2016年10月27日木曜日

光風館通信 2016年10月23日 第480号

< 光風館スポーツ大会〜暗闇鬼ごっこ・バレーボール〜 >

 10月15日(土)に新 行事委員であるK.S君・I.K君(2年)が“光風館スポーツ大会〜暗闇鬼ごっこ・バレーボール〜”を企画してくれました。
 “暗闇鬼ごっこ”は、以前のスポーツ大会で盛り上がりに欠けてしまって困っている時、「ただ鬼ごっこするのでは物足りない。そうだ!体育館の電気を消して鬼ごっこするのは、スリルがあっていいんじゃないのか!」という、その場の思い付きで始まりました。電光掲示板と外灯のかすかな光を頼りにするので、体育館の端から端は全く見えませんが、目が暗闇に慣れてくると半径3メートルくらいは見えてきます。これが「急に鬼が近くにいて、追いかけられる」というスリル満点なのです。決められた時間内ずっと走り続けている光風生、体育館の壁に張り付いていたり、体育館の隅に小さくなって隠れていたりする光風生がいて、大盛り上がりでした。
1023_ko02 数日前の礼拝後にスポーツ大会でやりたい種目の多数決を取り、バレーボールに決まった瞬間に私は「前回はラリーが全く続かず、サーブだけで試合が終わったのに、ゲームが成り立つのだろうか」と心配していました。しかし、今回は違った!!最初からスーパープレイの連続でラリーが続き、1点取る度に歓声と笑い声が上がりました。体育館を笑い声で湧かせたのは、“人間発射台”という異名を持つM.H君(3年)でした。彼がレシーブしたボールは、そのまま体育館の屋根を突き破るのではないかという勢いがあります。必死に繋いだボールも気付けばギャラリーに上がっていたり、相手コートの奥にある壁へぶち当たっていたり……。そんなプレイをしても、誰も怒って彼を責めることない雰囲気がそこにはありました。“愛されキャラ”である彼がどれほどみんなから好かれているのか、愛されているかを感じる素敵な時間でした。(片岡)

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< 礼拝のお話 >

Jazzと敬和」              N.T(2年・兵庫県姫路市出身)

 異様に音がデカい管楽器。畳ごと揺らすドラム。複雑そうなハーモニー。激しくかっこいい旋律。昨年、私は器楽部の見学に行って、初めてJazzという音楽を間近に感じました。
 9月10日に山梨県で行われた“International Jazz Orchestra Festival(通称Stella Jam)”において私の所属する器楽部Jazz Hornetsはグランプリ、その他多くの賞を受賞することが出来ました。日々の努力が結果として現れたことをとても幸せに思います。たくさんの応援ありがとうございました。それからというもの、私はしばしばこのような質問を受けることがあります。「Jazzって何?吹奏楽部とどう違うの?楽しい?」たしかに、PopsやRockなどと違って、みなさんにとっては親しみのない音楽かもしれません。そこで約2年Jazzと触れ合ってきた私が私なりの答えをお話ししたいと思います。Jazzの成り立ちは、当時白人の奴隷として虐げられていた黒人が、感情を表現するために始めたものだと言われています。つまり、娯楽・遊びだったのです。それ故、他のジャンルと比べて、演奏形態も自由なものになっているのです。その後、ダンスミュージックとしての音楽や即興を多く取り入れるModern Jazzなど、数々の変化や成長を遂げた音楽ですが……根底にあるものはやはり、自由な娯楽の世界だということです。ですから、みなさんもJazzを聞く機会があったら、難しい大人の音楽だと思わずに楽しんで聞いてください。
 次にJazzを演奏する上での考え方・価値観を是非お話ししたいと思います。たいていのJazzにおいて、同じ楽譜を演奏している人はバンドに一人しかいません。つまり、一人が欠けてしまえば、音楽が完成しないということです。特に、Jazzの巨匠のひとりにDuke Ellingtonという人がいます。彼のバンドの曲は、個性のぶつかり合いです。一つの音楽のなかに一人ひとりそれぞれの音が聞こえてきます。
 相手の表現を認め、自分の個性も理解してもらう。なんだかどこかで聞いたことのあるフレーズに思いませんか?そうです、Jazzの価値観とは敬和精神やキリスト教の教えにとても近いものがあります。誰一人として不必要な人なんていない。「私がいなければ、このバンドは、この学校は、違ったものになってしまうのだ。」という自己肯定の概念につながるのです。Jazz Hornetsは敬和の縮図のようなものだと最近気付くことが出来ました。

 

 

「常に目標を立てる」             M.S(2年・新潟市中央区出身)

 2年生はそろそろ進路について考えなければなりません。2年生の中では、もう進路が決まっている人や決まっていない人もいると思います。今の自分はまだ進路が決まっていません。これから何をすればいいのかがよくわかっていません。進路に困った自分は親に相談しました。就職するのか、大学や専門学校に行って勉強するのか、いろいろな選択肢があります。大学に進学するにしても、目標がないと卒業した後が大変になるので、まず自分は何になりたいのか、そのために何の勉強をすればいいのかを決めたほうがいいと言ってくれました。このように目標があったほうが途中困らないになるようです。自分は親の話を聞いて、常に目標を立てて生活していきたいと思いました。学校生活や普段の生活において何でもいいので目標を立てて過ごしたいと思います。そして、これから自分が何になりたいのか、何をすればいいのかを見つけていきたいと思います。



2016年10月25日火曜日

のぞみ通信 2016年10月21日 第222号

 

2年生の歩く修養会。最初にゴールを切る敬和の福男は誰に!?

