2016年2月29日月曜日

のぞみ通信 No.216(2016年2月24日)

「敬和のチャペル」               

寮長 信田 智

 敬和に招かれて、宗教主任として25年間、寮長として13年間合計38年間お世話になりました。そのうち37年間、この敬和の敷地内に住んでいました。子供たちは二人とも岡山で生まれましたが、太夫浜で育ち、太夫浜小学校―南浜中学―敬和学園と、ここから巣立っていきました。私自身は東京で生まれ育ちましたが、この太夫浜の地が、私の人生の中で一番長く住んだ、離れがたい実質的な故郷です。

 敬和学園創立30周年記念事業のメインはチャペル建築でした。私は、30周年記念事業の実行委員長として、このチャペル建築の学校側の建築責任者でもありました。どういうチャペルを造りたいのか、学校の委員会の意向を設計者に伝え、それに基づいて設計者が設計図を描いてきます。そのために、色々な高校のチャペルを見てきました。

 ある高校は、素晴らしい規模のチャペルでした。パイプオルガンだけで何億円とする立派な建物で、設備も充実していました。しかし私の心に、それはチャペルではなく講堂、音楽堂と言った感じにしか映りませんでした。また、ある伝統校は、立派な建物の中にチャペルがあるのですが、中は箱物の講堂です。それらを見ながら、敬和のチャペルは、木の温もりのある、心が安らぐようなチャペルにしたいと言う思いが募っていきました。

 そして、設計者、施工者と共に、秋田の能代杉を使った大断面の集成材の構造物を見学に行き、様々な施工例とパンフレットを見て、その魅力に心が躍りました。設計者の中にも、ある程度の構想が生まれてきたのではないかと思われます。そのようにして、学園の思いが形になって、このチャペルが出来たのです。

 敬和のチャペルには信仰的な意図が込められています。ステージは、ゴルゴダの丘に立つ3本の十字架がイメージされ、丘の上に立つ荒削りの主の十字架と、左右の摺りガラスの中に透明な十字が見えます。更に、イエスの十字架をイエスの12使徒が仰ぐ形で、パイプを隠すように、12本にくり抜かれたパイプケースが作られています。

 チャペル全体は、主の食卓をイメージする聖餐テーブルが中央に置かれ、朝毎に主の食卓を囲み、御言葉の糧を頂き、天からの光に照らされ、私達の祈りが天に届くように、吹き抜けのガラス張りの塔が立てられています。

 また、O・M(太田俊雄・Jモス記念)ホールのステンドグラスには、旧約聖書創世記1章の天地創造物語が図案化されています。「初めに、神天地を造り給へり。地は形なくむなしく、闇が淵の面を覆っていた。神、光あれ と言われた。すると光があった。・・・・・・」混沌の中に輝いた、神の光が帯となって、天地創造の御業全体を貫いている素晴らしいデザインです。(卒業生保護者 中村勝氏デザイン)

 このチャペルで、朝毎に主の食卓を囲み、全校生徒教職員が同じ霊の糧に養われて、敬和スピリットを身に付けて、敬和ファミリーを形成して行くのです。何という恵み、何と祝福された空間でしょう。

 

 

 

 

寮生リレー(127回)

 今回の寮生リレーは先日2泊3日で行われた1年生のスキー授業に伴い、1年生にはスキーのことを、2年生には2年生だけの夜に行われた4館合同礼拝でのお話と、寮生活で一度きりかもしれない鍋パーティのことについて原稿を寄せてもらいました。また、各館の3年生がラストメッセージとして語ったお話も掲載しています。

 

 

「待ちに待ったスキー教室」

H.S(めぐみ館1年:新潟県柏崎市)
 私は、山形の蔵王での2泊3日のスキー教室で様々なことを学びました。1日目は、午後から講習開始でした。私は、中級クラスで学年主任の真野先生の班でした。スキー教室を入学の頃から楽しみにしていました。小学校1年生の頃からスキーを始めたのでわりと滑ることに慣れていたのですが、足への力の入れ方や姿勢の取り方、改めて学ぶことがたくさんあり驚きました。夕食は美味しく、温泉も気持ち良く入りました。1日目はとにかく疲れたのでよく眠れました。

 2日目は、5時から目覚め、朝から元気でした。午前中はいろいろなコースに行きました。昼食のカレーをいただき、午後からはゴンドラに乗って蔵王の山頂まで行き、名物の樹氷を見ながらの滑走は気持ち良かったです。

 3日目は、天候は悪く視界は真っ白。リフトまでの道のりが分からず、前の人についていくのがとても困難でした。こぶの斜面にもチャレンジ。難しかったですが、楽しく滑れました。

