2024年5月1日水曜日

のぞみ通信 2024年4月26日 第288号

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題字 めぐみ館3年 T.Tさん

 

「革新と継承の狹間で」  寮長 野間 光顕

「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」(マタイ18:12~14)

 

 今年度よりのぞみ寮寮長としての働きが与えられました野間 光顕(のま みつあき)と申します。自己紹介をしようと自分の人生を振り返ってみると、敬和と非常に深い繋がりが与えられてきた事を再認識しました。21回生の卒業生である私は、大学を卒業した後、1998年から敬和で18年間(寮務教師として8年、学校に移り聖書科・宗教部で10年)勤務しました。2016年に敬和を退職し、神戸と沖縄のキリスト教主義大学で働いていましたが、その間に長男が53回生でお世話になり保護者(今はゆかり会会員)となっていた所、これまた不思議なご縁で、再び敬和学園の、特に私にとって想い入れの深い「のぞみ寮」に戻って来る事が許された…。これは上記のような背景を持つ私にとって本当に大きな喜びです。

 沖縄から北東に約1680㎞、桜前線と共に渡り鳥の如く「永遠の故郷」太夫浜に戻ってくると、8年ぶりの敬和(のぞみ寮はなんと18年ぶり!?)には、大きく変わった部分と変わらない部分が混在しており、困惑する事の多い毎日を過ごしています。特に教育環境の革新は目覚ましく、教室には最新のICT機器が導入され、授業内容の幅を広げる上で有効な映像データなどが簡単に活用できるようになっています。教員には最新の情報端末が配布され、会議の資料もデータで配信されるようになりました。授業の他にも、敬和に連なる命を支える給食室には最新の調理器具が揃っており、食の安心・安全が叫ばれる時代であっても寮生は一日三食温かく美味しいご飯を食べる事ができます。

 一方、そんな変化の中にあって「変わらないもの」の存在の重要性にも気付かされます。それが集う生徒一人ひとりを丁寧に受け止めようとする先生方の真摯な「眼差し」と、その中で育まれていく穏やかな「繋がり」です。特にのぞみ寮は、コロナ禍の大変厳しい状況の中にあっても互いの命を大切にしつつ、結びつきを深めるための取り組みを懸命に実践し続けてきた…。寮長としての業務を引き継ぐ際、そのような苦難の歩みを伺い、改めて自分に与えられた働きの重さ・尊さ、そしてそこにこそ伴われる見えない主の存在を強く感じています。

 キャンパス内を潤す満桜と共に、新しいのぞみ寮の歩みが始まっています。その歩みが支えられますよう、皆様の日々の祈りに覚えて頂ければ幸いです。

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野間寮長と握手をして入寮した57回生

 

 

 

第57回生のぞみ寮入寮礼拝より

 

入寮礼拝 説教 「喪失と寂しさの傍らに」  寮長 野間光顕

 のぞみ寮新入寮生の皆さん、そして保護者の皆様、本日はご入寮おめでとうございます。

 4年前、新型コロナウィルスの蔓延により、社会の様相が大きく変えられました。それは学校や寮でも同様で、それまでの当たり前が大きく変化し、どうすれば命を守りながら有意義な学びを実践できるのか? 実に4年もの歳月が経過し、以前ほどコロナ関連のニュースが報じられなくなった今でも、様々な所に混乱の足跡があり、それを乗り越えるための試行錯誤が続けられています。そんな中、今日ここに集まってくれた57回生28名は、不安や恐れを乗り越えてのぞみ寮への入寮を決意してくれた、私は今年度から寮長に就任しましたが、みんなの踏み出してくれたその貴重な一歩が本当に嬉しく、またその一人ひとりの背後に見えない力と導きが働いている事を感じて胸が熱くなります。後ろに座っている2・3年生、また寮スタッフを代表し、ここに感謝と歓迎の意を表したいと思います。「ようこそのぞみ寮へ‼」