 

「人は他者を通して  はじめて己を知る」

寮長 東 晴也

 推薦入試を受験する3年生の中には、私のところに「推薦書を書いて下さい」と言いにくる生徒が何人かいます。校長でもなく、クラス担任でもなく、私に依頼しにくる個々の理由を私なりに理解し、学年主任からの依頼もあった上で喜んで承諾しています。これは、その生徒を深く、しかも個別に知ることのできる、またとない機会となるからでもあります。
 推薦書を書くにあたり、時間をとってその生徒と向き合います。目の前の生徒を「推薦する」という前提がありつつ、私は、この目の前の生徒の「何を、どう」推薦できるか。或いはできないのか、を自問します。このような時、多くの教師は、生徒の中にある短所には多少目をつぶり、長所をできるだけ明確にきちっと真実の範囲内で表現しようと試みるのではないでしょうか。私はそうです。その作業に関しては、生徒は実に協力的です。一つの目標に向かっての共同作業は、生徒の良さ・素晴らしさを二人で、一つ一つ確認していくという実に心地よい、楽しい作業です。
 ところが、大学が求める生徒の資質・能力・考え方・活動等と、生徒自身が意識していることや経験などが、どうもマッチしないと感じることが正直あります。「大学はこういうものを求めているけど、どうかな?」「それはちょっと分かりません……」進学希望の大学から求められている資質ないし活動内容に関して、目の前の生徒自身にはどうも心当たりがないらしいのです。それがないようなら、この項目に関しては推薦すべき記述がないことになります。そこで、これまでの敬和学園生活を二人で振り返ることになるわけです。「あの時はどうだった?」「この時は……?」
 このような問いを繰り返していると、ある時、ハッとする瞬間があります。まさに探していた宝が見つかったような瞬間なのです。「それだよ!それがまさにここで求められていることじゃないかな。君はそんな才能や経験があるじゃないか!」「あっそう言われてみればそうですね!」
 問答を通して、生徒自らが自分(の良さ)をあらためて認識した瞬間です。後から振り返ると、こんなことも気づかなかったのかと笑いたくなるほどなのですが、生徒自身が自分の良さを分かっていなかったようなのです。
 「人は他者を通してはじめて己を知る」どうもこれは疑いようのない真理です。だとしたら、今の私が知っている「私」とは一体何か。私は、私自身の一部しか、私のことを知らない。だからこそ、ひとりでいては決して学べない真実に出逢うために、学校があるのです。
 私には私のことが分からない。でも、完璧な目をお持ちの神様は、「わたしの目にあなたは価高く、貴く」(イザヤ書43章3節)と言って下さる。だから安心して今日も生きて行こうと思えるのです。

 

 

 

「命のままに咲きなさい」~修養会礼拝の話より~

Y.Y(みぎわ館1年 新潟市)

 私は小学校の頃から一言で言うと変わっている女の子と言われてきました。いつもテンションが高く、とにかく感情豊かなところからきっとそう言われてきたのでしょう。
 「Yってほんと変わってるよね。」
 「黙ってたらまだ可愛いと思うんだけどな。」
そう言われる度に、普通で静かな女の子になりたいと思いましたし、そう言われ続ける自分が嫌いでしかたありませんでした。そんななかで去年の夏、私はある舞台の主役をやらせていただきました。その役とは、世界的ベストセラーである「赤毛のアン」のアン・シャーリーです。
 私はアンを演じていくうちに、自分とすごく重なっていくのを感じました。感情豊かで想像することが大好き。そんなとにかく変わっていたアンが私によく似ている気がしました。一つだけ私と違ったのは、私は自分の個性を認められず自分らしく居続けられないことでした。アンとの出会いを通して、自分の個性と向き合っていくことと自分らしく生きることの大切さに気づきました。アンのように胸を張って堂々と自分らしく居ることほど、生きていく上で大事なことはないのです。
 私は私でしかありません。皆さんも皆さんでしかありません。今までも、これから先も私や皆さん一人ひとりと全く同じ人間なんて存在することはありえません。それは個性も同じです。一人ひとりがもっていて決してかぶることなくばらばらなもの。そんな素敵な神様からの贈り物を変えようとするなんてもったいないと思いませんか。
 アンはなぜあれほど強く自分をもって居られたのだろうか、なぜあんなに思い切った行動や発想ができたのだろうかと考えました。結果、アンの周りの友だちなど登場人物がアンを受け入れて、個性を出せる環境を作っていたからだと気付きました。私は、私を含めて49回生にはそれが足りないように思えます。「命のままに咲きなさい」というわたしたちの修養会のテーマは、まさに個性を出してありのままの自分で成長していくことではないでしょうか。けれど間違えないでください。わがままなのは個性ではありません。自分の素敵な良さを出すこと、そしてそれを引き出し受け入れること、これが49回生の課題となっていくと思います。
 今、わかっている限りの自分というものが私や皆さんの全てではありません。まだ発見できていなくて知らないだけなのです。だからこそ、今もっている個性を十分に発揮し、尚且つ誰も知らないまだ眠っている個性や自分らしさを一緒に見つけていきましょう。そして3年後、沢山の自分と皆さんを知って卒業したいです。みんなで認め合い、時には助け合いながら共に前進していきたいと思います。49回生全員で最高に素敵な花を咲かせていけるよう、改めてよろしくお願いします。

