2019年4月23日火曜日

のぞみ通信 2019年4月21日 第245号

1年生レクリエーションが気になり過ぎて様子を見に来た2・3年生と1年生の集合写真

 
 
「出発することによってしか得られない恵み」
寮長 東 晴也
 
敬和学園の理念
 戦後の復興期に、この太夫浜の地に誕生したこの学園には、この50年間、一貫して堅持してきたことがあります。それは、聖書にある「敬神愛人」を建学の精神とすることと、一人ひとりを大切にすることです。この2つのために、どうしてもここに学ぶ生徒の皆さんにやってもらわないと困ることがあります。それは、「他者と出会う」ということです。他者と出会わなければ、人を愛すことはできませんし、自分が大切にされていると実感することもないでしょう。だから、ここは、あえて言うなら「他者と出会うことを課される場」です。

なぜ「出会い」が大切か
 敬和学園は「キリスト教による人格教育」を行う学校です。皆さん一人ひとりは、他の何にも代え難い人格をもっています。そして、あなたの人としての人格を磨き成長させるためには、どうしたらいいか?それは、他者と出会い、他者の人格で磨くしかないのです。「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される」(箴言27:17)。 つまり人は人間関係の中でしか鍛えられない。他のものではダメなんです。だから、人は一人では生きていけないのです。

願いが叶う老人アブラハム
 アブラハムは、後に「信仰の父」と呼ばれ、キリスト教徒のみならずユダヤ教・イスラム教徒からも尊敬されている人物です。ここに登場するアブラムは、すでに老人で75歳。でもここから彼の本当の人生がスタートするのです。神様のすることって面白いでしょう。なんでもっと早く声かけないかなと思いますよね。それでも、彼は主の言葉に従い、生まれ故郷から「出発」します。住み慣れた場所、便利で豊かなメソポタミアを離れ、一見何もない田舎に出て行くのです。どんどん田舎になり、目の前に見たこともないような風景が広がり、寂しいと思ったでしょうね。でも、やがて彼はその出て行ったその場所で、彼がこれまでもっとも「願っていたもの」が与えられるのです。神の命令に従い、一見何もない未だ見ぬ土地へ出て行くことで、彼の「願い」は結果的に叶えられていく。出発した時は、それが分からないんです。人の人生とはそういうものです。人生とは生きてみた後になって初めて、その意味が分かる。だから、人生は常に冒険とならざるをえません。
 
52回生の冒険のはじまり
 新入生の皆さんにとって、ここでの寮生活はきっと冒険でしょうね。でも、一人ではありません。君たちと一緒に生きいく仲間がいます。寮の先輩、先生方、その他多くの学校の先生やスタッフがいます。これから共に生きていきましょう。
 52回生の皆さん、敬和学園のぞみ寮への入寮おめでとう!ようこそのぞみ寮へ! (4月2日入寮礼拝より)
 
 

