【聖句:マタイによる福音書5章9節】
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
6月も下旬を迎えた週末、のぞみ寮本部では有志の生徒・寮スタッフが集まって、6・23「沖縄 慰霊の日」を憶えながら、沖縄本島の最南端にある「平和の礎(いしじ)」に刻まれた戦没者の名前を読み上げるプロジェクトに参加しました。今年で4年目となるこのプロジェクト、始まった時はわずか3人のボランティアしかいませんでしたが、徐々に認知度が高まり、最近は海外からも参加者が増えています。
のぞみ寮では、昨年に続いて参加してくれた人、また今年が初めてで間違えないか緊張しながら参加した人など、志の背景にあるものはそれぞれ違いましたが、80年前の戦争で亡くなった一人ひとりの命を憶えながら、5名の生徒と3名の寮スタッフ、計8名で協力して兵庫県と福島県の戦没者約1000人の名前を丁寧に読み上げていきました。よく考えてみると、今回の取り組みで読み上げたのは全戦没者のほんの一部でしかないにもかかわらず、それでも敬和学園高校の全校生徒約2つ分に匹敵する命が失われた計算になる事にゾッとしました。戦争というものがどれほどの力で人々を巻き込んでいくのか、また先の戦争から80年が経過した今も、ロシアやウクライナ、イスラエルやイランなど世界のあちこちで、かけがえのない命が危機に晒されている、そんな危機的なニュースがどこか他人事のように飛び交うこの社会の異常さ、そしてそんな今だからこそ、改めて一人ひとりが平和について考え、自分のできる事を小さくても実践していく事が求められると強く感じました。(野間)
以下は参加してくれた生徒の感想です。
「今回、沖縄戦没者 名前の読み上げプロジェクトに私も参加できた事に感謝します。私が今回の読み上げで注目した事は『関心』です。読み上げは最初、3人のボランティアから始まった事を知りました。それがどんどん人々の関心を呼び、国内外問わず多くの参加者が集まったのです。しかし、その関心を呼ぶことは本当に難しいということも今回の読み上げを通して学びました。
読み上げは楽しいものではありません。自分の知らない故人の名前は、特に若い世代にとってはあまり興味がないことだと思います。私が参加するにあたって、友人に声を掛けてみても、みんなあまり乗り気ではありませんでした。それでも、のぞみ寮を代表して5人の生徒が名乗り出てくれたこと、それは大きな一歩だと思うのです。何事も関心がないと始まりません。人の心を動かし、関心を集めることが難しい中でも、5人の生徒が集まってくれて本当に嬉しかったです。
この『関心』を常に持ち続け、自身の周りだけでなく、視野を広く持ち、他者のために尽くせる人物になりたい。そう感じさせられた読み上げでした。」(3年生S・Mさん)
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「去年に続いて2回目の参加をさせていただきました。今回も数多くの戦没者の名前を読み上げている中で、なぜこんなに人が死ななければならなかったのか、回避できる戦争ではなかったのだろうかと思っていました。亡くなった方の年齢の中で0歳という、若いというかそれ以前の歳で亡くなっているのを見て、一体何のために生まれたのか、それさえも分からない、何も知らない、知ることもできない、そんな子どもが戦没者の中に入っていることがとてもショックでした。兵庫県・福島県から駆り出された兵士たちも、最期に何を思って死んでいったのか?国への恨みなのか、家族への後悔、死への恐怖だったのか、それすら私たちには知ることができません。しかし、そんな私たちでも、二度とこんな悲惨な事を起こさないために声を出して、あんな事を二度と許してはいけないと主張し続ける事ができる。それが戦争で亡くなっていった人たちの代わりに私たちができる事だと思います。
今の日本は、戦争こそ起こしていないけれど、平和と言い難い状況になっていると私は思っています。今の政治が落ち着いて、少しでも平和に近付く事ができるよう祈っています。」(3年生E・Mさん)