 …と言いながら実は、私自身も先週のぞみ寮に来たばかり、新入りという意味では57回生と同じです。皆さんより一足早くこの太夫浜に引っ越してきましたが、そこで驚いた事があります。まだ新学期が始まっていないのに、皆さんを迎えるための準備が様々な場面で行われているという事です。学校では、今日の午前中に新年度の始業礼拝が行われましたが、のぞみ寮では、その前日から2・3年生が帰寮し、開寮礼拝が行われました。また皆さんを最も近い所で受け止める2年生に至っては、更にその前日から寮に集まり、寮合宿を行いながら、掃除や歓迎の準備をしました。私の所にも、この太夫浜に移り住む前から「入寮礼拝の讃美歌を教えて欲しい」とメールが届きました。その時は少し早いな…と思ったのですが、奏楽を担当してくれる生徒が春休みの間に練習できるように…という配慮があった事を知り驚かされました。

 「入寮礼拝」というキーワードを耳にした時、1曲の讃美歌が頭の中に思い浮かんできました。それが先ほど共に歌った200番「ちいさいひつじが」です。歌ってみると分かると思うのですが、この讃美歌は物語構成になっており、1番では野原で楽しく遊んでいる羊、2番では逆に群れからはぐれて悲しく泣いている羊、3番ではその失われた一匹の羊を探す羊飼い、そして4番ではその羊飼いが迷い出た羊を探し出してハッピーエンド…と、これも先ほど読んでもらったマタイ福音書の18章「迷い出た羊のたとえ」がそのまま歌われています。 

 なぜ私の頭にこの讃美歌が浮かんだのか…?それは以前寮で働いていた私の中に忘れられない思い出があるからです。約20年前に行われた入寮礼拝で、この讃美歌が歌われた時に、隣で涙を流す保護者の姿が…。卒業で感極まって…ではなく、入寮で涙を流す⁉と一瞬躊躇しましたが、よくよく考えると、それほど愛する自分の息子・娘を寮に送り出す親の側も胸が痛んでいる、寂しさを抱えている…。しかしそんな想いを越えて大切な子ども達をのぞみ寮に託して下さった、寮教師の責任の大きさを改めて感じた瞬間でもありました。そしてその記憶を改めて思い返してみた時、それはただの思い出を越えて、今日のこの入寮礼拝でぜひ確認しておきたい重要なメッセージとも重なってくるように思ったのです。

 2024年は、元旦から石川県沖で大きな地震が発生、能登半島という特徴的な地形から3ヶ月以上が経過した今でも、なかなか生活を復興できない苦しい状況に置かれている人が大勢います。しかし、そんな中でもいち早く震災前の仕事を再開させた牡蠣業者の山口さんの取り組みがニュースで取り上げられていました。今回の能登半島地震では断層が大きくずれ動く直下型地震であったため、酷い所では4m以上も地面が隆起し、能登半島に位置する港の8割以上が壊滅的なダメージを被る事となりました。しかし能登半島の形状が影響したのか、全く地震や津波の被害を受けなかった、特に収穫するための船や牡蠣を洗浄する機械が無事だった山口さん、周りへの配慮など色々な想いを抱えながら、それでも能登半島の存在を忘れて欲しくないという想いの中から牡蠣漁を再開されました。そのインタビューの中で山口さんは、「この世界には『失われたからこそ気付く』ものがある」と語られていました。祖父の代から引き継いできた漁業船、父の代に大きくした牡蠣工場、またそれらの実りを与えてくれる能登の豊かな海、地震が発生するまでは存在するのが当たり前だと感じていた一つひとつに、実は大切な意味が存在している事に、震災を通して気付く事ができた。復興にはまだまだ時間がかかると思うが、今回新しく繋がる事ができた人々も多くいる、今はその繋がりに丁寧に応えたい…と目を潤ませながら語っておられました。

