2017年5月26日金曜日

のぞみ通信 2017年5月25日 第228号

5月2日上堰潟公園への寮ピクニックより

 

「みぎわ館の挑戦  ―『伝説』への道― 」

寮長 東 晴也

 朝6時45分頃に私は光風館の自室を出て、友愛館の南側を通って寮本部に行く際、すでに起床して館の外にいるみぎわ館の生徒に会う機会が増えました。気候が穏やかになり、早朝から縄跳びをしたり、ジョギングやストレッチをしていたりと様々に体を動かしているのです。「おはようー。えらいねー」と声をかけると、はにかんだような返事が返ってきます。

 ここ数日、みぎわ館生やまたその関係教職員と話す機会がたびたびあったこともあり、今回はみぎわ館にこだわって書いてみたくなってしまったことをまずお許し下さい。「最近のみぎわ館」という固有性(特に3年生)を私なりに見つめることで、「のぞみ寮全体」の普遍性・可能性を垣間見ていただければ幸いです。

 私はなるべく各館の夕礼拝に順番に顔を出し、そこで語られる生徒の声を聴くことを大切にしています。4月10日の夕拝のSさん(3年)の感話は、「家族」というテーマでした。「私には3つの家族があります。その1つがみぎわ館です。ここには自分を認めてくれる仲間がいます。みんなが一人ひとりに向き合ってほしいから、みぎわ館ではスマホ・携帯、PC、SNSを制限しています。成長の時を私たちと一緒に楽しみましょう」といった内容でした。これは入寮したばかりの1年生に、寮の基本的なあり方・方向性を示してくれるものでした。

 4月20日の夕拝でFさん(3年)は、「……敬和生、特に寮生は、一人ひとりみんな輝いています。私には長所がありません。でも、ある友達から『Fはいるだけで癒やされる』と言われたことで、自信をもつことができました。だから、友達はとても大切です」と語ってくれました。Fさんは、人間関係がいかに私たちに大切か、実体験を通して語ってくれたのだと思います。

 そして5月10日の夕拝後、ブロック長のYさんは、寮内に遺された小さな落書きに対して、「わる口はよろしくない」として、大きく3点の問題提起をしてくれました。1つ目は、「(みぎわ館は実は)お互いを頼る関係をつくっていないのでは?」館内の関係が頼り合える関係であれば、あの落書きはなかったはずだ、ということ。2つ目は、「人を傷つけることをあえて書くということはどういうことですか?」3つ目は、「これは互いの関心の無さから来るのでは?その人のSOSを事前に受け取れないくらい、人と人との距離が離れていることの現れでは?」という厳しいものでした。以上を全体に投げかけた上で、さらにYさんは各学年毎に課題を出したのです。「3年生は、フェスや進路のことで忙しいという理由で、寮の問題から逃げていませんか?この問題から逃げないでほしい。3年生がこの寮をつくってきたのだから、3年生に一番責任がある。……(略)」

 新入生を見守るSさんの眼差し、自らの人生を告白するFさん、そして寮の今の問題に真正面から向き合うYさんの姿勢に、私は正直胸が熱くなりました。取り組むべき課題や問題を「問題」として受け止められることそのものが、なにより嬉しかった。これができるなら成長の可能性は無限にあると思うからです。

 みぎわ館は一昨年度から「寮のルールの見直し」に本格的に取り組みました。それはある意味、47回生の悲願であったと思うのです。47回生は卒業しましたが、彼女たちが目指そうとしたのは、「本来寮はどのような場か?」という問いに向き合おうとしたのだと思うのです。それに今のみぎわ生がどう答えを出すか。今年の館テーマ「みぎわ館 ~のぞみ寮の伝説~」を掲げるみぎわ生、本当にレジェンドになる……!期待に胸は膨らむのです。

 

 

 

< 寮生リレー 「寮祭を終えて」>

大成功だった「七匹の子ヤギ」  H.M(めぐみ館2年 新潟市)
 私は昨年の夏に入寮しました。それが理由で、2年生ですが寮祭の出し物に、出演することとなりました。今年のめぐみ館の寮祭での出し物は、『七匹の子ヤギ』を題材にした劇で、私はお母さんヤギ役でした。しかも、普段は穏やかなお母さんヤギなのに、オオカミを退治する時は子ヤギを守るために真逆の母ヤギに豹変する……という、私からすると何とも言えない役が与えられ、楽しみというより、演じられるのかと不安で仕方ありませんでした。