 3日間の時間があっという間。1日目より格段に滑れるようになっていることを実感しました。もっともっと滑っていたい気持ちでいっぱいでした。このスキー教室で身に付けたことをこれからも持続させていきたいです。

 

 

 

「初めてのスキー」

M.S(大望館1年 新潟市南区)

 2月3日から5日にかけて、スキー教室がありました。僕はスキーをしたことが無かったので行く前はとても不安でした。4時間ほどかけて蔵王に着いてスキー場の雪を初めて踏んだ時に、雪の柔らかさにびっくりしました。新潟で生まれ育った僕が普段触れている雪とは違い、ふわふわとしていて感触がとても心地良いものでした。いざ、スキーをしてみると当然のことながら、うまく滑ることはできず、転んでばかりでした。それに僕はあまり高い所が得意ではないので、上の方から滑る時には足が震えてしまいました。ブレーキも上手く掛けることができず、スピードが出過ぎてしまい、怖くなって転んでしまうということの繰り返しでした。しかし転んで、立ちあがって、という動作を繰り返すうちに上達して、すぐに立ち上がることができるようにもなりましたし、スピードを出すことに慣れていきました。それにインストラクターの方のアドバイスを良く聞き、実践することで次第に転ばずに滑ることができるようになっていきました。それからどんどん楽しくなっていきリフトに乗っている間も「早く上に着かないかな」という気持ちでいっぱいでした。

 僕は今回スキーを初めて体験しましたが、スキーが大好きになりました。そしてスキー教室を通して未体験のことを体験する楽しさ、失敗してもすぐに立ち上がり再挑戦することの大切さを学びました。とても楽しく学びの多いスキー教室になったと思います。

 

 

「食べ過ぎには注意!」

K.T(光風館2年 埼玉県所沢市出身)

0224_no01 1学年のスキー教室期間中、2学年全体で鍋パーティが開催されました。いつもの夕食開始時間よりも1時間早く集まり、テーブルを固めて設置し、鍋と具材を準備しました。食事委員による食前の祈りが終わり、文字通り“いつもとはひと味違う晩餐”が始まりました。時間をかけて煮た鍋の蓋を開けると、たちまち歓声が友愛館に響きました。意外と好き嫌いがある人、煮込む時間にやたらうるさい人、それまで誰にも気付かれず昼寝をしていて1時間遅刻して来た人、その彼を笑う人。大変盛り上がり、楽しく、そしてとても美味しいひとときでした。
 鍋パーティもいよいよ終盤にさしかかり、デザートにアイスクリームを頂き、片付けの時間となりました。みんな、満足そうな顔をしながらテーブルを動かしていました。その中、パーティでは休まず鍋を箸でつついては食べ、学年一たくさん食べたと思われる男子寮生が腹痛を訴えながら、椅子でうずくまっていました。彼は、礼拝委員として礼拝には出席したものの、その後に行われたセクシュアリティ講座の時には激痛により、自室のベッドに戻り、唸っていたそうです。その後、なんとか復活しましたが……険しい表情をしていた階段の鏡に映った彼の姿とあの痛みは忘れることが出来ません。ちなみに彼は、埼玉県所沢市出身の光風館生であり、「食べ過ぎには注意!」と心に誓ったそうです。

 

 

「大切なことを教えてくれた私のハムスター“まめ”」

N.E(みぎわ館2年 新潟県三条市)

 最近、私の大切な家族の一員が眠っているお墓に行きました。ちょうど雪がたくさん積もっている時期だったので、お墓がどこだかわかりませんでした。その家族とは飼っていたハムスターの“まめ”です。まめは、私が中学2年生の4月にやって来て、高校1年生のゴールデンウィークに息を引き取りました。私がハムスターを好きになったきっかけは、小学生の頃に親しかった友人が飼っていたゴールデンハムスターが可愛かったからです。私は「可愛い!飼いたい!」という単純な想いで母にその気持ちを伝えました。そうしたら、母は「金魚のお世話も出来ないのに、ハムスターなんて無理だよ。動物を飼うということは、大変なことなんだよ。お母さんは、犬を飼っていたことがあるから知っているよ。」と言いました。私は、以前飼っていた金魚を最初は張り切ってお世話していたものの、すぐに飽きてしまい、お世話をしなくなりました。母に認めてもらえませんでしたが、私のハムスターに対する想いはとても大きいもので、すぐに本屋さんに行き、ハムスターの本を買い、ハムスターを知ることから始めました。図書館に行って、別の本を読み、ホームセンターに通い、ハムスターを眺め、家では買った本を読み、ノートにまとめました。いざ、自分がハムスターを飼った時のことも想像し、病気になってしまった時のことも考え、近所の動物病院も調べ、まとめました。私は本当にハムスターが好きで、調べれば調べるほど好きになりました。けれど、母は認めてくれませんでした。私は、いつしかもう「飼いたい!」と口に出さなくなりましたが、私は諦めきれずに中学生になりました。

