2015年1月29日木曜日

のぞみ通信 No.205(2015年1月22日)

主に導かれて
寮長 信田 智

 クリスマスに、卒業生から手紙に添えて一枚のCDをもらいました。「高校生活を毎日のように思い出しています。辛かったけれど、私にとって敬和での3年間は宝物です。」物静かなあまり目立たない子でしたが、辛かった時、親子で来校したことがあり、そのときにゆっくりお話をしたことがありました。その子が、自分の通っている教会の施設建て替えのために、教会の友達と一緒に讃美のCDを作ったと言うのです。
 彼女がヴォーカルを担当し、素敵な歌声を聞かせてくれています。あの、控えめであまり目立つことのなかった子が、堂々と歌い上げていることに驚きを隠せませんでした。「人皆に美しき種子あり 明日何が咲くか」記念碑に刻まれた安積得也氏の詩の一節が蘇ってきました。
 3年生たちはもうすぐ自宅学習期間に入りますが、敬和を卒業後どんな歩みをするのだろう。中には困難な厳しい道を歩んでいく人もいるだろう。でも人生をあきらめないでほしい。一人一人に神様が備えておられる道があるはずです。どのような形であれ、自分のために備えられたそれぞれの人生を全うしてほしいと願っている。私が小学校に上がる年の2月、一家の大黒柱である父が家族7人を残して他界した。また、私が中学3年生の2月、すぐ上の高校2年生の兄が事故で他界した。
 高校生になり、兄の死と向き合い(幼い時から病に苦しむ人もいる、若くて優秀な人が早く他界し、社会に迷惑をかけながら長生きをする人もいるのを見て来て、)一体人生の価値はどこで決まるのか。そのようなことを考えるようになり、教会の門を叩いた。そして、だんだんと分かってきたことは、人生の価値は「どれだけ長く生きたか」ではなく「どのように生きたか」で決まるのではないか。ということであった。
 また幼くして、一家の大黒柱を失い、大切な「人」も支えにはならない。「財産」も失われる。「目標でありライバル」であった者も失われる。どれも大切な存在ではあるが、それらは、私の究極的な支えにはならないことを知らされた。そこで、何が失われたとしても、私を根底において支え導いてくれる存在を求めた。私にとって、その存在こそ実に主イエス・キリストでした。主イエス・キリストは、私に、「神様を、お父さん!」と呼びかけて良いのだということを教えてくださり、真の父の存在を示してくださった。
 また、貧しさの中で「貧しい人たちは幸いである。神の国はあなたがたのものでる」と神の国に生きる者の豊かさを教えてくださった。さらに、真の友を必要としていた私に、主イエスは「私はあなた方を友と呼ぶ。」と、ご自身の命をかけて、私の一番身近な確かな友となってくださり、私の弱さも、悲しみも、罪さえも全て知って、共に負ってくださると約束してくださった。だから私は、どんなことがあってもこのお方につながり続け、離れまいと心に決めてここまで歩んでくることが出来た。そして、主イエスは決して私を見捨てることはなかった。主イエスこそ、私の人生の確かな拠り所なのです。



寮生リレー通信  (第 118回)
めぐみ館  
「クリスマスの飾付け」          T.M (1年 新潟県・長岡市)

 去年(今年度)の寮クリスマス飾り付けのテーマは「音楽」でした。このテーマは、副ブロック長で話し合って決めました。テーマを決めてからも、何を作るのか、何を準備するのかなど、副ブロック長で集まり、何度も話し合いました。最初は無言が続いていた話し合いも時間が経つにつれ、それぞれのアイディアが出てくるようになっていました。
 今回の飾り付けでは、各館ごとにもテーマを決めました。大望館が「アジア」、光風館が「アフリカ」、みぎわ館が「アメリカ」、めぐみ館が「ヨーロッパ」でそれぞれ担当する国の音楽を飾り付けで表現しました。最初、めぐみ館では思ったように作業が進まず、みんなのまとまりがなく、ぶつかり合うこともありました。本当に完成するのだろうかという不安でいっぱいになり落ち込んでしまうこともありましたが、そんな私に「大丈夫?」と声をかけてくれる人がいました。こうして周りの人たちに助けられ、またお互いに声を掛け合い、なんとか飾りを完成させることができました。
 寮クリスマス当日、個性あふれる飾り付けをされた友愛館を見て、とても嬉しくなったのを覚えています。1年生の皆が一生懸命作ってくれたのがとても伝わってきました。大変だったこともたくさんありましたが、素敵な寮クリスマスを迎えることができたのでとても良かったです。
 
 
 
光風館
「キャロリング」             K.T(2年 北海道・札幌市)