0525_no01 練習では、2年生は1年生に演技指導をするのですが、2年生の輪が上手くいかなかったり、1年生をまとめることに悩んだりと、あまり緊張感がない練習となっていました。
 そんな中、2年生はミーティングを開き、その中で一人が言いました。「いい雰囲気で練習が出来ていないよね。みんなで練習に参加して、一緒になって演技指導したりしてほしい!」と。その発言のおかげで、その後はみんなで協力し合って劇を完成させるという気持ちを全員が持て、とてもスムーズに取り組むことができました。本番も大成功だった事は言うまでもありません。
 今までのめぐみ館の2年生の雰囲気は「良い!」と自信を持って言えるものでは、正直なかったように思います。しかしこの練習を通して徐々に、先輩としてしっかりしなければと、自覚が芽生えたり、責任感を持って役割を果たすことが出来るようになってきたと感じています。寮祭の出し物練習を通して、私達2年生も、とっても大切な学びができ、仲間との関わりを持つことができる、良い経験となりました。
 私の演じた母ヤギは、私の心配をよそに意外とウケたようで嬉しく思います。自分では絶対に望んで演じない役でしたが、「私の殻も破ってくれたのかもしれないなぁ」なんて思ったりもしています。初めての寮祭、とっても楽しかったです。

 

 

自分らしさを大切にする  K.F(光風館1年 愛知県)

 私たち光風館は、寮祭の出し物で「かぐや姫」の劇をしました。しかし、その物語はみなさんの知っている「かぐや姫」とは、少し違うので説明をします。
 物語は、平安時代の琵琶湖近くに、老夫婦がいたところから始まります。おじいさんは、コンビニで刀を新調して、試し切りをしようと、近くにあった竹を切りました。その竹の中から、女の子が出てきて、おじいさんはその女の子を連れて帰りました。おじいさんは、おばあさんに事情を説明して、その女の子を「かぐや」と名付けました。少し月日は流れ、かぐや姫は健やかに、そして美しく育ちます。そんなある日、田舎に美しい女がいるという噂が5人の貴族である「関白・右大臣・左大臣・中納言・皇子」の耳に入り、彼らがかぐや姫にプロポーズをしに行きます。その彼らを中心にいろんな物語が展開され、最終的にはかぐや姫は月に帰らず、おじいさん・おばあさんと暮らせることになったという、とても面白い物語です。

0525_no02 この物語で私は、関白を演じました。関白は5人の貴族の中では、リーダー的存在でした。だから、最初の練習では、かなり真面目っぽく演技をしていました。しかし、自分の役は他の人よりも、あまり面白味が無いように思いました。せっかくの楽しい寮祭だからもっと面白く、また自分らしさを出そうと思い、いつも自分が見ているドラマの演技を思い出して、練習に励みました。毎回、練習をする度に、みんなが笑ってくれる事に、とても喜びを感じ、演技をすることが楽しくなりました。その結果、寮祭本番ではたくさんの人が私の演技を見て、「とても面白かった」と言ってくれました。
 私はこの経験で、これからの敬和生活で「自分らしさ」というものを大切にし、どんなことでも、全力で挑戦していきたいと思うことができました。

 

 

 

< 寮生リレー 「ゴールデンウイーク」>

ラストゴールデンウイーク  N.T(大望館3年 群馬県)

