2015年10月30日金曜日

大望館通信 第243号(10月29日)

<深まる秋、世代交代の季節>

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新2階メンバー

 10月に入ってから大望館では世代交代により、新運営委員会が始動しています。まずは3年生のみなさん、お疲れさまでした!昨年を振り返ると、3年生は人数が少なく、一人一人にかかるプレッシャーも強かった印象で、なかなか積極的に活動ができずにいた世代でした。しかし、不安に思いながら、つまづきながらも、自分に与えられた仕事を全うし、この1年間の大望館を支えてきたことに自信を持ってほしいと思います。みんなの働きが新しい委員によって引き継がれていくのです。それぞれの働きに胸を張ってください。今後は運営委員会からは引退しますが、最上級生としての責任がなくなったわけではありません。残りの敬和生活で、新運営委員会をサポートしながら、陰ながら大望館を支えていってほしいと思います。
 そして2年生は、新運営委員会がスタートしてからもうすぐ1カ月が経ちますが、だんだんと自分の仕事に慣れてきた様子がうかがえます。もうすでに運営委員として決まっている仕事とは別に、自分のやりたいことを実行している人もいて、これからどんな大望館をつくっていってくれるのかとても楽しみです。
 また、今年は2年生の人数が多いため、運営委員会とは別に大望館に新しい係を作り、全員が何かしらの仕事に就けるようにしました。どんな係を作るかは2年生での話し合いで決まりましたが、どれもが大望館でよりよい生活を送っていけるように作られた係です。みんなの働きにも期待しています!(堀越)

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新3階メンバー

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新4階メンバー

 

 

 

10/25()全体礼拝のお話し…ブロック長:S.T>

 みなさんは「自分たちはこういう学年だ」と明確に人に伝えることができるでしょうか?

 今回、礼拝のお話しをさせていただくにあたり、「大望館47回生はこういう学年だ」とみなさんにお伝えしようと思いました。ですが、僕にはこの学年を一言にまとめて説明することはできませんでした。

 この学年には個性があり過ぎるのです。みんながまとまってとてもいい雰囲気の時があれば、雰囲気の悪いときもあります。意見がたくさん出るときもあれば、あまりでてこないときもあります。この他にも様々な状況があり、とてもこの学年を一言でまとめるなんてできません。しかし、僕らにも共通していることがあります。それは寮にいる時の安心しきった顔です。まるで自分の家の様に過ごしています。

 そんな僕らの今年のテーマは……『運命のいたずら大望館。あれ、お前帰ってきたの?おかえり!ただいま!』です。運命のいたずらというのは、僕たちの中の一人が「俺らがこうして集まったのも運命のいたずらだ」と発言し、それを一同が若干引きつつも納得したことからテーマになりました。この会話の部分は、いつ帰ってきても受け入れる、受け入れてくれるおうちの様な暖かさを表現したものです。

 このテーマは、ひとりひとりが大望館を自分の家の様に、そしてお互いを家族の様に感じ合いながら関わっていくことが出来るように、と大望館47回生全員で決めました。ミーティングの時に偏った意見になってしまったり、守れないルールがあったりと、僕も含めてですが、課題は多いです。ですが、この学年にしか出せない色があり、この学年でしかできないことがあると僕は思います。そして、課題はすべてひとりひとりが家族の様な関係を築くためのものです。

 これからきっと僕らにはいくつもの困難が襲いかかってくると思います。それを助け合いながら乗り越え、家族の様な強い館になりたいと思います。また運命のいたずらによる出会いを大切にしながら、大望館全体でより良いものとしていこうと思います。 

 

<第2回部屋替え>

 先週、今年度2度目の部屋替えを行いました。毎回のことですが、この部屋割りを考えるのには苦労します。今まで同じ部屋になったことはないかとか、また同じ人と一緒になってはいないかとか、なるべくいろんな階を経験してほしいとか、考えれば考えるほどこちらが混乱しそうになり、何度も訂正をしたりしました。特に今年は人数が多く、それぞれの人がそれぞれの希望を持っているんだろうなと思いつつ、私の考えによって自分の希望とは違った形になった人もいたことでしょう。

 部屋替えをする意味として、いろんな人とコミュニケーションをとってほしいという願いがあります。同じ部屋になれば必ず会話は生まれるはずです。その中で相手の良い部分や悪い部分も見えて来るでしょう。そんな時に、ただ一緒の空間にいて時間を過ごすだけでなく、もっと深くて濃い交流をしてほしいと思っています。ふざけあい、語り合い、悪い事は注意する。既存の人間関係だけにとらわれず、寮生である特権を生かして幅広い人間関係を築いていくきっかけにしてほしいと思います。

