2016年3月14日月曜日

大望館通信 2016年3月13日 第244号

<歩む道を決めるのは大切、その道でどう生きていくかはもっと大切>

 46回生に送った言葉です。3年前、46回生10名と一緒に私は大望館に来ました。あっという間の3年間、苦楽を共にするという言葉がぴったりな学年でした。人数が少ないことで苦労したことも少なくありませんでした。さらに人数が減っていくという悲しい経験もしましたが、うれしいこともありました。2年、3年と新しく入寮を決めてくれた子がいたり、留学から帰って来た子がいたりと、卒業時には11名の生徒が大望館を巣立っていきました。たくさんの出会いと別れを経験した、激動の46回生でした。今後の道を考えることはとても大切なことですが、結局のところ、選んだ道でどう生きていくかを考える方が大事なことだと思っています。これから待ち受ける厳しい世界でも、敬和で身に付けたものを大切に、一歩一歩進んでいって下さい。心から応援しています。

 さて、残された1、2年生もあと数週間後には1つ学年が上がり、また一歩大人へと近づいていくことになります。その為に連日のテスト勉強に励んでいるところですが、最後まで頑張って、今の学年でできることをやり尽くしてください。

 46回生が卒業してから、今の大望館の現状を振り返り、たくさんの話し合いを重ねています。まだまだ答えを見つけるまでには時間がかかりそうですが、みんなが一つの事を真剣に考え、取り組んでいくことには必ず意味があると思います。『自分は自分、他人は他人』ではなく、同じ大望館の仲間として、数ある課題を自分のこととして捉えて、考えられる人になってほしいと思います。

 今回載せた二人のお話は、まさに今後の大望館を考えていくきっかけになるお話だと思います。人の話に真剣に耳を傾け、意見を尊重して、自分の成長の糧として下さい。今後のみんなの働きに期待しています。(堀越)

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<礼拝のお話>

「理解し合える大望館を目指して」 M.M (1年 愛知県名古屋市)

 いきなりですが、今から私の言う2つの事を想像してみてください。

 1つ目は、あなたは道を歩いています。歩いていると道の真ん中に大きな木が1本生えています。皆さんはどう思いますか。いろいろな捉え方があると思います。例えば、「邪魔だな」とか「立派な木だな」と思ったり、何とも思わず避けて通る人もいると思います。

 2つ目は、あなたはジャングルにいます。食べ物を探していると果物を見つけました。その果物はとてもおいしいみたいですが、とても臭い匂いです。皆さんはどうしますか。これも色々な答えがあります。臭いから食べない、我慢して食べる、人それぞれです。

 話は変わりますが、みなさんは他人の事をどう思いますか。仲の良い人や気が合う人、尊敬している人、人によって同じ人でも見方は変わります。中には嫌いな人や苦手な人もいると思います。先ほどの木の話に戻りますが、道の真ん中にある木を、邪魔だから消えろと言っても消えません。木に悪口を言っても、何を言っても変わることはありません。しかし、人と木は違います。人には心があります。悪口を言われたら誰だって傷つきます。悪口を言われた人にも非があるかもしれませんが、それもその人の個性かもしれません。その個性をどう捉えるかはみなさんの自由ですが、悪口を言うのは意味がありません。そんなことをするなら、その人を理解する努力をした方がいいと思います。皆さんは、相手の悪いところを見つけたら、その悪いところだけに捉われていませんか。

 2つ目の果物の話を思い出してみてください。臭いという悪いところに捉われて、食べずにいるとその果物がおいしいということはわかりません。悪いところがあってもきっといいところもあると思います。悪いところもその人の個性です。いいところしかない人なんていないと思います。要は皆さんの捉え方次第です。相手を理解して受け入れることができれば、きらいな人や苦手な人とも少しは仲良くできると思います。実際それはすごく難しいことかもしれません。しかし、皆さんが努力すれば、この大望館は上辺だけの関係ではなく、互いを理解し合える1つの大望館として、みんなで成長していけると思います。私はそういう大望館を目指していきたいと思っています。

 

 

「独りぼっちになる時間」 H.R (1年 新潟市北区)