 私は今まで長期休みは、必ず家に帰っていました。そんな私は今回のゴールデンウィークに帰りませんでした。私が帰らないと言ったら、母はもちろん、寮の先生方、寮の友達から驚かれ、何かあったのではないかと、心配されました。
 私はもう寮で2年間生活し、残り1年となりました。そこで3年生になるにあたって、寮生活での1つの目標を立てました。それは、後輩から「あんな先輩になりたい」と思われる先輩になることと、なるべく新しいことにチャレンジし、今までの寮生活とは違ったものにすることです。その第一歩として、今回のゴールデンウィークは家に帰らず、寮で過ごしました。ゴールデンウィーク中、色んなことをしました。
 その中でも一番印象に残っていることは5月2日に行ったピクニックです。このピクニックには、全学年の寮生が参加しました。公園についた後、その公園の自然を見ながらランニングをしました。1周2キロあるコースだったのですが、普段こんなに開放感のあるところに、いない私は、走っていてとても気持ちよくなり、気付いたら5周走っていました。
 その後、私たちは銭湯に行き、みんなでお風呂に入りました。私はこの銭湯に入っていた時間が一番楽しかったです。男湯にはお風呂が3種類以上あったのですが、みんなで同じ一つのお風呂に入ったのを覚えています。6人くらいでミストサウナに入ったり、お風呂につかりながら普段あんまり話さない人と話したり、とても楽しかったです。
 家に帰ると、スマートフォンやパソコンばっかり使ってしまいますが、公園で豊かな自然を見ながら体を動かし、お風呂でリラックスするという、今どきの高校生には、稀で貴重な1日を過ごすことができました。
 このゴールデンウィークを通して、改めて自分がとても恵まれている環境にいるということを知りました。また、今までずっと怖いと思っていた人の印象が良い方に変わったり、同じ寮に住んでいる仲間の新たな一面を見たり、新しい発見をたくさんしました。このゴールデンウィークで気付けたことを大切にし、残り1年もない寮生活を楽しみたいです。

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最後のゴールデンウィーク  K.S(みぎわ館3年 千葉県)
 ゴールデンウィーク中私は、家に帰らず寮に残りました。この休みの間に、ピクニックと新潟教会のバザーの手伝いに行きました。
 ピクニックは、公園へ行きバーベキューをしたり散歩をしたりと、のんびりした時間を過ごすことができました。普段は、このようなことを、公園に行ってすることがないので、とても新鮮で楽しかったです。
 新潟教会のバザーの手伝いには毎年行っていて、今年も食堂で、料理を運んだり食器をさげたりと、ウェイトレスのような役割をしました。ちょっと怖そうだなあと思った人から、「ありがとう。」と言われ、バザーに来てくださった方々の役に立つことができたと思い、とても嬉しくなりました。
 ピクニックやバザー以外にも、友愛館でバーベキューをして楽しみました。みぎわ館の3年生で一つのテーブルに座り、みんなと分け合って食べるお肉は、とてもおいしく感じました。
 こうして、私の寮生活最後のゴールデンウィークが終わりました。みんなでお肉を食べたり、バザーの手伝いに行ったり、ピクニックでほのぼのしたりと、とても楽しいゴールデンウィークでした。

 

 

 

< 寮生リレー 「一か月経った寮生活」>

これからの人生に活かしたい  O.Y(大望館1年 田上町)
 僕は考える事が好きです。でも、早く考える事は、得意じゃありません。そして、同じ事をいつまでも、グルグル考えるのは嫌いです。
 僕が普段考えていることは、「あの人何考えているのだろう」「素晴らしいって感情は面白いなぁ」「魂はなくとも命はあるよなぁ」「日本はどうなるのだろう」自分にとっては興味があるものです。でも、一人で考えているとネタがいつか尽きます。それは、とても孤独でつまらないことなので、僕は周りの友達からネタを仕入れてきます。
 僕は人に対して面白いと感じます。その人の考え方や経験、趣味や夢を聞くのが好きです。特に良かった経験を聞くのが大好きで、一カ月間過ごしてきて面白いなぁと思ったものを紹介したいと思います。

0525_no04 僕の友達で、小学校六年生の頃に立山に登った人がいます。彼は、雪が積もった立山の中を登り終えて、頂上から下を見た時に、なぜか地学がとても面白そうだなと、感じたそうです。僕がこの話を面白いと思った理由は、これは彼しか経験できないことであり、彼の中で重要な要素だと感じたからです。
 僕はこれを聞いて、僕も立山に登ってみたいと思いました。自分の関心が広がることは、自分の世界が広がることに関わっていると思います。これも、人の良かった経験を聞くのが、好きな理由の一つです。
 敬和では人の考えを聞く機会が、他の学校よりとても多いと思います。朝礼拝の先生の話や、寮であれば、夕礼拝の先輩や友人の話があります。この事は僕が敬和に入ってからとても良かった事です。
 これからも僕は、人の話を聞いていくと思います。でも、話はただ聞くだけでは意味がないと思います。その話を聞いて、どう思い、どう感じ、これからの人生にどう活かすか。そこまで考えて聞いてみたいです。

 

 