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1年生 たこ焼き?の会

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週末の球技大会



2015年10月27日火曜日

のぞみ通信 No.213(2015年10月27日)

「道は開かれる」            寮長 信田 智          

 先日21-23回生の同窓会があり、卒業生2組が家族連れで我が家を訪ねて来てくれた。5人の子供たちがいて、皆で、我が家にあったいろいろなオモチャで遊んでいた。その様子を見ていると、それぞれの特徴がよく出ていた。ある子は、パズル系のオモチャ、ある子はハラハラドキドキ系、ある子は鉄道系、またある子はホスト役で遊びを盛り上げ、ある子は少しはにかみ屋さんでおとなし系。一人一人みんな違うのです。

 しかし、外に出るとみんな元気に走り回っています。子供の成長の芽を摘むことなく、のびのびと活動させ、心も体も頭もその子に合った発達が出来るように、子供たちの可能性を十分に引き出してやることが大切だと思わされた。

 私達にも二人の息子がいる。長男はコツコツ努力タイプ、次男は合理的タイプ。二人とも大学は、理系を学んできた。長男は大学を出て電力会社の子会社に就職したが、教師になりたいという夢を捨てきれず、2年間働きながら国立の大学院を目指して努力し、願いが実現して教師になった。彼は、自分がどこで分からなくなり、どこでつまずくかが分かるので、人に教えるときに、自分のその弱さが役に立っている。

 一方次男は、大学院を出て大手のコンピュータ会社に就職するが、隣の人との打ち合わせもチャットでするような環境に、此処にいたら人間がおかしくなると感じ、研修期間を経て1年程で辞めてしまった。その後何もしないわけにもいかないので、とりあえずアルバイトをすることにしたのだが、アルバイト先はベンチャー企業を立ち上げたばかりの、訪問看護ステーションであった。

 最初は1ステーションだけの小さな企業であった。その社長は、息子の履歴書を見て、所詮アルバイトにすぎず、長続きはしないだろうと思っていたようである。私も親として、早くアルバイトを切り上げ、安定した就職先を見つけてほしいと思っていた。ところが、彼は人間相手の仕事が性に合っていたのか、訪問看護のコーディネーターとして働き続けた。その会社は、今では400人近い看護師・スタッフを抱える都内最大手の訪問看護ステーションに成長し、彼は社長の右腕として働いている。

 人生どこで、どのような道が開かれるかわからない。しかし、一つ言えることは、幼い頃に根付いた、その子供の持っている特性のようなものが、年月をかけて揉まれていく中で、紆余曲折を経て、収まるところに収まっていくということではないだろうか。先日、全校礼拝でお話をしてくれた21回生のH氏は、高校時代からいろいろなことにチャレンジして、大学卒業後もイスラエルのキブツ等で生活し、様々な経験を通して、今はガーナ大使館員として活躍している。また、48回生の修養会講師としてこられた、22回生のM先生も演劇を志したり、海外を歩き回ったりしながら、今は石川県の小松教会で牧師として良き働きをされている。

 回り道をしながらでも、自分なりの生き方を求めていくならば、道は開かれる。

 

 

 

寮生リレー通信  (第125回)

 今回の寮生リレーの原稿は修養会について各学年一名ずつ依頼しました。また、3年生の進路への取り組みがいよいよ本番となりましたので、男子寮、女子寮共に一名ずつ依頼しました。

 

1学年修養会

「修養会での大切な発見」 T.A(めぐみ館1年 新潟県村上市)

  私は修養会がとても不安でした。特に不安だったのは班行動での食事作りでした。班行動での食事作りでは、普段家で料理の手伝いぐらいしかしていない私にとって、ゼロから自分たちで作るというのはあまり経験がないことでした。それに加えて、私の苦手な班行動ということでさらに不安を感じました。私は人と話すのが苦手です。そして私は日頃からみんなにどう思われているのだろう?私と話をしていてもみんなは面白くないのではないか、など考えてしまいます。だから、私にとっての班活動は楽しみとは言えるものではありませんでした。その思いが日々積み重なり、修養会が近づくにつれ食事がのどを通らなかったり、眠れなくなったりしました。

 しかし、いざ修養会に行ってみると普段話さない人たちが、何かやることはないかと聞いてきてくれたり、食器洗いを一緒に手伝ってくれたりしました。最初は少し戸惑いを覚えました。まさか自分に対してクラスの人が気を使ってくれるとは思いもしなかったので驚きました。そしてそれと同時にとても嬉しい気持ちが湧き上がりました。