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「ぬれねずみの旅」 I.Y(めぐみ館2年 富山県)

ぬれねずみはゆく
 長い道をゆく
 上り坂をゆく
 下り坂をゆく
 曲り道をゆく
 上り坂をゆく

 

 あぁ、頭上に落ちる
 雨の音がする
 強い音がする
 足元から音がする
 一歩ずつ音がする
 荒れた波の音がする
 沈みかけた舟の音がする
 爪先から音がする
 踵から音がする
 地面から濡れた音がする

 

ぬれねずみ達は雨の中ひたすら歩きました

 冷たさが浸す
 ぬれねずみを浸す
 水が浸す
 その毛を浸す
 辛さが浸す
 痛みが浸す
 だけどちょっぴり
 喜びが浸す
 一歩一歩が
 爪先を浸す
 爪先ほどの幸せが
 ぬれねずみを浸す

 

 長くけわしく
 また長い道をゆく
 故郷へゆく
 懐かしさのもとへゆく

 

 いつか、雨はあがり
 ぬれねずみは気づく

 

チャペル前でゴールしてダウン

 故郷が近いと気づく
 毛から垂れる水滴も
 足先からにじみ出る血液も
 もう、ぬれねずみを苦しめない
 雲の隙間から陽がそそぎ
 あの故郷を照らす
 痛む脚を引っ張って
 ぬれねずみは歩く
 歩き止まって少し歩き
 最後に彼は走ってゆく
 ぬれねずみはそうして家に帰る
 彼はそうして
 また、未来(あした)もゆく

 

 七十キロメートルを越えて

 

 今回の二年生の修養会は、根気強い48回生メンバーといつも私たちを導き支えてくださる先生方、サポートしてくださった保護者の方々、実行委員、全員で文字通り『歩ききった』修養会でした。
 雨は降り、普通の生活ではけして使わないような筋肉の端まで使い切り、体も持ち物も満身創痍。それでもなお、前に進むにつれて笑い声、しゃべり声は増し、心の豊かさこそが何にも変えがたいエネルギーであると、この修養会で感じました。
 進むにつれてだんだんと景色は変わり、とうとう敬和の緑の屋根と十字架が見えたとき、そのときのなんともいえない満足感。「帰ってきた。」その一言に尽きる満足感と、ぬれながら歩いた道のり、だけれどもこの貴重な経験によって、これからの人生をさらに一歩大きく踏み出せるようになったことを、忘れないうちにと思って形にしたのがこの詩です。稚拙かとも思いますが、長い道のりを歩ききった感動を想像して頂けたら幸いです。

 

 

 

 

 

~三年生修養会の様子~

講演後にも熱心に話を聞きました

絶景の立山トレッキング

 

 

 

 

 

寮生活を送って

「変わることの喜び」

W.D(大望館1年 新潟市)

 僕がこの敬和に来て変われたことは大きく四つあります。
 一つ目は、コミュニケーション力です。僕は中学生の頃は人と話すのが苦手でした。そのせいでクラスメイトからからかわれたこともありました。僕はコミュニケーションが苦手というだけではなく、人に話しかけるのもあまりうまく出来ませんでした。でも今はそんな自分が少しずつではありますが、自分の思ったことを友人に伝えられるようになってきました。寮で常に周りに人がいる状況の中、一緒に生活をするという今まではなかったような環境にいるからこそ、少しずつ変わっていったのだと思います。
 二つ目は、自分に自信があるという事です。中学の時、僕は自分に自信を持つことができませんでした。その理由は未来に不安があったからです。しかし敬和で見つけた夢のおかげで、自信をつけることができました。毎日の礼拝のお話しの中から、目標と夢について考えるきっかけを与えられ、自分の夢に向かうための目標を決めて、それを一つずつ乗り越えていくことが大切だと知りました。今は小さい目標を決めながら、毎日の生活を大切にしています。
 三つ目は、運動神経の上達です。僕は幼いころから運動が大好きで、夏休み明けからサッカー部に所属しています。とても楽しくやりがいのある部活動ですが、その半面辛いこともあります。でもその辛いことを乗り越えたら、きっと成長した自分が待っているのだと信じて、毎日頑張っています。できないことができた時の喜びと、仲間と一緒に汗を流す充実感を感じながら、自分のスキルアップを目指していきます。
 四つ目は家族との関係です。僕は中学生の頃、家族が嫌いでした。ケンカが多く、毎日大変な日々でした。でも今では、敬和の寮に入り家族と離れて生活しているからこそ、家族の大切さや感射の気持ちに少しずつ気付いてきた自分がいるように思います。まだまだ家族について思うことはありますが、それでも中学に比べて穏やかに生活することができ、少しずつでも感謝できるようになってきてよかったです。
 これからも敬和の生活の中でいろいろなことに挑戦をして、大きく成長していきたいと思います。

 

 

「主体性」 ~礼拝のお話より~

I.K(光風館2年 柏崎市)

