発という形でしたが、きっと知って損することなんて1つもないハズです。それがもし、自分のこれからを左右するときが来るとしたら…。何かを学べる機会があれば積極的に手を伸ばして、自分の中に取り入れて下さい。そして、その機会が与えられたことに感謝できる人でありたいと私は思います。





  寮生リレー通信  (第 96 回)


【 みぎわ館 】
『寮祭での出来事』  N.M(2年 福島県会津若松市)
 桜も散りはじめた4月の末、寮祭という寮の行事が行われました。寮祭のお楽しみ会で1年生が出し物をするのですが、私はダンスを考え、その振付を教える担当でした。
 春休み中に劇とダンスの雰囲気が合うように曲を選び、一分間ほどの振付をダンス係の友人と二人で考えました。とは言っても、私は埼玉県、友人は新潟県と離れているために、打合せは電話だけのやり取りでした。私たちは完成度の高いものにしたかったので、難しすぎず、簡単すぎないものを作るように努力しました。姉や母にも協力してもらって、ついにダンスが完成しました。
 春休み明けの4月3日、初めてとなる後輩が入寮してきました。緊張とワクワクで胸がいっぱいになったことを覚えています。そんな中で寮祭の練習が始まりました。劇の練習もあったので、ダンスの練習は約一週間前から行うことになりました。はじめは一週間という時間の短さで、この振付で本当に大丈夫なのかと心配になりました。しかし、周りの仲間が協力してくれたおかげで、不安がなくなり、「楽しいと思うような練習にする!!」という目標までできました。
 最初は緊張で固まっていた1年生の顔が、だんだん笑顔になっていきました。練習を積み重ねる中でダンス、劇ともに上達していき、発表の順番が一番だったにもかかわらず、無事に寮祭でみぎわ館の出し物は成功しました。  
 寮祭を終えて周りの人の協力、不安にも関わらず、練習についてきてくれた1年生への感謝の気持ちでいっぱいです。これから私は、部活、寮、学校で「先輩」としての責任と、いつも助け支えてくれる仲間への感謝の気持ちを忘れずに生活していきたいと思います。



【 大望館 】
  『寮で1ヶ月過ごしてみて』  H.S(1年生 福島県南会津郡)
 僕は1ヶ月半前、いろんな不安を抱きながらのぞみ寮へ来ました。僕の不安とは、敬和の合格が決まるまで洗濯なんかしたこともなかったし、ネクタイも結んだことがなかったことでした。入寮礼拝が終わった後に、大望館の1年生で集まった時、S君が話しかけてくれたことがとても嬉しく、緊張がほぐれました。ゲームは出来ないし、ケータイもダメな寮生活は、何をしていいのかと思いました。しかし、今ではいつでも話せる友だちがいるので、毎日が修学旅行のような気分で楽しく過ごしています。
 次に寮祭の感想を書きたいと思います。大望館の出し物で自分の特技を披露しなければならず、僕はトランプのマジックをやりました。ミスをする可能性が高く、緊張しながらステージに立ちました。本当にミスをするのが怖かったので、「ミスをしたらすいません」と言ってから出ましたが、成功することが出来て良かったです。大望館の他の人たちも、色んな特技を見せてくれて、僕は凄いなと感じました。その他に大望館はダンスを踊ったのですが、センターだったので恥かしかったです。
 他の館の出し物は、光風館が一番おもしろかったです。光風館は、色んな芸人のものまねをしていて面白かったです。めぐみ館とみぎわ館は、男子寮と全然ちがう劇だったので、また違う面白さがあって楽しかったです。これからも寮生活で楽しみを探しながら、僕は過ごしていきたいと思いました。