 私は過去の人間関係などであまり良い思いをしておらず、常に人に対して関わることを避けていました。しかし、手伝ってくれる人、声を掛けてくれる人の心の温かさにふれて、私は少し人への警戒心がとけた気がしました。

 この修養会を振り返ってみて、人は人に支えられないと生きていけない、という言葉を改めて実感しました。私は今まで人と関わることを恐れてしまい、いつも話をしたり一緒に行動する人が限られてしまい、なかなかクラスの人達と話をすることがありませんでした。しかし今回の修養会を通して、人と関わることの素晴らしさを見つけることができました。この大切な発見を活かし、クラスの人達に少しずつでも話かけていきたいと思いました。

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2学年修養会

「自分を見つめ、人へ伝えることの大切さ」  S.H(新潟県上越市出身)

  私は自己中心的な性格で友達や先生などに迷惑をかけていて、寮の先生には「お前は何がしたいのか、わからない」と言われたこともありました。実際、自分でも何がしたいのか、わかりませんでした。将来、自分が何の仕事に就くかも考えられていません。

 そんな私は修養会で被災地コース宮城県南三陸を選びました。その理由は、東日本大震災が起こったあの時に、人々は何を失い、何を想ったのか、それを自分の目で確かめたかったのです。そして、そこに今の自分の答えがあると思い、行くことを決心しました。

 宮城県南三陸は自然豊かな山々が連なり、世界三大漁場の三陸沖に恵まれています。しかし震災の影響により、以前の南三陸とはかけ離れていました。当時の写真などを見て、私は立ち止まり黙って見ることしか出来ませんでした。私は被災地に行って、気付いたことがあります。それは自分が愚かだと言うところです。困っている人が近くにいるのにも関わらず、私は何もすることが出来ませんでした。これは私にとって一番の苦痛でした。

 今回の修養会で自分の愚かさを思い知らされました。そして、自分が今やらなければならないこともわかりました。それは自分を見つめ直すことです。それだけでなく、私にはまだまだやらなくてはいけないことがあるのです。それは、自分が見て感じてきたことを周りにも後世にも伝えることです。震災の教訓、悲しみ、思いやり、人との絆。私はこのことを伝える義務があると思います。

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3学年修養会

「最後の修養会」  T.K(めぐみ館3年 新潟市五泉市)

  私は「胎内やすらぎの家」に行ってきました。やすらぎの家には、視覚障害を持った高齢者の方が生活していました。自宅で生活が出来ない方や、経済的に生活が難しい方が入所されています。このような理由を持たれた方に支援を行う施設の養護盲老人ホームです。全国に48施設しかなく、新潟県には「胎内やすらぎの家」だけです。やすらぎの家には約60名の方が入所されています。視覚障害を持ったすべての人が全盲というわけではなく、人それぞれ見え方は異なっています。修養会で行った交流会では、絵本の読み聞かせと歌を3曲歌わせて頂きました。盲老人の方は目が見えない分、耳を働かせて私たちの歌を聴いているのがよく伝わってきました。歌を歌い終えた後、一人の盲老人の方が「アンコール!」と後ろの方から叫んでくださいました。予想もしていなかったアンコールをいただけて、本当に嬉しかったです。

 盲老人の方とお話をする時間には、二人の方とお話することが出来ました。どちらの方も手を握って体をさわって相手のことを知ろうとする様子が見られました。

 盲老人の方は話す相手の表情は見えませんが、相手の話す声で感情、表情を判断します。声には表情があり、それを盲老人の方は読み取っているそうです。なので施設の方は常に穏やかな心で接することを心がけています。常に穏やかな心で話すのはとても大変なことですが、相手を思いやる心遣いがとても素敵だなと思いました。

 アイマスクを付けて移動、昼食をとる体験や視覚障害を持つ人の目がどのように見えているのか専門の眼鏡をつけさせてもらったりしました。アイマスクをつけての移動は二人一組でしました。一人は移動するのを援助してくれるけれど、何か前にある気がして想像以上に怖かったです。昼食をアイマスクをつけて食べるのは、何がどこにあるのかもわからず、全然おいしく食べられませんでした。

 この様な経験をして、今当たり前に生活できていることのありがたみも感じることが出来ました。また、一日一日を大切にしていこうと思います。

 

 

 

< 進 路 >

「夢を現実に」  I.E(大望館3年 福井県福井市) 