0224_no02 ある日、母が「私のハムスターを買いに行くけど、Eも来る?」と、言いました。私はビックリしましたが、喜んで付き合いました。これまで得てきた知識を活かし、母にたくさんアドバイスをしました。そして、まめが家にやって来ました。私はまめが大好きになりました。人懐っこくもないし、手乗りでもなかったけれど、まめは家族の人気者になりました。みんな、まめを可愛がりました。今も誓って言えますが、まめは他のどのハムスターよりも可愛かったです。私も家族も外から帰ると、真っ先にまめに声を掛けました。「まめは自分のことが好きだ」と、みんな言い合っていました。それくらい本当にまめを愛していました。家族みんながまめを大切にし、愛情を注ぎました。

 私は高校生になり、寮に入ったのでまめに会うことが出来なくなりました。高校1年生のゴールデンウィークに家へ帰ると、私が帰って来るのを待っていたかのように、まめが息を引き取りました。5月4日のことでした。私も母も泣き、家族みんなが悲しみました。もっとまめと一緒にいたかったけれど、動物を飼うということは、いつか別れが来るということなのです。悲しくてたまらなかったけれど、いくらか気持ちが楽でした。それは毎日、愛情を注いで可愛がっていたからです。後悔はありませんでした。むしろ、感謝の気持ちでいっぱいでした。私が落ち込んでいる時もまめは元気に種を欲しそうにして、こっちを見ながら、いつも変わらず愛嬌を振りまいてきました。私はそれだけで元気になったし、癒されていました。まめが家に来てくれて、本当に良かったです。私はまめがいなくなってから、ホームセンターに行き、ハムスターを見たりもしますが、まめより可愛いハムスターをこれまで見たことがありません。まめは世界一のハムスターです。

 みなさんにとって、家族とはどのような存在ですか?私はまめの他にも大切な家族、兄弟、友達がいます。ハムスターの命は、小さく短いと人間は知っています。だから、私はより大切に出来ました。ですが、人間の命はいつ無くなってしまうか、誰にもわからないけれど、私たちは心のどこかで長いものだと考えています。私たちは、普段の生活の中で“命は限りあるものだ”ということを忘れてしまいがちです。私はまめを思い出す度に、“命は限りあるものだ”と、まめが教えてくれている気がします。私たちは、ついついケンカをしたり、相手を嫌いになったりもします。ですが、まめに教えてもらった“命は限りあるものだ”ということを考えると、限られた一緒にいられる時間を楽しく大切に過ごしたいと思います。そして、相手をたくさん愛したいと思います。まめはこれからも私に大切なことを教えてくれる存在です。これからもまめを思い出して、大切なことに気付いていきたいです。

 

 

「家と同じくらいに安心出来る場所」

S.H(光風3年・福島県郡山市)

 “父親と24時間、同じ場所で過ごすのはイヤだから……。”これは僕が寮生になった理由です。でも実は、あとから取って付けた理由でした。本当の理由は、寮生活に興味を持って、楽しそうだと感じたからです。

 僕は以前、福島県に住んでいました。当時、姉が敬和学園で寮生活をしていて、その話を聴き、おもしろそうなところだと興味を持ち、入りたいと思っていました。中学生になっても、その気持ちは変わらず「高校は県外に出て寮生活をするんだ」と考えていました。ちょうどその頃、東日本大震災が起こりました。

 震災から1年後、父親から「敬和学園で働くことになった」と伝えられました。それと同時に「福島に残りたいか、一緒に新潟に来るか。」と、質問されました。家族みんなで新潟に行くか、父親だけが新潟へ行くか、または僕だけ福島に残るか、そのどれを選ぶかという質問でした。僕は「転校してみたい」という浅はかな考えで、一緒に新潟へ行くことを選びました。しかし、それは失敗でした。僕たち家族が引っ越したところは、新潟市西区で家の近くには中学校が2つありました。1つは普通サイズの学校、もう1つはマンモス校でした。僕が選んだのは、少し近くにあった普通サイズの学校でした。その学校の生徒は、みんな良い人だったけど……僕はうまく話しかけられず、友達と呼べる人は出来ませんでした。また、クラス担任ともうまくいかず、自分の世界にこもるようになりました。

