2015年11月20日金曜日

光風館通信 第462号(11月18日)

< 受洗おめでとう! >

 10月18日(日)日本基督教団新潟教会にてS.E君(3年)が受洗しました。

 「私の家は教会だったので、なんとなく教会に通っていたけど、敬和学園へ入学し、教会の礼拝・朝の全校礼拝・のぞみ寮各館礼拝を通して、人の話に積極的に耳を傾けるようになってきた。」これは、彼の信仰告白の冒頭部分です。そこにあって当たり前だったキリスト教が敬和生活で自分の中で大きなモノへと変わっていくこと。そして、たくさんの人や言葉との大切な出会いに気付き、おじいさんから教わったことや家族の大きな存在に守られていることを実感し、そのように成長してきた彼がキリスト教を人生の大きな柱としたいという言葉を聴き、私自身とても感動しました。

 彼の信仰告白は“のぞみ通信No.213”に掲載しています。

 それにしても、礼拝が終わった直後に「集合写真を撮るから敬和生、前へ集まって!」と言った瞬間、パッと集まるラグビー部と男子寮生たち。その光景を見た女子寮生たちの足はピタッと止まりました。いくら手招きしても動かないし、掃除のお手伝いに行ってしまう女子寮生たち。誰も来てくれなくて少し寂しそうにしていたラグビー部と男子寮生たちの背中は、いつもより小さく見えました。(片岡)

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< 出会いはもうすでに始まっている >

 11月7日(土)敬和学園オープンスクールが行われました。オープンスクール労作生徒として参加したり、たくさんの光風生が寮案内のお手伝いをしてくれたりしました。本当にお疲れ様でした。みんなが中学生や保護者の方へ気持ち良く挨拶したり、恥ずかしながらも話しかけようとしたりする姿を見ていると、感動します。普段とは違う表情を見せること、それも魅力のひとつだと感じています。

 今回、オープンスクール労作生徒として参加したK.T(1年)の素晴らしい案内を紹介します。中学生と保護者の方をチャペルから光風館まで案内している最中、彼はとても緊張している様子でした。その緊張感は、先導している彼の背中から充分に伝わってきました。「お〜い、光風館に着くまでに自己紹介しといたら?」という提案をした私。彼は「わかりました。はぁ〜、緊張しますね」と、ゆっくり深呼吸をしてから自己紹介しました。

 「みなさん、こんにちは。1年生のK.Tと言います。今日、案内する寮はあちらに見えます光風館です。光風館は現在49名で毎日楽しく生活しています。北は北海道、南は沖縄と全国から集まっています。」本人が心配していたよりもけっこうスムーズに案内していて、正直驚きました。「おっ、心配していたけど全然大丈夫やん。このまま様子を見ておこう」と思いながら、「T、自分の出身地は?」という質問を投げかけました。その時、これから頼りになるはずの彼の口から思いも寄らない言葉が出てきました。

 「あっ、はい。僕の“ちゅっちんち”は神戸です。」周りの中学生は、緊張してよく聞こえなかったせいなのか、高校生のミスを笑うなんて失礼なことは出来ないと思っていたせいなのか、あまり反応がありませんでした。保護者の方はニコッと微笑みながら、彼の話を聴こうとしています。彼はその様子に気付きながらも、何事も無かったように進めようとします。つまり彼は出身地を“ちゅっちんち”と可愛らしく噛んでしまったことを誤魔化そうとしていたのです。その光景を見た私は、「おい、“ちゅっちんち”って何!?」とツッコミを入れました。「ちょっと〜、言わないでくださいよ〜。めっちゃ恥ずかしいじゃないですか!?」と、顔を赤くして照れている彼を見て、中学生や保護者の緊張が解けて、全体は和やかな雰囲気に変わりました。その後の案内がうまくいったことは言うまでもありません。

 その案内をしている中、去年のこの時期に案内した光風館48回生との出会いを思い出しました。今回は、特別に“大声でツッコミを入れたかった一人との出会い”を紹介します。

 誰とは言いませんが、その日の見学者は沖縄出身の中学生とお父さんでした。彼のお父さんが牧師をされているということで、案内している最中も話は盛り上がります。光風館と敬和学園の敷地内をぐるっと案内した後、彼は「海って近いんですか?」と尋ねてきました。「はい、近いですよ。」と答えた私にすかさず「見たいです!」と言う彼。ちょうど時間もあったので、太夫浜の灯台まで案内することにしました。

 「沖縄の海は綺麗ですよね。沖縄と比べたら、新潟は全然違うから期待しないでね。」と伝え、「そうですよね、でも海が近くにあるのは嬉しいです。」と話しながら、灯台を上っていきました。「沖縄の海のように綺麗じゃないからね。」「わかりました。」という会話を何度繰り返したことでしょう。「あちらが海になります。」と、私が指した方向を見た瞬間に彼は叫びました。「うわっ、汚っねぇ!マジか!あはは、凄いっすね!」

