2018年2月27日火曜日

光風館通信 2018年2月25日 第503号

< 誕生日おめでとう!! >

 1月24日(水)12月誕生会、1月26日(金)1月誕生会を開催しました。

0225_ko01 12月誕生者からのリクエストは“一から作る漢(おとこ)のラーメン”でした。この誕生会を企画して4年経ちますが、ラーメンをリクエストされたのは初めてです。「インスタントの袋ラーメンでも満足してくれるから、それでもいいだろう」と考えましたが、その考えに待ったを掛けたのは“一から作る”という言葉でした。「この言葉がある以上、袋ラーメンではダメだ!!」というプライドが出てきて、結局“二郎系ラーメン”をイメージして“太麺・モヤシとキャベツたっぷり・ニンニクがっつり”にしました。誕生者みんながモヤシとキャベツをたっぷり乗せている横でS.S君(2年)が「俺、とんこつラーメンが好きだからモヤシとキャベツ乗せるのは外道(げどう)だと思うんですよね」と一言。それを聞いて私も「そうだなぁ!!俺もとんこつ好きだから、わかるわぁ!!…ってか、一般的に料理で使うのは外道じゃなくて“邪道(じゃどう)”じゃない?」と返したら「ニホンゴ、ムズカシイ…。」と照れくさそうにしていた彼の姿は、微笑ましかったです。

0225_ko02 1月誕生者からのリクエストは“餃子”でした。今回は、誕生会を始めるに当たって話し合いを重ねた結果、“自分が食べる分の餃子を包んで、片岡に焼いてもらう”ということになりました。なぜ、自分で焼かないのか…。そう、それは「餃子を焦がす自信しかない!!」というネガティブなのか、ポジティブなのか、わからない理由でした。さらに、自分で焼くよりも“絶対美味しそうに焼いてもらえる”というプレッシャーを私に与えてくる誕生者たち。全ての責任を私に託し、のほほんと焼き上がりを待つ誕生者たち。そのプレッシャーの中でしっかりと焼き上げ、嬉しそうな笑顔を見たらホッとしました。それにしても、餃子の包み方は人それぞれでした。E.M君(1年)は「家でお手伝いをしているから慣れていますよ!!」と綺麗に包み、I.W君(2年)は「初めてやるからわからなかったです〜。」と、言葉でどう表現していいかわからない独特の包み方をしていました。(片岡)

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< 礼拝のお話 >

「発想の転換 ピンチはチャンス!!」    S.S(2年・山口県下関市出身)

 授業中、黒板の文字を見たり、先生の話を聞いたり、近くの席の人の香水の香りが漂ってきたり、教室が少し寒くなってきたように感じたりすることがあります。このように、私たちは日常生活の中で様々な感覚を通して、状況を捉えています。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、これら五感をまとめて、私たちは“感覚”と言っています。“感覚を使う”ということは、私たちにとって当たり前で、その働きを改めて振り返ってみることはないでしょう。例えば「今、視覚を使って、このお話を読んでいる」とは考えないでしょう。感覚は、私たちの意志とは無関係に周囲の情報を捉えてくれるものでもあります。

 今日は、私が最近「これは必要だ!!」と感じた感覚 触覚のうちの“痛覚”について話します。要は「痛み」のことです。私たちは毎日の暮らしの中で、体に痛みを感じることがあります。痛いということは、たいてい不快なことです。痛みが無ければと思うようなこともあるでしょう。しかし、痛みを人間の体から無くすことは不可能です。というのも、痛みは人間にとって、とても大切な感覚だからです。

 世の中には「熱い・冷たい・痛い」などの皮膚感覚のない人が実際にいるそうです。「無痛症」という先天性の疾患です。「痛みを感じないとか無敵じゃん!!」と思う人がいるかもしれません。しかし、実際この病気を持つ人は、命の危険と隣り合わせで生きています。傷を負っても気付くことが出来ず、菌が入り化膿してしまうかもしれません。ストーブに触れても熱さを感じないので、やけどを負ってしまいます。胃腸炎・ガンなどの病気も発見が遅れてしまいます。痛みというものは、体が傷ついたことや具合が悪いこと、体に負担がかかっていることを私たちに知らせてくれる、とても重要なシグナルなのです。この働きが欠けていれば、一つ間違えるだけで命を落とす危険に繋がってしまうのです。

 最近、私が所属している器楽部では、よくこんな言葉が使われています。“ピンチはチャンス!!”主に、顧問の先生が使っているのですが、私は少し気に入っています。人は痛みと同様にピンチが来ることも不快に感じます。しかし、「痛みや傷を治すことが出来るのと同様にピンチもまた乗り越えることが出来る!!」そう考えられます。ピンチは人生の壁ですが、その壁が現れたということは、自分が成長するためのチャンスということになります。痛みが私たちに体の不調を知らせてくれるシグナルで、私たちはそれによって治すことが出来るのだとすれば、ピンチを感じたということは人生の壁が現れたシグナルで、私たちはそれによって成長することが出来る。そんな風に考えることも出来ます。不謹慎な言い方かもしれませんが、みなさんぜひ痛みを味わってみてください。ピンチを楽しんでください。そうすれば自分自身の存在を確認することが出来て、より人を大切にして、人生を楽しむことが出来るでしょう。