2013年5月20日月曜日

のぞみ通信 No.190(2013年5月19日)

苦難の先に母の日が       
寮長 信田 智

 私の妻は、第二子の出産にあたり、妊娠中毒症のような症状が出て、危険妊婦と言う事で数週間入院をする事になり、私たちは不安を抱えながら出産の時を迎えた。体重は、2500グラムの小さな赤ん坊であったが、健康な体で生れてきてくれたことを感謝した。しかし、その時には分からなかったのだが、妻の体は妊娠中毒症とは別な病気に侵されていたようであった。
 その後、長男が3歳、次男は生れて3ヶ月で、岡山から東京の出身教会に後継者として招かれ、そこに骨を埋めるつもりであった。妻は東京に移ってからも体調が優れない中で、原因がわからないまま無理をして頑張っていたようである。大きな病院で、腎臓の検査、肝臓の検査等を受けても原因がわからないうちに、わずか2年で出身教会を離れ、5歳と3歳になった二人の息子を連れて、敬和学園に赴任することになった。
 新潟に来た最初の年、敬和から4キロほど離れた松浜に住んでいた。ある時、妻が腹痛を訴えて近くの町医者に診ていただいた。すると、腹痛とは別に、もしかしたら大変な病気かも知れないから、大きな病院で診てもらうようにと言われた。東京の大病院で見抜けなかった病気を、校医の村山先生が発見してくださり、東中通教会におられた、小出医師、塩崎医師のお計らいで、県立ガンセンターで治療の道が開かれた。
 誰も身寄りのない初めての土地で、半年も経たないうちに、命に関わる事だからすぐ入院するようにと言われ夫婦で祈り、「神を愛する者たちには、すべてのこと相働きて益となる。」(ローマ8:28)この約束を信じて翌日入院をした。それから6ヶ月入院生活が続いたが、子供達は岡山にある妻の実家で3ヶ月、その後新潟に戻って、同僚であった鈴木先生のご家庭で3ヶ月お世話になった。朝、子供達を幼稚園に送り出して出勤し、幼稚園から帰ってきた子供達を同僚のご家庭で預かっていただき、仕事を終えて同僚宅に寄り子供を引き取り、食事と風呂をすませ、休みまた朝を迎える生活であった。
 妻が退院してすぐ、太田校長から、宗教主任として構内に住んで寮生の生活を側面から支えて欲しいと言われ、校内に移住する事になった。以来35年間校内に住み、寮長が退職し次の寮長を迎えるまで、昼間宗教主任としてフルに学校で働き、夜は寮長として寮の責任を2回にわたり3年間負った事もある。
 妻は、当時体調も優れず入退院を繰り返していたので、子供たちが成人するまでは何とか見届けたいと願いながら生活していた。難病ゆえに今も完治はしていないが、当時を知る方達からは驚かれるほど元気になり、日常生活が送られるようになった。また、二人の息子とも結婚をし、孫も与えられ、母の日にはプレゼントを贈って来てくれる。このような母の日を迎えることが出来るまでに守られ、導かれてきた年月を振り返り、深く感謝をしながら過ごした母の日であった。




< 寮生リレー通信  (第 104 回) >



 めぐみ館  
「寮遠足に参加して」
A.K(北海道河西郡出身:1年生)
 長いゴールデンウィークの真ん中で、私たちは長岡の「おぐに森林公園」に行きました。焼きそばを作ったり、遊んだり、そして帰りには温泉に行ってきました。行く前はバスツアーと聞いていたので、どこに行くのかもわからず、しかも当日はバスではなく、先生方の車でした。もはやバスツアーじゃないっっ!むしろ大家族でキャンプをしている感じでした。焼きそばをみんなで作り、食べて、それから温泉に入ってアイスをおごってもらいました。せっかくだからと言ってハーゲンダッツを食べている子もいました。そして、また先生の車で帰って来ました。
 私は、ゴールデンウィーク中、家に帰りたかったのですが、でも残った子たちでイベントが出来て良かったです。バスツアーにバーベキューにとても楽しかったです。あっという間に時間は過ぎました。他の館の子たちと仲良くできたり、楽しい時間を過ごせました。バスツアーでは、とてもいい思い出がたくさんできました。今回バスツアーに参加できてよかったです。これからの寮のイベントも積極的に参加出来たらいいです。そして、寮での思い出もたくさん作っていきたいです。