 「だ・か・ら、言ったでしょ?」と心の中でツッコミを入れながら、彼のあまりの興奮ぶりを見て、笑いが込み上げてきました。その時は出来なかったけど……彼が光風生になり、彼のキャラをわかっている今なら大声でツッコミを入れることは出来るし、よく考えたらそんな反応も彼らしいなぁと感じているのです。

 今回、伝えたいことは“出会いはもうすでに始まっている”ということ。敬和学園へ進学するかを考えている中学生との出会いが“新しい後輩との出会い”になるかもしれません。その中学生が君たち敬和生と出会い、話すことで「自分もあんな先輩になりたい。敬和生になって活き活きとした高校生活を送りたい」と思うはずです。実際、みんなもそう感じてきたのではないでしょうか?それは敬和生ひとり一人の魅力がしっかり伝わっているからだと、私は考えています。敬和生・のぞみ寮生としての君たちの魅力が伝わること、こんなに嬉しいことはありません。また、その中学生と出会うことによって、“普段とは違う表情をする新しい自分”にも出会うはずです。そのもうすでに始まっている出会いや新しい自分との出会い、そのひとつ一つの出会いを大切にしていきましょう。(片岡)

 

 

 

< 礼拝のお話 >

「流行のもと」 S.M(2年)新潟県新発田市出身

 世の中には様々な流行のもとがあります。それぞれに人を惹きつけるものがあり、その中には社会現象になるほど大衆を動かしてしまうものもあります。

 今回、私が触れた流行のもととは、多数派の意見のことです。それに流されてみても、確かにおもしろいのですが、時には少数派の意見になってみることもいいのではないでしょうか?私は「流行に乗る」ということ自体があまり好きではありません。それが本当に多数派の意見と合っているのならいいのですが、意見が違う場合、多数派に合わせるために気を遣ってしまうことがあります。みなさんもこういった経験はありませんか?

 そして、例え多数派に合わせたとしても、流行は社会の中で常に変化するため、古いものから次第に風化しやがて消えていきます。しかし、自分の意見をしっかり持てば、社会で少数派の意見になろうとも決して風化することは無いのです。

 みなさんも人の真似事や人に近付けるようなことはせずに、自分の意見をしっかりと持ち、これからを生き抜いていきましょう。

 

 

 

「関心を持つこと」 I.A(1年)長野県下伊那郡出身

 みなさんは政治や日本や外国など世界的規模で起こっていることについて、関心を持っていますか?僕はつい先日まで持っていませんでした。しかし先日、友愛館で一人の卒業生が政治や日本で起こっていることについて話してくれました。僕自身も政治や可決された安保法案などを知り、それについて意見を持つことが大切だと感じました。しかし、政治なんて難しいから勉強したくないし、安保法案だって名前はよく聞くけど、今の自分に関係あるかと言えばないし、安保法案なんて知らなくても今の生活に問題はない、そう思えば知る必要なんて全くないのかもしれません。しかし、一見自分に関係なく生活に支障がなくても安保法案やニュースで報道されていることは、実際に日本や世界で起こっています。今、自分に関係なくても将来の自分や家族に影響があるかもしれません。遠い国で起こっていることは、目で見えないし、感じることも日本にいては出来ない。でも遠い国の人たちや当事者はそのことを肌でひしひしと感じ、目で見て耳で聞き心配しています。僕らは日本にいて自分に関係ない、知ったって何か変わるわけじゃない。そうやって無関心でいていいんですか?僕は全てのことを知る必要はなくても、関心を持つことが大切だと思います。具体的に言うと、新聞やニュースで大きく取り上げられていることは、よく目にすると思います。それを見て、「ふ〜ん、そうなんだ。」で終わりにするのではなく、「ふ〜ん、そうなんだ。じゃあ、なんでそれが起こったの?なぜいまそれが問題なの?」とツッコミを入れることが関心を持つことだと思います。

 

 

 

「ナスへの挑戦」 I.T(1年)新潟県三条市出身

 僕は昔から見たことのない食べ物や、見た目がおいしそうじゃないものを食べたこともないのに嫌っていました。しかし最近になって食わず嫌いが治ってきました。そのキッカケはナスです。昔、僕はナスを食わず嫌いして食べていませんでした。ですが中学二年生の頃、夕食にナスが出てきました。何か僕はそのナスが気になり、頑張って一口頬張ってみました。すると今までに感じたことのない食感と味がして、すごく美味しかったのを今でも覚えています。それから僕はナスが大好きになり、夕食などにナスが出てくると必ず食べるくらい大好物になりました。今は見た目があまり好きではない物も一度は食べるようにしています。

 このことから僕が言いたいのは、物を見た目などで判断してはいけないということです。みなさんも食べていないのに嫌いだと思った時は、頑張って一口食べてみてはいかがでしょうか?そこから新しい発見があるかもしれません。そして、怖いかもしれませんが好奇心を持つことは大切だと思います。