 私には宮大工になるという夢があります。そして私はその為に進学ではなく、就職という道を選びました。宮大工という職人の道に進む際、専門学校や大学に進学することは、私にとって遠回りだと思ったからです。周りの人達からは、勉強してから就職したらと言われていましたが、私はここで進学したら後悔をするのではないかと思ったのです。下手に色んな知識を持ったりすることが、職人になってからの邪魔になると考えたのです。そのため、職人の一番近道になると考える、弟子入りをすることに決めました。

 私が宮大工になりたいと思ったのは、中学校の修学旅行で奈良の法隆寺を見学に行った時、重機が無い時代にどうやって建てられたのかに興味を持ち、建てるために汗水や血を流した人達の思いに憧れを持ったのがきっかけでした。そして憧れは、いつの日か自分の将来なりたい夢になりました。そんなある時、国語の教科書にある「木のいのち木のこころ」を読んで、法隆寺のお抱えの宮大工、N.T棟梁の内弟子、O.M棟梁の存在を知りました。私は夢を夢で終わらせたくない。宮大工になりたい。これを現実にするにはどうすればいいか?そんな思いを抱き、夏休みに一念発起してO.M棟梁の下のI工舎に見学に行きました。見学に行くと、O.M棟梁に直接お会いすることもできて話を聞くことも出来ました。そこで「自分の道は自分で考えろ」と言われ、更に帰り間際、お弟子さんに「周りから言われてその思いが揺らぐんだったら、それは本物じゃない」と言われました。私はその言葉に心を打たれ、O.M棟梁の下に弟子入りしようと決心しました。

 私は先日、O.M棟梁の、I工舎で会社面接をさせていただき、内定もいただきました。自分は不器用なので不器用なりに頑張り、職人の技を少しずつ身に付けようと精進したいと思います。後少しの高校生活で、就職前に自分ができる準備をしながら、悔いの無いよう一日一日を大切にしていこうと思いました。

 

「回り道」Y.H(みぎわ館3年 埼玉県所沢市)

  私には幼いころから就きたい職業がありました。どうしても就きたくて、専門の学校を探したりもしていました。しかし、私の今の進路先はそれではありません。一直線になりたいものに突き進むのではなく、「少し回り道をしても、視野を広くして大学を選ぶのも手だ」と母がアドバイスをくれたからです。

 それまでの私は夢に向かって猪突猛進でした。一直線に進むことしか頭になく、高校卒業後は当然、専門の学校に行って……と考えていたのですが、親と進路の話になった時に改めて私がなりたいと思っていた職業は、門は広いが道は狭いことを知りました。それも承知で目指していたはずですが、現実は考えていたよりももっと厳しいものだったのです。

 カリキュラムに学費、2年間という短い学校生活など、様々な問題が私の頭の中を駆け巡りました。突き進んだとしても、なりたいものになれる保証はどこにもありません。しかし、ずっと思い続けていたことをそう簡単にあきらめたくもありません。困っている私に母は「大学で視野を広げる、経験値を上げるのはどう?そればかり考えるのではなく、ほかの方面もあるということを見たらどう?時間があることで色々見えてくるんじゃないかな。」と大学に進学することを進めてくれました。

 大学も含めて、他の学校など眼中になかった私は、初めは抵抗がありました。しかしよく見てみると、大学には角度は多少違えどなりたい職業に関連していることが学べることに気が付きました。なりたいものになるために、急いで詰め込む必要はなく、じっくり、遠回りであっても、視野を広げながら歩んでいくことが私には最善なのではないかと考えるようになりました。母ともよく相談して決めた今の進路先は、改めて自分の将来を見つめるよい機会だと思います。自分と向き合いつつ、幼いころから心に抱いていた夢をあきらめることなく、親から与えてもらえる時間を意義あるものとして、存分に学びたいと改めて思わされています。

 

 

 

 

< 受洗おめでとう!! >

 10月18日にS.E君(光風館3年)が受洗しました。のぞみ寮での生活を送る中で、他者に出会い、自分に出会い、神に出会ってキリスト者としての道を歩む決心をした恵みに感謝したいです。今月号にS君の信仰告白を掲載させて頂きます。 

「洗礼を受けるにあたって」

 S.E(光風館3年 兵庫県西宮市)

  私が洗礼を受けようと思った理由はキリスト教の教えを自分の人生の柱にしたいと思ったからです。

 私の家は教会で、幼少期から教会に通っていました。しかし特に理由はなく、なんとなく通っていましたので、教会学校にしか参加していませんでした。聖書のお話を聞いて育ってきましたが、身内が説教をしていたこともあり、ちゃんと説教を聞いたことは、敬和学園に来るまでは数えるほどしかありませんでした。