無理だと思っていた寮が楽しい  S.M(みぎわ館1年 胎内市) 
 私は最初、ゴールデンウィークまで寮で生活をしていくのは無理だと思っていました。思った以上に寮生活は厳しくて、覚えることがいっぱいだし、友達ができるかなどの不安でいっぱいでした。
 しかし、生活してみたら考えすぎであることが多く、だんだん不安は少なくなりました。それでも、不安は少なくなったとはいえ、ゼロになったというわけではなく、夜に泣いた日もありました。

0525_no05 そんな泣いている私の隣には、いつも友達や先輩が居てくれました。私が泣き終わった後、ある先輩が言ってくださいました。「無理はしないで。相談がある時は私の部屋においで。」この言葉を聞いて、今まで悩んでいたことや、不安なことが一気に無くなりました。この時初めて、私の周りには優しい人がいっぱい居る、ということに気が付きました。
 一か月、寮生活をして思ったことは、とにかく寮は楽しいということです。確かに、寮は嫌なこともたくさんあるし、親が居ないことを、寂しいと思う人もたくさん居ます。けれど、いざ一ヶ月寮生活をしてみると、仲間の大切さに気付くことができました。
 私はこれから、このみぎわ館で楽しく学び、また来年入ってくる1年生には、「ここは楽しい所だよ。」と、笑顔で言い、友達とも毎日笑顔で過ごせるよう頑張っていきたいです。

 

 

 

< 礼拝のお話 >
僕の友人  E.Y
(光風館1年 燕市)
 
僕には、小学生のころから仲良くしている、一人の友人がいます。ちょっと変わった子でした。みんなより少し遅れて登校して、みんなと違う教室で勉強をして、みんなより早く帰る、そんな子でした。
 それでも、昼休みにはクラスの友達と遊んでいましたが、ある日を境に、学校に来なくなりました。私は「なぜ、来なくなったのか?」と気になり、先生に聞いてみることにしました。すると、先生は「あの子はとても重い病気になっているから、今は病院に入院しているよ」と答えました。それを聞いた私は、とても驚き、その日のうちに彼が入院している病院へ行きました。

0525_no06 彼が入院したのは、その日から2週間前でした。ベッドに入っている彼の姿は、みんなで仲良く遊んでいた頃とは、比べ物にならないほど痩せ細っていて、とても驚きました。彼は私のほうを見て、「お見舞い来てくれてありがとう。気に掛けてくれてありがとう」と、か細い声で言いました。後に、先生は彼の症状を説明しました。その症状は、徐々に筋力が無くなっていく病気でした。僕は、「それはどんなに恐ろしい病気なのだろうか。いつ治るのか?」ということで頭がいっぱいでした。それでも、彼は一時的に退院して、一緒に小学校を卒業しました。しかし、彼は中学2年生で再び入院してしまいました。
 彼は今も病院の中です。彼は在学中、何度も「僕たち、高校に行っても仲良しだよな?」と言っていました。今も度々お見舞いに行っていますが、日に日に元気を無くしていく彼を見ていると、私も暗い気持ちになっていきます。
 この世界には様々な理由で学校に行けない人がいます。そのことを忘れずに、私は健康に学校に行けることを幸せに感じないといけないと思いました。今日は、難病に苦しむ彼やこのような病気に苦しむ人々に祈りを捧げます。

 

 

 

< 教師からの一言 > 寮務主任  澤野 恩
 
先日の寮祭に、多くの保護者の方々に来ていただき、感謝いたします。
 天候の関係で、今年も友愛館での立食パーティーとなってしまったことは残念でしたが、あの場にいた一人一人の表情は、それぞれが楽しんでいる顔に見えることができたと、思っています。
 寮祭は、食事、お楽しみ会、礼拝の三つを軸に構成されています。最後の礼拝をするようになったのは、東日本大震災があった年です。自分たちが楽しんでいる一方で被災された方たちが多くいる。当時の寮生達は、本当に寮祭を行っていいのだろうか?話し合いました。結果、寮祭を行うけれど、ただ楽しむだけでなく、最後に礼拝を行い、被災された方たちの思いに寄り添いたい。そんな思いから、礼拝が行われるようになりました。
 その思いは今の寮生にも受け継がれ、寮祭が行われる直前の各館礼拝で、多くの献金が集められました。
 私たち寮の教師だけで考えていたら、礼拝は行われない寮祭が、行われ続けていたと思います。子供達の柔軟で温かい心遣いに、頭が下がる思いでいっぱいです。