2016年1月26日火曜日

のぞみ通信 No.215(2016年1月20日)

「神様に愛されて」             

寮長 信田 智          

 私の父はエンジニアで、戦前は日本郵船の誇る豪華客船「氷川丸」のディーゼルエンジンの主任設計技師で、氷川丸の処女航海には、責任技師として、アメリカへの航海に同乗した。戦時中、龍田、飛龍と言った豪華客船は軍艦に改装され、戦火に散っていったと聞く。ただ氷川丸だけは戦火を免れ、戦後赤十字船として活躍し、現在も横浜の山下埠頭に係留されている。

 戦後、東京航空計器(株)の当時の社長から求められて、航空計器の製造に関わって来た。しかし、結核を患い10年程入退院を繰り返し、50歳代になって妻子7人を残して他界した。その後、我が家は母子家庭として貧しさを経験することになるのだが、戦後の貧しい社会にあっては、多かれ少なかれ同じような経験の中を歩まれた方が多くおられたことだと思う。

 ただ、中学を出てすぐに社会で働く子供たちが、企業から金の卵ともてはやされた時代、不思議なことに、小さな村に住んで、貧しさの中にあったにも拘らず、母は、何を犠牲にしても、子供たちには教育を受けさせてやりたいと思ってくれたようだ。今思うと本当に有り難い財産を残してくれたと感謝している。

 私は大学を出て夜学の神学校を卒業し、最初の任地鳥取県米子教会に赴任した時、持っていた全財産は布団袋1つと、神学書の入った段ボール箱が8つだけであった。不思議なことに、それで何の不自由さも感じなかった。むしろ心は晴れやかで、内に燃えるものがあった。着るものは、大学を卒業する時に母がそろえてくれたスーツが一着、あとは作業着だけと言ってもよかった。初めの頃、教会の前で仕事をしていると、近所の方に仕事に来ている職人と間違えられることもあった。

 米子を離れて岡山に赴任することが決まったときに、ある方が、都会の大きな教会で働くのに、大学を出るときに買った、古くなったスーツでは不自由するだろうと、洋服屋に行って仕立てるようにと言って、匿名で高級なダブルのスーツをプレゼントして下さった。それが岡山でどれだけ役に立ったことか。今思い出しても感謝が満ちてくる。

 岡山で正教師になり、教会からガウンをお祝いに頂いた。また岡山で伴侶を与えられ、二人の息子を授かった。その息子たちもそれぞれ独立し、私が敬和を引退したら、自分たちが家賃を出すから、近くに来るようにと招いてくれた。有り難いことである。

 最初の任地米子で、生涯の恩師永倉義雄牧師に出合い、岡山教会で牧師としての厳しい訓練を受け、敬和学園で初代校長太田俊雄先生と出会い、何もないところから始まって、物心両面において、仕事において、実に多くの祝福を頂いた。妻から「あなたは、本当に神様に愛されてきましたね。」と、最大限の褒め言葉を与えられた。  栄光在主

 

 

 

寮生リレー通信  (第126回)

 今回の寮生リレーは、昨年行われた寮クリスマスと、各館礼拝で話されている3年生のラストメッセージを選ばせてもらいました。ラストメッセージについては来月号にも掲載したいと思います。

 

 

「寮クリスマスの飾り付けから得たもの」

T.A(めぐみ館1年 神奈川県川崎市)

 寮クリスマスの食事会場になる友愛館の飾りつけは、各館の1年生が行います。めぐみ館の一年生も寮クリスマス前の1週間前くらいから飾りつけの準備を始めましたが、めぐみ館での準備は、大きく2つのグループに分かれて作業をしてしまっていました。

 私は、この寮クリスマスの活動を通して一歩踏み出せたことがあります。それは、友人関係です。私にはあまり話したことのなく苦手な子がいました。作業最終日、いつものように2つのグループに分かれて作業をしていると、もう一つのグループの子のひとりが泣いていました。たまたま気付いた私がなぐさめながらその子の話を聞いていると、苦手に思っていた子も心配して側にやって来て、彼女から私に話しかけてくれたのです。その時私は肩がすっと軽くなった気がしました。とても嬉しくて、その後も話しかけると普通に笑って彼女と話せるようなったのです。

 話すまでその子の印象を自分で決めつけていました。話しをすることで自分の中のその子のイメージは一気に変わりました。一方的なイメージを持ちながら今まで接してきた自分がバカのように感じました。