週末のスポーツ大会より

 私はこの夏、少人数制ラグビーの北信越選抜として、長野県菅平で開催されたコベルコカップという大会に参加してきました。近畿地方や東北地方などと戦い、普段では経験の出来ないレベルの高いラグビーを経験することが出来ました。いろいろな経験をして、いろいろな事を思い出しましたが、一番感じたことを書いて、引率してくれた顧問の先生へ提出しました。
 「同じ合同チームでも強いチームはチームを引っ張る人物が複数いました。近畿などは全員がそのような選手だったと思います。我がチームにもそのような選手はいました。しかし、一人二人しかいませんでした。私自身がそのような存在になれなかったことを後悔しました。」
 私は昔から人の上に立ち、人を引っ張ることが出来る人物ではありません。しかし、なぜ出来ないのか、はっきりとはわかっていませんでした。
 その中、9月上旬に17歳以下日本代表コーチの方が新潟下越地方の高校生に講義をしてくれる機会がありました。講義のテーマは、「必要とされる人財になろう」でした。この講義では一流の選手とはどんな選手か、一流になるために必要なことなどを教えてくれる講義でした。その講義の中でコーチの方は一流選手とは「自ら考え、行動、判断出来る選手。自主的より主体的に行動出来る選手」と言っていました。自主的と主体的の違いは、自主的は「決められたテーマに対して、自ら率先すること。」主体的は「何をすべきか、決められていないことを自分で考え、判断し行動すること」とも言っていました。
 私はこの話を聞き、この夏に実感したことを思い出しました。私には、この主体性がないことに気付きました。自主的なことを部活でも普段の学校生活・寮生活でも出来ていると思います。しかし、私は決められていないことを自ら考えて行動する部分においては、出来ていませんでした。また、そのコーチは「そのようなことが無意識に出来ている選手が一流の選手だ」と言っていました。そこで私は「じゃあ一流にはなれないのか」とは思いませんでした。一流選手の中でも、生まれつきそれができる選手もいれば後から意識して出来る選手もいると思います。
 私は無意識に主体性を持って行動出来ません。それなら意識してでも、チームを引っ張れるような必要とされる人財になりたいです。これが部活だけはなく学校・寮生活の中でも大切なことだと思っています。自分から動くこと、主体的になることが自分のためだけではなく人のためになること、それをこの夏を通して気付くことが出来ました。後悔しないように常に意識出来ればと思います。光風館48回生の世代交代が始まりました。よりよい寮生活が出来るようみんなで意識していきたいと思います。

 

 

 

寮務教師からの一言

「慌ただしさの中から感じる成長」  堀越 俊継(大望館担任

 今年も早いもので10月の半ばを過ぎました。寮では世代交代が行われ、新運営委員会の働きが本格的にはじまりました。
 私はこの世代交代の時期が好きです。それはこの世代交代の時期に見せる生徒の表情が、また一つ大人の表情に変わる時だからです。この一年間のぞみ寮を引っ張って土台を作ってくれた47回生には、自分たちが担ってきた役割に自信をもつ表情と、役割から解放される安心感と、後輩に思いを託す先輩の顔を見ることができます。48回生は今まではどこか受け身で寮生活をしていた人も、寮運営という役割を与えられたことで責任感を持ち、引き締まった顔つきになります。49回生はまだ大きな仕事を与えられる人は少ないですが、それでも自分たちが寮にできることを考えて、自ら役割を求めてくる子も出てきたりします。そういう意味ではこの世代交代の時期は大変慌ただしい時期となりますが、どこか安定した生活を送っていたところに、改めて緊張感を与え、自分たちが主体となってのぞみ寮を運営しているんだということを再確認させてくれます。環境や雰囲気が変わることで焦りや葛藤、悩みも生まれるかもしれません。しかしそういったことも一つの成長のチャンスと考えれば、結果を焦らずじっくり向き合うことを忘れずに、一人ひとりをサポートしていくことを心掛けていきたいと思います。
 10月は世代交代に加えて部屋替えの時期でもあります。寮務教師はこの部屋替えを考える際に毎回のように悩みます。同じ部屋になったことがないように組み合わせを考えるのはもちろんですが、それ以外にもそれぞれの館で様々な思惑の中で決定しているのが部屋替えです。しかし部屋替えの目的としては、同じ部屋の人もそうですが、同じ階の人など、人間関係の幅を広げてほしいという願いが込められているのは、どこの館も共通して言えることではないかと思います。常に近くに仲間がいる環境の中で、語り合い、ふざけ合い、時に感情をぶつけ合うことも、人に注意することも、決まった人たちだけで行うのではなく、このような部屋替えという手段を利用しながら、新しい人間関係のきっかけになってくれることを期待しています。
 先輩たちの思いの詰まった伝統を引き継ぎつつ、新しい風を取り入れて、より豊かなのぞみ寮を創っていってほしいと願っています。この慌ただしい転換期の中、寮生と共に同じ時間を過ごせる恵みに改めて感謝いたします。



2016年10月24日月曜日

今週ののぞみ寮 第3号

0003_01 寮生にとって、毎日の食事は毎回楽しみです。朝食は7時から、夕食は18時から友愛館で摂りますが、勉強に疲れて帰ってきても、部活でヘトへトになっていても、友愛館から漂ってくる食事の匂いにパワーをもらうのは、寮生も寮務教師も同じです。
 毎月一回、郷土料理の夕食の日があります。日本全国から集ってくる寮生のために、毎月ご当地の食事が用意される郷土料理の日。みんなのテンションが一気に上昇するのは間違いありません。今月は10月19日(水)がその日でした。栃木県の郷土料理。足利ポテト焼きそばに宇都宮餃子、かんぴょうのお吸い物に銘菓。「オレ、このメニューだったら毎日でいいです!」と口にした光風館生に強く!同意した夕食となりました。
 おいしかったです!ごちそうさまでした!!

