2015年10月27日火曜日

のぞみ通信 No.213(2015年10月27日)

「道は開かれる」            寮長 信田 智          

 先日21-23回生の同窓会があり、卒業生2組が家族連れで我が家を訪ねて来てくれた。5人の子供たちがいて、皆で、我が家にあったいろいろなオモチャで遊んでいた。その様子を見ていると、それぞれの特徴がよく出ていた。ある子は、パズル系のオモチャ、ある子はハラハラドキドキ系、ある子は鉄道系、またある子はホスト役で遊びを盛り上げ、ある子は少しはにかみ屋さんでおとなし系。一人一人みんな違うのです。

 しかし、外に出るとみんな元気に走り回っています。子供の成長の芽を摘むことなく、のびのびと活動させ、心も体も頭もその子に合った発達が出来るように、子供たちの可能性を十分に引き出してやることが大切だと思わされた。

 私達にも二人の息子がいる。長男はコツコツ努力タイプ、次男は合理的タイプ。二人とも大学は、理系を学んできた。長男は大学を出て電力会社の子会社に就職したが、教師になりたいという夢を捨てきれず、2年間働きながら国立の大学院を目指して努力し、願いが実現して教師になった。彼は、自分がどこで分からなくなり、どこでつまずくかが分かるので、人に教えるときに、自分のその弱さが役に立っている。

 一方次男は、大学院を出て大手のコンピュータ会社に就職するが、隣の人との打ち合わせもチャットでするような環境に、此処にいたら人間がおかしくなると感じ、研修期間を経て1年程で辞めてしまった。その後何もしないわけにもいかないので、とりあえずアルバイトをすることにしたのだが、アルバイト先はベンチャー企業を立ち上げたばかりの、訪問看護ステーションであった。

 最初は1ステーションだけの小さな企業であった。その社長は、息子の履歴書を見て、所詮アルバイトにすぎず、長続きはしないだろうと思っていたようである。私も親として、早くアルバイトを切り上げ、安定した就職先を見つけてほしいと思っていた。ところが、彼は人間相手の仕事が性に合っていたのか、訪問看護のコーディネーターとして働き続けた。その会社は、今では400人近い看護師・スタッフを抱える都内最大手の訪問看護ステーションに成長し、彼は社長の右腕として働いている。

 人生どこで、どのような道が開かれるかわからない。しかし、一つ言えることは、幼い頃に根付いた、その子供の持っている特性のようなものが、年月をかけて揉まれていく中で、紆余曲折を経て、収まるところに収まっていくということではないだろうか。先日、全校礼拝でお話をしてくれた21回生のH氏は、高校時代からいろいろなことにチャレンジして、大学卒業後もイスラエルのキブツ等で生活し、様々な経験を通して、今はガーナ大使館員として活躍している。また、48回生の修養会講師としてこられた、22回生のM先生も演劇を志したり、海外を歩き回ったりしながら、今は石川県の小松教会で牧師として良き働きをされている。

 回り道をしながらでも、自分なりの生き方を求めていくならば、道は開かれる。

 

 

 

寮生リレー通信  (第125回)

 今回の寮生リレーの原稿は修養会について各学年一名ずつ依頼しました。また、3年生の進路への取り組みがいよいよ本番となりましたので、男子寮、女子寮共に一名ずつ依頼しました。

 

1学年修養会

「修養会での大切な発見」 T.A(めぐみ館1年 新潟県村上市)

  私は修養会がとても不安でした。特に不安だったのは班行動での食事作りでした。班行動での食事作りでは、普段家で料理の手伝いぐらいしかしていない私にとって、ゼロから自分たちで作るというのはあまり経験がないことでした。それに加えて、私の苦手な班行動ということでさらに不安を感じました。私は人と話すのが苦手です。そして私は日頃からみんなにどう思われているのだろう?私と話をしていてもみんなは面白くないのではないか、など考えてしまいます。だから、私にとっての班活動は楽しみとは言えるものではありませんでした。その思いが日々積み重なり、修養会が近づくにつれ食事がのどを通らなかったり、眠れなくなったりしました。

 しかし、いざ修養会に行ってみると普段話さない人たちが、何かやることはないかと聞いてきてくれたり、食器洗いを一緒に手伝ってくれたりしました。最初は少し戸惑いを覚えました。まさか自分に対してクラスの人が気を使ってくれるとは思いもしなかったので驚きました。そしてそれと同時にとても嬉しい気持ちが湧き上がりました。