 しかし敬和に入り、教会での礼拝はもちろん、学校での朝礼拝で、いろんな人からのメッセージがありました。さらに寮での夕礼拝では、同年代の寮生達からのメッセージを聞く中で次第に、説教だけでなく、人の話に積極的に耳を傾けるようになっていきました。

 今年の夏、私は関西学院神学部のユースキャンプに参加しました。そこで私は落ち込んだ人が聖書の言葉に出会って助けられる、という話を同学年の男子参加者から聞きました。本当に、失意の中で聖書の言葉が響いてきたという体験が、同世代の人に実際にあるんだ、ということに驚きました。

 その様な話は、小さい頃から説教などで聞いてはいましたが、高校に入るまでは直接そのような経験をした人の話を聞いたことがありませんでしたし、自分にはそんな経験がなかったため、そういう人たちのことを「どこか大げさだなぁ」と思っていました。しかし実際会って話をしてみると、今まで自分では大したことがないと思っていた聖書の言葉に力があり、他の誰かにとっては大きな救いや励ましになる、ということがあり得るんだ、ということに気付かされました。

 少し話は変わりますが、私の祖父は屋久島に住んでいるクリスチャンです。屋久島には教会がないので祖父は家で毎週礼拝を守っており、遊びに行ったときに礼拝で自分がクリスチャンになった理由を教えてくれました。

 祖父は戦時中に生まれ、小学生のころに終戦を迎えます。その中で周りの信じてきたもの、たとえば教育などですが、とても大きく変わってしまった。そのため自分の中に変わらないものがほしかったから洗礼を受けたんだ、と言っていました。このことを聞いたのは、確か私が小学生の頃だったと思います。その時、他に屋久島に行って何をしたとかどんな話を聞いたとかは何も覚えていませんが、その話だけはなぜかずっと頭に残っていました。  

 今私は18歳になり進路を選択する時期にいます。ここから先、いろいろなことを選択していかなければなりません。これからは、自分は社会を作っていく側になります。その重要な選択をする中で、祖父のように自分の中にいつも変わらないものを精神的支柱にしていきたいと思い、また聖書の言葉の持つ力に期待をして、洗礼を受けたいと思いました。

 

 

 

栄養士からのひとこと

 新米・きのこ・栗・梨・ぶどう……おいしい食材もすっかり秋めいてきました。生徒の皆さんが労作の時間に作った「さつまいも」も、そろそろ献立に入り始めます。さつま芋ご飯、てんぷら、スイートポテト、さつま芋プリンといろいろな料理で登場します。

 労作で取れた野菜を使用している時は、アナウンスしたり、掲示したりするのですが、そんな時は不思議と残食が減るのです。苦労して作った野菜はおいしさも格別かな!?

 

 

寮務教師からひとこと 

 校内の木々の葉の彩りも日々深くなり秋らしいこの頃です。

 修養会は、各学年神様に守られて無事日程を終えることができました。私は1年生の修養会に引率させていただきました。助け合いながら、当たり前ではない「不便な生活」を仲間と共に経験する3日間を共に過ごしました。火起こしからスタートする食事作りを久しぶりに経験することができました。一生懸命に真剣に取り組む姿がとても頼もしく感じた時でした。

 各地で開催されている「敬和の会」へのご参加ありがとうございます。私は、「関東敬和の会」におじゃまさせていただきましたが、ご家族の方とお話させていただける機会を持たせていただけとこと感謝です。

 今年度2回目の部屋替えを各館で行いました。荷物の整理、整頓をしながら、部屋を整えて新たな気持ちでの生活がスタートしています。

 敬和での守られた時間の中で、課題にぶつかりながらも、一人ひとり実り多い時をすごしてほしいと願っています。

 私自身、寮務教師として半年の時間が経ちました。寮生から支えられ助けられ、日々を新鮮な気持ちですごす毎日です。寮生との出会いを通して成長することが出来ることを幸せに感じています。                           

女子寮 小菅真子



2015年10月9日金曜日

光風館通信 第459号(10月7日)

< 関東・東北豪雨 被災支援労作  >

 9月18日(金)〜20日(日)に行われた、関東・東北豪雨 被災支援労作についてお伝えします。今回は、去年卒業したI.T君の実家である日本基督教団竜ヶ崎教会を拠点としました。また、水害で被災した日本基督教団水海道教会は、光風館卒業生の実家です。

 今回、生徒9名のうち光風生3名が参加しました。それぞれが感じたことを記載していますので、しっかり読んで想いを共有してください。そして、光風生ひとり一人が想いを語り合い、また次に繋げてほしいと願います。(片岡)

 