 

 

 

 

 

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 民族大移動。ついそんな風に表現したくなります、今年度2回目の部屋替えが全館で行われました。今回の部屋替えは1・2年生のみ。3年生は受験準備のため、6月の部屋替え以降卒業まで同じお部屋で過ごします。さてさて、その部屋替え。突撃取材に出かけ、笑い転げてしまいました。部屋替え、それはまるでスポーツでした。2階から4階へ、4階から2階へ等、縦横無尽に大きな荷物を持てるだけ抱えて汗だくで移動しまくる寮生。開始時はパーカー着込んでいたはずなのに、次に見た時には真っ赤な顔して汗ダラダラで半そで姿。それを見て「アハハ!」と笑う私に笑顔で「ひど~い!」と返す寮生たち。かわいい!
 0003_06そしてそこにはステキな光景も山盛りでした。自分より大きな荷物を抱えている人がやってきたら、サッと道を譲ります。「ぐぉ!」と叫び声(?)が聞こえたら、自分の荷物はそっちのけで「どうした!?」「大丈夫!?」と大きな荷物と格闘している仲間に助けの手を差し伸べます。そして自分の荷物移動が終わったら、とっても自然に、本当に普通に、仲間の荷物移動を手伝います。だから、まだ引っ越ししている人がいるのにお部屋でくつろいでいる人がいる……なんて状況は皆無なのです。これって本当にステキ。本当に優しい。仲間と暮らす毎日で、こんなことが当たり前になるなんて、素晴らしいなぁ、と思わされたひと時でもありました。

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0003_09 平日午後8時。ただ今自習時間中ですが、この時間に各委員会が集まり、話し合います。この日は食事委員会を開きました。新体制をはじめるにあたって、食事委員の「テーマ」決めております。ついでに、毎日の食事の当番表を作成しました。毎日の食事当番の割り当ては彼らに委ねられています。各館に均等に当番が割り当てられるよう、神経を使いながら』作成してくれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0003_10 「本日友愛館で有志によるボランティアを募集しています。暇な人はご褒美はありませんが、手伝ってください」という急な呼びかけにすぐに集まって、楽しそうに発送物を封筒詰めしてくれた、寮生達です。毎回同じメンバーという訳でなく、色んな生徒が気の向くままに集まってくれ、進んで面倒な作業を手伝ってくれます。これでもし、ご褒美を用意していたら大変です。いっぱい集まり過ぎて、困るぐらいになってしまうからです。こんな寮生達がいっぱいいるのが、のぞみ寮です。

 

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2016年10月19日水曜日

めぐみ館通信 2016年10月17日 第62号

49回生修養会inニューグリンピア津南 
 9月28日(水)から30日(金)までの2泊3日、1年生のキャンプ修養会に同行させていただきました。行き先はニューグリンピア津南です。初日の朝から雨が降り続き、キャンプにはあまり向かない天候になってしまいましたが、「疲れたー」と言いつつもなんだか満たされた表情をしてめぐみ館に帰ってきたみんながいました。雨が降り続いた分、「え、太陽出てる!それだけでもうハッピー」と、最終日の朝の久々の太陽の光とその下に広がった雲海の美しさに感謝の気持ちを持つこともできました。
 49回生にとっては、初めての修養会です。キャンプ修養会で一番大変で、大切なのは不便な中での食事作りです。いつもとは違う環境で、自分たちで動いて作らなければ、いつまでたってもお腹は満たされません。しかも、今回は雨の降る中でした。
 食事づくりだけに関わらず、この修養会を通して不便さの中で、楽しむことを多く体験できたのではないでしょうか。「雨降ってるから、運んでる間にきれいになるんじゃん?もう野菜洗わなくていいんじゃない?」逆に「ぎゃー、せっかく洗って拭いたのにまた濡れたー」と楽しそうにざるやボウルを抱えて走る姿をよく見ました。
 また、出発の日には、いつも時間をかけているのでしょう、きれいにまっすぐに整えられていたある生徒の前髪が、2日目からはもうありのままの姿で彼女の目の上で踊っていました。「ヤバいでしょ、前髪。でもね、もうそんなことしてる時間とかないの」笑いながらこう言ってくれました。そうなんです。前髪をセットしている時間があるなら、早く朝ご飯を作って早く食べたい!
 今回、修養会実行委員として多くの寮生が活躍してくれました。普段の寮生活の時とはまた少し違った顔で、言葉で。私が気づくことのできていなかった魅力が、まだまだみんなの中にはたくさん詰まっているのだなと思いました。
 なぜ、修学旅行ではなくて修養会なのか。この3日間で少しでも糧となる何かをつかんだり、逆にこれまで必死に守ってきた何かを解放したり、できたでしょうか。(村田)

 

