2017年3月17日金曜日

光風館通信 2017年3月16日 第487号

< 誕生日おめでとう!! >

 1月18日(水)に12月誕生会、2月27日(月)に11月誕生会、1〜3月合同誕生会を開催しました。
 12月誕生者からのリクエストは『もんじゃ焼き』でした。今までの誕生会で初めて『もんじゃ焼き』がリクエストされ、私は作ったことがなかったので正直不安でした。私が試行錯誤しながら焼いていたところ、「ずっと前に一度やったことがある」とS.Y君(3年)が教えてくれました。メンバーを見るとわかると思いますが、みんなで鉄板を囲みながら、いろんなアホな話で盛り上がり、終始賑やかな誕生会でした。

0316_01 1〜3月誕生者からのリクエストは『餃子』でした。しかし、この日は卒業・寮修了を控えた47回生の帰寮日だったので、「みんなが寝ている光風館ホールで餃子の匂いはちょっとかわいそうだろう」と気遣い、急遽『アンチョビとキャベツのペペロンチーノ・明太子クリームパスタ』に変更しました。2kgのパスタに群がり、あっという間に完食していました。
 11月誕生者からのリクエストは『タコス』でした。なぜ、11月誕生会が最後のほうに開催しているか、疑問を持った人がいると思います。47回生が自宅学習期間に入り、ひと息ついた2月初めに「誕生会は残すところ1〜3月合同だけだなぁ」と写真を見返していたら、大変なことに気付きました。「あれ、11月誕生会ってやったっけ?」と……。そうです、私がすっかり忘れていたのです。そんな大変なことに気付かずに11月誕生会を飛ばして、12月誕生会をやっている私を見て、11月誕生者は「いつかやってくれる」と期待し、言うか言わないで待っておこうか、迷っていたようです。11月誕生者のみんな、本当にごめん!!だけど、みんなのリクエストに応えて開催し、喜んだ顔を見ることが出来て良かったです。これで今年度の誕生会は終わりです。それぞれに特徴があって盛り上がりましたね。お互いの誕生日を祝って、楽しんでもらえたら嬉しいし、誕生会で「自分も仲間も大切な存在なんだ」と感じてほしいと願っています。片岡)

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< 礼拝のお話 >

「1年の実り」              Y.N(1年・愛知県名古屋市出身)

 今日は敬和でこの1年を過ごして、感じたことをお話したいと思います。この1年は16年の人生の中で最も充実した1年間であり、苦しいことが続いた1年間でもありました。私は敬和に来て、多くの挑戦をしました。たとえば、中学3年間帰宅部に等しかったにも関わらず、声楽部に入りました。委員会に入って、行事に取り組み、短編小説を書いて文学賞に応募しました。多くの挑戦をすることによって、私は確かに変わることが出来ました。しかし、一方で変われなかった自分もいます。未だに人付き合いが苦手で余計なことを言う私は、人に不快な想いをさせています。それは、これから変えていきたい自分です。

 また、この1年は苦しいことが多い年でした。初めての寮生活で同学年や先輩と上手に付き合えずにいた時、寮に帰ることが苦痛でした。部活では47回生引退後に自分の未熟さや現状への焦りから退部を考えるほどに自分を追い込んでいました。私の名前や言葉遣いをさして、悪口を言われることもありました。インフルエンザにおたふくと大きな病気で何回か隔離もされ、苦しいことばかりでした。大げさに言うのではなく、本当に多くのストレスの中で過ごしてきました。しかし、この敬和で苦しんだ1年間の実りは大きなものでした。実家では知ることの出来なかったキリスト教や教会、そして神さまに出会いました。かけがえのない友達や仲間が出来て、好きな部活で少しずつ成長出来ました。多くの尊敬出来る人に出会い、理解してくれる人に出会い、大切な人に出会いました。応募した文学賞で賞を頂くことが出来て、多くの挑戦が成果をもたらしてくれました。その成果が私を変えてくれると願っています。
 中学時代、名古屋の公立高に行くのがいやで、県外の高校を考える中で「母の母校であり、祖父母が近くにいる」そんな理由でなんとなくやってきた敬和学園。それでも1年を過ごすうちに、ここに来た理由や暮らす理由が少しずつ分かってきました。それは無意識のうちに私が書いた小説のラストに投影されています。


 ~ 冬は雪が積もり、海風が激しい土地だけれど、その分、桜が咲いて寒さも温む今頃は、とても美しい。この美しさに心を惹かれて、私はこの新潟に来たのだ。新潟に来てからも、辛いこと、悲しいこと、苦しいことがたくさんあったけれど、だからこそ、喜びと微笑みが際立つ。 ~


 今、読んだ小説の箇所に私が敬和で過ごした、この1年間が凝縮されています。厳しい環境の中でも美しい風景と温かな雰囲気を持つ敬和に心を惹かれて、ここに来たのだと思います。辛いこと、悲しいこと、苦しいことのおかげで喜んで笑っていられるのだと思います。もちろん、私が敬和にいるのは神さまが何か、教えたいことがあるからだとも思います。それは私が敬和を卒業するまで、もしかしたら人生が終わる直前まで、わからないことだと思います。それでも、この敬和に神さまが私を招いてくださったおかげで来られたこと、暮らしていることを心から幸せに思っています。