 人は“見た目”や“行動”ではわからないのだと思います。これからは、いろんな子に話しかけることを大切にしていきたいと思います。

 

 

「かけがえのない時間と寮生の絆」

I.A(光風館1年 長野県下伊那郡高森町)

 2015年12月12日(土)に“のぞみ寮クリスマス”が行われ、友愛館の飾り付けを各館1年生が全て手作りしました。

 のぞみ寮クリスマスが始まる一ヶ月前、副ブロック長から今年のテーマは「ジブリがのぞみ寮クリスマスにやってきた!!」に決まったと言われました。この時は何をやるかわからないし、初めてだからまったく想像もつかず、正直他人事の様でした。その後、光風館が「魔女の宅急便」・「もののけ姫」・「耳をすませば」を担当することになり、3つの班を作り、担当する作品とクリスマスを掛け合わせて飾り付けを作ることになりました。

 班の中で話し合ってアイディアを出し合い、「このキャラクターを描いてそれにサンタの帽子を描いたらいいんじゃない?ダンボールでジジとキキを作ろう。カントリーロード=国道を作ろう」などと、具体的に作るモノや友愛館の飾り付けの場所も決まっていく内に段々と実感が湧いてきました。

 準備が始まり、絵が描ける人は描いて、塗る人は塗って真面目にやっていました。ある日、一人が折り紙を折ろうとしていたのですが、彼は折り紙がまったく出来ませんでした。その時、彼は違う作業をしていた人に「その作業なら俺も出来るから替わってほしい」とお願いして替わっていました。このように出来ないことは出来る人にやってもらい、自分が出来ることを探してやる。「適材適所で働く」というのは、こういうことかと気付かされました。

 学校へ行き、話をしていたら「大望館は大きな立体の作品を作っている。女子寮は小物が多いらしい」など、他館の作品が気になり始めました。作業している中で「これを作ったら、大変すぎるからやめよう」と試行錯誤をしていく内に予想外の作品が出来たり、1メートルある人形が壊れたりしましたが、最終的にはたくさんの飾り付けが出来ました。時間を掛けて作り上げた分、味わった達成感も大きく、みんな誇らしげな顔をしていました。

 そして当日、いつもとは違う友愛館の雰囲気をみんな楽しんでいました。今振り返ってみると、いい苦労が出来たと思います。準備中は「眠いのに何でこんなことしなきゃダメなんだ」と不満でした。でも、あの準備期間はかけがえのない時間でした。音楽をかけて熱唱し始める、お菓子を食べ始める、ラーメンを食べる、そのラーメンを一口もらいに集まってくる、人の体に絵の具をつけようとする、もう見ていて笑いしか起きません。準備は大変だったけど、ホールに全員が集まって作業をする。そこには様々なドラマが生まれます。作業を一緒にすることで知らなかったアイツの一面もわかる、みんなで何かを成し遂げた時に生まれる団結力は最強です。苦労はしたけれど、その代わりに得たものはかけがえない寮生の絆です。

 

 

「寮クリスマスは100点満点!」

N.T(みぎわ館2年 大阪府大阪市)

 寮クリスマスで行事委員は、第三部のお楽しみ会を企画させて頂きました。今回の行事は2015年最後の物になるので、「全員が楽しめること」に重点を置いて企画を考えました。しかし、企画初期段階からネタ切れ状態。「ビンゴにするか?」という軽いノリで、ぼちぼちと決まっていきました。ぼちぼち決まっていくことは毎回のことなのですが、今回はいつものように簡単にはいきませんでした。どうすればみんなが喜んでくれるか?当然ですが、寮には色んな人がいます。動くのが好きな人、運動が苦手な人、積極的な人、人見知りな人、十人十色です。その一人ひとりを尊重しなければ「全員が楽しめる」という目標は達成できません。

 沢山の課題がある中、ミーティングを重ねました。しかし話し合えば合う程、行事委員内の空気は重くなり、すれ違ってしまい、話は進まないようになっていきました。やめてしまいたい、そう考えてしまいました。しかし、200人近くもの仲間とともに行う行事の企画運営を、自分たちの感情だけで適当に済ますことは許されません。その責任感を行事委員の皆がしっかり感じていたから、仲間や先生方に支えられていたから、少しずつまた元の楽しい和気あいあいとした雰囲気が戻っていきました。それまでにロスした時間を必死に取り戻そうと行事委員の仲間で協力し合い、ギリギリではありましたが、企画が完成しました。