 私は過去の人間関係などであまり良い思いをしておらず、常に人に対して関わることを避けていました。しかし、手伝ってくれる人、声を掛けてくれる人の心の温かさにふれて、私は少し人への警戒心がとけた気がしました。

 この修養会を振り返ってみて、人は人に支えられないと生きていけない、という言葉を改めて実感しました。私は今まで人と関わることを恐れてしまい、いつも話をしたり一緒に行動する人が限られてしまい、なかなかクラスの人達と話をすることがありませんでした。しかし今回の修養会を通して、人と関わることの素晴らしさを見つけることができました。この大切な発見を活かし、クラスの人達に少しずつでも話かけていきたいと思いました。

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2学年修養会

「自分を見つめ、人へ伝えることの大切さ」  S.H(新潟県上越市出身)

  私は自己中心的な性格で友達や先生などに迷惑をかけていて、寮の先生には「お前は何がしたいのか、わからない」と言われたこともありました。実際、自分でも何がしたいのか、わかりませんでした。将来、自分が何の仕事に就くかも考えられていません。

 そんな私は修養会で被災地コース宮城県南三陸を選びました。その理由は、東日本大震災が起こったあの時に、人々は何を失い、何を想ったのか、それを自分の目で確かめたかったのです。そして、そこに今の自分の答えがあると思い、行くことを決心しました。

 宮城県南三陸は自然豊かな山々が連なり、世界三大漁場の三陸沖に恵まれています。しかし震災の影響により、以前の南三陸とはかけ離れていました。当時の写真などを見て、私は立ち止まり黙って見ることしか出来ませんでした。私は被災地に行って、気付いたことがあります。それは自分が愚かだと言うところです。困っている人が近くにいるのにも関わらず、私は何もすることが出来ませんでした。これは私にとって一番の苦痛でした。

 今回の修養会で自分の愚かさを思い知らされました。そして、自分が今やらなければならないこともわかりました。それは自分を見つめ直すことです。それだけでなく、私にはまだまだやらなくてはいけないことがあるのです。それは、自分が見て感じてきたことを周りにも後世にも伝えることです。震災の教訓、悲しみ、思いやり、人との絆。私はこのことを伝える義務があると思います。

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3学年修養会

「最後の修養会」  T.K(めぐみ館3年 新潟市五泉市)

  私は「胎内やすらぎの家」に行ってきました。やすらぎの家には、視覚障害を持った高齢者の方が生活していました。自宅で生活が出来ない方や、経済的に生活が難しい方が入所されています。このような理由を持たれた方に支援を行う施設の養護盲老人ホームです。全国に48施設しかなく、新潟県には「胎内やすらぎの家」だけです。やすらぎの家には約60名の方が入所されています。視覚障害を持ったすべての人が全盲というわけではなく、人それぞれ見え方は異なっています。修養会で行った交流会では、絵本の読み聞かせと歌を3曲歌わせて頂きました。盲老人の方は目が見えない分、耳を働かせて私たちの歌を聴いているのがよく伝わってきました。歌を歌い終えた後、一人の盲老人の方が「アンコール!」と後ろの方から叫んでくださいました。予想もしていなかったアンコールをいただけて、本当に嬉しかったです。

 盲老人の方とお話をする時間には、二人の方とお話することが出来ました。どちらの方も手を握って体をさわって相手のことを知ろうとする様子が見られました。

 盲老人の方は話す相手の表情は見えませんが、相手の話す声で感情、表情を判断します。声には表情があり、それを盲老人の方は読み取っているそうです。なので施設の方は常に穏やかな心で接することを心がけています。常に穏やかな心で話すのはとても大変なことですが、相手を思いやる心遣いがとても素敵だなと思いました。

 アイマスクを付けて移動、昼食をとる体験や視覚障害を持つ人の目がどのように見えているのか専門の眼鏡をつけさせてもらったりしました。アイマスクをつけての移動は二人一組でしました。一人は移動するのを援助してくれるけれど、何か前にある気がして想像以上に怖かったです。昼食をアイマスクをつけて食べるのは、何がどこにあるのかもわからず、全然おいしく食べられませんでした。

 この様な経験をして、今当たり前に生活できていることのありがたみも感じることが出来ました。また、一日一日を大切にしていこうと思います。

 

 

 