O.S(2年)兵庫県神戸市出身

 私が参加した理由は、被災された方を助け、被災された方に寄り添いたかったからです。水海道教会に着いた時、最初に目に入ったのが泥がついた生垣でした。自分の身長よりちょっと下まで泥がついていました。改めて自然の恐ろしさや水害の恐さを知りました。

 水海道教会での労作は、椅子や机を運び出し、泥を雑巾でぬぐうというものでした。その作業中に「これでいいのか?」という不安が私の中にありました。でも労作終了時に、たくさんの人から「ありがとう。とても助かったよ。」と言われた時、私の中にあった不安が吹き飛び、みなさんの笑顔を見て、嬉しかったことを今でも覚えています。

 また、私はもう一つ強い衝撃を覚えています。それは「片付けは、早くやらなくていい。むしろスローワークを大切に。」という牧師の一言です。私は「早くやればやるほど復興が早くなるからいいんじゃないか」と思っていました。しかし、それでは地域が復興しても、被災された方の心は傷付いたままなのです。だから、ゆっくり被災された方に寄り添い、地域も、そして心も修復されていくんだと学びました。私は今回、参加して良かったと心から思っています。

 

S.H(3年)福島県郡山市出身

 僕は何度かボランティア活動に参加したことがありますが、今回のような水害の被災地でのボランティア活動は初めてでした。僕の水害のイメージは家中が水浸しになって、泥がついて……と、この程度のものでした。水海道教会に着いた時、まず目についたのは泥でした。自分の胸くらいの高さまで泥があったことに驚きました。そして、そこまで水があったらと想像すると少し恐くなりました。

1007_ko02 ボランティア活動は礼拝堂の中にある備品を運ぶなど、主に力仕事を中心にしていました。中にあったものはどれも泥がたくさんついたままで、椅子や机は泥をふき取るのが大変そうでした。実際、ある人が「拭き終わった」と思っても椅子には、角や隙間の細かいところには泥が残ったままでした。午後からは日差しが強くなり体調を崩す人も出てきて、この時期に災害に遭った地域は、その後がすごく大変なのだと感じました。
 僕は東日本大震災の時に福島県の中学校にいました。でも、その日のうちに新潟の祖父母宅へ行き、現地が落ち着くまで1〜2ヶ月程いました。なので、被災した後の苦労や大変さを全く知りませんでした。今回、こうして被災地に来て支援労作をさせてもらって被災した後の大変さを知り、当時経験しなかった想いを感じることが出来ました。
 水海道教会には多くのボランティア参加者がいて、その中にSさんという方がいました。Sさんとは高校1年時に参加した十日町の雪堀りのボランティアで初めてお会いしました。それ以降も十日町でのボランティアで会っていました。今回のボランティア活動にも来て、また一緒に活動することが出来て良かったと思いました。ほかにも、僕が福島にいた時に通っていた教会の牧師にもお会いすることが出来ました。昔の繋がりや新しい出会いがあり、ボランティア活動での良い出会いを実感しました。

 

H.H(3年)岐阜県下呂市出身

 私は初めて、被災地支援労作に参加しました。今までは部活の大会などと重なり、行きたくても行けませんでした。私が参加したかった理由は、普段の生活で人のために動くということが少ないからです。人は生活している中で自己中心的で自分のことしか考えていないのでは……とふと考えることがあります。そのような生活から少し離れ、人のために動くことはとても大切なことだと思ったからです。しかし、苦しんでいる人に寄り添うこと、これはとても難しいことです。私は「その苦しんでいる人とどうやって関わればいいのか」と、参加する前に悩みました。

1007_ko03 この水害を知ったのは、テレビのニュースでした。最初見た時は、何故か他人事のようで被災地と私の間には、「画面」という大きな壁があるように感じました。その中、このような機会を与えていただき、感謝と共に、人一倍頑張ろうと思いました。しかし、参加を決めた後、行くのを少し迷ったりする時がありました。たくさんの欲に負けそうになり、これがどこか無関心な自分であると感じました。自分に関わらないことは忘れてしまう。これが私たちの弱さなのだと思います。
 私は被災地支援労作に参加して、キリスト教の強い繋がりを知りました。困っている人を助けるために遠い所から来ている方々に出会いました。苦しんでいる人のためにたくさんの人が支えに来る、とてもすてきな光景が私の目には映りました。
 また、この活動だけでは復興しきれない現地の被害もその場に行くことで分かりました。現地に行って、その現場を見る、人の話を聞くというのはとても大切なことだと思います。実際、私は茨城に行って現地の人の話を聞いて、初めて知ったことがありました。それは、「復興は早くやるのではなく、ゆっくりとやってほしい」という言葉です。被災された方はその場所にはたくさんの想い出や感情があるからです。汚れて使えないようにみえる物も、その人にとってはとても大切な物なのです。そして、その人の心と同じようにゆっくりと復興することが大事なのだと言っていました。自分の考えは「早く復興するために頑張らなくてはいけない」という未熟な考えでした。このように現地にいかないと分からないことはたくさんあると思います。
 曖昧な情報に流されるのではなく、しっかりと現地に行き、情報を身に付けた上で、私はこれからも水害や東日本大震災に少しずつではありますが、携わっていきたいと思います。