入寮礼拝より
新入寮生代表挨拶「本当の楽しみが学べる」    S.K(大望館1年 群馬県)
 私は寮に入ってやりたいことが二つあります。一つ目はいつも当たり前だった有り難さを知ること。そして、二つ目は真の友人を作ることです。この敬和学園の寮生活ではきっと今まで親と一緒に過ごしてきたような生活リズムと違って、共同生活での大切なルール、また良い意味での上下関係の厳しさなどを体感出来るような気がしています。また、洗濯など身の回りのことは自分でやるという生活。携帯電話・スマートフォンが使えないといった普通の高校生であれば不自由と不便を感じるはずの生活が待っているようです。これらを聞くと、これから寮生活をする私にとっては「先輩が怖い人だったらどうしよう。今まで洗濯なんかしたことないのに出来るかな?」など不安でいっぱいになってしまいます。しかし、厳しいルールや上下関係はこれから社会に出ていく中で多かれ少なかれ経験することになりますし、たくさんの人と関わっていく中で大切になってくると思います。寮生活の中で、それを身に付けることが出来るというのは、とても有り難いことかもしれません。
 いつも洗ってある服が着られる。帰ってきたらすぐにお風呂に入れるといった私たちの身の回りの当たり前だったことは、学校に行っている間の見えないところで家族がやってくれていました。これからそのいくつかを自分たちでやることにより、今まで私たちが生活をする上で当たり前だったことが、そうではないということを知らされ、同時に感謝の気持ちが持てるようになれたらと思っています。
 今の時代には当たり前となっている携帯電話が使えないということ。これから寮生活をする中でとても心配だったり不安に思ったりする人もいるかもしれません。私は二人の姉たちの敬和学園での様子に触れる機会があったせいか、スマホを使ってのコミュニケーションや便利さというものが「無ければ無いでどうってことないんだなぁ」と感じていました。それ以上に寮生活の楽しそうな様子や本気で言い合える言葉の力、仲間を大切に思う気持ちなど、そこにはきっと良いことも嫌なことも合わせて、中身の濃い生活があるように感じていました。今、当たり前になっている便利さよりも、もっと大切なことや楽しいこと、つまり本当の楽しみが寮生活で学べると思っています。
 何か困ったことがあれば、常にそばに頼りになる先輩方やたくさんの仲間たちがいる環境というのは、同級生が4名しかいないという環境で過ごしてきた私には想像することもなかなか難しいのですが、とにかく飛び込んでみようと思います。しかし、すぐに頼るのではなく、自分で考えて生きる知恵をつけることも大事です。あくまで馴れ馴れしいのではなく、しっかりとラインを引いた中でそのような信頼関係を築いていけるようになりたいと思います。
 また、ずっと一緒に生活をしていれば意見が合わず、ケンカをしてしまうこともあると思います。しかし、三年間ありのままの自分を出せないまま生活するよりも、そのままの自分を出していったほうがいいと思います。私自身も今まで自分が本当に思っていることを言い合えたり、ケンカしたりする相手はいませんでした。この寮生活でハリーポッターに出てくるハリー・ロン・ハーマイオニーの三人のように本気で言い合い、本気で笑い合える、そんな本当の友人が作れたらと思います。
 これから私はこの敬和学園のぞみ寮に入寮し、敬和学園での生活をスタートします。これから始まる生活の中できっと自分の能力の無さや思いやりの気持ちが出せず、落ち込むことや行き詰まることがあると思います。しかし、そんな時には信頼出来る先生方や先輩方、親友たちと共に考え、工夫して乗り越え、三年後には一皮も二皮もむけて成長した自分に会えたらと思っています。

第52回生入寮礼拝

 
 
歓迎の言葉「のぞみ寮という素敵な家族に」  T.H(めぐみ館3年 新潟県長岡市)
 皆さん、星野源の「Family song」という曲を知っていますか?私が住んでいるめぐみ館は、先月49回生を送り出す際にこの曲を使って出し物をしました。私は元々「Family song」を知っていましたが、改めて聴き直し歌詞の意味を考えていました。二番の歌詞に〝出会いに意味などないけれど 血の色 形も違うけれど いつまでも側にいることができたらいいだろうな″という歌詞があります。この部分は私たち寮生にぴったりだなと思いました。血の繋がっていない他人同士が三年間共に過ごす中で、私たちは第二の家族という意識が芽生えてくると私は思うのです。〝いつまでも側にいることができたらいいだろうな″という部分は、たとえ離れていても心は繋がっていると考え、私たちは49回生を送り出しました。
 そして今日、52回生を迎えるにあたりもう一度曲を聴き直しました。〝出会いに意味などないけれど″というこの部分は、きっとこうして今私たちが出会えたことは偶然ではなく、神様が与えてくださった奇跡なのだと私は思います。なので、この出会いの意味は神様しかわかりません。それでいいのです。52回生の皆さん、焦らなくて大丈夫です。ゆっくりゆっくり時間かけて、のぞみ寮という素敵な家族になりましょう。
 私は今までずっと自分のことが嫌いでした。嫌いすぎて苦しい思いもたくさんしました。それでも今こうして私がこの場に立てているのは、私のことを赦し認め、愛してくれる仲間がいるからです。そのおかげで今は少し、自分のことを好きになれた気がします。
 52回生の皆さん、私たちは第二の家族であり、共に支え合う大切な仲間です。たくさんぶつかってお互い高め合って、色んな想いを共有して、そして何よりも深い絆で結ばれる仲間になりましょう。そのことも覚えて、これから寮生活を歩んでいってほしいと思います。
 最後になりますが、52回生の皆さん、保護者の皆様、この度はご入寮おめでとうございます。