☆☆☆1年生の修養会の様子☆☆☆

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礼拝のお話
「自分らしく居られるつながり」 3年 N.K
 友人関係についてお話をしようと思います。なぜ今回友人関係についてお話をしようと思ったかというと、私は毎日日記を書いているのですが、たまたま昨年の日記を読み返し、今と比べた所、私の中のクラスでの“友人”への在り方が随分と変わっていたからです。
 少し話しはずれますが、皆さん修養会はどうだったでしょうか?キレイな景色を見たり、たくさん歩いたり、講師の方のお話を聞いたり、そこでしか出来ない様々な経験をされたことと思います。私は、修養会で“友人関係”もより深めることができました。「3年生にもなってまだクラスでの友人関係が浅かったのか」と思う方もいるかもしれませんが、実際そうでした。2年生の私は、1年時の仲の良かった友人とクラスが離れ、なかなか自分のクラスになじめず“自分らしさを出す”という事に戸惑いを感じていました。
 その頃の日記を読んでいると、クラスとその頃の私との間に何かぽっかりと穴が空いているように感じ、とても悩んでいるようでした。今思うと2年生の頃の私は、クラスに対して自分から壁を作り勝手なレッテルを貼っていて、周りに近づきにくい雰囲気を出してしまっていたのだと思います。
 3年生になりフェスティバルや修養会等の行事を重ねるにつれて、どんどんと自分を出せるようになっていきました。それは、こんな私でもきちんと受け止めてくれる仲間があってこそです。今は本当にクラスが大好きですし、1年前では想像できない、素敵な友人関係が今の私にはあります。
 私は2年生の時に悩んだ事で、“友人関係”をつくることが少し遅くなってしまったように感じますが、今となっては悩んだ時間のおかげで、自分を受け入れてくれるみんなのありがたさに気づけた良い期間だったと感じています。
 みなさんの現在の“友人関係”はどうですか?良くも悪くも私は「今」の環境を自分らしく生活して、悩んだり、笑ったりするうちに自然と周りとの人間関係もできていくと思います。
 私は最近サボテンを育てていて、その子に話しかけたりしますが、植物や本と友人になることも、自分らしく居られる素敵な友人?!というか、環境だと思います。
 皆さんもあっという間の高校生活を友人との実りの多い時間となれるよう祈っています。

 

 

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

 3日間の修養会を終えためぐっみっ子の表情からは、達成感、満足感がそれぞれに伝わってきました。いつもの週末の夜は、テレビを観ながら談笑したり、館内は、にぎやかな声であふれるのですが、戻って来た日は、小さな物音さえも響き渡るような、静かな一晩でした。心地良い疲労感でいつもより早めにベッドに入り、疲れを癒すめぐみっ子でした。
 でも若いエネルギーは素敵です。70キロの道のりを歩いた2年生は、若干の筋肉痛を訴えながらも、次の日には活動的に動いているのですから…。
 「もうテストまで時間がない。」と次の目標に向かってエンジンスタートです。
修養会での恵みの時が、一人ひとりの敬和生活の中での糧となりますようにと願っています。(小菅)

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆



2016年10月17日月曜日

今週ののぞみ寮 第2号

 毎週日曜日19時20分全体礼拝が行われます。普段の日は各館で19時30分から行われていますが、週の始まりは寮生全員で礼拝を行って、一週間をはじめます。ちなみにこの日は体育の日で月曜が週の始まりでした。
 礼拝のお話は基本的には寮の教師が話しますが、新体制を迎えた10月は、各館のブロック長と、各委員会の委員長が順番で話します。各館、各委員会、新しくなったメンバーでテーマを決め、そのテーマについて全体礼拝でお話をします。
 この日はブロック長長(学校で例えたら生徒会長でしょうか)のS.N(めぐみ館)さんが、のぞみ寮の全体テーマにした「気づけばそこに愛がある」について話しをしてくれました。
 どこかの機会で話の内容も掲載できないかと検討中です。

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 「腹が減っては、勉強できぬ」テスト週間に入りますと、しばしばこういう光景が見られます。育ちざかりの男子高校生。夕食を6時に食べてしまうと、夜の勉強の時間には、当然お腹が空いてしまいます。そんな彼らのために、各館の先生は夜食を作ります。欠かせないのは愛情というスパイス。
 そのスパイスがたっぷり効いているため、一心不乱に胃の中に入れていきます。そんな喰いっぷりを見て、ちょっとうれしくなる教師たち。教師にとっては、何よりの栄養ドリンク剤がそこにはありました。
 いっぱい食べて、しっかり勉強して、明日のテストに望んでほしいものです。
 そう言えば、テスト期間中は寮内とっても平和になります。これは、いたずら(?)している暇あったら勉強していることの証なのかもしれません。しかし、これも束の間。あと少し、平和な寮を満喫します。

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0002_07 「私、入寮するまでまともに勉強した事なんてなかった!」と自信満々(?)に話す女の子たち。「私もだよ~」とひとしきりみんなで共感し合います。「で、なんで今はそんなに勉強するようになったの?」と聞くと、「だってみんながするから……」と互いの顔を見合って笑います。試験勉強、こんな所でも寮生は互いに影響し合い、助け合っているのだと痛感しました。
 勉強は一人でもするし、みんなでもする。分からないところは、得意な人に教えてもらえばいい。気負わず、普通にそれができるその関係、素敵だよね~☺ 