 寮クリスマス終了後、行事が苦手だと感じていたであろう人たちからも「楽しかった!」と声を掛けてもらえ、本当にうれしくなりました。今回の行事では、「全員が楽しめること」という目標が達成できただけではない、もっと嬉しい発見がありました。それは、今まであまり話したことのない人同士でチームとなり、協力し合い笑いあっていたことです。行事委員の今年のテーマである「行事から出会いへ」が一つ達成できていたことです。

 大きな行事を企画する際に、明るい雰囲気は絶対条件であること、コミュニケーションが大切なこと、そして何より企画するまでが大変だからこそ楽しい行事がなしえるのだという事を学びました。長く大変だった寮クリスマス。でも行事委員たちにとっては100点満点のものとなりました!

 

 

「寮クリスマスを終えて」

M.T(大望館2年 山形県小国町)

 今回、寮クリスマスで食事委員として関わり、想像していたよりもずっと仕事が多く、最初はそれらの仕事をこなしていけるのかとても不安でした。去年は飾り付けの役割はありましたが、当日は参加しているだけだったので、先輩たちがどれだけ一生懸命に準備してくれていたか、ということを考えることができていなかったことに気が付きました。そして、楽しかった去年のように成功させなくてはいけない、というプレッシャーも感じていました。

 色々と決めなくてはいけないことがある中で、最初に取り掛かった事は当日のメニュー決めでした。せっかくだから普段食べられないようなものを食べたい、世界各国の料理が食べたいなど、様々な意見が出ました。しかし、調理時間や調理器具などに限りがあるため、食べたいものだけを挙げることはできません。何回も話し合いを重ねていく中で、メインの料理をカレーにすることにしました。また、カレーの辛さの好みは人それぞれだろうということで、辛さの違う4種類のカレー(ポーク・キーマ・シーフード・グリーンカレー)を用意して頂きました。メニューを決めた後も色々と細かい準備がありました。クリスマスプレゼントとして配るクッキーを作ったときには、たくさんの仲間が手伝ってくれ、短い時間で楽しくたくさんのクッキーを作る事が出来ました。

 当日は、昼食後から会場のセッティングをしたり、最後の確認をしたりしました。そして、食事が始まってからは、料理の整理や司会など仕事が絶えず、自分たちが食べている時間はほとんどありませんでしたが、食事委員のみんなと協力してうまく終わらせることが出来ました。

 今回の寮クリスマスは、みんなと協力して一つのものを作り上げることが出来ました。準備している時間に比べて当日は一瞬で終わってしまいましたが、こんなに大変で頑張って、でも仲間と楽しく作り上げた寮クリスマスを私は忘れないと思います。今回の経験から、今後も様々なことに挑戦していきたいと思います!

0120_no01

クリスマスディナーバイキング

0120_no02

チャペルでのクリスマス礼拝

 

 

 

<3年生ラストメッセージ>

 

S.H(めぐみ館3年 山口県下関市)

 みなさん今は楽しいですか。私は高校2年生の秋まで、学校・寮・部活すべてにおいて楽しくて仕方ありませんでした。もちろん大変なこともありましたが、それを乗り越えるエネルギーも十分に持っていました。これは一見良いことのように思えますが、実はそうではありませんでした。物事には必ず両方の側面があります。私は、明るく楽しい人生を送っていたせいで、辛い人、弱い立場の人の気持ちがわからず、たくさん傷つけてきました。気持ちを理解するということは、understandともいうように、対等な立場やその人の下に立ってこその理解なのだと気づかされました。私の尊敬する人から「好調なときに慎重に、絶望的なときに楽観的に」という言葉をもらいました。人間は調子がいいときにこそ落とし穴に気づきにくくなります。今、楽しいと思っている人はもっと周りに目を向けてみてください。弱さを持つ人にも心を配れる細やかさを大切にしてください。また、苦しさを抱えている人は、「あ、呼吸ができている。まあいいか」と楽観的になってみてください。簡単に言いましたが、実はとても難しいことです。いろいろなことがある人生を生きぬくために大事なことだと思っています。