 この「失ったからこそ気付くもの」「離れたからこそ見えてくるもの」という感覚が、特に現代社会では希薄になってきているように感じます。IT機器の急速な発達で、世界中のあらゆる情報が即座に入手できるようになりました。子どものランドセルや高齢者のカバンにGPSを付けて、位置情報を確認する事ができるようになりました。今まで見えにくかった事がどんどん可視化され、不必要な不安や恐れからずいぶん解放されたように感じます。しかし、どこか失う事を恐れ、喪失感から全力で逃げるように情報機器に依存し、便利で効率の良い方法ばかりを優先する社会の中で、人間本来の力や感覚が鈍ってくる、またこれまでなかったような新しい形の危機や脅威が生まれてきている。確かに情報機器は便利で、人間の生活を効率的にはしてくれるものの、それとは違った所に人間本来の幸福や幸せが存在している…。そんな風に感じている保護者の方々も少なくないのではないでしょうか。

 敬和を離れ8年間、神戸や沖縄の大学で働きつつ、どんどん変化していく日本社会の様相をみながら、この幸せを求める方向性がずれているような違和感、その正体を考え続けて来た私は、先週からこの敬和ののぞみ寮に戻り、自分の中の違和感の答えに気付かされたように思います。帰寮してきた生徒たちが湯気の上る温かい食事を囲みながら見せてくれる穏やかな笑顔、まだ見ぬ新入生の為に進んで行動できる優しさ、何食わぬ顔でスマートフォンを本部に預けていく姿には逞しさを強く感じました。寮の会議では、生徒の名前と共に一人ひとりの背後にある確かな成長が語られます。それらを伺った時、寮の先生方が一丸となって生徒たちを土台から受け止めている。そして同時にその先生方を信頼し、大切な子ども達を託して下さる保護者の方々がおられる。その見えない繋がりの中で、一人ひとりに必要な成長が積み重ねられていく…。実は私自身も敬和から離れる事で、改めて敬和教育の在り方や重要性に気付かされた1人であると感じています。

 今日からのぞみ寮で新しい生活を始める57回生の皆さん、今は楽しみよりも不安の方が大きいかもしれませんが、心配ありません。先ほどの讃美歌や聖書に記されていたように、こののぞみ寮では、皆さん一人ひとりを丁寧に受け止めようとする人々の想い、キリスト教的に言うなら「愛」が溢れています。困った時には遠慮せず、自分の言葉で周りの先輩や寮スタッフに声を掛けて下さい。その一歩が、繋がりをより深め、また新しい成長に自分を導いてくれるはずです。皆さんの新しい歩みが祝されたものとなるよう、私も全力で取り組んでいきたいと思っています。一緒に頑張っていきましょう‼

 

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真っ直ぐな眼差しで、寮長の説教を聞く57回生

 

 

 

新入寮生代表挨拶 「入寮の決意」  M.M(1年・神奈川県)

 皆さんこんにちは。今日からのぞみ寮に入寮させていただきます、M.Mです。皆さんの前に立ってとても緊張していますが、どうかあたたかい気持ちでお聞きください。

 入寮を迎えた今、友達はできるのか、友達と仲良く楽しく生活していけるか、不安になっています。一方で、新しい生活が楽しみな自分もいて、「きっと大丈夫だよ、私があなたの面倒を見てあげるから」と、神様が語り掛けてくれています。敬和に合格するまではひたすら楽しみだった生活が、入寮の日が近づくにつれ「未知のもの」に思えて、揺らいで欲しくなかった楽しみな自分の気持ちが、揺らいでしまうことに戸惑いを覚えました。一緒に入寮するみなさんも、不安と喜びで複雑な気持ちになったことと思います。

 さて、皆さんがそうであるように、私ものぞみ寮に入ろうとしたきっかけがあります。 私は、もともと電車を使わなくていい近所の高校に行こうと思っていました。でも、「いいな」と思った学校は私の学力では届かなかったり、届きそうなところでも決め手に欠けていたり、そんなふわふわした状態でした。そんな時に母が「こんな学校あるけど。」と、敬和のホームページを見せてくれました。生徒一人ひとりを一つの人格として尊重してくれる教育方針に驚いた私は、オープンスクールや敬和の会に何度も参加して、またパンフレットを読んで、「ここに行ったら、人として大事なところを育ててもらえる。そしてなにより、どの高校よりも楽しそうだ。」という思いが与えられ、今ここに立っているというわけです。母が敬和を知っていたのは、母の妹、私のおばが敬和の卒業生だからです。おばも、おばの旦那さんも、共に26回生です。