【 めぐみ館 】
  『GWを寮で過ごして』 K.T(3年 福井県小浜市)
 今年のGWは本当に毎日が充実した日々でした。毎日バスケの練習があり、部活三昧に追われ、寮でのイベントではBBQや映画鑑賞会があったりして楽しい毎日を送れました。部活では大会に向けての練習が厳しく、体の全体は、筋肉痛になるまでハードな練習が多く、まるで合宿をしているような感じだったけど、部活に集中することが出来ました。また、心と体を癒してくれるような寮でのイベントは多く、本当にゆっくり過ごせました。寮で残っている人でしか味わえないイベントの楽しみもあり、寮に残っているという感覚が無くなり、家に居る気分になれました。  寮で過ごしたGWは、毎日が楽しめる日々でいっぱいで「寮に残っていてよかった」と言う気持ちにさせられました。アッと言う間のGWだったけれど、私にとって今年のGWは最高に楽しめました。寮で過ごす事の出来るGWは今年が最後、今までで一番楽しむことが出来、充実した日々を過ごす事が出来ました。




【 光風館 】
『寮祭~責任者の苦労~』  K.K(2年生 新潟県村上市)
 事の発端は、四月上旬に行われた二年生ミーティングである。ミーティングの話は注意事項から数週間後に迫った寮祭の話になった。その内容は光風館の出し物の責任者を決めるというものだった。私は数秒躊躇したが、劇の方で私自身の経験を生かせたらいいなと思い、初めて責任のある役目を負う決心をした。
 私は主に脚本を担当したが、すぐに壁に当たってしまった。それは、一年生の人数が多くて配役が大変ということだった。この問題は仲間の協力もあり、無事解決したが、肝心の台本は、寮祭まであと一週間というところで試行錯誤の末ようやく完成した。一年生には一週間でセリフを覚えてもらわねばならなくなり、大変な迷惑をかけてしまったのは今でも申し訳なく思っている。
 しかし、一年生は日ごとにクオリティを高めていき、リハーサルでは大きな失敗も無く、それどころか「四館のうちで一番おもしろい!」と言っていただき、私は初めて自分のやったことが報われたと思い、目頭が熱くなった。そして、劇を作り上げた仲間たちと笑顔で握手を交わした。
 寮祭当日の本番は、笑いが絶えないほど最初から最後まで一年生の演技が面白く、私は一年生はもちろん、観客のみなさんにも今回の寮祭のテーマだった「ありがとう」という感謝の言葉と、ものすごい達成感の両方を感じながら笑顔で光風館の出し物を見ていた。
 色々な苦労があったが、劇を作り上げた二年生の仲間、そして一年生が協力してくれたおかげで、最高の出し物となって本当によかったと思う。心から「ありがとう」と言いたい。



< 編集後記 >
 GWが終わり、第一定期テストも終わると放課後のキャンパス内は、フェスティヴァル活動一色になりました。その活動の中心に立って指導している3年生を見てみると、寮生がほとんどのリーダーを担っています。寮祭での出し物を作り上げた経験が、フェスティヴァルでも活かされているようです。
 日頃当たりまであると思ってしまうことや、やってもらって当然という感覚になりがちな私たちではありますが、昨年の震災からの学びを通して、日々の生活を過ごせることに感謝しようという事から、今年の寮祭は「感謝」というテーマで行いました。
 寮生活を過ごすために、どれだけ多くの人達に支えられているのか、また、私たちができる事は、何なのかを考えてもらいました。その中からお世話になっている方々に寮祭へ参加していただきたいという事で、「感謝の招待状」を送りました。招待状を受け取った職員の方からは、喜びの声を頂くこともできました。
 感謝の気持ちを表すことだけではなく、謙虚さも合わせて指導していきたいと私は思いました。
のぞみ寮主任 帆刈 仰也

2012年5月23日水曜日

のぞみ通信 No.179(4月20日)