桜の木の下で女子寮生全員の集合写真

 
 
 
保護者代表挨拶「入寮させるにあたり」 S.Dさん (めぐみ館保護者 茨城県)
 小さき者ではありますが、ご指名を頂きましたので、僭越ながらご挨拶と申しましょうか。ひとりの保護者としての願いのようなお話しをさせて頂きます。
 「人皆に美しき種子(たね)あり 明日何が咲くか」
 これは、敬和学園の入り口にある、石碑に刻まれている詩の言葉です。見たことがない方は、今度是非ご覧下さい。「明日」というその詩は、どんな人の内にも無限の可能性が与えられていることを表現した素晴らしい詩です。この敬和学園でも教員をされていた、安積力也先生のお父様の安積得也先生の詩です。
 私事ではありますが、私は小学生の時、学校の教室でこの詩や他にも先生の作られた「三つの窓」や「未見の我」という素晴らしい詩を作者ご本人の得也先生に朗読して頂き、「人が生きる上で大切な事がある」という話を聞かせて頂いた思い出があります。何回かの交わりでしたが、そうした貴重な交流を通して、先生の温かな人柄や優しく凛とした語り方、詩の一節一節を読まれる先生の心の響きのようなものを感じ、何もわからない子どもながらにとても感動した事をあの石碑の詩を見た時、思い出しました。
 何十年も経ち、薄れてしまっているはずなのに、なお私の心の中に残っている安積得也先生という人格は、生身の先生と顔と顔を合わせて直に交わった体験があったからこそだったと今思うのです。そして、詩との「再会」によって私の中に蘇った、先生のまなざしや声の記憶は、あの出会いと交わりが見えない形で、私の人格を創る一つの要素になっていた事を証明してくれました。漠然としていますが、「あの時、あの経験があったから、他には無い今の自分がいるんだなぁ」という感覚です。
 我が子がこの敬和学園で寮生活を始めるにあたって、先輩の寮生の皆さんも含めて、のぞみ寮に集う全ての人には、この寮でしか経験できない濃密な「他者と顔と顔を突き合わせて交わる」という時を、思いっきり楽しんでほしいと思っています。時には、辛く大変な想いをする事もあるでしょうが、良い事もそうでない事も全てまとめて心の栄養です。色々な個性を持った仲間たちと送る、心を振るわされる、または振るわせる生活を通して、何十年か経った後も心に残っている事を気付かされるような何かを、皆さんの人格を創る要素となる何かを獲得してもらいたいと願います。そうした経験こそが、誰もが内に持つ「まだ見ぬ美しい種子(たね)」から花が咲くための養分の一部となるのだと思います。
 親としては、そんな我が子の日常を離れたところから祈りで支え、信じて待つ事しか出来ないもどかしさはあります。ですが、今は日々成長する子供たちに与えられる恵みの証しを通して、親自身も神への信頼を増し加え、人として成長させて頂く時なのだと感じております。
 最後になりますが、寮生活に関わって下さる先生方やサポートして下さる多くの方々には、大変な事が山積みにされて行く毎日かと想像いたしますので、お身体に気を付けられ、親子共々成長する「場」と「時」を創造して行って下さいますよう、お願い申し上げ、ご挨拶の言葉とさせて頂きます。
 
 