0120_no03 私は敬和に来てから嫌いな人が減りました。嫌うとしても、その人自身を嫌うのではなく行動に対して思うようになりました。それは敬和や寮で人と深く関わり、その人を良く知ることができたからです。なぜこんなことをするのかというのは、その理由やその人の心の背景を知ればたいてい受け入れることができるものです。同じ館で3年間暮らしたMさんとの話をします。実はMさんとはそんなに仲良くありませんでした。同じ部屋になった時、お互いがお互いのことをあまりよく思っていませんでした。理由は相手のこの考え方がなんか好きじゃない、などでした。しかし部屋で少しずつ話すようになり、なぜ彼女はそう考えたのか、どういう経験の中で今の彼女になったのか知ることができました。今まで「なんで?」と思っていたことを受け入れることができるようになりました。これは本当に驚くべきことです。世の中に心から悪い人は少ないと思います。嫌うのは自分が無知だからです。せっかくの寮です。こんなに深く人と関わる環境は少ないと思います。無関係は悲しいことです。苦手な人のことをもっと知ってほしいと思います。

 私は、本当は一人が嫌いです。でも、敬和でなら一人でいるのは好きです。なぜなら敬和の一人は孤独ではないからです。ずっと一緒にいないと引き留めておかないと不安になるような友ではなく、受け入れてもらえていると確信のある友たちがいました。敬和での一人はたくさんの出会いと気付きを与えてくれました。そんな敬和に感謝しています。みんなのおかげで私の人生がより豊かになりました。

 

 

S.S(みぎわ館3年 北海道旭川市)

 皆さん、3年間お世話になりました。自分で言うのもなんなのですが、私は、人とコミュニケーションをとるのが本当に下手です。小さい子どもって、仲良くなって友達になっても、次の日になると恥ずかしくて、またイチからスタートしなきゃいけなかったりするじゃないですか。私は、そんな小さい子どもと一緒です。せっかく皆さんと仲良くなっても、夜寝て、朝起きればまたイチからスタートです。黙っているときや、顔が固まっているときは、大体緊張している時です。挨拶は笑顔でしようと心がけても、皆さんに、不快な思いをさせてしまったのでは、と申し訳無い気持ちでいっぱいです。

 特に同じ部屋になった皆さん。皆さんのことは今でも、大体毎日考えています。楽しい部屋になれなくてごめんなさい。皆さん、優しくて助かりました。ありがとう。

2年生はあと、1年。1年生は、あと2年、頑張ってください。最近私が考えたことを少しお話したいと思います。

 皆さんは、いつも笑顔を絶やさない明るい人や、自分のためだけでなく人の為に尽くせる人をどう思いますか。私は凄いと思います。私はそんな人たちを尊敬していますし、そんな人に支えられた人をたくさん見てきました。ディズニープリンセスや、童話の主人公の多くも、このような性質を持ち、彼らに幸せな結末が待っていることは、誰もが予想できるところだと思います。では、人間はどんな時にも笑顔で相手が喜ぶことを進んで行って行くべきなのでしょうか。私はそう思っていました。それは、どう考えても「良い」ことだからです。またその性質を持っているか、もっていないかで待遇が変わります。持っている人は人から喜ばれます。先生から可愛いがられます。友達も沢山できます。逆にその性質を持っていない私は、人を傷つけてしまったりします。やっぱり私はこのままではダメだ。私も人を喜ばせるような人にならなければ。簡単なことです。

0120_no05 いつも笑っていればいいのです。困っている人がいればすぐに助けてあげればいいのです。泣いている人がいれば手紙を書いてあげればいいのです。沢山の人を褒めてあげればいいのです。私なりに頑張ろうとしたのですが、でも、どうしても私には出来ないんです。苦しかったです。そういう人たちのマネをしている自分が本当に嫌でした。結局わかった事は、私はプリンセスや童話の主人公には向いていないということと、それを望んではいなかったということでした。私が本当に望んでいた事。人から優しくされ、褒められ、喜ばれること以上に求めていた事、それは本当の自分の生き方、価値観を自分が肯定する事です。

 話が下手な自分が面白い事を言えない自分を変えられたら、どれだけ毎日が楽しいだろうと思っていましたが、そのままの自分にOK!を出してあげることは、それと比べ物にならない程、喜びと安心を与えてくれました。

 多くの人に喜ばれる事を望んでしまいがちになり、それこそが賞賛に値する事だと勘違いしてしまう弱い存在だけれど、どんなに小さな働きでも、自分に与えられた物を与えられた場所で尊く用いる事、それこそが、私が価値を置く事であり、私本来の生き方です。気づくのが少しおそかったけど、最後の最後に気づけて良かったです。