 「求めなさい」

寮長 信田 智
皆さんは今どんな思いでここにいますか。おそらく、皆不安で一杯だと思う。敬和が第一志望で、なんとしても敬和にきたかったという人もいれば、自分はこんなところに来る筈ではなかったと、失意の中にいる人もいるかも知れない。また、なんとなくここしか来る所がなかったという人もいるでしょう。皆OK! 実は、ここにはいろいろな人たちが集まっている。みんな別々で、いろいろあっていいのです。皆大切な一人ひとりなのです。なぜなら、皆神様に愛されてここに集められた一人ひとりだから。
 大概の人は、必ずと言っていいほど一度は挫折する。悩みのない人なんていない。悩みや挫折があるから成長できます。ここには、楽しい仲間がいる。自分の事を分ってくれる素敵な仲間が見つかる。行き詰まりや挫折を通して、本当の仲間が出来てくる。だから、挫折こそ寮生活の本当の出発点と言ってもいい。ゆっくり時間をかけて素晴らしい仲間を見つけていこう。

 テレビで、土曜日に,なんでも鑑定団と言うのをやっている。私は好きでよく見る。中には、何百万円もかけて手に入れたお宝が、鑑定団に鑑定してもらったとところ、何の価値もない偽物であったり、ガラクタであったりする。一方、数万円で手に入れた品物が、実は何百万円もするお宝であったり、中には建て替えのために壊した家からとてつもないお宝が出てきたりする。悲喜こもごも、とても面白い。

 昔聞いた話ですが、骨董品の鑑定をする力を養いたいと弟子入りした青年が、毎日家の中に飾ってある壷や、置物や、掛け軸が汚れないように手入れしたり、庭のガラクタの整理をさせられるばかりで、何年経っても少しも鑑定の仕方を教えてもらえない。彼は、こんな所にいても鑑定士にはなれないと思い、師匠に「自分はもう何年もここで働かせてもらっているが、何も教えてもらえないので、上達できません。辞めさせてください。」と言ったのです。すると師匠が、「そうか何も学べなかったか、お前が毎日当たり前のように見て、手に触れてきた、ここにある全ての物は、実は大変価値のある宝物だったのだ。だから粗末に扱わないようにと言ってきたはずだ」と言われたのです。

 毎日同じ事の繰り返し、息が詰まるような不自由な生活、こんな所にいても自分探しは出来ない。どこか別なところに行きたい。と思うようになる人も出てくる。しかし、のぞみ寮の何気ない生活、実はここに驚くべき宝がちりばめられています。どんなに素晴らしいものがあっても、自分で求めなければ与えられない。自分探し=自分が自分らしく、生き生きと生きる道を探す事です。

 「誰でも、求める者は与えられる。」なぜなら私が何十年も、信じて仕えて来た神様の約束は、真実だからです。
2012・4・3 45回生入寮礼拝より




< 45回生 代表挨拶 >

K.N(めぐみ館)
 私は、新潟市南区臼井中学校から来た、K.Nです。入寮礼拝という場で、こうして前に立って挨拶するのはとても緊張しますが、皆さんが温かくて優しいと伺っていますので、頑張ります。
 私が寮に入ろうと思ったのは、姉が寮生で、帰って来るたびに楽しそうに寮の事を話していたからです。
 最初は寮生活って辛くないの?一人部屋じゃないのは寂しくなくて良いと思うし、テレビも見なくていいけど、パソコン使えない事もあるって嫌だなあ、と思いました。
 洗濯しなくちゃいけないし、電話ダッシュなるものもあるらしいし、ずっと寝ていられないし、私には無理!やっていける気がしない!姉だから別に寮でも平気なんだろうと、思っていました。それに、家に帰って来て泣いたりしていて、そんなので楽しいの?と疑問に思っていました。
 でも、帰って来るたびに、「高校生活楽しんでます!」って感じで、「そんなんで楽しいの?」と言う私の問には「寮生活してみないと、わからないの!」とニヤニヤしてました。いつも楽しそうに話す姉を見て、そんなに楽しいのなら、私も入ってみたいと思うようになりました。その決断を伝えると、家族は勿論全員大賛成してくれました。姉には「今の生活だとすぐ泣くわ!」もう一人の姉には「顔洗う時間あるの?」、母には「掃除洗濯の大変さがわかるかな?」父には「ちょっとは早く寝るようになるかな?」と言われました。
 これからの寮生活では我がままな生活態度を直し、人の話しに耳を傾け、周りに迷惑を掛けないように気を付け、みんなに気を配れる思いやり行動をし、素直に謝ったり、ありがとうと感謝できるように、仲よく楽しく生活したいです。  両親は「敬和学園の寮生活、3年間は一生の宝になる」と言っています。先生方、先輩方、友だちとの繋がりを大切にし、大事に育てていきたいです。
2012・4・3 45回生入寮礼拝より