 のぞみ寮では毎年、クリスマスの時期に有志でのキャロリングをしています。この活動は、のぞみコールが中心となって呼びかけをして、今年は30名前後が参加しました。のぞみコールとは、毎週月曜と水曜の夜にのぞみ寮生の有志が集まり、賛美歌を歌う会のことです。普段、のぞみコールでは旧賛美歌を歌っていますが、10月頃からキャロリングの練習をし始めます。僕はのぞみコールに毎回参加しているので、キャロリングにも2年続けて参加しました。時間が多いとは言えない中でアカペラ、しかも四部合唱でクリスマスソングを歌い上げるのは、決して簡単なことではありません。しかし、それにも関わらずのぞみ寮のキャロリングは、毎年欠かさず行われます。それはやはりキャロリングにあまり得る機会のない喜びがあるからではないでしょうか?もちろん、歌うことが好きな人たちが集まるので、その楽しさもあるでしょう。でもそれだけでこの活動が続けられるとは思いません。キャロリングに行った先では、多くの人が僕たちを温かく迎え入れてくれました。お菓子やお茶まで用意してくれたところもあります。そして何より一緒にクリスマスの訪れを心から喜んでくれました。純粋にクリスマスを喜び、楽しんで迎えるためにも今年もまたキャロリングで歌いたいと思います。



みぎわ館        
「クリスマスディナーはビュッフェスタイル!」  Y.K(2年 新潟・西蒲区)

 今年の寮クリスマスのディナーは、初めての試みとなるバイキング形式でした。それは、自分たちが世代交代をした直後で食事委員が中心となって指示を出していくため、人をまとめたりする経験が全くない私にとって、戸惑ってしまうばかりでした。そもそも私は人前で話すことが苦手です。昔、英語の先生に授業中、何を指して言われたかあまりのショックで忘れてしまいましたが、「人徳がない」というようなことを言われた事がありました。それ以来私は、人と関わることが怖くなりました。元々コミュニケーション下手な私にとって、更に致命的な事を言われ、それ以来、心を開く勇気が出なくなってしまっていました。
 そんな私が、寮に入って先輩たちの姿を見て、恐れる心よりも先輩達をあこがれる気持ちの方が強くなっていました。寮生活、寮運営を、先輩がやっている仕事を、私もやってみたいと思うようになったのです。世代交代をする頃、臆病だった私が一大決心をしました。この好奇心だけという、無謀とも言える気持ちで私は食事委員に立候補しました。先に紹介しましたように、そんな私がどう頑張っても一人ではどうにもできません。私はみんなに助けを求めました。時間がない中、ほかの委員会の人たちは快く盛り付けや配膳などを手伝ってくれたのです。こうして、それまではいっぱいいっぱいだった気持ちが、みんなのおかげで無事、素晴らしいクリスマス祝会で、食事委員の仕事を全うする事ができました。
 今回の貴重な経験は、これからの自分の成長に更に活かしてゆけたらと言う勇気に繋がりました。


 
大望館
「大望フェスティヴァル」           S.A(2年 新潟・西区)

 今年の大望祭は例年と違い、大望フェスティヴァルを開催しました。大望フェスティヴァルとは、学校のフェスを参考に、大望館の私たちだけが楽しめればいいよねと企画されたものです。内容は学校のフェスティヴァルとほぼ同じで、連合アピールから始まり、衣装、演劇、外での競技、またオリジナル種目の味覚試し、早お〇ら選手権、息止め対決がありました。どの競技も1.2年連合と3年連合が熱い戦いを繰り広げました。(1.2年連合の連合テーマは「まじめ」で3年連合の連合テーマは「スパルタ」でした。)
 私は、開催するにあたってお客さんは来ないものだと思っていました。しかし、光風館からたくさんの生徒が足を運んでくれて、また女子ではめぐみ館から1人見に来てくれました。しかもその人は、寒いにもかかわらず最初から最後まで見てくれました。まさに女神のようでした。感謝感激です。
 今回の行事が大望館45th、46th、47th、全員が集まった最後の大きな行事でした。大望館一人ひとりにとって、この日の出来事が忘れられない思い出になってくれていたならそれだけで満足です。
 ちなみに最終的に3年連合が勝利しました!!!



<大望館の仲間が受洗しました>

K.S(3年 宮城県・仙台市)