 

片岡 自由(2015919日夕礼拝

 私は喜怒哀楽がはっきりと顔に出ます。また、疲れもすぐに顔に出てしまいます。光風館で一緒に生活している生徒はよくわかっていると思います。それともう一つ、光風生が私のことでよくわかっていることがあります。それはよく泣くということです。

 今まで出来ない自分が情けなくて悔し涙を流すこともあったし、帰って来ない生徒が心配になって泣いたこともありました。初めて卒業生を送り出した今年三月には、卒業する生徒よりも泣いてしまいました。約10年前に送った敬和生活では人前にも関わらず、よく泣いていたことがあります。それは時に恥ずかしさを感じていたし、今も思い出しては恥ずかしさを感じずにはいられません。でも最近になってやっと気付いたことがあります。思いっきり泣けるのは、周りに自分を理解し受け入れてくれる仲間の存在を信じているからということ。その仲間を心から信頼しているからこそ、人前にも関わらず泣けるのだということです。

 先週、買い物に出掛けていたホームセンターのテレビに映った映像を見て、言葉を失いました。それはまさしく鬼怒川 堤防決壊の映像でした。高鳴る鼓動を抑え切れず、ホームセンターのテレビの前で、私は涙を必死に堪えていました。その場ですぐに“鬼怒川周辺地域”と調べて、ここ竜ヶ崎教会から離れていることに何故か安心してしまいました。その時の私は、テレビが取り上げている地域だけが被害を受けているのではなく、大雨によってその周辺に住む人や繋がりのある教会が大変な状況にあることを想像出来ませんでした。それを想像出来なかった自分を思い出すと、とても恥ずかしくなります。そして何故あの時、大雨による災害は鬼怒川だけではないとすぐ判断出来なかったのか、今でも本当に情けなくなります。そんなちっぽけな自分を知り、自分のことがイヤでイヤで仕方ありませんでした。その情けない想いの中、この支援労作への参加が与えられました。

 今日一日を振り返れば、たくさんの出会いがありました。朝食の時に自己紹介したように、今日一日で私はキリスト教の狭くて濃い世界での出会いや繋がりを改めて実感しました。去年送り出した卒業生の家を初めて訪れ、久しぶりに寝食を共にしたり、敬和の同級生や20年前からの友人家族に偶然再会したりしました。また、東日本大震災で繋がった仲間とここで出会い、共に働く時が与えられました。そして、水海道教会の幼稚園に子どもを預けている保護者の方と出会い、自分の家も大変な状況にあるのにひとり黙々と作業している姿に心打たれました。

 人は出会いによって磨かれます。それは言葉との出会いかもしれないし、人との出会いかもしれない。自分の心を動かす出会いはいつどこにあるか、わからない。今日出会ったここに生きる人の姿・存在に自分自身が勇気付けられました。そして今日の出会いによって、自分自身に与えられている生命を精一杯生きようと改めて考えさせられる時でもありました。あの時、テレビの前で涙を必死に堪えていた情けなくどうしようもない自分が、今日こうして新たな仲間と共に働き、ここ竜ヶ崎教会で共に歌っている。それは今日の聖書箇所である『涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる』が自分の心にズドンと来るのです。

 みなさんに憶えておいてほしいことがあります。それは茨城県常総市、ここ竜ヶ崎教会はもう知らない土地ではないということ。今日出会った子どもたちや仲良くなったあの人がいる、あなたにとっても大切な場所であるということです。その想いを大切に持ちながら、人に仕えて自分らしく生きてほしいと願います。

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2015年10月8日木曜日

めぐみ通信 No.44(2015年10月8日)

お腹をへこまして~!