< 入寮によせて >

S.C様(大望館保護者)
  昨年3月11日に起こった東日本大震災、また震災に伴う原発事故で、日本中の人々が悲しみと不安と混沌とした日々を送ってきました。一年経ち、まだまだ多くの乗り越えなければならない問題が、被災地だけでなく、それぞれの場所で見えてきているのではないでしょうか。
 そのような中、新しく大きく一歩を踏み出そうとする45回生として、入寮を許されました子どもたちと共に、私たち保護者もまたこの場に集うことが出来ました。我が家から敬和学園にお世話になりますのは三人目です。この春に42回生として次男が卒業し、45回生として三男が入学します。また私も、31年前のこの日に14回生として入寮礼拝に臨んでいました。
 敬和の数ある行事の中で、一番しんみりとするのはこの入寮礼拝のように思います。私たち親にとってこの礼拝が終わり、子どもたちと別れて過ごす最初の夜、子どもたちは初めて味わう空気の中で、あのベッドの緑のカーテンをシャーっと引いた後の一人きりの空間。卒業をしました42回生の息子は、その最初の夜を爆睡できたようですが、31年前の私は「どうしよう。三年間は長過ぎる。やっぱり新潟は遠いし寮で暮らすなんて間違えたかもしれへん。」と不安な思いで過ごしたことを思い出します。
 最初の夜の思いはそれぞれですが、これから始まる三年間には、たくさんの楽しいこと嬉しいこと、同じくらいの苦しいこと辛いことがあるように思います。45回生のみなさんは、その一つ一つを喜んだり浮かれたり、また時には悲観的に感じながら、ここにいる仲間と乗り越えていくことになります。時間が経つと、先輩たちの厳しさの中にある温かい優しさにもきっと気が付くことが出来るでしょう。寮の先生方の愛情に触れることもたくさんあると思います。「もうアカン。嫌やなぁ。」と思った先に必ず希望があり、待っている仲間がいることを忘れないで下さい。素直な気持ちで、たくさんの経験を受け止めることが出来ることを祈っています。食事や寝る時間だけを見ても、今までの生活とはかなりの変化です。おまけに絶えず周りには、先輩も友だちも側にいて、心が休まらないと感じるかもしれません。 
 でも、その先輩や友だちが、寮の部屋が、家族になり、帰る家に変化していく自分に出会って下さい。そしてその感覚は、何十年たっても心の中にあたたかく残り、忘れられないものだということをみなさんも実感してください。  
 保護者のみなさま、私たちも子どもたちと同じように、心揺れることもあるかもしれません。でも、ここでの成長は三年間が必要だと信じて、色々なことがあっても、歩みがゆっくりとなっても、前に進んでいけるように覚悟と決意で子どもたちをサポートしていきましょう。
 また、信田先生はじめとする寮の先生方、まだ幼さの残る子どもたちですが、どうぞよろしくご指導お願いいたします。上級生のみなさん、45回生を寮生に育ててくださいね。よろしくお願いします。それぞれの子どもたちの敬和生活が実りあるものとなることを祈りつつ、簡単ではございますが保護者代表の挨拶とさせていただいきます。
 2012・4・3 45回生入寮礼拝より