 私は宮城県の仙台市出身で父は牧師をしています。中学生までは仙台北教会に通っていました。卒業後は宮城県の大学に進学します。それにもかかわらず、仙台北教会ではなく、新潟教会で受洗させていただきたいと考えた理由についてお話ししたいと思います。
 私は牧師家庭で育ったため、物心がつく前から、教会学校に通っていました。また教会が家と同じ敷地にあり、教会は家と同じぐらい身近に感じていました。だから日曜日に教会に行くということは当たり前でした。教会に行って友人や先生と会えることが楽しかったです。中学生になってからは部活動があり、教会にはほとんど行けなくなりました。それから教会への意識は少なくなり、行ける日にも行くことが面倒になっていったように感じます。
 高校生になり敬和学園高等学校へ来ました。ここにはある願いがありました。人間関係を一から築き、生活することで厚い信頼がほしいという思いです。寮生活を過ごしていくうちに、全く知らなかった場所があったかい場所になりました。良いことばかりではありませんでしたが、それが人と過ごすことなのだと思いました。敬和学園での生活では考えさせられることが多くありました。たとえば、苦悩してつくりあげる行事の大切さです。フェスティヴァルのなかには、決して楽しいだけ、きれいなところだけじゃなくて苦悩・苛立ち・悲しい・悔しいなどの入り混じった感情がありました。「それ」を考えさせるための機会が与えられていたということを理解しました。
 長所がなかった私に「声楽」は自信を与えてくれました。歌う事で自分が満たされる感覚、そして綺麗な声と想いを、聴いている人に届けることの喜び。楽しく歌って、聴いている人も楽しくなるような歌。歌自体は私たちの周りにありますが、歌の素敵なところを知る事ができました。それらすべてを経験した、敬和学園高校に、感謝しています。
 新潟教会に初めて来たのは、敬和学園高校に入学することになる、約一年前でした。東日本大震災のため、被害の少ない親戚の家へ行くことになった時、私たちを運んで下さったのは長倉先生たちでした。支援物資を新潟から仙台へ運んでくださっていた時、空になった帰りの車に乗せて下さいました。お風呂に入ることも少なかった私たちのために、銭湯へも連れて行ってくださいました。また夜行バスに乗る前、新潟教会で食べさせてくださり、バス停の近くまで車で送ってくださいました。震災の中で人の温かさが心に沁み、つながりに助けられました。
 また、新潟教会では高校生会というものがあり、私は大概、高校生会に出て、礼拝へ出席していました。教会で朝食を共に食べ、教会の仕事を手伝い、社会について考える機会が与えられます。そのなかで仕事を任されること、人と関わる機会を多くいただきました。沖縄の現状や日本の憲法について学んだことも大きな機会だと思います。たくさんの人とご飯を食べるというときを持った事。さまざまなことを経験しました。いつも高校生会の食事を作ってくださった川村さんと樋口さんには本当に感謝しています。
 新潟で生活していく中でキリスト教への考え方は変わっていきました。同年代の友人と教会に通い、教会で人とつながりを持つことが多くなりました。新潟教会では明るい讃美歌を多く歌うので、礼拝の重苦しいイメージは消えました。新潟教会の礼拝での平和の挨拶は特に新鮮でした。たがいに平和を祈り合う場があることは素晴らしいことだと思います。また、「各自の祈りのとき」には、地元の家族や友人の事を祈るようになりました。それにつれ、毎日の礼拝にも祈りをするようになりました。
 教会に行ってなんとなく讃美歌をうたって、なんとなく聖書やお話しを聞くのではなく、お話しや聖書のメッセージがいまに繋がる事を感じます。だから、むかしも、いまも神様がいて、私たちと共にいて下さっていると考え、感じることができるようになっている。そのことに気付き、知る事が出来たのは、今。もし、この地に来なかったのなら、それは分からなかったと思うのです。過去があって、今つながりによってこの場にいる、・・・というような出会いがあったからだと考えています。これからこの地から離れ、新たな環境で過ごして行くなかで、人との繋がりや神様との繋がりを忘れずに向かっていくことができるために。神様の存在を、教会での恵みを感じているいま、ここで受洗して。離れた地でこの場所のことをおぼえながら歩んでいきたいと思っています。
 宮城と新潟を繋いでくれた敬和学園高校と新潟教会に感謝します。この出会いの機会を与えられた新潟で、洗礼を志願します。



御願い
 お家で使わなくなったピアノはありませんか。寮には各館にピアノがあるのですが、男子寮のピアノが古くなってしまい、音の調整が難しくなっている為、ピアノの交換が必要です。もし、譲っていただけるピアノがありましたら、お手数ですが、寮本部までご連絡ください。また、運搬につきましては、近くの場合でしたら、寮務教師が伺わせて頂きます。
 まことに勝手なお願いですが、ご協力いただければ幸いです。



寮務教師から一言
 いよいよ45回生、3年生の最終登校日がやってきてしまいました。3年生は修了礼拝を残すだけとなりました。毎年の事とは言え、3年生を送り出す時の心細さは、慣れるものではありません。・・・。3年生は、1、2年生と様々な時を重ね、人として確実に大きくなります。彼女たちがここを巣立っていくと言うのは、教師の私たち同様、いやそれ以上に、後輩達も日々その寂しさと、心細さを感じていることでしょう。その様子には見ている私も切なくなります。
 そんな後輩達も、例に漏れる事なく、この大黒柱的存在の3年生の姿へと成長します。まるでさなぎから蝶の成長を思わせる美しい成長です。
 2月からは、1,2年生だけの敬和生活です。それぞれの大きなステップアップに大切な日々としてください。自分達の背中を見せられる自意識をもってください。大いにステップアップしましょう!!

みぎわ館  寮務教師:榎本 かな