0224_no03 進学を考える時期になり、僕は第一志望に以前から考えていた敬和学園を選択しました。敬和学園を受験し、無事合格し、入学することが出来ました。そして、光風館に入寮しました。最初は、先輩たちのテンションに付いていけず、しんどかったことを憶えています。でも、入寮から2〜3ヶ月が経つ頃には、いろんな人と会話することが増え、心から寮生活を楽しめるようになりました。1年生の冬には、前任の三浦先生と一緒に十日町へ雪堀りに行き、今まで自分が経験していないことをして、自分で感じたり考えたりするきっかけがありました。2年生になる頃には、僕にとって、寮は家と同じくらいに安心出来る場所になりました。そして、家よりも楽しい場所になっていました。2年生になり、寮務教師が片岡先生に替わりました。そして3年生になって、指を大怪我して入院したり、心配や迷惑をかけたりしてしまったこと、このお話を書きながら思い出していました。

 この光風館でみんなと一緒に過ごせたことは、今までで一番幸せなことだと感じています。楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、いろんな想い出をみんなと作ることが出来て、幸せでした。今、1・2年生で寮生活がイヤだと思っている人がいるかもしれません。でも、この敬和学園を卒業する頃には、幸せだと思えるように過ごしてほしいと願っています。残りわずかですが、ここでの生活を全力で楽しめたらいいなと感じています。

 

 

「オール・オッケイ」

S.N(めぐみ館3年 福島県会津若松市)

 私は敬和学園に入って、それまでわからなかった自分をたくさん見つけました。学校や寮で生活する中で、私たちは一喜一憂どころではなく、時には泥沼にはまったような気持ちになり、どうしようもないように思えてしまうことがあります。それはいつ誰にやってくるかわからないし、たとえその状況に陥っていても周りから見てわかりやすい人とわかりにくい人がいます。私はなかなか辛い気持ちの人に気づくことができませんでした。人の気持ちには、自分優先になっていると気づけません。何度「あの時なんで気づかなっかったんだろう。」と思ったことでしょう。気付けない自分に気づいてから、私は周りの人の様子をよく見るようになりました。いつもと違う雰囲気の人に気が付けるようになって、次にそのような人にどう声をかけていいかわからずに何もできない自分に気が付きました。相手が何を求めているのかわからず、怖かったからです。この頃の私は、声を掛けてもきれいごとのようなことばかり言っていた気がします。でも 、自分が疲れている時にそばにいてくれた人たちが、逆の立場で疲れている時にキレイごとはあまり意味をなさないことに気づかされました。

 キレイごととは世間一般にいう「正しい」とされることです。では正しいとはどういうことなのでしょうか。私は人々の考えを同じようにするためにあるように感じます。でも、本当に疲れている人には誰にでも言える同じような言葉ではなく、その人に向き合っている自分だからこそ言える言葉が必要なのだと思います。だから、1,2年生には自分の周りにいる人を大切にし、よく見て声を掛け合い続けてほしいです。あなたが今まで体験して考えたことから、あなたにしか言えない言葉が絶対にあります。どうかそれを大切に伝えてください。

0224_no04 次に個性についてです。 敬和生活ではどうしても、自分から前に出て能力を発揮できる人が目立ちます。変なことができるほうが普通よりも良くて、普通がつまらないことのように感じてしまうことがあります。私も敬和に来てから自分の面白みのなさに幾度も落ち込みました。自分に個性はあるのかと悩みました。この中にも同じように思っている人がいるかもしれません。でも、私はめぐみ館でめぐみのみんなと生活していて、一人ひとり違って当然なんだなぁと感じました。実は私は、何でもかんでも「個性」という言葉でまとめてしまうことが好きではありません。本当は直すべき短所でもうやむやにしてしまう感じがするからです。寮の受けれてくれる人たちの中で、自分のいろんな姿を見せていれば自然と周りが個性を見つけて認めてくれると思います。他人のほうが実は個性を感じ取ってくれるものでもあるのです。

 1・2年生の皆さん、いっぱいルールを教えたり注意したりしたけど、みんながいるから私たちも成長できました。1・2年生がいてくれたおかげで私たちは先輩としてたくさんのことを学べました。ありがとう。3年生、たくさんのことがありすぎました。このみんなでいつもいる当たり前がなくなってしまうのはとても怖いです。でもきっと、いつも一緒にいてくれたみんなのおかげでこれからの私があり続けるのだと思います。いいことも悪いことも全部みんなと一緒だったからオールOKって感じです。この言葉だけじゃ収まらないけど、本当にありがとう。最後に、このように恵まれた環境で生活できたことに感謝します。

 

 