 母が私にホームページを見せた時、どんな思いで見せたのか私は知りませんが、母も父も、時々心配の色を見せながら私の意志にゆだねてくれました。特に母は、敬和への準備という「荷」を半分、もしかしたら半分以上、背負ってくれました。 お母さんお父さん、勇気をもって私の意志を尊重してくれてありがとう。

 最後に、先生方と先輩方へ。どうぞ、これからいろいろたくさん助けていただきます。頼らせてください。なんでも教えてください。よろしくお願いします。そして、一緒に入寮する57回生の仲間へ。いい友達になれることを願っています。共に過ごす日々が、不安ですが楽しみです。私も頑張ります。どうかよろしくお願いします。

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入寮礼拝 新入寮生代表挨拶

 

 

 

在寮生代表挨拶 「歓迎の言葉」  N.S(3年・山形県)

 突然ですが、今日、皆さんはどんな気持ちで家を出発してきたでしょうか。私は2年前のこの日、たくさんの段ボールと胸いっぱいの希望と共に、ここ、敬和に到着しました。皆さんと同じように3年生のお話を聞き、これから一緒に暮らしていく仲間とぎこちない会話をしたのを昨日のことのように覚えています。そして今、私が3年生という立場でここに立っていると何とも言えない気恥ずかしい気持ちでいっぱいです。みなさんもぜひ、いまそこからみえる景色と、胸の中にある気持ちを記憶に留めてみてください。そして、すごく気が早いですが、1年後、2年後に会える後輩を見て、思い出してみてください。

 皆さんは今日から3年間の、のぞみ寮での生活が始まります。3年間という時間が長いのか短いのかはわかりませんが、私にとってこの2年間は信じられないほど長く、身の詰まった時間でした。まだあと1年もあるなんて信じられません。皆さんが、今朝まで一緒に暮らしていた家族からも離れ、肌身離さず持っていたであろうスマートフォンを預けての今夜から始まる生活は、きっと皆さんを不安や不満でいっぱいにすることがあるだろうと思います。でも、良くも悪くも、すぐ近くには人がいるのぞみ寮です。これから先、今隣に座っている仲間とたくさん笑いあって、泣きあって、怒りあって、愚痴をこぼしあって、この不便なのぞみ寮を生き抜いていってください。そして、のぞみ寮を語る上で欠かせないのが、神様の存在です。敬和学園はキリスト教の学校ですが、クリスチャンは意外にも少数派です。神様を信じている人、信じていない人がお互いの価値観に触れ、頭も心も柔らかい、素敵な高校生になって欲しいと願っています。特に、これまで神様を知らなかった人にとっては、これから週に10回もある礼拝が退屈な時間になってしまうかもしれません。しかし、せっかく敬和に来たのですから、人生100年のうちの3年間だけでも、新しい価値観に触れていってください。礼拝の時間を、神様と自分と向き合い理解を深められる時として欲しいです。

 最後に、今日から始まる皆さんののぞみ寮生としての毎日が、涙よりも笑顔のほうが多い日々になることを心から願って、歓迎の言葉とさせていただきます。

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可愛い妹たちを迎えて

 

 

 

新入寮生保護者代表挨拶 大望館保護者 H 様

 皆さんが敬和学園に導かれたことは、本当に感謝することだと思います。今までは家庭と学校での生活、その行き来でした。でも、今度はちょっと違います。寮はみんなで共に生活する場。寮ではわがままが通らないこともあります。それは厳しいかもしれないけど、神様が与えてくれたあなたがたの試練の場です。そこで、耐えることによって成長があり、その試練を神様が与えてくれます。神様は乗り越えられない試練は与えない。もし、そんな試練があったとしても逃れる道も与えてくれます。ですから、安心してください。