寮生リレー通信  (第 96 回)


【 光風館 】
『スポーツ大会』     M.M(1年生:長野県安曇野市)
 寮に入って一週間と数日が経ちました。まだ少ししか時間は経っていませんが、寮の中ではもう行事が開催されました。それはスポーツ大会です。このスポーツ大会では“大縄跳び”と“手つなぎ鬼”をしました。ルールは簡単でした。のぞみ寮全体を4チームに分け、それぞれの種目で競っていきます。
 大縄跳びでは、チーム全体で息を合わせて何回飛べるかを競いました。長く飛んでいるチームもあれば、1回目でストップしてしまうチームもありました。
 手つなぎ鬼では、先輩方と先生方が鬼になって手つなぎ鬼をしました。捕まる人数が多くなってくると鬼が増えていきます。最終的にみんな逃げられなくなり、捕まりました。
 このスポーツ大会でのぞみ寮の先生方や先輩方、一年生の全員と共にただ縄跳びをして、鬼ごっこをして遊ぶ単純なスポーツ大会でしたが、全員が笑顔でいました。
 まだ友だちとの絆は強いものではありませんが、これからの高校生活でお互いの足りない部分を補い、壁を乗り越えていける、そんな絆を築き上げていきたいです。





【 みぎわ館 】
『スポーツ大会』      F.M(1年・新潟市西区)
 オリエンテーションキャンプから帰ってきた翌日・土曜日の夜に、のぞみ寮に入寮した1年生が全員参加してのスポーツ大会が行われ、大人数で大縄跳びと手つなぎ鬼をしました。大縄跳びはチーム戦となり、本番前に10分間の練習時間が与えられました。練習中緊張してしまい、同じ寮の人たちとばかり話をしていました。でも、みんなで協力して、声を出し一緒に数えたりしながら行う中で、私の前で跳んでいためぐみ館の人たちと話すチャンスを得、意気投合することが出来ました。10分間も大縄を跳びつづけ、息を切らしながらもおしゃべりをするのは結構大変で、相当疲れました。でも、最初のたった10分間で友達が出来ました。その喜びを思えば疲労なんてなんてことなく、ずっと笑顔でいることが出来ました。その日以来、その時仲良くなった人たちとは変わらず…というより、より一層仲良くなれています。
 今回のスポーツ大会で、私は色々なものを得ることが出来ました。挙げるときりがないほどですが、一番印象的だったのは「笑顔」です。みんなで協力しながら大縄を跳び、終った後には「お疲れ~。」「大変だったね~。」と笑顔で知らない者同士が仲良くなり声を掛けあえたり、鬼ごっこで「待て~。逃げるな~!」と、みんな生き生きとした笑顔で走り周ったりしました。そして、そんな輪の中にいた私は、輪の中にいるだけで自然と笑顔になれました。
 でも私は寮に来てから毎日が笑顔の連続です。みんなとの素敵な関わりの中で、もっと素敵な笑顔に出会い、もっと素敵な笑顔になれるように、日々成長していきたいと思っています。