 神様が私にしなさいといっているのは、3年間の高校生活でたった一人の誰かの傍に居てあげることかもしれません。その事に価値があるか、ないかを決めるのは人それぞれです。私は、今までそんな自分に自信が持てずに生きてきました。でも、今では、自分の役割を果たすことに、誇りを持っていこうと思えるようになりました。

 

 

I.Y(大望館3年 新潟市中央区)

 みなさんは「通生」と聞いてどんなイメージや印象を抱くでしょうか。寮生の僕らからしたら毎日家に帰ってテレビを見てケータイを使えて、とにかく「自由」なイメージなのではないでしょうか。

 では逆に通生からみた寮生の印象を考えたことがあるでしょうか。ここにいるほとんどの人が入学と同時に寮生として生活してきています。ですが知っての通り、僕は2年間通生でした。そのため通生から見た寮生への印象があります。そこで今日は通生から見た寮生についてお話ししたいと思います。

0120_no06 まず僕が通生時代に疑問に思ったのが、なぜ学校行事や生徒会、委員会などの役職は寮生が多いのだろうということです。たとえば生徒会などは寮生が圧倒的に多く、またフェスティバルでの総合チーフなどのメンバーを見ても寮生の割合が高いと思います。このような姿を見て学校の中心的役割にいるのはいつも寮生だとか、そんな声も通生の中から耳にしたりします。生徒の割合でいえば圧倒的に通生の方が多いのに、なぜ寮生が中心的役割を多くこなしているのか。これは皆さんも1度は思ったこともあるのではないでしょうか。また僕が寮生の姿を見て感じたのは、やはり寮生には独特のノリというか通生にはない強い結束力というものを感じたことがあります。ずっと寮生だったみなさんには感じたことはないかもしれませんが、寮生には通生がどう頑張っても入れない、寮生同士の世界があるように僕は感じたことがあります。そんな寮生の姿を見て通生は一度はうらやましく感じたことがあると思います。少なくとも僕は、うらやましく思う事がありました。逆にきっとみなさんは通生をうらやましく思う事があるかと思います。毎日家に帰って、テレビをみたりゲームをしたりケータイを使えたり、そんな自由な生活に皆さんは一度くらいうらやましく思ったりすることもあるでしょう。寮生はケータイもテレビも自由に見れないし、めんどくさいルールがたくさんあったり、寮内の人間関係に悩んだりすることもあったはずです。ですがいろんなことで苦しんで悩んで大変な思いをしている寮生だからこそ、敬和の中心的な役割を任せられる力を持っているのだと思いました。通生が寮生より劣っているなどとは思ってはいませんが、寮生は通生では味わえないような経験をし、そして日々成長してきているのです。このような経験は通生には決してすることはできません。通生から寮生になった僕は寮生が自分の成長のためにとても恵まれた環境にいることを本当に強く感じます。1・2年生は残りの寮生活で嫌なことや面倒くさいと感じる事も多くあると思います。ですがそれは寮生にしか出来ない貴重な経験です。ぜひ今以上に寮の生活に向き合ってみて下さい。自分の成長に繋がる出来事がきっとあるはずです。そしてやはり寮生は敬和の中心を担うことになると思います。是非その寮生であるという自覚と誇りを持って、1・2年生は頑張ってください。

 最後に、みなさん、途中から入寮した僕を温かく迎えてくれて本当に感謝しています。とてもうれしかったです。本当にこの1年間楽しかったです。できることなら始めから寮生活を一緒に過ごしてきたかったです。ですが1年だけでも大望館のみんなと過ごせて本当に良かったです。

 

 

寮務教師からひとこと

 3年生のラストメッセージが始まっています。のぞみ寮生活3年間で最後の礼拝のお話です。私が最も楽しみにする時であると共に、3年生の旅立ちがいよいよであることを実感する時でもあります。一人ひとりのこの3年間、いろんなことがありました。泣いて怒って悩んで笑って、癒されて励まされて……。そのすべてがいつも仲間の輪の中で起こっていた事でした。一人の3年生が言いました。「ここでの3年間は、短いのではなく早いのです。」と。早かった3年間、ここでの出会いの全てがこれからを生きる力となりますように!そして、3年生との出会いが1・2年生の力となりますように。残り少ないこのメンバーでの生活を存分に楽しんでほしいと願ってやみません。

寮務教師:森口みち子