< 進 路 >

「夢を現実に」  I.E(大望館3年 福井県福井市) 

 私には宮大工になるという夢があります。そして私はその為に進学ではなく、就職という道を選びました。宮大工という職人の道に進む際、専門学校や大学に進学することは、私にとって遠回りだと思ったからです。周りの人達からは、勉強してから就職したらと言われていましたが、私はここで進学したら後悔をするのではないかと思ったのです。下手に色んな知識を持ったりすることが、職人になってからの邪魔になると考えたのです。そのため、職人の一番近道になると考える、弟子入りをすることに決めました。

 私が宮大工になりたいと思ったのは、中学校の修学旅行で奈良の法隆寺を見学に行った時、重機が無い時代にどうやって建てられたのかに興味を持ち、建てるために汗水や血を流した人達の思いに憧れを持ったのがきっかけでした。そして憧れは、いつの日か自分の将来なりたい夢になりました。そんなある時、国語の教科書にある「木のいのち木のこころ」を読んで、法隆寺のお抱えの宮大工、N.T棟梁の内弟子、O.M棟梁の存在を知りました。私は夢を夢で終わらせたくない。宮大工になりたい。これを現実にするにはどうすればいいか?そんな思いを抱き、夏休みに一念発起してO.M棟梁の下のI工舎に見学に行きました。見学に行くと、O.M棟梁に直接お会いすることもできて話を聞くことも出来ました。そこで「自分の道は自分で考えろ」と言われ、更に帰り間際、お弟子さんに「周りから言われてその思いが揺らぐんだったら、それは本物じゃない」と言われました。私はその言葉に心を打たれ、O.M棟梁の下に弟子入りしようと決心しました。

 私は先日、O.M棟梁の、I工舎で会社面接をさせていただき、内定もいただきました。自分は不器用なので不器用なりに頑張り、職人の技を少しずつ身に付けようと精進したいと思います。後少しの高校生活で、就職前に自分ができる準備をしながら、悔いの無いよう一日一日を大切にしていこうと思いました。

 

「回り道」Y.H(みぎわ館3年 埼玉県所沢市)

  私には幼いころから就きたい職業がありました。どうしても就きたくて、専門の学校を探したりもしていました。しかし、私の今の進路先はそれではありません。一直線になりたいものに突き進むのではなく、「少し回り道をしても、視野を広くして大学を選ぶのも手だ」と母がアドバイスをくれたからです。

 それまでの私は夢に向かって猪突猛進でした。一直線に進むことしか頭になく、高校卒業後は当然、専門の学校に行って……と考えていたのですが、親と進路の話になった時に改めて私がなりたいと思っていた職業は、門は広いが道は狭いことを知りました。それも承知で目指していたはずですが、現実は考えていたよりももっと厳しいものだったのです。

 カリキュラムに学費、2年間という短い学校生活など、様々な問題が私の頭の中を駆け巡りました。突き進んだとしても、なりたいものになれる保証はどこにもありません。しかし、ずっと思い続けていたことをそう簡単にあきらめたくもありません。困っている私に母は「大学で視野を広げる、経験値を上げるのはどう?そればかり考えるのではなく、ほかの方面もあるということを見たらどう?時間があることで色々見えてくるんじゃないかな。」と大学に進学することを進めてくれました。

 大学も含めて、他の学校など眼中になかった私は、初めは抵抗がありました。しかしよく見てみると、大学には角度は多少違えどなりたい職業に関連していることが学べることに気が付きました。なりたいものになるために、急いで詰め込む必要はなく、じっくり、遠回りであっても、視野を広げながら歩んでいくことが私には最善なのではないかと考えるようになりました。母ともよく相談して決めた今の進路先は、改めて自分の将来を見つめるよい機会だと思います。自分と向き合いつつ、幼いころから心に抱いていた夢をあきらめることなく、親から与えてもらえる時間を意義あるものとして、存分に学びたいと改めて思わされています。

 

 

 

 

< 受洗おめでとう!! >

 10月18日にS.E君(光風館3年)が受洗しました。のぞみ寮での生活を送る中で、他者に出会い、自分に出会い、神に出会ってキリスト者としての道を歩む決心をした恵みに感謝したいです。今月号にS君の信仰告白を掲載させて頂きます。 

「洗礼を受けるにあたって」

 S.E(光風館3年 兵庫県西宮市)