新入生を迎えて「僕なりの学び」   S.H(光風館2年 新潟県新発田市)
 4月2日、待ちに待った新入生が光風館に入寮してきました。僕は、嬉しいという気持ちよりも「先輩としてしっかりやっていけるか。どんな後輩が入ってくるのか」などの不安があり、入ってくる新入生よりも緊張していたかもしれません。しかし、初めて出来た後輩に出会い、寮生活についていろんな説明をしているうちに、一年前の自分と後輩が重なり、いつの間にか緊張はなくなっていました。
 だからと言って、油断は出来ません。僕たち2年生は教えなければならないことであふれています。寮での過ごし方やルール。一から教えるのは決して楽ではありません。先輩が後輩を指導するのは当たり前で、僕たちが教えることで、後輩は学んでいくんだと考えていました。
 しかし、一週間ほど経って、あることに気が付かされました。それは、教えている僕たち2年生が学んでいるということです。僕は初めて先輩になり、後輩たちに「先輩とはこうあるべきだ」ということを教えてもらっている気がします。日常生活の中で、先輩として間違った行動をすれば、伝えるべきことは伝わりません。教えても出来ないということは、教え方が悪いということです。何よりも、どういうことを教えなくてはならないのか?考えることはたくさんあります。後輩に教えることで、僕たちは真の先輩へと成長していくんだと、まさに今、実感しています。
 仮に一年前に後輩が出来たとして、こんな考え方が出来るとは思えません。光風館で積んだ多くの体験が、僕の経験となり、僕なりの成長が出来ているんだと思います。これからもここで多くの学びを体験していきたいと思います。

ウェルカムボードを掲げる男子寮生

 
 

「完璧じゃないから出来ること」 K.R(みぎわ館2年 新潟市)
 今年52回生を迎えて先輩になった私たち51回生たち。去年までは、私たちが先輩たちに優しく時に厳しく指導して頂いたのに、いつの間にか今度は自分たちが後輩を支える立場になり、「一年って、本当にあっという間!」と思います。と言っても、私は途中入寮なので、まだ半年の寮生活ですが……。
 私たちは昨年度末から52回生を迎え入れる準備を始めていました。「いよいよ私たちも先輩になるんだなぁ」と何となく思っている時に、52回生で入学予定の人たちが寮見学をしに来てくれたことがありました。そんな話を聞くたびに嬉しくなり、「先輩になるんだ!」と自覚させられドキドキしました。
 いよいよ入寮当日。同じお部屋になる52回生を迎えるために、春休みをかけて作ったウェルカムボードをしっかり掲げながら、私はとっても緊張していました。私は元々人見知りで人と話すことはあまり得意ではないのですが、一番緊張しているはずの52回生たちに少しでも和らいでもらえるようにと、自分なりに積極的に話したり、一緒に過ごしたりして努力してみました。きっと51回生たちもみんな同じ気持ちだったと思います。
  そして、1年生の入寮で私はこんな自分と出会い、驚きました。人のために何かをしてみようと思える自分になっているなんて、まるで別人になったみたいだなぁと思いました。
  しかし、私も51回生たちもまだまだ変わっていかないといけない所はたくさんあります。でも「完璧」でない私たちが力を合わせるからこそ出来る事がきっと絶対あるはずだと、私は思います。例えば、誰かが何かを失敗しても「大丈夫だよ」と許せる優しさもその一つです。
 寮生活2年目がスタートした51回生たちですが、先輩・後輩と協力し、共に支え合いながら歩いていきたいなぁと思っています。
 
 

教師からの一言  めぐみ館担任 小菅 真子
 新しい出会いに感謝します。送り出してくださったご家族の思いに、数年前の自分を重ねています。我が娘ものぞみ寮生でしたが、あの時の感じた思いをこの季節が巡ってくる度に思い出します。娘たちは、それぞれ成人し、社会人として生活していますが、いくつになっても親としての心配はつきません。大切なお子様をお預かりしている責任の大きさを心に刻んでいます。ほしい物は簡単に手に入る世の中ですが、心までは豊かにはしてくれません。のぞみ寮の生活の中で、出会った仲間たちと存分に心を揺さぶられる経験を重ねてほしいと願っています。心と生活に寄り添い過ごしていきます。感謝して・・・・・・。
 
 
お知らせ
 4月27(土)寮祭終了時刻は20時を予定しています。その後、寮生は保護者同伴のみ帰宅出来ます。寮祭後、新潟駅まで送迎の車を出しますので、お帰りの心配をせず楽しんで頂きたいと思います。