「この世にいらないものはない!」

H.T(大望館3年 兵庫県川西市)

 敬和に入って分かったことについて話します。僕は敬和に入って素敵なキリスト教の考えに出会いました。「それはこの世にいらないものはない」という考えです。キリスト教の考えだとこの僕は要らない存在なんかじゃないらしいです。けど僕は自分が本当に嫌いです。入学したときは自分はダメなやつだって思ってたし、何かがないと友達ができないって思っていました。今まで友達がいなかったからです。だから敬和でも友達ができるわけないと思っていました。

 僕は今まで相手の気持ちを考えて接するのが苦手で、思ったことをすぐ口にしてしまってよく相手を不快にさせてしまっていました。しかし僕は変わろうとは思っていませんでした。みんな僕のことなんて何とも思っていないとか、僕のことなんてどうでもいいって思ってるって思っていたからです。変わることはできないって思っていました。けれど2年生の時に部活である先輩とトラブルみたいなのがあり怒らせて、泣かしてしまいました。そのことで先生に怒られました。それまではさっき言ったようにみんな僕のことなんて何とも思っていない、どうでもいいって思ってると思っていました。しかしその時にやっと僕のことを気にかけてくれてる人はたくさんいる、僕のことを心配してくれてたり、大切に思ってくれてる人はいるってことに気づけました。そしたら本当に自分が嫌になりました。みんなに申し訳なくなりました。僕は今までにそう思ってくれてる人たちをたくさん不快にさせてきたんだなって気付いたからです。それからは変わろうって思えるようになりました。

 ある程度は相手の気持ちを考えられようになったし、今このこと言ったら不快に思うだろうなとわかる様にはなったと思います。友達が増えたと思います。しかし僕は僕でした。人の気持ちを考えるのが苦手以前に、人と話すことができないのです。僕はこのことが一番嫌です。けど僕と友達になってくれた人は、別に上手く話せなくてもいいよって言ってくれてるような気がして本当にうれしかったです。受け入れてくれたみたいな。本当に素敵な友達ができたと思います。

0224_no05 最初に話した、「この世にいらないものはない」というキリスト教の考え。なぜなら神様が必要だと思って創られたのだから。この世の中に自分と同じ人間は一人としていない。昔もそうだしこれからもそう。同じ人は絶対いない。みんな違ってみんな価値がある大切な存在らしい。そりゃ自分より勉強ができる人、運動ができる人っていうのはいっぱいいると思う。けど自分と同じ考えを持った人、これから自分と同じ人生を歩む人は絶対いないと思います。自分と同じ価値の人はいないです。だから世界のどこかにはこの世に一人しかいない自分のことを必要としてくれている人は必ずいます。自分にしかできないことって言うのがあると思います。もしかしたら自分にしかできないことってのは本当に小さなことかもしれないです。そして人間はいつか死んでしまいます。その一回しかない人生、せっかく神様から与えられたかけがえのない命に満足して、与えられた賜物を必要としてくれている人のために用いていきたいと思います。そして何よりこんな僕と友達になってくれた人のことも忘れずにいたいです。本当に感謝しています。ありがとう。

 もちろんみなさんのことを必要としてくれている人は必ずいます。それは何かすごいことが出来るからじゃなくて、世界に一人しかいないあなただから必要って思ってくれている人がいます。だから自分はダメなやつだって思う必要はないです。人間は誰かから必要とされているって知った時に、そして感謝された時に生きがいなどを感じるらしいです。一回しかない人生、自分らしさって言うのを大切にしてください。そして神様は私たちの事を愛してくれていて、どんな時でも一緒にいて見守ってくれると信じています。

 

 

 

 

☆お知らせとお願い☆

  先月、のぞみ通信と一緒に「寝具レンタル継続のご案内」を送らせて頂きました。申込み期限が3月11日(金)までとなっております。よろしくお願い致します。

 また、①新たに布団のレンタルを利用されたい方、②ご案内が入っていなかった方、③次年度はレンタルを利用されない方は、のぞみ寮本部までご連絡くださいますように、お願い申し上げます。

のぞみ寮本部 ☎025-259-2390(9時~17時:faxも可)

 

 

寮務教師からひとこと

 2016年度の入学試験も残すところ3月の最後の試験のみになりました。来年度、新しく迎える仲間もほぼ決まりました。この時期になると、今いる寮生の面接試験を思い出します。緊張しながら一生懸命語ってくれたあの姿を、忘れずにはいられません。そんな彼らが、頼れる先輩になろうとしています。日に日に成長していく姿を見守る事ができる大きな恵みに、改めて感謝したいです。

大望館担任 堀越 俊継

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