光風館
「試行錯誤の寮祭」
Y.M(新潟県村上市出身:2年生)
 ちょうど1年前、僕たち45回生(現2年生)がこののぞみ寮に入寮して初めて、みんなで力を合わせて行った行事が「のぞみ寮寮祭」でした。この「寮祭」がきっかけで45回生の横の繋がり、そして「寮祭」の指導をしてくれた44回生(現3年生)との縦の繋がりが深まったと思います。
 そんな「寮祭」から早1年が過ぎ、今度は僕たち45回生が新しく入寮してきた46回生(新1年生)の指導をするという立場になりました。
 最初、何をするのか決めるにも46回生はまだ入寮したてで、あまり一人一人の人柄、個性がわからなかったので、「46回生に合った出し物ってなんだろう」と皆でひたすら考えていきました。そんな中、最初にアイディアとして出たのが、映画『アベンジャーズ』を光風館風にしようというものでした。しかし、この案にはいくつも欠点があったため、没になってしまいました。その後も、皆でいろいろ話し合ったり、案を出したりしたのですが、なかなかいい案が出なくて行き詰まってしまいました。そんな時、思い出したのが、僕たち45回生の「寮祭」でした。僕たちがやった出し物が「白雪姫」だったので、「今年も童話かおとぎ話でいってみよう」という軽い気持ちで方針をおとぎ話にしました。そこで、どんなおとぎ話にするかと考えた時、思いついたのが「桃太郎」でした。これなら、観に来る人皆に分かりやすいのではないかと思い、話し合いをして「桃太郎」をすることに決めました。
 練習を始めた当初は、グダグダで「大丈夫かな?」と思う場面がいくつもありましたが、皆で臨機応変に対応したので、なんとか乗り越えることが出来て、乗り越えたことによって、僕たち45回生(2年生)と46回生(新1年生)の繋がりが深まり、試行錯誤を繰り返した「寮祭」を成功させることができました。
 これからの寮生活も、仲間、先輩、後輩と工夫しながら縦と横の絆を深め、楽しい寮をつくっていきたいと思います。








  みぎわ館 
「かんた役をやりました!」
K.A(新潟県長岡市出身:1年生)
 私は寮祭で、「となりのトトロ」に出てくる「かんた」の役をやりました。最初、2年生の先輩方が書きあげてくださった台本を受け取り、配役を見た時には「え!?かんた?かんたって、あのかんた?だよね!?私が!?」と心の中でとても戸惑っていました。
 しかし、いざ練習を始めてみると、その「かんた」役は私にピッタリはまっているような感覚がありました。不思議でした。そして、それを見抜いてか、私を「かんた」役にと考えてくださった先輩方を改めてすごいと思わされました。
 練習では、先輩方から多くの改善点を教えてもらいました。声を変に作ってしまわない事、一つ一つの仕草をしっかりすること、正面を向いて発声することなど、様々なポイントを教えて頂き、どんどん良くなり、より一層ぴったり「かんた」にはまっていきました。
 改善点をクリアしていく中で、私自身が一番難しかったのは「声を変に作ってしまわない事」でした。初めの頃の声は、緊張でか、のどを押し潰した声しか出て来ませんでした。「おなかの底から声を出してごらん!」と教えられた私は、おなかの底から出すことを意識するようになりました。すると、今まで出していた声の2倍以上もの大きな声が出るようになりました。私は「やった!普通の声が出た!」と嬉しくなり、その声をキープできるようにがんばりましたし、その声が出るようになると、楽しかった練習も、もっともっと楽しくなりました。
 そして当日、私は練習で出るようになった声が出なくなってしまったらどうしよう…と心配で仕方ありませんでした。本番、出番が来て、練習の時よりも「かんた」らしい声が出ました。その瞬間、緊張が一気に解けました。そして、何よりも楽しい気持ちが溢れてきました。
 劇もダンスも終わってしまった時は、「もっとやりたかった!」と思えたほどでした。私は寮祭で舞台に立てた事、「かんた」をやりきった事、とっても嬉しかったです。この日の事、この充実感は忘れられません。敬和学園に来て、のぞみ寮に入寮したこと、本当によかったと思います。なぜなら、ここで起こることは何でも、私の人生で一度っきりの事ばかり、ここに来なければ知ることも出来なかったことばかりだからです。これからの寮生活、敬和生活も大事にして行こうと思います。