 後期が始まり、もう早1か月が過ぎようとしています。風邪がちょっぴり流行ったりもしましたが、いろんな事があるにしても、みんな元気に過ごしてくれていること、とても嬉しく感じます。

 この秋も、またまたピラティス講座をのぞみ寮女子限定で開催しています。外部から講師を呼んで、45分間の本格レッスンが全4回です。今話題のエクササイズを敬和の柔道場で体験できるなんて、こんなラッキーはありません!こぞって参加してほしいなぁと思っていましたが、めぐみ館からは10名ほどの1・2年生が参加してくれています。とっても美しいインストラクターの先生の姿を見ながら、優しい声を聴きながら、自分の呼吸とお腹とバランスに心を配りながら行うピラティスは、自分と向き合う時間にもなっているように感じます。

 夜8時15分、柔道場に集合しためぐみっ子はとっても元気です。キャッキャとまるで団子状態でおしゃべりに夢中。「はい!始めま~す!」の先生の声になんとなく団子状態からほどけて、身体を言われるままにニコニコと動かし始めていました。「息を吸って~、吐いて~。吐いた時、お腹へこまして~。目をつぶって~。」なんて先生の指示をしっかり聞いて、指示に従って体を動かしていくうちに柔道場に聞こえてくるのは先生の声とみんなの呼吸の音だけになっていました。元気にニコニコ集合していためぐみっ子はというと、とっても真剣な表情で額にうっすら汗さえかきはじめていました。

 その後終わりまで、集中力を切らすことなく自分の身体と向き合い続けためぐみっ子。「すごい集中できてたね~!」と先生に褒められるほど!見ていた私もすごいなぁ!と感心しちゃいました。

 みんなと楽しく元気に盛り上がる時もあれば、自分の内側に集中し続けることもできるめぐみっ子たち。この切り替えはとても大事だと思います。レッスンの後は先生を質問攻めにしていためぐみっ子たち(笑)。「どうやったら足が細くなりますか?」「むくみを取るには!?」さすが、女の子です。

 ピラティス講座を通して、体を動かす気持ちよさ以外にもたくさんのことに気が付かされているようです。自分の気持ちが不安定になった時、眠れないとき、寝起きをすっきりさせたいとき、集中したいとき、いろんな場面でピラティスを取り入れると効果があることも実感しています。身体にも心にも心地よさをもたらせてくれる手段を、自分の内側に集中する手段をまた一つ手に入れためぐみっ子たち。普段の生活にもたっぷり活用して、より一層、外見だけでなく内面の美しい女性へと成長していってください!

 また来年もあるといいね!ピラティス講座!(森口)

 

 

 

世代交代~バトンの受け渡し~

 

新ブロック長 2年 T.M
 私は、めぐみ館をとても温かい館だと思っています。これからもその温かさを大切にしていきたいです。そして誰もが素の自分を出せる居心地の良い館をめぐみ館生みんなで作っていきたいです。

 

新副ブロック長 1年 S.N
 私は、立候補し、みなさんに選挙で選んでもらい副ブロック長になりました。それは個性豊かなめぐみ館48回生をまとめる自信があるわけではなく、自分はリーダーという役職が好きで、3年間暮らしていくこのめぐみ館に貢献したいと思ったからです。やると決めたからには、良い学年、めぐみ館にしていけるように責任感を持って努めていきたいと思います。

 

 

新行事委員の企画による”中秋の名月の日のお月見団子を作り”
おいしい豆腐白玉団子が出来上がりました。屋上から見上げるお月さまもきれいでした。

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 2泊3日の修養会は、神様に守られて無事日程を終えました。私は1学年の修養会に引率させていただきました。助けあいながら、当たり前ではない「不便な生活」を仲間と共に経験する3日間でした。

 修養会前は、「行きたくない!」の声もあちこちで聞かれ、表情も曇りがちでしたが、現地でのスケジュールが進むにつれて、活動的になってきました。食事作りももちろん自分たちで行いました。火起こしからスタートする食事作りは、特に初日は困難の連続でした。飯盒で炊くご飯も炊きあがるまで目が離せません。炊事班は、仲良しグループではありません。ぎこちなさそうなグループの様子も食事作りを重ねるうちに段取りが良くなり、チームのまとまり、会話がすすむ様子も多くみられました。2日目の夕食準備の時に突然の爆弾低気圧が強風を運んできましたが、強風の中の作業は、チームの団結力を一段と強めました。困難な時こそ、力を合わせ、笑顔で乗り越える表情からは、頼もしさを感じました。同じときを一緒にすごすことができ、普段の寮生活ではみられない様子を側で見守ることができ、うれしい時間でした。

 10月に入り、今年度も折り返しです。定期テストも来週に迫ってきました。テスト1週間前よりも早くから、毎日夜遅くまでテーブルに向かう姿が多くみられます。

 敬和での守られた時間の中で、課題にぶつかりながらも一人ひとり実り多くすごしてほしいと願っています。(小菅)