【 めぐみ館 】
   「1年生を迎えて」    Y.Y(2年生:埼玉県飯能市)
 入寮礼拝前日の夜、同室の先輩と私は、どんな子が入って来るのか、ちゃんとルールを上手く伝えられるのか心配していました。特に、電話ダッシュというめぐみ館の中の変わった仕事について、早く覚えてもらうために、分かりやすくどう説明したらいいかと、完全消灯近くまで話していました。
そして入寮当日。この日、2・3年生は始業礼拝もあったのですが、2年生は朝食後に、入寮礼拝の会場準備をしてから学校へと行きました。そしてクラス替えをして寮へ帰ってきたら、既に1年生が何人か外にいて、2年生の緊張は高まりました。時間が来て「もうすぐ1年生が来ます」との放送が流れ、2・3年生は玄関へ出て行き、来るのを楽しみに待ちました。すると、誰かが「来た~!!」と叫び、新1年生は次々にやって来ました。それからは荷物の運搬で廊下は人でいっぱいになり、ひとだんらくしたと思えば、ルールを一つ一つ教えていきました。やっぱり教えるのはすっごく大変で疲れました。
 1番大変なのは、電話ダッシュです。はじめは2年生がお手本を見せます。2日目は説明書きしたものを渡して様子を見ます。そしてオリキャン後、2階の人だけで1・2年ミーティングを開いて、詳しく+少しきつめに教えました。が、次の日、変わらなかったので再度2度目の2階の人だけのミーティングを開きました。それでも、あまり変化が出てこなく、教えるのは大変で体力、神経、を使うものだとつくづく思いました。また、正直なところ、面倒に思われてイライラをぶつけそうにもなったりした時もあります。でも、去年や、今までの先輩たちの誰しもが通ってきた道なのだと思い、ガンバッテ行こうと思うようにいしています。1年生も覚える速さは違うけれども、頑張います。
 1年前、自分も入寮したての時は同じように何度も注意されていました。とても懐かしく思います。2年生になって、1週間が経ち、思った以上に疲れて大変でした。これからもまだまだ大変なことがあると思いますが、頑張っていきます!!!





【 大望館 】
『45回生を迎えて』     S.T(3年生:神奈川県足柄上郡)
 2012年度をスタートして半月が過ぎました。大望館も45回生を18人迎えて総勢44名の大所帯となり、賑やかな毎日となって来ました。入寮してくるときに、緊張した顔をしていた1年生もだんだん寮の雰囲気に慣れてきていて、やっといつもの日々になってきています。
 始めのうちはルールという今までには経験したことのない日々に追われる1年生。これから社会に出ていく時に一番大事になってくるあいさつや礼儀、また一生付きまとう上下関係をこの高校1年生という時期に体に染み込ませるのです。また寮という場所は大勢が集団で生活をする場所なので、もちろん他の人に対しての「気遣い」「心遣い」「思いやり」がとても大切になります。自分一人で生活しているのとは違うので、自分勝手な行動は取れないし、好きな時間に好きな事を出来るわけでもありません。でもそういう経験を乗り越えて成長していくのです。
 また2年生は、わからないことばかりの1年生に対して指導をする立場になり、昨年の自分をも思い出す機会となっています。 あと1年しかない敬和生活、全てが最後になる3年生。敬和での集大成をしっかりとしていかなければいけません。
 1人1人が新たな気持ちを持って生活を初めた2012年度の敬和生活、これからの1年間、それぞれがしっかりと歩んで行きたいです。





< 編集後記 >
 キャンパス内の桜もやさしいかわいい花を咲かせています。澄んだ空に、暖かい日差し、心地いい風…、太夫浜の地にもようやく春が来たことを実感します。
 2012年度は73名もの45回生を迎えられ、また新しく3名もの寮教職員と共にスタートできます事を感謝いたします。
 入寮礼拝以来、1年生も2年生も3年生も、それぞれが忙しい日々を送っています。大きな決断と勇気を持ってやって来た1年生たちも、ようやくペースをつかみ始め、慣れない事だらけだった寮生活も日常となりつつあるように感じます。初めて先輩となった2年生たちは、1年生と出会ったその瞬間から顔つきが凛々しくなり、日を増すごとに頼もしく逞しく急成長しています。3年はさすがの貫録を見せてくれています。引きすぎず出過ぎず、後輩たちに寄り添い導く様は「カッコいい!」がピッタリきます。
 「心を学ぶ場」であるのぞみ寮で、こんな寮生たちと一緒に教職員も喜怒哀楽を共にしながら、刺激し合いながら成長していきたいと思います。 今年度ものぞみ寮教育へのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
みぎわ館担任 森口みち子