 今日は自立するという事について話したいと思います。皆さんは寮生である自分についてどう捉えていますか。親しい友人が通生の何倍も作れる。毎日お泊りしている様で楽しい。寮ならではの通生に自慢できる魅力があるなどが挙げられます。しかし、私はそういう意見にも賛成ですが、実際は通生と関わることの方が好きです。何故ならより気が合うタイプの人物と巡り合える確率が高いからです。そして寮生よりも遊びに行く頻度も高いからです。関わりたい人だけをピックアップして楽しい時間を過ごせますし、程よい距離感で新鮮度と友好関係を保てます。敬和の同級生の1割も占めないこの空間の中で誰よりも仲のいい友人を作れた人はそんな多くないのかもしれません。

 自分の周りの人たちを見渡してみてください。互いに寮生同士でなければ一生話すことがなかったかもしれない仲間たちではないでしょうか。寮生は元をたどれば最初はみんなが烏合の衆として、似たような志を持っているとはいえ、他人同士適当に束ねられてしまった集団とも考えられるのです。通生と比較して距離が密接でいつ何時でも、この寮で一緒に暮らさなければなりません。

 ではなぜ、寮教育は大切なのでしょうか。私の意見としては、楽しい事や生きがいを感じることを時間の限りやり尽くすのではなく、逆に辛いこと、やりたくないこと、勇気を伴う事をやっていく、それが寮生活であり、その覚悟を持って敬和に来たのが寮生のみんななのではないかと考えます。なぜなら、みんなは自分自身で寮生活という道を選んだからだと思います。だから寮生活に泥臭くたくさんの事を学び、色々な見方や視点に触れ合い吸収し、ぶつかり合い、葛藤を繰り返し、自分を求め、形作っていくのが寮生活であり、どんな自分の事も受け入れてくれるのは、ここにいる大望館の人達だけなのではないでしょうか。だとすれば、せっかく周りにいてくれる運命のいたずらとも言える仲間たちと思いきりぶつかり合い、自分の本当の姿や本音をさらけ出してみてはいかがでしょうか。

 今、この大望館は、様々な問題に悩まされています。でもその根底にあるものは、全体としての連帯感や信頼感の低下ではないでしょうか。中には個人やグループ、学年を超えた嫌悪感、不信感も原因の1つかもしれません。そのような自分と他人を隔てる壁は、大望史上最悪の事態を招きかけているのかもしれません。寮というのは社会の縮図だと思います。この自分の家とも言えるこの寮で、自分の思考を抑え、ただただ寮の規則だけに縛られた生活を想像してみてください。そこでたまった不満はどこまでも大きくなり、その人の未来は好ましいものとはならないでしょう。それでは寮の意味がありません。

 しかし、この超密接空間だからこそ習得できることもあります。それは先ほど言った、辛いこと、泥臭い事にも共に立ち向かうこと、個性と個性がぶつかり、見つめ直し、理解し合う事だと思います。広い世界と視野でもって、互いにありのままを共有し、成長していけるという大きなメリットがあるわけです。

 そのために必要なことは、自立だと思います。ぶつかり合う、語り合う、輪を広げる、これらに必要なことは、一人一人のしっかりした自立の精神だと考えます。そのために私たちが心がけることは何でしょうか。わたしは「独りぼっち」になる時間を作ることを提案します。ぼっちになるには勇気がいります。でも、決して恥ずかしいことではありません。一人でいることで自分を見つめていくことで自我を持ち、自我を持つことで初めて自立した人間になれると思います。私は同級生1人、中学生4人、小中合計で13人の学校から来ました。いつも対立していた同級生や、ゲームやアニメの話題ばかりで現実逃避する後輩とはわかり合えず、いつもぼっちでしたが、そのおかげで心の整理がつき、自分とそこに集う人達と向き合って生活を送っていけました。逆に大勢の人に混じって生活していると、我を忘れて人や空気に流されやすくなります。ぼっち回避のために人に紛れるなんて損してます。そんなのは本当の姿じゃなく、会話や生活に自分の存在意義なんて見出せません。

 しかし、人と関わることも大切です。その時はどうか、ただ受け流すだけでなく、自分を比較してみたり、言葉を吟味したりして下さい。相手を尊重して思考を理解して、自分の栄養にして下さい。相手の一言が自分を左右するかもしれません。薄っぺらい上辺だけの大望生ではなく、1つの勇気と1歩の前進から大望館を良い方向に進めていきたいというのが私の思いです。

 間もなく今年度も終わり、新年度から新しい後輩を迎えます。私たち大望生がそんな意義のある、自立した集団になれるように一人一人が前進していけたらと思います。

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餃子パーティー

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48回生交流会

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修了礼拝 大望生出し物

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46回生と寮長