2016年10月13日木曜日

みぎわ館通信 2016年10月11日 第248号

修養会、無事に行ってきました!
 9月28日(水)から30日(金)の2泊3日、生徒達は修養会に行ってきました。1日目と2日目は雨というちょっと残念な天候でしたが、どの学年も充実した3日間を過ごせたようでした。
 1年生にとっては初めての修養会。楽しみ半分、不安半分といった気持ちで参加した生徒もいたのではないでしょうか。私も1年生の修養会に参加してきました。「1年生はこの修養会でどんな姿を見せてくれるかな。」と、楽しみな気持ちと、「みんな3日間頑張れるかな。」と、心配な気持ちがありましたが、心配は必要なかったようです!みんな体調崩すことなく3日間参加できました!1日目から雨が降っていたため、食事以外の外のプログラムはすべて体育館でのプログラムになったにもかかわらず、与えられた環境で、与えられた内容で、クラスの仲間と楽しく協力して過ごす姿が見られました。
 1年生は朝と晩御飯を自分たちで作るというミッションがありました。火おこしをし、飯ごうでご飯を炊き、食材を切って調理するまですべて自分たちの手で行いました。「どうしよう、まだカレー出来ないよ~。」と言っていたり、「お米、硬い!」と言っていたり……。「大丈夫かな~??」と思っていましたが、回数を重ねるごとに仲間同士のコミュニケーションも増え、手際が良くなっていったように感じました。お米が硬い!と言っていたグループも2日目はふっくらとしたご飯が炊けて、「やった!成功!」とみんなで喜んでいました。たった3日間という期間の中でも確実に何かしら一人ひとりの中に変化が起きたのではないでしょうか。
1011_mi01 1年生は修養会でどんなことを感じたのでしょうか。同じクラスでも普段あまり話をすることがない仲間と会話できたり、帰りたいという気持ちに負けそうになりながらも3日間を過ごすことができたり。一人ひとりがどんなに小さな事でもいい、自分自身のわずかな成長に気付いてくれたらいいなあと思いました。
 私自身、今回修養会に参加して寮生の新しい一面を沢山見ることができ、とても嬉しい気持ちになりました。寮で見せる表情とクラスで見せる表情は違って見えましたし、クラスの中で学年の中で役割を担い大きな働きをしてくれた生徒が何人もいました。こんなパワーを持っていたんだ!と、驚くことがたくさんあった3日間でした。

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 さて、2年生は70㎞を3日間かけて歩くということにチャレンジしました。「どうだった?」と聞くと、「疲れた~、でもなんか楽しかった。」と疲れた表情の中にも達成感が見えました。先頭でゴールをした生徒もいれば、ゆっくり自分のペースで歩いた生徒もいたようです。友達と手を繋いで励まし合いながら歩いた生徒もいれば、もうダメだと諦めかけていた仲間を必死に支えてゴールした生徒もいたようです。一人ひとりが色んなペースで歩いてきたんだなあと思いました。それと同時に、人生ってこういうものなのかも……と、私自身考えさせられました。
 一生懸命突っ走る時もあれば、ゆっくり歩きたくなる時もある。誰かに支えられないと進んでいけない時もあれば、誰かを支えてあげる立場になる時もある。2年生のこれからの敬和生活もその先の人生も、歩く修養会のように色々なペースで一人ひとりが歩んでいってくれたらいいなあと思いました。
 3年生は富山県にある立山町というところに出かけました。残念ながら、2日目に予定していた山登りは悪天候のために中止となりましたが、3日目は最高の天気になったため素晴らしい景色が見れたようです。また、学習会はじっくり考えさせられる内容が盛りだくさんだったようです。ある生徒が「ほんっっとうに良かった。勉強になりました。」と一言感想を言ってくれました。その子は沖縄で起きている現状について学習してきたそうです。「平和というキーワードを深く心に刻み込んでこれた。」と話してくれました。また、ある生徒は夕礼拝で感想を話してくれました。

 私は1日目、平和について海外青年協力隊・幼児教育隊員としてシリアやヨルダンで活動した方からお話を聞きました。話を聞くまでの私がシリア人に対して抱いていたイメージは「怖い・乱暴」でした。ニュースなどで流れる情報を見て、そういう人も多いのではないでしょうか。しかし、シリア人は明るくて陽気で、招き好きで踊り好きだそうです。困ったところといえば「自己主張が強く謝らない」ことぐらいだそうです。私はいかに遠く離れている相手の立場になって考えていなかったか、ということに気づかされました。シリア人に申し訳なく思いました。日本人が一括に「怖い」と言われたら嫌ですよね。色々な視点から考えること、このことをしっかり心に留めておこうと思いました。~3年A.E~

  本当に見つめるべきことは何か、本当に知っておくべきこととは。私たちのまわりにある情報を鵜呑みにするのではなく、自分自身で必要な情報を選択し、考えていく力って大事だなと感じました。(小林)

 

 

 

礼拝のお話

☆9月から一年生も礼拝のお話をするようになりました!司会もやっています!2・3年生のお話だけでなく、今後は1年生のお話も載せていこうと思っています。どうぞお楽しみに!