  大望館  
「全校労作を終えて」
Y.T(新潟市西蒲区出身:3年生)
 僕は、今回全校労作で東区にある「ほがらか福祉園」におじゃまさせてもらいました。
 ほがらか福祉園は、障害福祉サービス事業所生活介護・就労継続というくくりにあるみたいで、去年修養会で行った施設と似たような作業をさせてもらいました。
 実際の作業は、筒に入っている割り箸を取り出して、別々にするというものでした。
 この作業は、ほんとに単純で正直2時間も集中力がもちませんでした。それでも僕の横などで作業してる方たちは、全然疲れたような顔をせず、いつものことのよう淡々と作業をこなしていました。もう20年とか通っている人もいるみたいで驚きました。
 福祉の仕事は、近年人気があるとかよく聞きますが、それは一部の人気な職種だけでこうゆう施設は、なかなか人手不足なのが現状のようです。そしてなにより、物などをつくる仕事と違って、人が人につく仕事なので、人が不足するのはしかたがないのかなという気もします。これから少しでもこんな仕事を志す人が増えていくといいなと、労作を終えて思いました。







《バザー献品のお願い》
 「のぞみ通信」4月号でもお願いさせていただきましたが、今年度も「のぞみ寮コーナー」におきまして、保護者の皆様のご協力のもと、年々大評判になっております全国物産店を開きたいと計画しております。つきましては、寮生保護者の皆様に献品のご協力をいただきたく、重ねてお願い申し上げます。詳細は下記の通りですので、くれぐれも無理のない範囲でご協力をいただければ幸いです。

日 時 : 2013年6月8日(土)フェスティヴァル2日目9:00 開始
品 物 : 全国各地の名産品(食料)、その他  
場 所 : 敬和学園内 校舎裏側テント 

・アルコール類は取り扱わないことにしております。
・賞味期限をお考えの上、お送りください。
 また当日直接会場へご持参くださっても結構ですが、準備の都合もありますので、前もって御用意いただけたら幸いです。
・誠に勝手ながら、お品代・送料も含めて、ご負担頂きますようにお願い致します。
「値段付け」の目安に、価格をぜひお知らせ下さい。なお、ご希望の売値価格がございましたらお書き添えください。また、品名やアピール文なども添えていただけますと、大変助かります
* ちなみに昨年は28万円もの収益があり、友愛館の建築資金返済に充てさせていただきました。今年はのぞみ寮耐震改修工事のために用いさせていただきます。
* 宛先は、以下のようにお願いいたします
950-3112
新潟市北区大夫浜325敬和学園高等学校 
 のぞみ寮本部 寮バザー用品
   025-259-2390




寮務教師から一言
 テストも終わり、キャンパス内がフェスティヴァルに向けてにぎやかになってきました。あっちでは絵具まみれになってパネルづくりに精を出す人たち、こっちではダンスを一生懸命に踊る人たち、忙しそうに走り回っているのはフェスティヴァル本部の人たち…。寮内でも、衣装に競技に合唱に演劇に…と様々な分野にかかわる寮生たちが時に難しい顔をして、時に仲間と笑い合い、時にとってもひらめいた顔をして毎日を送っています。
 一つの事に向かってみんなで協力して創り上げて行こうと努める姿は、とってもカッコいいなぁと思わされます。泣きながらも担った役割を全うしようと努力する姿には心打たれます。自分の事でいっぱいいっぱいのはずなのに、頭を抱える仲間をサポートしようとする動きを見ると、共に歩む事の意味を教えられます。悔いの無いように、心の底から楽しめるように、本当の意味で楽しいって何なのかを知る大きな機会としてほしいなぁと思います。
 フェスティヴァルが終わった時、また一つ大きくなっているであろうのぞみ寮生たちの姿を、今から楽しみにしつつ、私達寮務教師も共に歩んでいきたいと思います。
みぎわ館 森口みち子