 右を見て左を見て、初めて会う人がいると思います。あなたの友達で、家族です。敬和ファミリーという言葉があります。先生も新入生も在校生も含めて、ひとつの家族だということ。それは互いのことを想って生活をする、その一言に尽きます。

 「自分がしてもらいたいと思ったことを隣の人にしてあげましょう」という聖書の言葉があります。世の中では「自分がしてもらいたくないことは人にしない」とよく聞きます。でも、キリスト教の世界では、自分から進んで隣人のことを考えて、隣人のために尽くすことが非常に大切です。隣人の気持ちになって、物事を考える。それは隣の人と関わっていくことにつながります。

 皆さん、敬和を知ったのはどういう経緯でしょうか?オープンスクール・敬和の会・知人の紹介など、あったと思います。でも、それを知った時から敬和のことについて想うことがあったと思います。想うというのは、心の底から想うということです。キリスト教の世界では想うということは、祈ること。祈ることは、どんなところでも出来ます。それはあなたがたと神様との関係です。祈ることは切り替えれば、愛するということ。愛ということは、大切にするということ。隣にいる人を大切にするということです。

 建学の精神「敬神愛人(神を敬い、人を愛する)」という言葉があります。敬神というのは、キリストを敬う、大切な人を敬うということ。愛人というのは、人を愛する、人を大切にするということです。

 初代校長は「人を愛する」ということを日本的な表現で「人と和する」と言われました。和の意味は和らげる、人を和ませる、調和という意味です。

 私が12回生として在学していた当時からあった敬和スピリットという言葉があります。敬和スピリットは敬神愛人、まさに聖書の言葉です。それを非常に大切にする学校だと私は確信しております。

 3年後、成長したあなたがたに、また会えることを夢見ています。

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大望館がさらに元気になりました!

 

 

「寮生リレー」(礼拝のお話より)

「小さな目標から」 I.S(2年・神奈川県)

 みなさんは、元旦や新年度の変わり目に「この一年は○○を頑張ろう!」と心に誓ったことはあるのではないでしょうか?例に漏れず、僕も多くの目標を立ててきました。しかし、悲しいことに立てた数々の目標を達成出来ないのも事実です。読書の習慣、ランニング、テストで何点取るなど、本当に数えきれません。みなさんは、いかがでしょうか?

 「したい人、10000人。始める人、100人。続ける人、1人。」これは作家 中谷彰宏さんの言葉です。多くの人が目標を達成出来ないのは、何かを始めるまでに99%が脱落し、99.99%の人が目標達成するまで継続することが出来ないということが事実なのかもしれません。

 目標を達成するためのポイントは「いかに継続出来るようにするか」です。多くの場合、「○○を出来るようになりたい」などを目標に掲げることが多いのではないでしょうか?目標が多すぎませんか?大きいのは悪いことではないですが、なかなか結果が出ないと挫折に繋がりやすくなります。こんな時に小さな目標ステップを作りましょう。そして、継続しやすい環境を作りましょう。

 なかなか目標が達成出来ない方は、ぜひ目標を小さなものに変えてみるといいかもしれません。様々なことに挑戦し、目標を達成し、充実した敬和生活を送れることを祈っています。

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男子寮 夕礼拝の様子

 

 

 

「寮務教師の一言」

「心配しなくても大丈夫」 女子寮 小林 渚

 「泣いている1年生いる?1年生大丈夫かな?」

 入寮して数日たったある日、3年生と何気なく話をしていた時の一言です。

 「先輩たちのあたたかい眼差しは、いつも1年生の傍にある」いうことに、あらためて気づかされ、心があたたかくなりました。

 寮生活と学校生活が始まってなかなか思うように歩みが進んでいかないことに、すでに悩み始めている1年生がいます。でも、大丈夫です。先輩たちがそっと見ていてくれています。遠く離れている家族の皆様が祈っていてくださいます。そして、神様も共に歩んでくださっていることを私達は知っています。のぞみ寮生みんなの2024年度の歩みが豊かになりますよう、心から祈っております。