2016年9月13日火曜日

みぎわ館通信 2016年9月11日 第247号

3年生に感謝! 
 9月になりました。まだまだ暑い日が続いていますが、生徒達は暑さに負けず、元気に過ごしています。
 さて、8月28日(日)の全体礼拝後、3年生から1・2年生に、世代交代に向けての話がみぎわ館で行われました。ブロック長・副ブロック長・生活規律・整美・リサイクル・行事・食事・礼拝・セクレタリーなどの委員会があり、3年生が各委員会に入って(副ブロック長は2年生)、のぞみ寮を、または各館の運営を担っています。みぎわ館の47回生は、「アットホームなみぎわ館に」を目標に去年の今頃から1年間、それぞれの委員会で、時には学年みんなで悩み考え、寮の運営を担ってきてくれました。その仕事が、いよいよ47回生から48回生へとバトンが渡される時期が来たのです。
 自分たちが今までどんな想いで各委員会の仕事をしてきたか、1・2年生の前で熱く語ってくれました。ただ仕事の内容を説明するだけでなく、どんなことに責任をもって取り組んできたか、自分がこの委員会で一番頑張りたかったことはなにか、みぎわ館で過ごす人がどんな気持ちで過ごせたらいいと思っていたか、今までの1年間を振り返って1・2年生に話しをしてくれました。中には、自分が担った仕事が上手くいかず、苦労したり悩んだりしたということも話してくれた生徒もいました。学年のみんなに自分の気持ちが伝わらなかった、伝えることができなかった時もあった、仲間の気持ちを受け入れずぶつかり合った時もあった、という話を語ってくれた3年生もいました。涙が溢れ出てきました。自分が頑張った事だけでなく、自分の欠点や間違いに気づいたこと、悩み傷ついたことを仲間の前で、それもみぎわ館生全員の前で伝えられた3年生の姿を見て、只ただ感動していた私がいました。
 みぎわ館生全員の前でこんな深い話が出来るということに驚きました。心の奥にある気持ちを話せる仲間を、このみぎわ館で得ることができた3年生達に拍手を贈らずにはいられませんでした。まだ卒業の時期じゃないのに…胸が熱くなりました。3年生に心からお礼が言いたくなりました。1年間、みぎわ館のことを、のぞみ寮のことを考えて取り組んできてくれてありがとう。3年生、最後の引き継ぎまで、どうか宜しくお願いします。まだまだ頼りにしています♪(小林)

3年生に「ありがとう」の気持ちを込めて拍手をおくりました!2年生への引き継ぎを、よろしくお願いします♪♪

 

 

 

 

バトンは47回生→48回生へ、そして48回生→49回生へ 
 47回生から寮運営の話を聞いて「すごい!」と思ったのは寮務教師の私達だけではありません。48回生・49回生のみんな一人ひとりの心にも、47回生の言葉はちゃんと響いていました。
 3年生の話を受けて8月31日(水)、新しいブロック長・副ブロック長決め、各委員会決めと各委員長の選出が行われました。2年生は一人ひとりがこの仕事がしたい!という気持ちをしっかり固めていました。やる気に満ち溢れている2年生達の姿がありました。そして1年生の中からも、学年のために、みぎわ館全体のために力になりたい!と思って副ブロック長に立候補してくれた生徒が2人もいました。
 役割を担うと誰でも悩み、壁にぶつかります。怖いかもしれないけれど、それでもやってみようかな!やりたいな!と思って手を挙げてくれた生徒達。大好きなみぎわ館のみんなのために、変わりたい自分のために、そんな気持ちがとても伝わってきました。
 2年生は自分たちで各委員会のメンバーを決めた後、「頑張るぞー!」の掛け声でその日のミーティングを終えました。1年生は副ブロック長が選出された後、副ブロック長になってくれた仲間をどうやってサポートしていったらいいかを考えました。また、2年生から引き継ぐ人は副ブロック長だけではありません。今まで2年生が担ってくれていた、会議室の掃除やシーツやリースを交換する仕事などを今度は1年生が担当するので、役割を決めていくことになります。
 完全な世代交代は10月。ですが、バトンがそれぞれに渡りはじめていることを日々実感しています。(小林)

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~立候補は緊張します。でも、自分の気持ちをしっかり伝えたい!という気持ちを、スピーチを、仲間にしっかり伝えることができました!~

 

 

礼拝のお話

~世界から自分が消えたなら~ 2年 I.S 
 世界から自分が消えたなら。みなさんはこの言葉を聞いて、どう解釈しますか。死んでしまうこと。そう思う方が多いのではないでしょうか。映画化もされた『世界から猫が消えたなら』という本の話を今日はしようと思います。
 本を読むことが大好きだった私に母が買ってきてくれた本が『世界から猫が消えたなら』でした。出会いは中学生の時。最初は読む気のなかった私も次第に熱中して読みました。感想は、面白かった、ただそれだけでした。しかし、こんな簡単な感想しかでてこないのになぜかぼろぼろ泣きました。そしてこの夏、読書感想文というきっかけで本と再会しました。読み終わった感想は、よくわからなかった、これだけでした。読書感想文を書くために読んだのに、よくわからない、だなんで、私は必死にこの本の意味を探しました。何度も何度も読み返しました。しかし私には意味を見つけることができませんでした。あとがきのないこの本、作者が何を言いたいのか、全くと言っていいほどわかりませんでした。しかし、ある日ふと気が付いたのです。意味を探す必要なんてないんだと。よくわからなかった、これが私の感想なのです。そしてもう一度読み返すと、初めてこの本と出会った時と同じように色々なシーンでぼろぼろと泣きました。感じたままに感じればいい。白紙のあとがきがそう言っているような気がしました。
 世界から「猫」ではなく、「自分」が消えたなら。自分が自分でいられなくなること、だと私は思います。嫌われないように自分を隠したいと思った時、自分はダメだからできないだろうと思った時、私たちは消えかけているのです。自分でない自分になった時、自分は消えます。そんな自分を褒められて嬉しいでしょうか、自分は本当に喜んでいるでしょうか。敬和は、寮は、みぎわ館は、ありのままの自分を受けとめてくれる所です。きっと自分を出せてない人がまだいるはずです。世界の、日本の、新潟の、太夫浜の、敬和学園のぞみ寮みぎわ館に、確かに自分は「居た」と、そう思える学園生活にしたいです。そんなことを感じさせてくれたのが、人生哲学エンターテイメント「世界から猫が消えたなら」でした。皆さんもぜひ読んでみてください。