  私が洗礼を受けようと思った理由はキリスト教の教えを自分の人生の柱にしたいと思ったからです。

 私の家は教会で、幼少期から教会に通っていました。しかし特に理由はなく、なんとなく通っていましたので、教会学校にしか参加していませんでした。聖書のお話を聞いて育ってきましたが、身内が説教をしていたこともあり、ちゃんと説教を聞いたことは、敬和学園に来るまでは数えるほどしかありませんでした。

 しかし敬和に入り、教会での礼拝はもちろん、学校での朝礼拝で、いろんな人からのメッセージがありました。さらに寮での夕礼拝では、同年代の寮生達からのメッセージを聞く中で次第に、説教だけでなく、人の話に積極的に耳を傾けるようになっていきました。

 今年の夏、私は関西学院神学部のユースキャンプに参加しました。そこで私は落ち込んだ人が聖書の言葉に出会って助けられる、という話を同学年の男子参加者から聞きました。本当に、失意の中で聖書の言葉が響いてきたという体験が、同世代の人に実際にあるんだ、ということに驚きました。

 その様な話は、小さい頃から説教などで聞いてはいましたが、高校に入るまでは直接そのような経験をした人の話を聞いたことがありませんでしたし、自分にはそんな経験がなかったため、そういう人たちのことを「どこか大げさだなぁ」と思っていました。しかし実際会って話をしてみると、今まで自分では大したことがないと思っていた聖書の言葉に力があり、他の誰かにとっては大きな救いや励ましになる、ということがあり得るんだ、ということに気付かされました。

 少し話は変わりますが、私の祖父は屋久島に住んでいるクリスチャンです。屋久島には教会がないので祖父は家で毎週礼拝を守っており、遊びに行ったときに礼拝で自分がクリスチャンになった理由を教えてくれました。

 祖父は戦時中に生まれ、小学生のころに終戦を迎えます。その中で周りの信じてきたもの、たとえば教育などですが、とても大きく変わってしまった。そのため自分の中に変わらないものがほしかったから洗礼を受けたんだ、と言っていました。このことを聞いたのは、確か私が小学生の頃だったと思います。その時、他に屋久島に行って何をしたとかどんな話を聞いたとかは何も覚えていませんが、その話だけはなぜかずっと頭に残っていました。  

 今私は18歳になり進路を選択する時期にいます。ここから先、いろいろなことを選択していかなければなりません。これからは、自分は社会を作っていく側になります。その重要な選択をする中で、祖父のように自分の中にいつも変わらないものを精神的支柱にしていきたいと思い、また聖書の言葉の持つ力に期待をして、洗礼を受けたいと思いました。

 

 

 

栄養士からのひとこと

 新米・きのこ・栗・梨・ぶどう……おいしい食材もすっかり秋めいてきました。生徒の皆さんが労作の時間に作った「さつまいも」も、そろそろ献立に入り始めます。さつま芋ご飯、てんぷら、スイートポテト、さつま芋プリンといろいろな料理で登場します。

 労作で取れた野菜を使用している時は、アナウンスしたり、掲示したりするのですが、そんな時は不思議と残食が減るのです。苦労して作った野菜はおいしさも格別かな!?

 

 

寮務教師からひとこと 

 校内の木々の葉の彩りも日々深くなり秋らしいこの頃です。

 修養会は、各学年神様に守られて無事日程を終えることができました。私は1年生の修養会に引率させていただきました。助け合いながら、当たり前ではない「不便な生活」を仲間と共に経験する3日間を共に過ごしました。火起こしからスタートする食事作りを久しぶりに経験することができました。一生懸命に真剣に取り組む姿がとても頼もしく感じた時でした。

 各地で開催されている「敬和の会」へのご参加ありがとうございます。私は、「関東敬和の会」におじゃまさせていただきましたが、ご家族の方とお話させていただける機会を持たせていただけとこと感謝です。

 今年度2回目の部屋替えを各館で行いました。荷物の整理、整頓をしながら、部屋を整えて新たな気持ちでの生活がスタートしています。

 敬和での守られた時間の中で、課題にぶつかりながらも、一人ひとり実り多い時をすごしてほしいと願っています。

 私自身、寮務教師として半年の時間が経ちました。寮生から支えられ助けられ、日々を新鮮な気持ちですごす毎日です。寮生との出会いを通して成長することが出来ることを幸せに感じています。                           

女子寮 小菅真子