 

 ~命を頂く大切さ、食べる前には頂きます~   1年 H.A 
 今日は私の大好きな「食」についてお話したいと思います。
 小学校3年生の時の担任の先生は、怒るとすごく怖い先生でした。授業中はみんな足が震えていたり、怒られた子は必ず泣いたりしていました。そんな先生は、ご飯を食べ残すことは許さないという人でクラス目標は「給食食べ残しゼロ」、残す子は昼休みが終わるまで頑張って食べていました。幸運にも私は食べることが好きだったので男子に混ざっておかわりじゃんけんをしていました。そして1年間、3年3組のクラス目標「食べ残しゼロ」は守られたのです。
 今でも食べることが大好きなので給食委員になりました。自主的に毎日ランチメニューとランチの絵を描いています。ランチを食べる時には、同じ給食委員の友だちと「命を頂く大切さ、食べる前には頂きます。」と言ってから食べ始めます。命を頂くことに感謝しなければいけないと思うからです。食べ終わると、「手を合わせてください、ご一緒に、ごちそう様でした。」と言います。みなさんは、「頂きます」や「ごちそう様でした」を言っているでしょうか。もし、自分が食べる側でなく食べられる側だったら。家族と離れて知らないところに連れていかれ、さばかれ、料理にされられ、「いらな~い。」と、ポイッと簡単に捨てられてしまったら、悲しいですよね。そこまで考えなくても、命を頂くことを理解して欲しいと思います。ご飯を作ってくださる方、ご飯代を出してくれている親、今ここに居られることに感謝しましょう。

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2016年10月12日水曜日

大望館通信 2016年10月11日 第249号

<世代交代の時期を迎え>
 10月に入り「世代交代」と呼ばれる、3年から2年に委員会の引き継ぎが行われました。3年生のこの1年間の働きに心から感謝です。それぞれの委員会で責任を持って与えられた役割を全うしてくれたからこそ、今の大望館があります。これで委員会としては引退という形になりますが、これまでの働きに胸を張ってください。そして今後は、卒業の時まで最上級生としての自覚と責任を持って、下級生をサポートしながら、大望館を支えていってください。
 2年生が本格的に寮運営を任されてからまだ2週間ほどしか経っていませんが、まだ様子見というか、仕事の流れを掴んでいる時期のように見えます。この1年間、君たちの働きぶりや判断が大望館全体の方針となり、寮生活に向かう姿勢が全体の雰囲気になります。これからどんどんやりたい事にチャレンジをしていってください。
 「継続は力なり」という言葉があるように、何か物事を始めるのは大切ですが、それを継続してやり続けることもとても大切です。すぐに結果が出ないからとあきらめるのではなく、自分がみんなのために、そして大望館のためにと始めたことは、辛抱強く、近くの仲間と協力しながらやり続けてほしいと思います。最初はめんどくさいと思われるような事でも、そこに明確な意図を持って行う事は、必ずいつかは理解してもらえると信じています。そういう行動は私も全力で応援していきますので、失敗を恐れずに、言葉と行動でみんなに示していってほしいと思います。今後の2年生の働きに期待しています。
 1年生は直接寮運営に関わるという事は少ないかもしれませんが、3年生、そしてこれからの2年生の働きや寮生活を見ながら、自分にできる事を考え、これまで以上に積極的な寮生活をしてほしいと思います。まずは、寮クリスマスでみんながどんなチームワークを発揮するか楽しみにしています。(堀越)

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<テスト週間>
 第3定期テストが始まりました。大望館では毎回のことながら、テスト期間はとても勉強します。夜遅くまで勉強したり、最近は朝早くに勉強する人も増えてきました。勉強はすればするほど結果がついてきますし、自信にもつながります。張り合う仲間、教えてくれる友人など、寮生の強みを発揮して、この勉強しなければいけないという雰囲気に乗っていってください。
 今週はテストが終われば秋休みとなりますが、無茶はせず、体調管理に気を付けて、無理のない学習計画で進めてほしいと思います。
 一夜漬けはやめましょう。(堀越)

47回生 修養会から①

47回生 修養会から②

47回生 修養会から③

48回生で入浴剤作り

焼き鳥の会

夜食の会

 

 

 

 

<礼拝のお話>

「愛するということ」      N.J (3年)千葉県市原市出身
  みなさんは、何かを『愛する』ことができていますか。『愛する』という言葉を辞書で調べてみると、「心がひきつけられ、慕う、いつくしみ、かわいがる、大切に思う」とあります。ここまで聞くと、それくらいできるよと思う人もいるかと思います。
 ところが、先日の新潟教会での小説教の中で、「人を愛するということは、その人の良さを見つけ出すことだ。」と聞きました。この言葉を聞いた時、僕は非常に驚き、そして深く共感しました。
 この話を踏まえて今まで自分が何を愛してきたかを振り返ってみました。家族、友人、音楽などたくさん思いつくことができましたが、こんなにもいろんなものを愛してきたという事実にも驚きました。何かを愛するというのは、それにかけがえのないものがあるからであり、そしてそれは自分に大きな影響を与えてくれるものだと思います。またそれを失った時のショックや悲しみも非常に大きいと思います。
 私たちは神様に選ばれ、愛されて生まれてきたと僕は思っています。この世に存在するものには必ず何かしらの良さがあります。人間も同じで欠点だらけに見える人でも、必ず良さを持っているはずです。周りの人の良さを改めて考えて、見つけて、愛することができれば、きっと新しい何かが見えてくると思います。